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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第11章 王立学院一年 三学期

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第185話 読めない魔法理論

 春休み初日。


 学院は、いつもより静かだった。


 授業のない校舎は、同じ場所なのに少しだけ別の建物のように感じる。


 寮生の多くは学院に残っているとはいえ、今日は休みの初日だ。

 急いで教室へ向かう必要もなければ、教師に呼ばれて走る必要もない。


 そんな中、俺は鞄の中の一冊の本の重さを、妙にはっきり感じながら歩いていた。


 福嶋亮太の『魔法理論』。


 王立図書館で見つけた古い本。


 表紙はこの世界の文字で書かれているのに、中身は日本語で書かれている。


 そして、そこには今の学院では教えられていない魔法が載っている。


 ◇


 訓練場へ入ると、セレナはすでに来ていた。


「早いな、セレナ」


「少し気になっていたのよ。あなたが見せたい本というのが、どういうものなのか」


「そんなに怪しいものではない……と思いたい」


「その言い方がもう怪しいわ」


 セレナは呆れたように言った。


 けれど、表情は真剣だった。


 俺は訓練場の端にある長椅子の上に鞄を置き、古い本を取り出した。


 革の表紙。


 この世界の文字で書かれた『魔法理論』。


 それだけ見れば、ただの古い魔法書だ。


「それが、例の本ね」


「ああ」


 俺は本を開いた。


 セレナが横から覗き込む。


 その瞬間、彼女の眉が動いた。


「……何、この文字」


「読めないか?」


「少なくとも、私が知っている文字ではないわ」


 セレナはページをじっと見つめる。


 それから、ゆっくりと俺を見る。


「あなたは、これを読めるの?」


 来ると思っていた質問だった。


 それでも、すぐには答えられなかった。


「……読める」


「どうして?」


「そこは、まだうまく説明できない」


 セレナはしばらく黙っていた。


 責めるような目ではない。


 ただ、分からないものを前にして、慎重に距離を測っている顔だった。


「そう。なら今は聞かないわ」


「助かる」


「でも、この文字だけでも十分に異常よ」


 セレナはもう一度、本へ視線を落とした。


「それで、この本を書いた人は誰なの?」


「福嶋亮太」


 俺がそう言うと、セレナは聞き慣れない音を確かめるように、ゆっくり繰り返した。


「フクシマ、リョウタ?」


「ああ」


「それは、人の名前なの?」


「たぶん」


「たぶん?」


「少なくとも、本にはそう書かれている」


 セレナは少し考え込む。


「王国の人間の名前ではないわね。

南方でも、東方でも、北方でも聞いたことがない響きだわ」


 当然だ。


 この世界に、日本人の名前などあるはずがない。


 そう思ったが、口には出さなかった。


「この本には、いくつか独自の魔法が載っている」


 俺は話を進めた。


「今日は、その中のいくつかを試してみたい」


「危なくない範囲で、でしょうね」


「ああ。そのつもりだ」


「そのつもり、という言い方が少し不安だけれど」


 セレナはそう言いながらも、止めはしなかった。


 ◇


 最初に開いたのは、亜空間収納の項目だった。


「まず試したいのは、亜空間収納という魔法だ」


「亜空間?」


 セレナがすぐに聞き返した。


「俺も正確には分からない。ただ、本にはそう書かれている」


「亜空間……」


 セレナはその響きを確かめるように呟く。


「学院の魔法理論では聞いたことがないわ」


「本の説明だと、物を消すんじゃない。

目に見えない別の場所へ、一時的に保管する魔法らしい」


「別の場所へ保管する?」


「そういう感覚に近いと思う」


「分かるようで、分からないわね」


「俺も、完全には分かってない」


 ただ、イメージはできる。


 前世で子どもの頃に何度も見た、ネコ型ロボットのアニメ。


 腹についた不思議なポケットから、何でも取り出す道具。


 福嶋亮太の説明を読んだ時、俺は自然とあれを思い浮かべた。


 この世界の人間には、たぶんその映像がない。


 でも、俺にはある。


 だから、分かってしまう。


 俺は訓練場の中央に立ち、手を前へ出した。


 まず、魔力を集める。


 火でもない。


 水でもない。


 風でも土でもない。


 空間に、物を入れるための口を作る。


 そう意識した。


 だが、うまくいかない。


 目の前の空気がわずかに歪んだだけで、すぐに消えた。


「失敗?」


 セレナが聞く。


「たぶん」


 もう一度やってみる。


 今度も、空気が揺らいだだけだった。


 何かが足りない。


 そこで、綻びの目を使う。


 視界に文字が浮かんだ。


 《入口形成:不安定》


 《魔力固定:不足》


 《綻び:輪郭の崩れ》


 《原因:取り出し側の意識過多》


 取り出し側。


 俺は思わず息を吐いた。


 入れる前から、取り出すことまで考えすぎている。


 まず作るべきなのは、収納するための入口だ。


 取り出すことは後でいい。


 俺はもう一度、手を前へ出した。


 不思議なポケット。


 手を入れれば物が入る。


 必要な時に取り出せる。


 今は、その入口だけでいい。


 空間の一点に、魔力を固定する。


 今度は、感覚が違った。


 目の前の空気が、薄く裂けるように歪む。


 黒い穴ではない。


 光っているわけでもない。


 ただ、そこだけ空間の見え方が違う。


 空気に、手を入れられるほどの違和感が生まれていた。


 セレナが息を呑む。


「……何、今の」


「入口、だと思う」


「入口?」


「試してみる」


 俺は訓練場の端に並んでいた木剣の一本を手に取った。


 セレナが少しだけ身構える。


「本当に入れるの?」


「ああ。木剣なら、万が一壊れても危険は少ない」


「そういう問題かしら」


 それでもセレナは見守った。


 俺は木剣の先を、目の前の歪みに近づける。


 木剣の先が、消えた。


 抵抗はない。


 そのまま押し込む。


 半分。


 さらに奥へ。


 最後には、柄まで完全に消えた。


 俺が魔力を切ると、空間の歪みも消える。


 セレナはしばらく木剣が消えた場所を見ていた。


「……消えた?」


「消したんじゃない。入れた」


「同じことにしか見えないわ」


「俺にもそう見える」


 俺は苦笑しながら、もう一度入口を作った。


 さっきより少しだけ早くできる。


 手を入れる。


 何もない空間に手を突っ込んでいるような、妙な感覚だった。


 でも、指先に確かに木剣の感触がある。


 それを掴み、引き出した。


 さっき入れた木剣が、何事もなかったように訓練場へ戻ってくる。


 セレナが目を見開いた。


「本当に……戻ってきた」


「ああ」


 成功した。


 俺は木剣を見ながら、少しだけ息を吐いた。


 入口を作るだけで、思った以上に集中力を使う。


 今はこれが限界だろう。


 もしこれを安定して使えるようになれば、冒険でも、領地運営でも、運搬でも、かなり使える。

 しかも本の記述によれば、亜空間内では外界の温度や湿気の影響を受けにくい。

 食料や薬草の劣化も、かなり抑えられるらしい。


 ただ物を入れるだけではない。


 保存にも使える。


 それだけでも、チートすぎる魔法だ。


 ◇


「次は?」


 セレナが警戒した声で言った。


「浮遊魔法」


「浮遊?」


「風魔法の発展形らしい」


 俺は本の該当箇所を開いた。


 福嶋亮太の説明は、やはり妙に読みやすい。


 飛ぶというより、落ちる力を風と魔力で受け流す。


 体を持ち上げるのではなく、体にかかる重さの感覚を薄くする。


 そういう説明だった。


「風で体を押し上げるのとは違うの?」


 セレナが聞く。


「たぶん違う。無理に押すというより、落ちる力を逃がす感じだと思う」


「それも、学院では聞いたことがないわ」


「俺もない」


 俺は訓練場の中央で、足元に魔力を集めた。


 風魔法を使う。


 ただし、下から強く吹き上げるのではない。


 体の周りに薄く流し、重さの感覚を削る。


 一回目。


 足元がわずかに軽くなった気がした。


 だが、次の瞬間、普通に足が地面についたままだと分かる。


 失敗。


 二回目。


 今度は体が少し傾いた。


「ちょっと、危ないわよ」


 セレナが一歩近づく。


「大丈夫。まだ倒れてない」


「倒れてからでは遅いのよ」


 それはそうだ。


 俺は綻びの目で、自分の魔法を確認した。


 《浮遊姿勢:不安定》


 《魔力配分:右側に偏り》


 《風圧制御:過剰》


 《綻び:重心固定》


 重心固定。


 ただ浮かせるのでは駄目だ。


 体の中心を決める。


 そこを基準に、重さを薄くする。


 三回目。


 今度は、足元からふっと力が抜けるような感覚があった。


 地面が遠くなる。


 いや、俺の体が浮いていた。


 ほんの数十センチ。


 それでも、確かに浮いている。


 セレナが呆然と呟いた。


「本当に浮いた……」


 数秒で限界が来た。


 俺はゆっくり地面に降りる。


 足がついた瞬間、少しだけ膝に力が抜けた。


「自由に飛び回るのは、まだ無理だな」


「当たり前よ。今のだけでも十分おかしいわ」


「でも、落下を緩めるくらいなら、訓練すればできそうだ」


「それだけでもかなり有用よ」


 セレナは真剣な顔で言う。


「高所から落ちた時、崖や塔で足場を失った時、戦闘中に体勢を崩した時。

使い道はいくらでもあるわ」


「だな」


 亜空間収納ほど派手ではない。


 だが、浮遊魔法もまた、この世界ではチートと言えるだろう。


 ◇


 そして、俺は次のページを開いた。


 転移魔法。


 国民的RPGに出てくる、一度行った町へ戻る魔法。


 福嶋亮太の説明は、そこから始まっていた。


 ただし、この世界で再現するには制限がある。


 一度行った場所の魔力の癖を覚える。


 そこに自分の魔力で目印を置く。


 今いる場所と目印をつなぐ。


 その線に沿って、自分の位置を移す。


 距離が遠いほど魔力を使う。


 知らない場所へは飛べない。


 結界や強い魔力の乱れがある場所では、安定しない。


 そして、使えば使うほど、魔力の通し方に体が慣れる。


 消耗は少しずつ減り、飛べる距離も広がる。


 そう書かれていた。


「次は何?」


 セレナが聞く。


「転移魔法」


 その言葉に、セレナの表情が固まった。


「……転移?」


「ああ」


「場所を移動する魔法、という意味?」


「たぶん」


「たぶんで試していい魔法じゃないわよ」


「訓練場の端から端だけだ。遠くへ飛ぶつもりはない」


 俺は訓練場の反対側を指した。


 見えている距離。


 歩けばすぐ行ける場所。


 それでも、初めて試すには十分だ。


 俺はまず、訓練場の端まで歩いた。


 そこに魔力を少しだけ残す。


 目印。


 そう意識する。


 それから元の位置へ戻った。


 セレナは不安そうに見ている。


「本当にやるの?」


「ここでやめた方がいい気もする」


「なら、やめなさい」


「でも、今なら少し分かる気がする」


「そういうところが一番危ないのよ」


 返す言葉がない。


 だが、分かる気がするのも本当だった。


 一度行った場所へ戻る。


 国民的RPGで、何度も使った魔法。


 町へ戻る。


 拠点へ戻る。


 そのイメージが、俺の中にはある。


 福嶋亮太の説明は、その感覚に妙に重なった。


 俺は息を整えた。


 今いる場所。


 先ほど魔力の目印を置いた場所。


 二つをつなぐ。


 次の瞬間、体の内側から魔力がごっそり引き抜かれるような感覚があった。


 視界がぶれる。


 足元の感覚が消える。


 そして、一瞬後。


 俺は訓練場の反対側に立っていた。


「リオン!?」


 セレナの声が遠くから聞こえた。


 いや、遠くからではない。


 さっきまで近くにいたセレナが、今は訓練場の向こう側にいる。


 成功した。


 俺自身も、少し遅れてそれを理解した。


 ただ、体が重い。


 息が上がる。


 今の一回で、かなり魔力を持っていかれた。


 セレナが走ってくる。


「今の、何をしたの?」


「転移、だと思う」


「思う、じゃないわよ。あなた、今、消えたわよ」


「俺も、少し驚いてる」


「少し?」


 セレナの声が少し低くなる。


 だが、俺は別のことを考えていた。


 使える。


 今は訓練場の端から端で、かなり消耗した。


 連発は無理だ。


 だが、本に書かれている通り、使えば使うほど消耗が減るなら。


 飛べる距離が伸びるなら。


 いつか、王都とハル領を一瞬で行き来できるかもしれない。


 そうなれば、ハル領の運営は大きく変わる。


 今まで馬車や早馬に頼っていたものが、まったく違う形になる。


 これは、ただ便利な魔法じゃない。


 領地の未来を変えるチート魔法かもしれない。


「リオン」


 セレナの声で、俺は我に返った。


「今日はここまで」


「まだ少し読めるけど」


「駄目よ」


 セレナの声は、いつもより強かった。


「亜空間収納。浮遊。転移。どれも学院で習う魔法とは違いすぎるわ。

これ以上続けたら、何が起きるか分からない」


「……分かった。今日はやめる」


 俺は素直に頷いた。


 セレナの判断は正しい。


 むしろ、三つも試した時点で十分やりすぎだ。


 ◇


 セレナは本を見た。


「この本には、他にもこんな意味の分からない魔法が載っているの?」


「ああ」


「他には何があるの?」


 俺は目次らしき箇所を開いた。


 日本語で並ぶ見出しを、順に読む。


「探知魔法。幻像魔法。術式解除。簡易鑑定。

それから、転移の応用として脱出魔法」


 セレナはしばらく黙った。


「……本当に、魔法体系そのものが違うわ」


「俺もそう思う」


「なぜ、こんな魔法が今の時代に残っていないの?」


 セレナの疑問は、俺も感じていた。


 亜空間収納。


 浮遊。


 転移。


 どれも反則みたいな魔法だ。


 もし福嶋亮太が本当にこれを使えたなら、なぜ今の時代に何一つ残っていないのか。


 俺はページをめくった。


 魔法理論の説明とは少し違う文体の場所がある。


 日記のような、覚え書きのような文章。

 そこに、理由らしきものが書かれていた。


 俺は黙って読み進める。


『この魔法は、俺には使えた。


でも、他の人に教えるのはほとんど無理だった。


理由は簡単だ。


俺のイメージが、この世界の人間には伝わらなかったからだ。


俺は前の世界の漫画やアニメやゲームを見て育った。


ポケットから何でも出てくる道具も、一度行った町へ戻る呪文も、空を浮く感覚も、幻みたいに分身する動きも、頭の中に映像としてあった。


でも、この世界の人間にはその映像がない。


言葉で説明しても、絵を描いても、うまく伝わらなかった。


魔法は、最後はイメージだ。


だから俺は、この本を日本語で残すことにした。


いつか、俺と同じようにこの世界へ来たやつがいたら、


そいつには、この説明が届くかもしれないから。』


 俺は本から顔を上げられなかった。


 福嶋亮太の魔法は、この世界に残らなかった。


 使えなかったからではない。

 伝わらなかったのだ。


 前の世界の漫画やアニメやゲームを知らない人間には、あのイメージが届かなかった。


 でも、俺には届いた。


 子どもの頃に何度も見た、あの青いネコ型ロボットの道具。


 国民的RPGで何度も使った、町へ戻る呪文。


 全部、俺には分かってしまう。


「リオン?」


 セレナの声で、俺はようやく顔を上げた。


 彼女には、この文字は読めない。


 この本の本当の意味も、まだ分からない。


 でも、目の前で起きた魔法だけは見ている。


 亜空間収納。


 浮遊。


 転移。


 福嶋亮太の本は、ただの魔法理論書ではなかった。


 俺と同じような誰かへ向けて残された、時代を越えた手紙だった。 



最後まで読んでいただきありがとうございます!

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福島くん、よっぽど主人公なんだけど(笑)
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