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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第10章 王立学院一年 二学期

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第136話 森の奥

低級魔物が増えているんじゃない。

 こいつらは、森の奥から逃げてきている。


 綻びの目が示した文字を、俺はもう一度頭の中でなぞった。


 《恐怖:強》

 《群れの統率:崩壊》

 《逃走方向:森の外縁部》

 《脅威の発生源:森の奥》


 間違いない。


 ただ依頼が増えているだけなら、こんな流れにはならない。

 低級魔物がここまで怯えて、縄張りも何も捨てて外へ流れる理由は一つしかない。


 奥に、こいつらを押し出す何かがいる。


 俺は剣を握り直し、深く息を吸った。


 ここで引くのが正しいのかもしれない。

 Eランクの討伐依頼だ。本来なら、異変を確認した時点でギルドへ戻り、上のランクへ投げるのが筋だろう。


 だが、もう一つ現実がある。


 このまま低級魔物が外へ流れ続ければ、街道へ出る。

 採集者や荷運びの馬車が巻き込まれる可能性もある。


「……規模だけでも見ておくか」


 倒すためじゃない。

 まずは確認だ。


 俺は足音を殺しながら、森の奥へ進み始めた。


 ◇


 さっきまでの森とは、空気が違った。


 低級魔物が多かった外縁部では、まだ鳥の声も風の音もあった。

 だが、少し奥へ入ると、それが急に薄くなる。


 静かすぎる。


 足元には、いくつもの足跡が重なっていた。

 牙兎、小型の獣型、ゴブリン系のものもある。どれも向きは同じだ。奥から外へ、外へと逃げている。


 さらに進むと、今度は低級魔物の死骸が見つかった。


 喰われた跡はない。

 腹を裂かれたというより、強い力で叩き伏せられたような潰れ方だった。


「……食うためじゃないのか」


 じゃあ何のために?


 そこで、視界の端に大きく抉れた木の幹が入る。

 爪痕。しかも一本や二本じゃない。生木の表皮が深く裂かれ、木屑が地面へ散っていた。


 嫌な汗が首筋を伝う。


 この時点で、もう十分だった。

 少なくとも、俺が休日の鍛錬ついでに相手をしていい相手じゃない。


 引き返す。

 そう判断しかけた、その時だった。


 前方から、枝を踏み折る激しい音が近づいてくる。


 反射的に剣を構える。


「どけっ! どいてくれ!」


 飛び出してきたのは人間だった。


 二人組の冒険者。

 一人はまだ若い男で、もう一人は三十前後だろうか。年上の方が肩から血を流し、若い方が必死に支えている。


「奥に行くな!」

 若い方が叫ぶ。

「低級じゃねえ! あれはおかしい!」


 俺はすぐに二人の前へ回り込み、背後を警戒した。


「何がいた?」


「わからねえ!」

 若い冒険者が息を切らしながら言う。

「最初はゴブリンを追ってただけなんだ! でも急に奥の方からでかい影が出てきて……!」


「足が速い、しかもやたら力が強い」

 負傷した方が苦い顔で言った。

「低級魔物をまとめて蹴散らしてた。俺たちじゃ止められん」


「他にも誰か奥にいるのか?」


「……三人組が一つ、見た」

 若い方が答える。

「先に入ってた。たぶん、まだ奥だ」


 舌打ちしたくなった。


 これで引いて報告、では終われない。

 まだ森の奥に人がいる。


 俺は負傷した冒険者の傷を見る。肩口。深いが、すぐ死ぬ傷ではない。ただ、放っておけば出血で動けなくなる。


「歩けますか?」


「街道までは、たぶん」


「なら、今すぐ戻ってください」

 俺は若い方へ視線を向ける。

「あなたはこの人を連れて街道へ。乗合馬車か、見回りがいれば止めて、ギルドへ異常報告を」

「お前は?」

「確認に行きます」


「一人でか!?」

 若い方の顔が引きつった。

「無茶だ!」


「倒しに行くんじゃない」

 俺ははっきり言った。

「奥に残ってる人がいるなら、場所だけでも掴まないといけない」


 そこで、負傷した年上の冒険者が低く言った。


「無理はするなよ……!」


「無理はしません」

 俺は短く言った。

「見て、判断して、危なければ即座に引きます」


 年上の冒険者は数秒だけ俺を見てから、息を吐いた。


「死ぬなよ」


「そっちも」


 二人を見送る。

 枝を掻き分けて去っていく音が遠ざかったあと、森の静けさがまた戻ってきた。


 いや、静けさじゃない。

 これは、張り詰めているんだ。


 ◇


 さらに奥へ進むと、森の様子は明らかに変わっていた。


 地面が荒れている。

 下草が踏み潰され、折れた枝がいたるところに散っている。低級魔物の気配も薄い。逃げ切ったか、あるいはもう片づけられたかだ。


 その時、視界の端で何かが走った。


 小型のゴブリン。

 だが、こちらに気づいても襲ってこない。怯えた目のまま、ただ脇を駆け抜け、森の外へ向かっていく。


 異常だ。


 俺は立ち止まり、綻びの目をもう一度開いた。


 今度は、さっきより強く視界が軋んだ。


 《脅威:中〜高》


 《飢餓:強》


 《縄張り意識:異常》


 《周辺生態:崩壊傾向》


 《接敵推奨:低》


 最後の一行を見た瞬間、背筋に冷たいものが走る。


 綻びの目が、ここまで明確に「やるな」と言ってくることは多くない。


「……やっぱり、ただ事じゃないな」


 声を潜めた、その直後。


 森の奥から、重い音がした。


 ドン、と。


 何か大きなものが地面を踏んだような音。

 そのあと、木々の間を縫って、さらに低い唸り声が響く。


 身体が反応するより先に、気配が皮膚を撫でた。

 でかい。速い。しかも、落ち着いてない。


 俺はすぐ近くの太い木の陰へ滑り込む。


 次の瞬間、茂みを突き破るように低級魔物が一体飛び出してきた。

 ゴブリンだ。棍棒まで捨てて、顔を引きつらせたまま外へ逃げようとしている。


 そのゴブリンが、俺の前を横切った――直後だった。


 横から、黒い塊が突っ込んできた。


 鈍い衝突音。

 ゴブリンの身体が、枝葉ごと吹き飛ぶ。


「っ……!」


 姿の全体は見えない。

 だが、太い前脚と、異様に発達した肩、黒褐色の毛並みだけで十分だった。


 熊に近い。

 だが、ただの熊じゃない。


 木の幹の向こうを横切ったその影は、普通の獣より明らかに大きく、重く、そして速い。


 喰うために仕留めたんじゃない。

 邪魔だったから潰した、そんな乱暴さだった。


 その巨体が、低く鼻を鳴らす。


 嫌な予感が確信に変わる。


 こいつだ。

 森の奥から低級魔物を追い立てていたのは。


 俺は息を殺したまま、木の陰で剣を握り締める。


 戦うな。

 綻びの目はそう言っている。


 だがその時、さらに奥の方から、人の叫び声が聞こえた。


「うわああっ!」

「下がれ! 下がれって言ってるだろ!」


 まだ誰かいる。


 しかも、完全に接敵している。


 最悪だ。


 ここで引けば、自分は助かるかもしれない。

 でも、あの声を置いて戻るのは無理だ。


 俺は一度だけ目を閉じ、すぐに開いた。


 綻びの目がまだ淡く視界の端に残っている。


 《接敵推奨:低》


「……知るか」


 小さく吐き捨てて、俺は木の陰から飛び出した。


 助ける。

 その後で、生きて帰る方法を考える。


 重い足音が、森の奥でまた鳴った。


 次の瞬間には、もう走っていた。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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