【16】憂鬱な尋問
阿茶の局のもとに送った使いはすぐに帰ってきた。
「お支度が整い次第、お連れするようにと。央姫さまお一人で、とのことです」
その時央は、旅装束から着替えを終えて茶を淹れてもらってようやく一息ついているところだったが、使いの女房が何かを言いあぐねている様子を感じて首を傾げて続きを促した。
「あの。……お支度を決して急かさぬようにと申し伝えられておるのですが、阿茶さまだけでなく、大殿がお会いになられます」
「えっ。 ……大殿さまがいらっしゃるの?」
気遣いはありがたいが、さすがに舅を待たせてのんびり茶を飲んでいるのも気が引ける。央は伝えてくれた女房に感謝しつつ、急ぎ本殿のほうへと向かった。
案内された先は、阿茶の局の部屋ではなく、大殿の居室だった。
そこは既に人払いがされており、部屋にいたのは大殿と阿茶の局と、――それからなぜか、隆郷の姿まであった。
「まあ、旦那さま」
室内に案内されるなり、半年ぶりに顔を見る夫にとっさに意識が向いてしまったが、すぐにそんな場合でもないと思い直す。
それに、隆郷の表情は、どちらかと言えばこの場に央を歓迎しかねるというような硬いものだった。
「大殿さま。阿茶さま。本日三河より到着いたしましてございます。先刻ご連絡をいただきましたのに、お待たせしてしまい申し訳ございません」
「よいよい。遠路お疲れのところすまなんだな。久しいのう、央姫」
「はい。お久しゅうございます」
「三河ではごゆるりと過ごされましたか?」
「ええ。国元の方々にもとても良くしていただいておりました。ずいぶんと心安く過ごさせていただきました」
いくつかの間を持たせるような世間話の間も、隆郷は話には入ってこなかった。
大殿も、冗長な会話を長く続けるつもりはないようで、しばしの間の後にすぐさま央をここに呼び出した本題に切り込んだ。
「まあ、三河での話などはまた、落ち着いた頃に茶飲み話にでもしよう。こちらに到着したばかりで色々とやることもあろうし、あまり長く時間を取らせるのも悪い。不躾ですまぬが、用件に入ってもよろしいか」
「もちろんにございます」
もしかすると、央をそもそも三河からこちらに戻したこと自体が、央を呼び付けてこうして直接話をするためなのかもしれない。
「では、この先のことは他言無用じゃ」
人払いはしてあるようだが、その上でなおも大殿は声を潜めた。
「関白殿下の病の噂は、そなたの耳にも届いているか?」
「さあ。あまりはっきりとしたことは。……ただ、もうお歳ではございますし、年々どこかを悪くされて、最近ではお好きだった御酒もすっかりやめたとか」
「もう先はそう長くなかろう」
「……さようにございますか」
時の権力者である関白の寿命。
歳を思えば既にかなりの高齢となっているはずで、その命がついえる時が近づいていること自体に驚きはないが、道理でそういうことであれば京の都が落ち着かない風情であるはずだ。
「しかしまあ、存外に生き汚いあの男のこと、病を得たとてそう簡単に大往生を選んでくれるわけもない。少なくともあと一年から、あるいは数年は永らえるのではないかとわしは見ておる」
大殿のぞんざいな物言いを聞きながら、央は切り替えるように身の内の緊張感をどんどんと引き上げた。
その言い条は、完全に家中の者に対する気安い口調だった。
央が関白の養女であることや、央がそもそも関白方に近しい人間方であるという考え方をしていれば、決して出ては来ない言葉選び。
しかし、この御仁がそれを無意識でやっているとは思えない。だとすればこれは意図的な、央を結城側の人間であるとして行間に圧をかけているかのような態度に違いなかった。
「関白は自らが亡き後は、若君に後を継がせるつもりだろう」
「ええ。しかし、若君はまだ四つか五つになったという歳の頃では」
「そうだ。つまり幼い若君の後ろ盾として実質的に権力の座に就くのは、そなた妹御の淀君となろうよ」
「……ええ」
そうだろう、と央も思う。
むしろそれは、あの子が関白のもとで若君を産んだ段階から既定路線として決定づけられていたことのように思う。
「単刀直入に問おう。――淀君の産んだ若君は、真実に関白の子か?」
大概のことはのらりくらりと躱す癖がついている央だが、さすがにこれ以上ないほど直接的な言葉を突きつけられては、それも難しかった。
このことは、いつか誰かが核心を求めて央に問うだろうとは思っていたことだった。
しかし、果たしてどう答えるのは正解なのか、彼女の中に答えはない。妹とはなんでも打ち明け合うような仲というわけでもなかったし、第一、央は若君が誕生した頃はまだ、関白家の内情とは無縁の尼僧院にいたのだ。
知るわけがない、というのが素直なところで、どう答えても角が立つような不利な問いかけに、しばし押し黙ってしまった。
色々なことを考える中で、彼女が最も気にしたのは、夫である隆郷のことだった。
隆郷は、今どういう気持ちでこの場に同席しているのだろうか。夫と二人でいる時間には、互いの家や立場に関わるような重大な政治情勢のことはほとんど話題にしたこともない。
「大殿さま。私は、若君が殿下の子であるかと、わざわざあえて言葉にして妹に問うたことはありません。さりとて、妹から明確に、そうではないという話を聞いたこともありません」
「では央姫。そなたの意見はどうだ? そなたは若君が、実際に殿下の子であると信じているか?」
大殿は追及の手をひとつも緩めなかった。大殿と対峙したまま視界の端でちらりと様子を伺うと、阿茶の局は相変わらず穏やかに微笑んだままこちらを見ている。
「関白はあのお歳であるし、他の側室方は一人もお子を産んでおらぬ。そなたとておかしいとは思わぬか? なぜ淀君だけが子をなすことができたのか」
おまえはどちら側の人間なのだと、試されているような心地だった。
「それは、淀君にはかりごとがあった故のことではないか?」
大殿はおそらく、今この場においての、央の出方こそを見ている。
それは、実際にこの問いに対する真実を央が知っているのかという問題そのものに限った話ではなく、不利な場での立ち回りや胆力を試すためでもあるだろう。
隆郷が今ひとつ納得していないという顔のまま、しかしこの場に同席だけはしているのも頷けた。彼にしてみれば決して面白くはないだろう。父親が彼本人を飛び越えて、自分の妻を直接「使おう」というのだから。
「……若君は、関白殿下ではなく、別の胤であるのかもしれぬと」
「そうだ」
少し考え、央は結局は小細工は不要と判断して、率直にこの件に関して思うところを口にした。
「しかし、もし仮にそうであるのならば、それは妹個人のはかりごとや不義というよりかは、関白も納得ずくのことでしょう」
「……ほお?」
「私も、多少は養父のことも存じております。いくら老いて耄碌したとて、あの方は、自らを欺く嘘に寛容なお方ではありませんでしょう。若い妻に不義を犯され、ましてやその末の子を自らの子として育てることを許すほど、甘い御仁でもないかと」
央は、三河にいる間はすっかり疎遠になっていた妹のことを思い出しながら話していた。
妹は幼い若君を抱えて、ついには関白に成り代わり、天下を手中に収めよう場所に立っているらしい。
けれどあの子にはそもそも、果たしてそれだけの野心があったのだろうか。
「私は、妹が若君を出産する前後にも何度かあの子と会って話しておりますけれど、あの子にそこまで、何がなんでも男児を産んでやる、というような気概があるようには思えませんでした」
「ではやはり淀君の子はめでたく関白の子であると?」
「いえ。そうであるかもしれませんし、あるいは関白が、他の男の胤で産ませた子かもしれません」
こんなことは、女同士での噂話でもしないような下世話に過ぎる言葉選びだ。
しかし央は実際、関白は妹の「腹」だけを使ったのではないかとも思っている。かつての主家の、名門の血筋を受け継ぐ側室。他の誰にというわけではなく、関白は、自分の跡取りとなる男児を産ませる女として、あの子を選んだのではないか。
「いやはや。……ずいぶんと恐ろしいことを言う」
「もちろんこれは、確証のある話ではありませんし、他の誰とも話したことはありません。ただの私の妄言に過ぎぬことです」
大殿はしばらく思案顔をした後に、いかにも話の流れだとでも言うように軽く言った。
「そうじゃ。この件について、淀君に探りを入れることはできぬか?」
つまり大殿は、央に若君の出生の秘密を探らせようというのだ。
しかし央は、その打診だけには固く閉じて、決して受けてはならなかった。
「……決して、自らの保身のみを考えて申すのではありませんが、妹はたとえ真相がどうであろうと、私にだけはそれを話さないでしょう」
「しかし今こうして話していても、そなたは妹御のことをよく見ておるし、それは妹御を心配してのことだろう。離れて暮らしていてもたった二人の姉妹。そなたが心をかけていることは淀君とてわかっておろうし、淀君もまた、そういう姉御を頼りとしているのではないか?」
「だからこそ、ということでもございます。私は、自分からは決してあの子の弱みになることや、あの子にとって辛かったであろう話題に触れることはありません。あの子は、私に可哀想がられることを何より嫌がるでしょうし、そのわりには、私があの子のことを常に気にかけて細やか態度でいなければ、姉妹の情を疑って責めなじるのです」
妹の癇癪玉に触れないように渡り合いながら、関白家の家中の大問題に触れることは、無理な芸当だろうと思われた。
「たった二人の姉妹ですから、妹も私が言いそうなこと、言わなそうなことはよく理解しています。……ですから、私があえてそうした内情に探りを入れるような真似をすれば、あの子はたちまち、裏に何か他の意図があってのことだと察するでしょう」
そうなれば、妹は央の態度の害意に腹を立て、傷付き、手が付けられなくなるだろう。最悪の場合、央が探りを入れたこと自体が関白の耳にも届きかねない。
そうしたことを丁寧に説明し、央はあくまで泰然とした態度を貫いた。
「最もあってはならぬのは、関白殿下がまだお元気なうちに、結城家が危ういと見なされることかと存じます。ですので、もしこの件を追及なさるとしても、それは殿下が亡くなった後とするのが穏当かと」
実際のところ、これは央にとっては真摯に結城家のためを思っての進言だった。
その思いが通じたのかどうかはわからないが、大殿も今日のところは央に強引に探りを入れさせることは取りやめてくれたようだった。
「では、関白が死んだ後であれば、わしがそなたの甥御や妹御を倒しにかかっても構わなんだか?」
しかしそれは、ずるい聞き方だ。
この戦続きの世においてはなんの意味もない問い。
「肉親の情はございます。しかし、ここで私が命乞いをすることに、いったいなんの意味がありましょう?」
その時が来れば、結城は関白家の力を削ぐことを躊躇わないだろうし、それは逆もまた然りだ。明日をも知れぬのは関白家かもしれないし、関白家と一触即発の機をうかがう結城家のほうかもしれない。
強い者が勝ち、弱い者が負ける世では、情に流される者から死んでいく。
「なるほど、ようわかった。ほんに。無駄な問答を嫌うのはわしも同じよ。……今日はこのくらいにしておこう。隆郷をこれ以上怒らせとうはないからな」
大殿の茶化すような物言いに、央はその時ようやく隆郷のほうに顔を向けた。
が、彼は父親の言葉に反応を返さず、ただ硬い表情のままだった。
「おお、怖い」
央は別に、この場で隆郷が父親と意見を違えるような展開は望んでいなかった。だから隆郷が、下手に央を庇うようなことを言わずにいてくれて良かったと思っている。
しかし大殿は、そんな隆郷の我慢すら揺さぶるかのような態度だった。
「しかし、央姫。そなたの言い条は確かに筋が通っているが。しかし結局のところ、そなたは結城のために何をした? そなたがもし真実に隆郷の室としてこの家に利するというのであれば、その証はどのようにして立てるのだ?」
「父上。それは、」
隆郷がさすがに耐えかねるというように抗議の声をあげた。
大殿の言葉は、聞きようによっては密偵を拒んだ央への当て擦りのようでもあったし、あるいは央がまだ後継ぎを産まないことを責めているようでもあった。
ともかく央は、父子の間の雰囲気がこれ以上不穏なものにならぬよう、さっさとこの場を収めて切り上げてしまいたかった。
精一杯殊勝な妻のふりをして手をつき、平伏して大殿に頭を下げる。
そういう自分の態度が、必要以上に健気で決意じみて見えるだろうと察した上でのことだった。
「私がここにいることが、結城のためになるよう、よくよく努めます。……ですから、どうか。どうか、今しばしのご猶予をいただければと、存じます」
さすがの大殿も央の言葉を承服し、その日の会合はそこでお開きとなった。




