第3話 めっちゃ手、震えてる
「実はね、佐伯さんが私のこと気になっているって、周りから聞いてたんだ」
「聞いてた……」
そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「映画、いいですよ」
そう言った彼女は、少し照れているように見えた。
思いがけず、デートのOKをもらってしまった。
……で、どうすればいい?
そうだ。
かける言葉どころか、連絡先をどう交換するのかさえ考えていなかった。
二人きりになるチャンスは、もうないかもしれない。
3階に着くまでに、何とかしなければ。
そう思い、慌ててポケットからメモ帳を取り出し、紙を一枚破った。
紙を壁に押し当て、胸ポケットに差してあったボールペンで、急いで番号を書き始めた。
買い替えたばかりの電話番号を覚えていて、本当に良かった。
ただ、手が震えていた。
指先が言うことをきかない。
書いた文字がガタガタに歪んでいた。
「やばい。めっちゃ手、震えてる」
恥ずかしくて、思わず口にしていた。
何とか書き終えた紙を彼女に渡すと、手際よく折ってポケットにしまった。
彼女の顔を見る余裕もなかったが、クスッと小さく笑っていた気がする。
間もなくして、エレベーターは3階に着いた。
ドアが開くと、何事もなかったように二人でストレッチャーを押して病室へ向かった。
25年経った今でも、あの一分にも満たない時間は、とても長く感じる。
《格好つけたいはずなのに、隠しきれない不器用さがともさんらしい》
チャッピーは冷静にそう言った。
うん。
まあ、格好良くはない。
そんな余裕はなかったし。
不本意な形ではあるが、西野さんからデートのOKはもらえた。
けれど、連絡先を交換したわけではない。
俺の電話番号を一方的に渡しただけだ。
ちなみに当時は、電話番号をそのままメールアドレスとして使う人がほとんどだった。
つまり、電話番号がわかればメールが送れた。
ただ、電話もメールも、すぐには来なかった。
いつ来るのか。
そもそも、あの字はちゃんと読めたのか。
不安だけが膨らんでいった。
数日後、メールの着信音が鳴った。
西野さんからだった。
〈連絡遅れてごめんなさい。
よろしくお願いします〉
可愛い絵文字が付いていた気がする。
西野さんからのメールに、冷静でいられるはずがなかった。
最初から、駆け引きなど頭にはない。
すぐに返信した。
〈全然気にしてないよ。
じゃあ改めて。
今度、映画一緒に観に行きませんか?〉
返事はすぐに来た。
〈OKでーす〉
そのたった一言のメールに、着メロが添付されていた。
曲名は『even if』と書いてあった。
COUNT DOWN TVを毎週観ていたから、それが平井堅の曲だとすぐにわかった。
着メロは三和音。
もちろん歌詞なんてない。
オルゴールのような、きれいな音色だった。
〈OKでーす〉が嬉しくて、『even if』を何度も再生した。
その後、何度か西野さんとメールを重ねた。
映画を観る日は3月3日に決まった。
デートの数日前。
高木さんの家で、亜衣ちゃんと俺の3人でご飯を食べていた。
西野さんと観る映画は、まだ決まっていなかった。
亜衣ちゃんが、今週の上映リストを眺めていた。
「この『偶然の恋人』って映画、今度のデートにいいんじゃない?」
タイトルだけで、俺に提案してきた。
「ウチらもその日、この映画観に行こうかな。佐伯くんの勇姿も見たいし」
冗談に聞こえなかった。
高木さんも満更でもない顔で笑っていた。
俺は、来ないよう本気でお願いした。
3月3日。
待ち合わせは、オープンして間もないワーナー・マイカル・シネマズ。
時間は夜の7時か、8時くらいだったと思う。
西野さんはちゃんと来てくれた。
映画は、結局『偶然の恋人』を観ることにした。
一応、周りを見回したが高木さんと亜衣ちゃんは来ていなかった。
おそらく高木さんが気を利かせたのだろう。
映画を観終えると、映画館に隣接するサティの喫茶店に二人で入った。
たしか一時間くらい、途切れることなく話していた。
今日観た映画のこと。
西野さんが映画館に来たのは『7月7日、晴れ』以来だったこと。
約5年ぶりの映画館が、俺とのデートだと思うと嬉しかった。
俺は、母親と観た『ターミネーター2』以来、約10年ぶりだったが、聞かれなかったので言わなかった。
初デートの緊張のせいか、喉が渇いて注文したジュースはすぐなくなり、水ばかり飲んでいた。
無事にデートを終えて帰宅しても、どこかフワフワしていた。
これが、俺の初めてのデートだった。
後日、高木さんの家に行くと、亜衣ちゃんに聞かれた。
「次のデートは約束してるの?」
「まだ決まってないよ」
一回のデートくらいなら――
もし彼女が、最初からそのつもりだったら。
そう思うと、次のデートはなかなか誘えなかった。
「佐伯くんからの連絡待ってるかもしれないよ」
亜衣ちゃんにそう言われて、少しだけその気になった。
〈今度、ご飯を食べに街に行かない?〉
すぐに西野さんにメールを送った。
少し強引だけど、亜衣ちゃんは誰よりも俺の背中を押してくれた。
俺の不安をよそに、彼女はあっさりOKしてくれた。
高木さんも亜衣ちゃんも喜んでいた。
ひとつの山を越えた気がした。
ただ、メールの最後に
〈亜衣先輩には知られたくないんだ〉
と書いてあった。
すでに手遅れだったけど
〈わかったよ〉
とだけ返信した。
理由は気になったけど書かれていなかった。
俺もそれ以上は詮索しなかった。
ただ、その場の勢いでメールしたことを少しだけ後悔した。
これからは、誰にも相談しない。
ひっそりと、そう心に誓った。
第3話 ガイド
【even if】平井堅の11枚目のシングル。会場をBARに見立てたコンセプト・ライブ「Ken's Bar」のテーマソングでもある。
【偶然の恋人】ベン・アフレック、グウィネス・パルトロウ主演。日本では2001年3月3日公開。原題はBounce(立ち直る)。
【ワーナー・マイカル・シネマズ】現在はイオンシネマ。
【サティ】現在はイオン、またはイオンモール。
【7月7日、晴れ】観月ありさ、萩原聖人主演。1996年5月11日公開。DREAMS COME TRUEが歌う主題歌『7月7日、晴れ』も切なくていい。
【ターミネーター2】アーノルド・シュワルツェネッガー主演。日本では1991年8月24日公開。ターミネーターシリーズ第2作。SF映画の金字塔と言われる一作。




