第100話 森の露天風呂
「45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する」をご覧頂きありがとうございます。多くの方に応援いただいたお陰で100話にたどり着けました。
この物語はまだまだ続きます。引き続きお付き合い頂けると幸甚です。
翌朝、俺とヴィクトルは、もう一度西の森のぬるい湯の場所へ来ていた。
昨日は「使えそうか」を見るためだったが、今日は違う。
本当に作る前提で、寸法を取り、地形を見て、必要なものを洗い出すためだ。
森の入口から少し入っただけで、まだ人の気配はそこそこある。
西の森の開発は確実に前へ進んでいた。
だが、そこから少し外れたこの場所だけは、まだほとんど手つかずのままだ。
岩の隙間から、相変わらずぬるい湯が静かに湧いている。
近づけば、あの独特のにおいもある。
ヴィクトルは肩を回しながら、まだ少しだるそうな顔をしていた。
「昨日も思ったが、やっぱり見た目は全然ありがたみがないな」
「見た目だけならね」
「ぬるいし、臭うし、場所は森の中だし。これをどうやって商売に変えるんだか」
「だから今から考えるんだろ」
そう返しながら、俺は持ってきた縄と木杭を取り出した。
まずは源泉の位置。
その少し下にある平らな地面。
さらに低い方へ抜ける傾斜。
そこを見ながら、浴槽の輪郭をざっくり地面に描いていく。
「十人入るなら、これくらいか……」
「本当に十人も入れるのか?」
「ぎゅうぎゅうならもっといけるだろうけど、それは嫌だろ」
「嫌だな」
ヴィクトルは即答した。
俺は杭を打ち込みながら、頭の中で流れを組み立てる。
源泉はこのまま使う。
ただし温度が足りない。だから別に加熱した湯を足す。
浴槽は源泉より少し下。
その下流側に排水溝。
加熱釜は浴槽の横、少し高い位置に置けば湯を落としやすい。
豪華なものは要らない。
まずは十人前後が入れる簡易露天風呂。
囲いも最小限でいい。
大事なのは、とにかく入れることだ。
「で、どうだ?」
ヴィクトルが聞いてくる。
「いける」
「即答かよ」
「むしろ思ってたよりやりやすい」
「本当か?」
「うん。湯量は足りる。地形も悪くない。ここなら木樋で引けるし、排水も下に逃がせる」
ヴィクトルは少しだけ真顔になった。
「それ、どれくらいでできそうなんだ?」
「部材を先に作れれば、現地での組み立ては一日でいけると思う」
そう言うと、ヴィクトルは大きく息を吐いた。
「わかった。で、次は?」
「領都に戻る。父上に話を通して、工房で部材を作る」
「街灯工房をもう温泉工房にする気か」
「使えるものは使う」
「遠慮がないな、お前」
でも、文句を言いながらもついてくるあたり、こいつももう完全にこっち側だ。
◇
領都へ戻ると、俺はその足で父上の執務室へ向かった。
「失礼します」
「入れ」
中では父上が書類を見ていた。
顔を上げた瞬間、俺の後ろにいるヴィクトルも見て、少しだけ目を細める。
「二人で何か始める顔をしているな」
「よくわかるね」
「わかる」
父上は即答した。
「で、今度は何だ」
「西の森のぬるい湯で、簡易浴場を作りたい」
言うと、父上は一拍だけ止まり、それから静かに聞き返した。
「風呂か?」
「うん。最初は十人くらいが入れる簡単なもの。働く人足や冒険者、騎士団の疲労回復用として使えると思う」
父上は肘をついて、俺を見る。
「街灯工房の人間を借りたいのか」
「そう。見習いを三人くらい。あと、使える大釜があれば借りたい」
「ふむ」
少し考えてから、父上は言った。
「街灯工房の仕事を止めないこと。森の開発の邪魔をしないこと。そこを守るなら許可する」
「ありがとう」
「ただし、あくまで最初は小さくだ」
「わかってる」
「ノルにも話は通しておく。人足を数人、現地作業だけ貸そう」
そこまで整えば十分だった。
ヴィクトルが感心したように言う。
「決断が早いですね」
「早くないと領主は務まらん」
父上はそう言って、俺を見る。
「お前は作ると決めたら止まらんだろう。なら、こちらも止まらん」
「うん」
その返事に、父上は小さく頷いた。
「好きにやれ。ただし、形にしろ」
「もちろん」
◇
街灯工房兼倉庫では、その日からすぐ準備が始まった。
街灯の量産を止めるわけにはいかないので、使える人間を全部引き抜くことはできない。
だから今回は、見習い職人三人に手伝ってもらうことになった。
まだ若い三人だが、街灯の規格化でだいぶ鍛えられている。
何より、こいつらは「リオン様の新しい仕事」と聞くと、少し目が輝く。
「今回は何を作るんですか?」
一人が聞いてきた。
「風呂だよ」
「……風呂?」
「森の中に作る」
「森の中に!?」
予想通りの反応だ。
ヴィクトルが横で腕を組む。
「俺も最初はそういう顔をした」
「今も半分してるだろ」
「否定はしない」
今回、ゼロから作るのは主に木材部分だ。
浴槽の外枠。
源泉を引くための木樋。
囲いに使う板。
釜を据えるための台。
湯を流すための受け。
加熱に使う大釜そのものは、領の厨房で使っていた古いが大きめのものを一つ借りることになった。
さすがにあれを一から作るのは時間がかかりすぎる。
「長さ、もう一回確認して」
「はい!」
作業台の上で、見習いたちが木材を押さえる。
リオンが印をつけ、別の者が切り、ヴィクトルが横で図面と部材を見比べている。
「なあ、これ、風呂のための木樋なんだよな」
「そうだけど」
「街灯の時より泥臭くないか?」
「街灯の時も十分泥臭かっただろ」
「それはそうだが、今回は本当に力仕事が多い」
文句を言いながらも、ヴィクトルは手を止めない。
もはや完全に戦力だった。
初日で浴槽外枠と木樋の大半ができた。
二日目には、囲い板、据え付け用の支え、釜周りの木組みまで形になる。
街灯の時に覚えた「揃えて作る」感覚が、ここでもかなり効いていた。
長さを合わせる。
はめ込み位置を揃える。
誰が持っても同じ順序で組めるようにしておく。
見習いの一人が、組み上がった木樋を見て言った。
「……なんか、街灯の時よりわかりやすいですね」
「どういうこと?」
「街灯は完成しても、その時点ではまだ部品っぽかったですけど、こっちはもう見た瞬間に“風呂っぽいもの”になる感じがして」
「たしかに」
別の見習いも頷く。
「俺、ちょっと楽しみです」
「何が?」
「いや、だって……完成したら入れるんですよね?」
その一言で、工房の空気が少しだけ緩んだ。
ヴィクトルが苦い顔をする。
「お前ら元気だな……」
「ヴィクトルは疲れすぎなんだよ」
「朝の訓練から全部引きずってるだけだ」
だが、リオンは逆だった。
温泉に入ることを思うと、むしろ妙に元気が出る。
街灯の時とは違う種類の高揚感があった。
◇
部材の準備が終わった翌朝、馬車が何台か手配された。
木枠、木樋、囲い板、大釜、工具。
それに加えて、西の森開発の人足が数人、現地作業を手伝うために集められている。
「お前、本当にやるんだな……」
荷台に積まれた部材を見ながら、ヴィクトルが呟く。
「ここまで来てやらない理由ある?」
「ないけどさ」
見習いたちはやる気満々だった。
「今日中に入れますかね?」
「まず完成させようよ」
「でも入りたいですよね」
こいつら、完全に自分たちも客になるつもりだな。
西の森に着くと、すぐに作業に入った。
まずは浴槽予定地を掘る。
石をどけ、地面を均し、底に平たい石と砂利を敷く。
その上から木枠を組み込む。
人足たちは掘るのが仕事だ。
見習いたちは木枠を運び、ヴィクトルが釘や固定金具を確認し、俺は全体の位置を見る。
「そっち、もう少し左」
「こっちの木樋、受け側が高いぞ」
「排水溝はもっと緩く下げて」
思った以上に忙しい。
それでも、みんな自分の役割を理解して動いてくれたおかげで、昼を過ぎた頃には浴槽の輪郭が見え始めた。
木枠が入る。
源泉から木樋が伸びる。
横には加熱用の釜台が組まれ、その先に排水溝が掘られていく。
森の中なのに、そこだけ急に“施設”の気配が出てきた。
ヴィクトルはもう露骨に疲れていた。
「……だめだ。街灯よりきつい」
「まあ、今回はほぼ建設だからね」
「最初からそう言え」
「言ったら来なかっただろ」
「それはそうだ」
一方で俺は、逆にどんどん元気になっていた。
源泉の木樋を流れるぬるい湯を見るたびに、もうすぐ入れるという気持ちが強くなる。
こんな時、自分でも少し単純だと思う。
日が傾き始める頃、最後の囲い板が立った。
大きな建物じゃない。
屋根もない。
森の中に木の囲いをめぐらせ、十人前後が入れる木組みの浴槽を置き、横に加熱釜を据えただけの簡易な露天風呂だ。
それでも、そこにはたしかに“風呂”があった。
木樋からは源泉が静かに流れ込み、加熱釜の方では湯を温めるための火が赤く揺れている。
湯気がゆっくりと立ちのぼっていた。
見習いの一人が、ぽかんとした顔でそれを見ている。
「……できた」
もう一人も呟く。
「本当に風呂になった……」
人足たちも、疲れた顔のまま妙に満足そうだった。
ヴィクトルは近くの石に座り込み、完全に息が上がっている。
「もう今日は動かんぞ、俺は」
「入るまでは動いてもらうけど」
「鬼か」
でも、目の前の湯気を見た瞬間、誰もが少し黙った。
豪華さはない。
洗練されてもいない。
だが、森の中に簡易ながらも確かに湯屋ができあがっている。
ここから湯が流れ、人が浸かり、疲れを落とせる。
それだけで十分だった。
俺は立ちのぼる湯気を見つめながら、小さく息を吐いた。
街灯が領都の夜を変えた。
なら今度は、この湯が西の森で働く人間たちを変えるかもしれない。
まずは、小さく。
でも、たしかに前へ。
森の奥には、粗削りだが本物の露天風呂ができあがっていた。
最後まで読んでいただき有難うございます。
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