第1話 ハズレスキル《綻びの目》
「――リオン・ハル。前へ」
白い石造りの神殿に、神官の声が静かに響いた。
十二歳。
この世界では、その年に全員が神からスキルを授かる。
剣を授かれば騎士。
火を授かれば魔術師。
回復を授かれば神殿か医師。
どんな力を得るかで、その後の人生は大きく変わる。
だから今日の神殿には、朝から妙な熱気が満ちていた。
「おお、《剣技》か!」
「《火球》だって!?」
「《身体強化》なら兵でも食っていけるぞ!」
羨望と安堵が入り混じった声が飛び交う中、俺は祭壇の前へ進んだ。
リオン・ハル。十二歳。
ハル領領主の息子。
――ただし、中身は違う。
前世での俺は、高瀬誠司、四十五歳。
小さな会社を共同創業者と育て、最後は裏切られて心身を壊した男だ。
取引先を抜かれ、人を抜かれ、金の流れを奪われた。
それでも歯を食いしばって働き続け、最後は廊下で倒れた。
次に目を覚ました時、俺はこの体になっていた。
人生は二度目だ。
今さら、儀式ひとつで震えるつもりはない。
祭壇の上の水晶に手を触れる。
冷たい感触が指先から腕へ、肩へ、頭の奥へと走った。
やがて水晶が淡く青く光り、神官の表情がほんのわずかに曇る。
それだけで十分だった。
――ああ、ろくでもないものを引いたな。
そう周囲が察するには。
「授与されたスキルは――」
神官は一拍だけ言葉を切り、それから告げた。
「《綻びの目》です」
広間の空気が、すっと冷えた。
直後、小さなざわめきが広がる。
「よりによって……」
「終わったな」
「人の悪いところばかり見えるっていう、あの……」
「役にも立たず、嫌われるやつだろ」
子どもたちは半分もわかっていない顔をしていたが、大人たちの反応ははっきりしていた。
落胆だ。
最前列に座る父、ガルド・ハルの肩が、目に見えて落ちる。
「……そうか」
短い一言。
だが、その声には疲労と諦めが滲んでいた。
病でやせ細った父は、ここしばらく領地をまともに見られていない。
それでも今日までは、息子が良いスキルを授かれば、まだハル家は立て直せるかもしれないと期待していたのだろう。
その期待が、今、目の前で折れた。
「これで……ハル家も、おしまいか」
かすれた父の声は、広間のざわめきよりずっと重かった。
その隣で、母エマだけがすぐに立ち上がる。
「そんなことありません」
凛とした声だった。
「スキルひとつで、リオンの価値は決まりません。大丈夫よ、リオン」
母は不安を隠しきれていなかった。
それでも笑おうとしてくれた。
ありがたいと思う。
だが、当の本人である俺は、少しも落ち込んでいなかった。
むしろ逆だった。
心の奥で、冷静に思っていた。
――終わり?
――冗談じゃない。
《綻びの目》。
人も、物も、組織も、壊れる前には必ず綻びが出る。
前世の俺は、それを知っていた。
知っていたのに、気づくのが遅すぎた。
共同創業者の笑顔。
帳簿の不自然な揺れ。
妙に口数の減った社員。
急に増えた「たまたま」の連続。
全部、綻びだった。
気づいた時には、もう手遅れだった。
だからこそ、このスキルの価値がわかる。
神官は気まずそうに咳払いをした。
「……《綻びの目》は、古くから不遇とされてきたスキルです。過去の所有者も、あまり良い末路ではなかったと聞きます」
言葉を選んではいるが、要するにハズレだと言いたいのだろう。
「倉庫の傷みや帳簿のズレばかり指摘して疎まれた者もおりました。戦場で敵の隙が見えても、自分で突けずに終わった者も。見えるだけで、活かせぬスキルだと……そう言われております」
見えるだけで、活かせない。
たぶん、それは正しい。
普通の人間なら。
神官の説明が終わるころには、広間の誰も俺に期待していなかった。
同情。
失望。
諦め。
そのどれも、前世で何度も見た顔だ。
祭壇から下りると、母がすぐに抱きしめてきた。
「大丈夫よ、リオン。どんなスキルでも、あなたはあなたよ」
「うん」
短く答える。
父はしばらく顔を上げなかったが、やがて力なく言った。
「帰ろう……」
その声の弱さに、周囲の家臣たちまで沈んだ空気になる。
ただ一人、違う顔をしている男がいた。
筆頭家臣、バスク。
いつも父のそばに立ち、領政を取り仕切っている男だ。
忠臣を装った穏やかな顔をしているくせに、目の奥だけが妙に油っぽい。
その男が、いかにも気遣うような口調で言った。
「ガルド様、どうかお気を落とされませぬよう。リオン様には……そうですな、神殿書庫の仕事などが向いておるやもしれません。争いごとには向かぬスキルですが、記録係なら――」
その瞬間、視界の端に文字が浮かんだ。
薄青く、冷たい光。
《忠誠に綻び》
《私益優先》
《保管庫鍵の私的利用》
《利益漏出経路:北倉庫》
《背信の起点候補》
俺は一度、瞬きをした。
それでも文字は消えない。
バスクがまだ何か言っている。
だが、もう耳には入らなかった。
――なるほど。
ただ「悪意があります」みたいな曖昧なものじゃない。
不正の種類と起点まで見えるのか。
思った以上だ。
「リオン?」
母が不思議そうに俺を見る。
「なんでもない」
そう答えながら、俺は心の中で笑った。
前世で、この表示が一度でも見えていたら。
あの笑顔の裏に何があるか、もっと早くわかっていたら。
だが、今さら悔やんでも仕方ない。
今あるのは、この二度目の人生だけだ。
神殿を出る時、俺はもう決めていた。
このスキルは、クズなんかじゃない。
見えるだけで終わるから、過去の所有者は失敗した。
だが俺は違う。
人の嘘も、金の漏れも、組織の腐りも、前の人生で嫌というほど見てきた。
今度は見逃さない。
ハル家が終わる?
ハル領がおしまい?
冗談じゃない。
俺はゆっくりと拳を握った。
この目が本物なら、やりようはいくらでもある。
――この《綻びの目》と、俺の前世の知識で。
俺は、この領地を立て直してみせる。
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