第9話
ファンニも最初は判断に悩んだ。軽くすること自体は技術的に可能だ。しかし、問題は、質量を軽くするということは耐久性を初めとしてあらゆる攻撃に有利な要素もまた削げ落ちてしまうということである。仮に、この魔術をかけたことが誰にばれたとしても、そういう訳であるから咎められることすらないだろう。魔術と何もかもを可能にする神がごとき力ではない。そのことをファンニはよくわかっていた。
であるからして、どうするか悩んだ。
この場にいる人々は、みるからに魔術に疎い人間だろう。ファンニが魔術をかけたところで気づかれることはない。問題は、本当に軽くしてよいのかどうか、そして、平は、軽くすることによって発生する問題点をきちんと理解しているのかどうかということ。しかし、それを確認することはもう不可能だ。となれば、答えはただ一つ、やるしかない。ファンニは、平が剣を握る直前。より、人々の視線が平とボールへ集中したそのタイミングで、平の剣のみを木刀以下に軽くする魔術を施す。彼女ほどの腕となれば、その程度の魔術に長い詠唱は必要なく、少しの集中で難なく達成することができた。
故に、平は剣を持ちあげることができ、ぶんぶんと振り回すことができたのである。
問題は、この先。もっとも、この今の状況を正しく把握できてるのはファンニだけである。平とボールを見る者たちは、平の件を振り回す技術に感嘆し、平は平で、これならいいパフォーマンスができるぜぇなんてことを考えていた。対峙するボールは、そんな平を見て、僅かに緊張を覚える。
「……意外にやるみたいだなぁ」
ボールは剣の重さをその身をもって知っている。だから、平がその剣を軽々と振り回している様を見て、ボールは平の力量の認識を改める必要が出たのだ。すぐに畳みかけようと思っていたボールだったが、平があまりにも余裕そうな顔をしているので動けずに、様子見ついでに、また、場の空気を自分へと引き戻すために、口を開く。
「はっはっは、でもな、一対一の真剣勝負で、そんなパフォーマンスなんて何の役にも立たないぞ? ここはサーカス会場じゃあないんだ」
ボールの挑発的な物言いに、平は、呆れた顔をして挑発し返す。
「ハッ! なぁにをそんな当たり前なこと言ってんだァ? 一つ教え返してやる。一対一の真剣勝負で、そんな筋肉は何の役にも立たないぞ? 剣っていうのはな、当たると痛いんだ」
平は手にしている剣脊をべろぉ~と舐める。彼は、今手にしている剣が本物だとは思っていないので、仮に失敗して剣刃の部分へ舌が滑ってしまってもけがはしないだろうと思ってどこかで見たようなしぐさを真似てみたのである。そこにヒーローっぽさはまるでなく、その辺の悪役っぽい仕草であり、さらに言えば、仮に手が滑って間違った部分へ舌が滑ってしまっていれば、舌がすとんと切り落とされてしまった可能性まである訳であるが、無事平のパフォーマンスは成功し、その異様な余裕、光景に、場はシンと静まり返る。
気を飲まれていたボールが、ハッと我に返り、どんどんと地面を蹴って自らを奮い立たせて言う。
「もういい! 御託はおしまいだァ! やるぞ、今更泣いて謝っても許さねぇからなぁ! 力の差を見せてやる。俺に逆らったことを後悔させてやる!」
彼は自己暗示をかける。こんな細い、頼りない体の男に何ができるというのだ、と自らを奮い立たせる。同時──ボールの中に渦巻くのは、僅かな不安の種、疑問だ。疑問は、彼の脳裏に僅かに焼き付く。彼はそれを自覚できていないかもしれないが、焼き付くのだ。何故、相手はこんなにも余裕しゃくしゃくなのだろうか、何故、相手は──もしかしたら、ひょっとしたら、本当に強いのかもしれない。
けれども、それらの思考が彼の頭を覆い尽くすよりも早くボールは行動した。
ボールは、一歩、二歩、と平へと近づいていく。
平は、流石にパフォーマンスを辞めると、とりあえず、形だけの構えを取る。なんとなく取るその構えを見て、ボールは、にやりと笑う。そして、確信する。心の中で、その確信を呟く。やはり、はったりだった。こいつには、そう、こいつには剣技などない。剣をたしなんでなどいない。少なくとも、戦闘のための剣、相手を屈服させるための剣を学んだことはない。ボールは一瞬にして見抜いた。平の構えがあまりに未熟であり、洗練されていない構えだけのものであるということ。その構えは、初心者に棒切れを渡したときのような、咄嗟に出ただけの酷く原始的なもの。何も考えられていない、その場しのぎのもの。
平は、けれども、向かってくるボールに対して何も怯えない。
当たり前だ。彼は、ボールが本当に自分に切りかかってくるとは思っていないのだから。平は考えた、さてどうしてやろうか。どうしたら格好いいだろうか。結果、彼が取った行動は、手にする剣で、相手の剣を受け止めるということ。
「……えっ」
その行為は、自然だった。しかし、ファンニにとっては、予想外な行為だった。
平は受け止めることに成功する。ところが、ボールが少し力を入れると、平の剣は簡単に折れてしまい、そのまま平の剣は遠方へ弾き飛ばされてしまう。
「はーっ、はっはっはっ!」
高笑いして、一旦距離を置くボールに、平は、目をまん丸にして、怒る。
「お、おいおいおいっ! 何やってんだよぉ! こんな無茶苦茶強く──あーここさぁ、カットしてね、カットぉ!」
平は、相手があまりに強い力で振り下ろしてきたことに怒っているのだ。ボールを指さしながら、せっかくボールが距離を取ってくれたにも関わらず、平然と詰め寄っていく。
相手の訳の分からない行動に、ボールは、疑問を抱く。このまま接近を許していいのか? やはり、あるいは、こいつは何か考えているのか、あるいは策を持っているのではなかろうか。平が一歩近づくと、ボールは一歩引きさがる。さらに一歩近づけば、ボールはまた一歩下がる。
兵士たちはどよめく。けれども、平は、周りのことなど気にせず、ボールへ言いたいことを言う。
「なぁ! 初心者じゃあるまいし! もう何年その仕事やってるのか知らないけどさぁ、俺でも分かるよ、あんな無茶苦茶振り下ろすことないだろぉ!? なぁ!」
ボールは言葉に詰まる。なんだ、この男だ、これは切りかかっていいのだろうか。
切りかかっていいに決まっているし、ファンニも何故切りかからないのかと疑問に思いながら見守るが、ボールの心の中はその当たり前の判断ができない。彼は混乱しているのだ。手に武器を持たない男が、剣を持つ自分へずいずいと迫ってくる。それも決闘中に。その異様な光景を前にして、すぐ目の前にあるはずの勝利の二文字はまるで蜃気楼であるかのように感じられるのだ。
ボールは、それなりに慎重な男なのだ。強い人間というのは、ただやみくもに目の前の勝利に向かって突進しない。無思慮に動いているように見えて、その裏では、石橋を叩いて渡るような、多くの思考が積み重ねられているのだ。この関所において、それなりの地位を獲得できる人間というのは、そういった計算がある程度はできる男。それ故に、目の前の訳の分からない言動をする男が──怖い。
「ボールさん! やっちまえよぉお!」
「そんなやつの言う事、聞く必要なんかねぇぜぇ!」
周りの兵士たちは騒ぐ。彼らは血に飢えている。彼らは祭りが見たい。だが、ボールは彼らとは違う。彼自身、手下の兵士どもとは違うというそれなりに大きなプライドを持っている。人間誰しもが当たり前に持っているプライドだ。そのプライドは、ボールの行く手を阻む。
「そ、それ以上近づくなよ!」
ボールは、けれども、自らを奮い立たせる。そして、剣先で、平を威圧する。平は、目をしかめて、はぁーっと大きなため息をついた。
「あー、分かった分かった……なるほどね、はいはい」
そう言って、うーん、と考えてから、続ける。
「じゃあ、いいよ。ほれ、こっから切り替えよう! 本気で来いよ! ほらほらぁ!」
いきなり挑発する。彼の思考はもはや彼にしか見えなかった。ボールには、目の前の男が考えていることがまるで分からなかった。平は、腕を組み、完全に無防備な状態でボールを睨みつける。
その異様な光景に、場は徐々に静まっていく。誰もが、緊張してその光景を見つめ続けた。何秒かの時間が流れ、ボールの額には脂汗がにじみ出る。
ここで、平の頭の中を解説しよう。
彼は、ボールがこのまま演技を続けようとしているのだと理解した。そして、その後、どうやったら自分が格好良く演出できるかを考えたのだ。そうだ、あれがいい、平の頭には一つの動画が浮かび上がっていた。その動画の中では、とある達人が、刃物を素肌で受け止めていた。なんでも、気の力だとかなんとかで、その動画が真実であるかどうかはさておき、物凄い回数が再生されていたのを彼は覚えていた。だから、平はその動画と同じことをやろうとしたのだ。切りかかってくるボールの剣を自らの肩で受け止める。剣は作りものであるはずだから、多少は痛くとも死ぬことはあるまい。──勿論、死ぬが。
──という訳で、彼は腕を組んで、来ると想定する僅かな痛みに身構えるために、ボールのことを睨みつけていた。
そんな彼の心境を読める者がこの場にいる訳もなく、ボールはその挑発にのる。
ボールが上段から切りかかる。
剣が振り下ろされる。
その場にいる兵士たち全員が、そして、ファンニが、息を飲む。どうするんだ、何か策はあるのか、避けてカウンターでもかますのか──そのどれもが外れている。平は動かない。一ミリたりとも動こうとしない。
そして、ボールの剣は、平の肩へと突き刺さり、肌を切り裂き腕をも落とす──かに思われた。
平は、僅かに肩に風を感じる。剣は平の肩にぶつかることなく、すんでのところでとどまっているのだ。平は思わず、
「おおっ」
と小さく感嘆の声を上げる。やればできるじゃないか、そう口にしようとして、はっとする。そうだ、表情を崩してはいけない。これはあくまで自分が剣を受け止めたという体なのだから。にやりとだけ微笑んだ平の表情を見て、ボールは、ふぅと胸をなでおろした。
「危ないところだった……」
彼は思慮深い男だったのだ。いや、思慮深過ぎた。平の不遜な態度、ボールの性格、置かれた状況、二人の言動、それら全てが緻密に絡み合った。その結果、ボールの剣は止まったのだ。
どよどよとざわめきが起きる中、ボールは言う。
「危ない、危ない──おいい! お前ら、お前らには分からんかもしれないけどな……こりゃ、罠だ」
ボールが得意顔で言う。兵士たちは、口々に、
「罠……?」
「どういうことだ?」
なんてことを口にして、平は、ぽかんと口を開け、ファンニも、ぽかんと口を開ける。
「ああ、罠だ。ふん、とぼけたって無駄だぞ、お前!」
そう言って、ボールは、平を指さす。首を傾げる平に、ボールはペラペラと話をする。
「そうだな、どうせ、自分が受けたダメージを相手へ跳ね返す、とかそんなことができるんだろう……? お前は俺に攻撃が当てられない。それなのに、あの余裕の表示に、挑発的な態度──どう考えても、俺への攻撃を誘っているとしか思えない……それは何故か? 答えは簡単だ。お前は俺に攻撃させたい、そうだろう!?」
ボールがぺらぺら喋っていることを、平は勝手に解釈する。なるほどな、そういう演出があったか、と。
「ふふふ……よく気づいたなァ」
ノリノリで返答するので、ボールも、冷や汗をかきながら、その言葉を聞く。
「あぁ、そうさぁ! 俺には気の力がある、もし、お前が攻撃をしていたらッ!」
平は自らの首をはねるようなジェスチャーをし、
「こう、なっていたな……!」
などと言う。ボールがそれみたことかと嬉しそうに言おうとしたが、けれど、平はそれを遮るようにして言った。
「だが! お前が俺への攻撃を止め、後ろ、後ろへと退いたのは事実っ!!」
その言葉に、場がまたどよどよと不穏な雰囲気を発する。その場の空気を利用して、平は、ストリーマーなら誰しもが持っている持ち前のトーク力的な何かで畳みかけた。
「決闘とは神聖なる戦いだ。真剣勝負だ。これは、殺し合いじゃあない。これは、意地と意地のぶつかり合い。どんな理不尽も、正論に変えてしまう、そんな行事なんだ! そこにおいて重要なのは、己の意志……っ! 退いた、それ、即ち、敗北を認めたようなものだ! にもかかわらず、まだ勝負を続けたら、それはもう決闘なんかじゃあない。それはただ、理不尽で理不尽を踏みつぶそうとする弾圧行為……! そこに正義なんてものは、ないんだよ。分かるよな?」
勿論、そんなルールはない。けれど、あまりに自信溢れる平の言い方に、観戦している兵士たちは、もしかしたらそうかもしれない、いや、そうだったに違いない、と納得し始めてしまう。
ボールは、それなりには賢い男だった。このベルズモンドにおいて、ある程度の自由な生活をするくらいには、賢い男だった。