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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第10章 王立学院一年 二学期

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第135話 逃げる魔物たち

 十一月も後半に入り、王都の朝はずいぶん冷えるようになっていた。


 休日の早朝。

 まだ空が白み始めたばかりの時間に、俺は寮を出た。


 吐く息が薄く白い。

 石畳の上には夜露が残っていて、靴底の感触もいつもより硬い気がする。


 学院は休みだが、こういう日はむしろ身体を動かしたくなる。

 座っているだけでは鈍るし、せっかく少しずつ掴み始めた剣の感覚も、間を空ければすぐに薄れてしまう。


 だから今日は、久しぶりに朝から王都の冒険者ギルドへ向かうことにした。


 ハル領の西の森を開拓していた時に、俺は冒険者登録をした。

 王都へ来てからも、時間のある休日には採集や低級魔物の討伐依頼を細かくこなしている。


 最初は学院生活の合間の小遣い稼ぎに近かった。

 だが今では、それ以上の意味があった。


 実戦は、実戦でしか得られない。

 特に剣はそうだ。


 ギルドの扉を押し開けると、朝の冷気とは違う乾いた熱気が顔に当たった。

 中にはすでに何人もの冒険者が集まっている。革鎧の軋む音、椅子を引く音、受付と短いやり取りをする声。酒場が本格的に開くにはまだ早いが、朝の依頼受注だけで十分に空気は動いていた。


 掲示板の前へ行く前に、何気なく耳へ入ってきた会話があった。


「また増えてるらしいな」

「ああ。王都近郊の森だけで三件目だ」

「相手は大したことない。ゴブリンだの牙兎だの、その辺りだが……件数が妙に多いんだよ」


 少し気になって、そちらへ視線を向ける。


 革鎧姿の男が二人、依頼書の控えを片手に話していた。

 どちらもそれなりに場数を踏んでいそうな顔だ。


「何かあったんですか?」

 俺が横から聞くと、片方の男がちらりとこちらを見た。


「ん? 坊主か」

 その言い方に悪意はない。ただ、年齢相応に見ただけだろう。

「最近な、近場の低級魔物の出没が少し増えてる。たいした相手じゃないが、妙に散発的なんだよ」


「奥から流れてるみたいな感じだな」

 もう一人が言う。

「討伐自体は楽なんだが、数が増えると街道近くまで出てきかねん」


「なるほど」


 受付前の掲示板を見ると、たしかに王都近郊の森や街道沿いの低級魔物討伐依頼がいくつも貼られていた。


 今日は軽めの依頼をいくつか回して、実戦の場数を踏むつもりで来ていた。

 低級魔物が多いなら、むしろ都合がいい。


 魔法ではなく、今日は剣を使いたい。

 魔力で片づけるのは早いが、それでは身体の方が育たない。


 俺は王都近郊の森での低級魔物討伐依頼を一枚剥がし、受付へ持っていった。


「こちらでお願いします」


 受付嬢は依頼書を確認し、俺の冒険者札に目を落とす。


「Eランクでしたね。王都北西の外れ森、低級魔物討伐依頼。確認しました」

 そこで少しだけ顔を上げた。

「最近は件数が増えています。無理はなさらないでください」


「はい」


 依頼受理を終えたあと、併設の軽食売り場で簡単な朝食を買う。

 厚めのパンに燻製肉と野菜を挟んだサンドイッチと、温かい薄いスープ。


 学院の食堂とはまた違う、冒険者向けの実用一点張りの味だった。

 だが朝の冷えた身体にはちょうどいい。


 壁際で手早く食べながら、今日のことを考える。


 剣を使う。

 低級魔物相手でも油断しない。

 綻びの目は、必要になるまでは温存する。


 それくらいで十分なはずだった。


 ◇


 郊外行きの乗合馬車は、朝のまだ低い日差しの中をゆっくりと進んでいった。


 乗っているのは採集に向かう者、護衛帰りらしい男、俺と同じく依頼を受けたらしい若い冒険者が二人ほど。皆、それぞれの朝をしていて、無駄に話しかけてくる者はいない。


 俺は揺れる馬車の窓から、王都の外れの景色を見ていた。


 街を離れるにつれ、石造りの建物は減り、代わりに枯れ草色の畑と裸に近い木々が増えていく。

 冬の手前の景色だった。


 森の入口近くで馬車を降りると、空気はさらに冷たかった。

 街の中よりも風がまっすぐ通る。


 肩を軽く回し、腰の剣の位置を確かめる。


 魔法の方が得意なのは事実だ。

 だが、剣も以前ほど苦手ではなくなってきている。


 夏休みの間、ハル領で毎朝騎士団の訓練に混ぜてもらった。

 基礎の繰り返しだった。踏み込み、重心、振り下ろし、返し。地味で、単調で、容赦がなかった。


 二学期に入ってからも、ガイルやエドガーと時間の合う時に鍛錬を続けている。

 あいつらは口数こそ少ないが、剣の癖を誤魔化してくれない。


 だから今の俺の剣は、まだ得意とは言えないが、少なくとも以前のような見ていられないものではなくなっていた。


 森へ入って間もなく、最初の獲物はすぐに出た。


 背の低い灌木の向こうで、草をかき分ける音がした。

 次の瞬間、小型の牙を剥いた魔獣が飛び出してくる。


 牙兎だ。


 速い。

 だが、もう見失うほどではない。


 俺は半歩だけ踏み込みをずらし、飛び込んでくる軌道から身体を外す。

 そのまま横薙ぎ。


 斬撃は浅すぎず、深すぎず、首の付け根をきれいに捉えた。

 牙兎は勢いのまま地面へ転がる。


「……悪くない」


 思ったよりも、手応えが素直だった。


 以前なら、もう少し無駄に力んでいた。

 今は刃の通り方が少しわかる。


 続いて二体目。

 小型の獣型魔物。

 こちらは剣で牽制したあと、足元へ小さな火魔法を撃ち込んで体勢を崩し、最後を剣で仕留める。


 魔法と剣の繋ぎも前より滑らかだった。


「これなら、ちゃんと使えるな」


 独り言が漏れる。


 森の朝は静かだった。

 葉を落としかけた枝の隙間から、冷たい光が斜めに差している。地面の湿り気は強く、踏みしめるたびに冬の匂いが立った。


 しばらくの間、討伐は順調だった。


 低級魔物が散発的に現れる。

 数は確かに多いが、脅威というほどではない。

 俺は一体ずつ、焦らず、剣を中心に処理していった。


 ただ三体目を仕留めたあたりから、少しだけ妙な違和感が積み重なり始めていた。


「……?」


 まず、魔物の出方だ。


 本来なら、こういう低級魔物は縄張りの周辺でこちらを迎え撃つように出てくることが多い。

 だが今日は違う。


 どいつも、まるでどこかから追い立てられたみたいに、森の奥から外側へ飛び出してくる。


 しかも戦意が薄い。

 襲ってくるには来るが、どこか落ち着きがない。

 目の前の敵より、背後を気にしているような動きが混じっている。


 四体目を斬ったあと、足元に残った浅い足跡を見下ろす。


 向きが揃っていた。


 森の外へ向かっている。


「逃げてる……?」


 口に出してから、自分で少し眉をひそめた。


 ただ数が多いだけなら、こんな出方はしない。

 しかも単体じゃない。散った群れが、ばらばらにこちらへ流れてきているような感じだ。


 風が吹く。


 奥からだ。


 冷たいだけじゃない。

 何か、嫌な湿り気を含んだ空気が混じっている気がした。


 俺はそこで足を止めた。


 いつもなら、そのままもう少し先へ進む。

 今日は低級魔物を多めに相手にするつもりだったし、討伐数を積むにはちょうどいい。


 だが、今はそれ以上に気になることがある。


 視線を森の奥へ向ける。


 木々の並び。

 踏み荒らされた下草。

 逃げるように散った足跡。

 そして、今しがた仕留めた魔物の、怯えたような目。


 そこで、綻びの目が発動した。


 視界の奥で、淡い文字が浮かぶ。


 《恐怖:強》


 《群れの統率:崩壊》


 《逃走方向:森の外縁部》


 《脅威の発生源:森の奥》


 ……やっぱりそうだ。


 目の前の低級魔物たちは、この辺りに集まっているんじゃない。

 森の奥から、押し出されるように逃げてきている。


 つまり――。


「何かいる」


 小さく呟いた声が、やけに森に吸われた。


 低級魔物が増えているんじゃない。

 増えたように見えているだけだ。


 奥にいる何かが、こいつらを追い立てている。


 冷たい風がまた吹いた。


 さっきより、はっきりと嫌な気配が近い。


 俺は剣を握り直し、森の奥を見据えた。


 ただの休日討伐で終わる話じゃなさそうだ。


 そして、その予感はたぶん外れていない。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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