第百三十四話
二話目の更新です。
百三十三話を見ていない方は、まずそちらをー。
今回はアマコの視点でお送りします。
私は、母さんがいるだけで幸せだった。
物心ついたときから、父親と呼べる人はいなかった。
でも、母さんがいたから少しも寂しくなかった。
「貴女は私のようにはならないで……」
それは、二年前のあの日の記憶。
母さんが眠りにつく数日前に、私と会ったときの最後の会話。
涙を流した母さんは、まるでこれが最後の別れと言わんばかりに私を優しく抱きしめた。
「母、さん?」
「ごめんね、ごめんね……ごめんね」
「なんで、謝るの?」
ゆっくりと私の肩に手を置いたまま、体を離した母さんは涙を拭ったあと並々ならない覚悟を感じさせる瞳で私と視線を合わせた。
「アマコ、貴女はここにいちゃいけないわ。貴女はここにいたら、普通に暮らすことも、幸せになることもできないから……」
「え……」
「今はなにも言わずに聞いて。誰にも見られていない今だけが、このことを伝えられる最後のチャンスなの」
意味が分からなかった。
今の生活には不自由はないし、出て行く理由もない。
それなのに、ここを出て行くなんて訳が分からない。
「ここに貴女の未来はない。でも、外にならある。だから、貴女は新しい場所で生きるの」
「……母さんも、行くんだよね?」
私の言葉に母さんは、悲しげに笑みを浮かべる。
「ごめんね、私は一緒には行けないの。私には、ここでやらなくちゃいけないことがあるの」
「なにを……?」
「大事なことよ。大丈夫、貴女は強い子よ。きっと心の底から信じることができる誰かを見つけられるわ」
母さんの言葉は、なにか確信があるような口調だった。
それが二年前、私と母さんが交わした最後の会話。
その時の母さんの顔は悲しげだったけれど、私の身を案じている姿は……いつもと変わらない優しさに満ちていた。
●
「アマコ、帰ったわよ」
「……」
高い場所に備え付けられている窓から入ってきたネアの脳天気な声に起こされた。
予知とは違う、二年前のことを夢で見た。
目を擦りながら布団から起き上がった私は、世話係が用意した止まり木に移動したネアに意識を向ける。
「どうだった?」
「ウサトもアルクもちゃんと分かっていたわ」
「そう。良かった」
といっても、ほとんど心配してなかった。
ウサトなら私の嘘に絶対気付いてくれる確信があった。
「ネアに散々な目に遭わされたけど、それが良い経験になった」
「なんか言い方に棘があるような……。貴女、まだ私のこと根に持ってるの?」
「今になっては気にしてない」
口には出さないけど、本人がかなり反省しているので本当に気にしてない。
むしろこの状況でネアがいてくれて良かったと思える。
ネアがいなければ、私もここまで自由には行動できていなかっただろうから。
「でさぁ、折角私が助けに来たっていうのに、あの化物は力技で枷を外すわ一人で脱出できたとか言うやら……こっちの苦労も知らないで暢気なものよねぇ」
「まあ、アルクさんはともかくウサトなら脱出できても不思議じゃないし……」
「そうなんだけどさぁ!」
ミアラークでカロンさんと戦って、さらに磨きがかかってるし。
そもそもジンヤはウサトのことを知らなすぎたのが、今回の作戦の要みたいなものだ。
いや、普通獣人より身体能力が劣っているはずの人間が、常識離れした動きをすることを想定しろっていうのは無理な話だけど。
「彼、貴女の嘘にすぐ気付いてたみたいよ。しかも、普通じゃ想像できないくらいの察しの良さだったし」
「それはそうだよ。一緒に旅をしてきたウサトとアルクさんにしか分からないように言ったんだから」
端から見れば私が予知に絶望してウサト達に帰れって言っているように聞こえただろう。実際、私の嘘の予知を聞いたジンヤもそれに騙されて、まんまと私とウサトを引き合わせた。
だけど、その真意はウサト達へジンヤと『真っ向から戦う』ことを伝える為のものだ。
「ジンヤは私達の関係を脆いものといった。だけど、その程度の言葉で私達の”今まで”は揺るがない」
私達がどれだけの苦難を乗り越えてきたと思う?
ネアに邪龍をけしかけられた。
サマリアールでは呪いを壊すために動いた。
ミアラークでは暴走した龍人、カロンさんを止めるために戦った。
どれも大変な事件だったけど、その過程で私達は協力し、助け合ってきた。
「なんというか、信頼しあっているわねぇ……」
「なに言っているの? ネアもそうじゃん」
どこか他人事のように呟いたネアに呆れた風にそう返す。
私の言葉に嘴を呆けさせたネアは、すぐにおかしそうに笑みを浮かべた。
「そーよね。私なにを言っているのかしら」
「ついに見た目だけじゃなく、頭も鳥になったの?」
「失礼ね! つつくわよ!?」
翼を広げて怒りを表し、嘴で素振りを始めたネアに私は小さく微笑んだ。
だけど、和やかに会話をしている場合じゃないのですぐに話題を切り替える。
「そういえば、ウサトから許可はもらえた?」
「ええ。早速、貴女の見張りの兵士と侍女から血を吸っておいたわよ。交代の時間がくるまで、貴女と私の会話は誰にも聞かれず、気付かれることもない」
「……ネアって結構ウサトのこと言うけど大概だよね。危険度でいったら、ネアの方が上だよ」
誰にも気付かれないように、という縛りこそあれど瞬く間に操れる人間を増やしてしまうのは、本当に凄まじい。
私の言葉に納得がいかないのか、ネアは少しばかり唇を尖らせた。
「そんな万能なものではないわ。操るのだって魔力を使うし、なにより私自身が血を吸って暗示をかけなきゃいけないから結構な手間なのよ? だから、そんなポンポンとたくさん操れるって訳じゃないの」
「……そうなんだ」
「そ、だから使うタイミングを考えなきゃならないの。むしろウサトの方が性質悪いわよ。普通にしていれば人畜無害そうな人間だけど、一度本性を見せれば治癒魔法で殴ってくるのよ。しかも人間離れした速さと力で、そんな化物と比べれば私もまだ可愛いものよ」
どっちもどっちだと思うなぁ。
でも、ネアも考えなしに暗示をかけていたわけじゃないんだ……。
私も言えたことじゃないけど、恐ろしい能力を持っている。
「まあ、裏で動くのは私に任せておきなさい。ジンヤが誰を怒らせて、誰を敵に回したかを思い知らせてやるわ」
「……うん、お願い」
今回の件は、ネアも頭にきているのかもしれない。
理不尽に囚われ、しかも最低限の約束すらも守ろうとしないジンヤという男に、ネアが手加減をする理由なんてない。
それに、ネア自身ウサトのことを気に入っていることもあると思う。
本人は絶対にそのことをウサトに言わないだろうけど。……私も人のことは言えないか。
「あ、ついでに貴女の母親の方も見てきたわよ」
「! どうだった?」
「もう一度確かめてみたけど、やっぱり魔力が感じられなかったわ。それも不自然にね」
魔力を感じられない。
それは今の母さんには魔力が存在しないといってもいいだろう。
「考えられる可能性は二つ。体から魔力そのものが消滅したか、魔力が別の場所にそっくりそのまま移動してしまったか。私は後者だと考えているわ」
魔力が移し替えられている。
思い当たる理由は一つしかない。
「やっぱり『トワ』が原因?」
「全てではないけど、その一端はそれにありそうね。そもそも予知魔法を移し替える為の魔道具だし、しかも未完成って話らしいから、なにかの弊害でカノコ自身の魔力を司る部分そのものを引っこ抜かれてもおかしくないわ」
人から魔力がなくなるとどうなるかだなんて考えたこともない。
魔力を消費して無くすのとは訳が違うからだ。
それに――、
「……母さんは、まだ体の中にいる。目を覚まさないけど、あの体の中で生きている」
ウサトが母さんを系統強化で治そうとしたとき、ウサトの体を通して母さんの言葉が頭に流れ込んできた。
母さんは、確かな意思を持って私達に声を届かせていた。
「ウサトを通して声自体は私も聞いたわ。にわかには信じがたいけどね」
「……私だって、信じられなかったよ。二年ぶりに聞く、母さんの声だったから……」
あまりの衝撃で、ジンヤ達の襲撃にも動けなかった。
「私はずっと母さんが目を覚まさなくなってしまった理由が分からなかった。どんなことをしても目覚めないって聞いて、重い病気にかかっているんだって、自分に言い聞かせて……病気をなんとかできる治癒魔法使いを探した」
ここに帰ってきて私はようやく理解した。
『トワ』という魔道具の話を聞き、得意げに母さんの予知魔法を使うジンヤの話を聞いて。
「だけど、実際は違った。母さんは病気なんかじゃない。母さんは『トワ』を動かすことを強いられていたんだ。それをしなくちゃいけない状況に追い込まれていたから、自分から『トワ』を発動させた」
「……未完成の魔道具を動かさなければいけない状況……貴女の母親がそうする理由といったら……」
「分かってる」
ネアの言葉を遮る。
ここにきて、母さんの記憶の一部を見て私はようやく、あの時の言葉と涙の理由を知ることができた。
「二年前、『トワ』を動かすのは私だったんだ。母さんはそれを止めるために、私の代わりに自分が身代わりになったんだ……」
「それをやらせたのは、あいつしかいないわねぇ……」
「当時から力を持っていた男、ジンヤ」
あのまま獣人の国にいたら、私は『トワ』を動かすための部品として扱われていたと考えると、本当にゾッとする。
しかし、それ以上に私は怒りを抱いた。
母さんは、私と後に生まれる予知魔法使いの為に『トワ』を作り出そうとしていたはずだ。それを、その在り方をねじ曲げて、自分の力にしようとして、挙げ句の果てには母さんすら犠牲にした。
正直、今滅茶苦茶怒ってる。
それでも冷静でいられるのは、まだ母さんを目覚めさせられる希望があるからだ。
「もう母さんも私自身も、あの男に利用されたりはしない」
理不尽な運命に流されるのは終わりだ。
不確かな未来に怯えるのも終わりだ。
「私、いえ私達は……皆で最善の結果を掴み取ってみせる」
策を弄するなら弄すればいい。
そんなもの、全部私達が壊してやる。
「ウサトは絶対に私を助けに来てくれる。だからそれまでに、私達にできることをしよう」
「ウサトが、来なかったらどうするの?」
そんなこと聞かなくても分かっているはずだよ。
ネアも分かっていっているのか、茶化すような口調だ。
「来るよ。だってウサトだもん」
「ふふっ、そうよねぇ。貴女の伝言の返事も『絶対に助ける』だってさ」
きっと人間を見下しているジンヤは気付きもしないだろう。
ウサトという人間を。
彼がどれだけ困難な状況でも“助けたいって願った”誰かを諦めたことがないことを。
そう考え、月明かりが差し込む高窓から夜空を見上げていると、ふと何かを思いだしたのか、ネアが再び私に声をかけてきた。
「気になっていたんだけどさ」
「なに?」
「未来は見えたの? ウサトとアルクが死ぬ未来は全部嘘だったんでしょう?」
予想外の問いに動揺してしまう。
動揺を悟られないように、首を横に振る。
「……見えなかったよ。でも、それでジンヤの予知の程度が知れたし」
「ふぅん、やっぱり便利なようで不便な部分もあるのね」
「……」
それほど興味がなかったのか、すぐに話を終わりにしたネアに私は嘘をついたことを内心で謝罪する。私は、予知を見た。ウサトとアルクさんが死ぬ嘘の予知ではなく、正真正銘の予知を。
ネアには集中を乱して欲しくないから黙っていることにした。私が見た未来はある意味で不吉なものだったからだ。
戦いの中、勇ましく戦うウサトと正体不明の――。
「黒い、仮面の戦士」
私は、ウサトの後ろでその戦いをジッと見ていた。
影を揺らめかせ、黒色の仮面で顔を覆った不気味な戦士が、ウサトと互角以上に戦っている光景を。
仮面の黒い人は歓喜の声を上げ、ウサトは歯を食いしばり籠手に包まれた右拳を振り上げた。私の目で追えないほどの戦いを繰り広げながら、私の予知は光と共に終わってしまう。
それだけの予知。
だけど、ジンヤという敵とは別にウサトを脅かす強大な敵が存在することに、私は不安に苛まれるのだった。
少しずつ情報を明かしていきます。
今回の更新は以上です。