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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: カメノコバチ
第11章 王立学院一年 三学期

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第176話 先に来た者

 寮の部屋に戻ってからも、俺はしばらく鞄を開けられなかった。


 机の上には、試験用の資料がある。

 筆記、応用課題、実技。

 

 飛び級を狙うなら、今やるべきことははっきりしている。


 それなのに、鞄の中の古い本の存在だけが、やけにはっきりと頭に残っていた。


 王立図書館で借りた一冊。

 

「……少しだけなら」


 誰に言うでもなく呟いてから、俺は鞄を開けた。


 『魔法理論』とだけ書かれた古い革表紙の本を机に置く。


 試験資料の横に並べると、その一冊だけが明らかに異物に見えた。


 いや、異物なのは本そのものじゃない。


 そこに書かれている内容だ。


 俺は息を吐いて、もう一度本を開いた。


 ◇


 福嶋亮太の文章は、やはり妙に読みやすかった。


 魔法書というより、後輩に向けた覚え書きに近い。


 堅苦しい言葉は少ない。

 ところどころ軽い。

 けれど、書いてある内容はまったく軽くない。


 しばらく読み進めると、見出しのような一文が目に入った。


『この本の魔法を使いたいなら、まず一つだけ覚えておけ。


 大事なのは魔力量じゃない。

 魔力量だけなら、俺より多いやつはいくらでもいた。


 でも、魔力が多いだけではこの魔法は使えない。


 必要なのは、何を起こしたいかを細かく思い描く力だ。』


 水を出すのではなく、どう当てるか。

 風を吹かせるのではなく、何を動かすか。

 土を固めるのではなく、どんな形にするか。


 福嶋亮太の言葉は、俺の中にある感覚をそのまま引っ張り出してくる。


 だからこそ、怖い。


 この本に書かれている魔法は、ただ難しいだけじゃない。

 俺にとって、妙に理解できてしまう。


 それが一番まずかった。


 ◇


 俺は亜空間収納の続きを開いた。


 図書館で見たのは、あくまで入口の説明だけだ。

 その先には、さらに細かい考え方が続いていた。


『亜空間収納で一番大事なのは、収納する場所を「袋」として考えないことだ。


 袋だと思うと、どうしても形に引っ張られる。


 そうじゃない。


 これは、現実の空間とは少しだけずれた場所に、小さな部屋を作る魔法だと思った方がいい。


 入口を決める。

 入口の向こうに、物を置く空間を作る。

 そして、その入口を自分の魔力で覚えておく。


 この三つを同時にやる。


 収納できる量は、使い手の魔力量と、空間をどれだけ安定してイメージできるかで決まる。』


 小さな部屋。


 袋ではなく、部屋。


 そう考えると、急に分かりやすくなった。


 入口を開く。

 中に空間を作る。

 そこへ物を入れる。


 前世の漫画に出てきた不思議なポケットそのものを想像するより、俺にはそちらの方がしっくりきた。


 たとえば、棚だ。


 目に見えない場所に、自分だけが開けられる棚を作る。


 そこへ荷物を置く。


 その棚の大きさが、魔力量とイメージの安定度で変わる。


「……分かるな」


 思わず呟いてしまった。


 分かる。


 完全にできるとは言えない。

 だが、何をしようとしている魔法なのかは分かる。


 今の俺なら、かなり小さいものなら試せるかもしれない。


 たとえば、小石。

 あるいは、紙片。


 そこまで考えて、俺は本から顔を上げた。


「駄目だ」


 ここは寮の部屋だ。


 試す場所じゃない。

 まして試験前だ。


 俺は自分の手を見た。


 指先が、少しだけ熱を持っている気がした。


 本当に危ないのは、魔法そのものよりも、今の俺が「できるかもしれない」と思ってしまっていることだ。


 ◇


 次に、転移・帰還系魔法の続きへ目を通した。


 これは、亜空間収納とは別の意味で厄介だった。


 物を入れる魔法ではない。

 自分自身を移す魔法だ。


『転移や帰還を、ただの移動だと思うな。


 歩く、走る、馬車に乗る。

 それらは、今いる場所から目的地までを順番に進む。


 でも転移は違う。


 今いる場所と、戻りたい場所を、魔力の目印でつなぐ。

 そのつながりを使って、自分の位置を入れ替える。


 だから、重要なのは距離じゃない。

 目印の正確さだ。


 遠いか近いかよりも、その場所をどれだけ正確に覚えているか。

 そこに流れている魔力の癖を、どれだけ掴めているか。

 そこが曖昧だと、魔法として成立しない。』


 俺は眉を寄せた。


 目印。


 魔力の癖。


 場所を正確に覚える。


 福嶋亮太はさらっと書いているが、かなり難しい。


 ただ、まったく分からないわけではなかった。


 俺には綻びの目がある。


 人の状態だけじゃない。

 物の流れ、組織の歪み、危険の兆し。

 これまでも、普通なら見えないものを見てきた。


 もし、場所に残る魔力の癖のようなものまで見えるなら。


 もし、それを目印として覚えられるなら。


 転移や帰還という魔法も、完全な夢物語ではなくなる。


 そこまで考えた瞬間、俺は本を閉じた。


 音が思ったより大きく響く。


「今は駄目だ」


 もう一度、声に出した。


 亜空間収納はまだいい。

 いや、よくはないが、少なくとも対象は物だ。


 だが、転移は違う。

 自分自身を動かす魔法だ。


 これは今の俺が、勢いで触っていいものじゃない。


 福嶋亮太が残した魔法は、便利そうに見える。

 だが、便利すぎる魔法は、扱い方を間違えればそれだけで災厄になる。


 ◇


 俺は椅子にもたれた。


 飛び級試験の資料。

 そして、福嶋亮太の魔法理論書。


 片方は、今越えるべき壁。

 もう片方は、たぶんこの先ずっと俺を引っ張る本だ。


 どちらを先に見るべきかは分かっている。


 試験だ。


 ここで飛び級を逃せば、先へ進む速度が落ちる。

 それに、セレナもガイルも本気で狙っている。

 俺だけが別のことに気を取られている場合じゃない。


 そう分かっているのに、頭はどうしても福嶋亮太へ戻る。


 福嶋亮太は、なぜこの本を日本語で残したのか。


 誰に向けて書いたのか。


 そして、なぜこの魔法体系は今の時代に残っていないのか。


 亜空間収納も、転移も、もし本当に使えたなら、世界の形を変えるほどの魔法だ。


 それなのに、今の学院では教えられていない。

 王立図書館でも、読まれない古い本として眠っていた。


 失われたのか。

 隠されたのか。

 それとも、残すべきではないと判断されたのか。


「……考えすぎても、今は答えが出ないな」


 俺は小さく息を吐いた。


 ◇


 誰に話すべきかも、まだ決められなかった。


真っ先に浮かんだのは、父と母だった。

あの二人なら、俺が何を話しても受け止めようとしてくれる気がする。


でも、これは親子の信頼だけで済む話じゃない。


 セレナに話したい。


 彼女なら、俺が一人で危ないことをしようとしたら止めるだろう。

 それに一緒に考えてくれるはずだ。


 でも、この本は軽く見せられるものじゃない。


 日本語。

 転移者。

 建国。

 失われた魔法。


 どれか一つでも重いのに、全部が一冊に詰まっている。


 一人で抱えるには大きすぎる。

 だが、誰かに話すには、まだ整理が足りなかった。


 ◇


 しばらくして、俺はようやく本を机の端へ押しやった。


 読まない。

 少なくとも、今夜はこれ以上読まない。


 そう決めて、試験資料を手元に引き寄せる。


 だが、数行読んだところで、また視線が本へ戻る。


 革表紙。

 この世界の文字で書かれた『魔法理論』。


 中身を知らなければ、ただの古書だ。

 でも、俺にはもう違って見える。


 あれは、先に来た者が残した道標だ。


 そして同時に、開けてはいけない箱にも見える。


 俺はもう一度深く息を吐き、ペンを握った。


 まずは試験。


 何度もそう言い聞かせながら、俺は目の前の期末試験対策資料へ視線を戻した。



最後まで読んでいただきありがとうございます!

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