第十一章 騎士の守る王国 (暁闇)
…………………アルセント ダレルマスカ寺院………………………………
「ふぅ……」
寺院内の一室、男性は着ていた黒のレインコートとフードを外し、壁に掛けられた白いローブを頭から着込む。少し汗で濡れた髪は、被っていたフードの影響で癖がついたままになっていた。
コンコン
ドアをノックする音が部屋に響く。
男性が返事をする前に扉はゆっくりと開き、パタンという小さな音とともに閉じられた。
「珍しいですね。わざわざ貴方がノックをして部屋に入ってくるとは」
誰が入ってきたのか確認しないまま、男性は背後に声をかける。
「いつもの地下室ではないからな」
「それは失礼。おや、なるほど。それでその装いですか」
振り向くままソファに腰掛けた男性は、入って来た人物の姿を確認して言う。いつもの黒一色のローブとは違い、寺院の聖職者が着ている白に銀の糸で刺繍されたローブをエリザが身にまとっていたからである。ただし仮面だけはいつもと同じものである。
「白のローブもよくお似合いですよ」
「お世辞はいい。目的の物は?」
「これは失礼。もちろんここに」
口元に笑みを浮かべた後、四隅にクロスの刻印が掘られたテーブルの上に、男性は一つの瓶を置く。透明な瓶の中には、真赤な液体が半分ほど入っており、コルクの栓で封がされていた。
「ご苦労」
テーブルの上に置かれた瓶を受け取ると、ローブの裾から中へ滑りこませる。
「その一言だけですか。もう少し労いの言葉を頂けると、私としても苦労したかいがあるのですが」
「表面上の言葉など、もらって何の意味がある」
「表面上でも貴方から貰える言葉ならそれで充分です。それに実際問題、大変だったんですよ。余計な邪魔が入って」
「……枢機卿か」
「えぇ。さすがの私も一度に3人の枢機卿を相手にするのは荷が重いので、灯り師の少女を置いて、逃げることにしました。特にラニエ・ロ・エスター卿とセシル・フォン・グランヴィッツ卿は教会内でもトップクラスの剣の使い手、アルセント国内でも彼らと対峙できるのは限られた者しかいないでしょう。それに弱者に徹しているようですがオットー・ア・カッセル卿も、なかなかあれで曲者の匂いがしました。侮れませんね」
「素性を悟られてはいないだろうな」
「大丈夫かと。そのためのブルガタス家ですから。今回の作戦に参加した手下の男達の口もすべて塞いでおきましたので、どこからも漏れる心配はないでしょう」
「徹底した仕事ぶりだな」
「おや、すべて貴方から教えてもらったことですよ。エリザ」
「……そうか」
小さく呟くと、男性に背を向け、入って来た扉へと向かう。
「もう行かれるのですね?」
「これ以上、ここに留まる理由はない」
背を向けたままエリザは応える。
「どうです? よければこの後、一緒に食事でも。アルセントでも指折りのシェフに作らせたディナーを用意させているのですが」
「……必要ない」
興味がないといった様子で、エリザは扉のドアノブに手をかける。
「そうですかそれは残念。それにしても追われる身でありながら人助けですか。余計な親切は自らの首を絞めることになると思わないのでしょうか」
「……何が言いたい?」
ドアノブに手をかけたまま、エリザの動きが止まる。
「いえ、ただ邪魔な芽は摘める内に摘んでおくべきかと。大きくなってしまうと余計な邪念が湧いて簡単に切り倒すわけにはいかなくなるので」
「愚問だ……私にそれを決める権限も意志もない。それにナーヴェル卿様の許可はすでにとっているのだろう?」
「さすがにバレましたか。えぇお伺いを立てたところ、アルセント国内においては私の好きにしていいと」
「ならば、私に聞く必要などない。好きにしろ」
「では、私が彼らと遊んでも問題はないということですね?」
「……」
男性の問いかけに、何も答えないままエリザは部屋を出ていくのであった。
「おやおや、またしても怒らせてしまいましたかな。女心とは難しいものですね」
……………………………………………………………………………………
「少し落ち着けリオン」
アルセントの街中、人々が行き来する中でルインさんに肩を掴まれる。その手には痛いくらいの力がこもっていた。
「で、でも……」
「闇雲に探したってアルセントは広い。簡単にエイダが見つかるわけないだろ」
「……ですけど」
じっとなんてしていられなかった。この瞬間にもエイダに危険が迫っているかもしれないのだ。
「あの状態で騒がれることなくエイダを連れ去ったということは、国境管理室に根回しができる奴の仕業と考えるのが妥当だろうな。そんなことができるのはアルセントにおいても上流貴族以上のはず。街中を闇雲に探したって見つかるわけないだろ」
「じゃあどうすれば」
初めて訪れた国で、土地勘もなく、相手の姿も形も分からない。そんな状況で僕はどうすればいいんだ。
「慌てるな。手はきっとあるはずだ。それに」
「それに?」
「どうやら手がかりは向こうからやってきてくれたようだ」
「え?」
「見張っているのは一人ではないようです」
さりげなく周りの様子を伺いながら、マリアさんはルインさんに耳打ちする。
「分かっている。それに監視だけの時間は終わったようだ」
人気が少なくなった頃合いを見計らったかのように、路地の向こうから黒と白を基調とした執事服のような服に身を包んだ男性がこちらに向かって歩いてくる。ゆっくりとした足取りで一歩ずつ、僕らの前にたどり着くと、背筋をピシッと伸ばしたまま立ち止まった。
「遠くから大人数で監視するなんて、マナーがいいとは言えないな」
「お気づきでしたか。非礼をお詫びします。私はラニエ・ロ・エスター卿に仕える従者が一人、ギルベルトと申します」
ラニエ・ロ・エスター卿……初めて聞く名前である。ただしそれは僕だけのようで、ルインさんとマリアさんは知っている名前のようだ。
「ラニエ・ロ・エスターといえば、エビナス教会の枢機卿の一人だな。その従者が俺達に何の用だ?」
「そんなに敵意をむき出しにされないで下さい。我が主は皆様に危害を加えるつもりはありません。ただ皆様がお探しになっている少女について」
「エイダのことを知っているんですか?」
思わず男性の言葉を遮ってしまう。
「落ち着いて下さい。場所も場所ですし、私からお話できることはありません。まずは当家にお越し頂けますか? 続きは主より直接お話させて頂きます」
「罠ではないと、見ず知らずの相手を信じろというのか?」
「お疑いになるのは当たり前かと、ただ信じてもらうしかありません」
「ただ信じろと……話にならないな。だけど、行くんだよな?」
従者と話していたルインさんは、突如、僕に向かって尋ねてくる。急な質問だけど、僕の中で答えは決まっていた。
「行きましょう。何も手がかりがないよりマシです」
「そうだな。よし案内してくれ」
「承知致しました」
従者の男性が片手を上げると、煌びやかな装飾が施された馬車が一台、通りを越えてやってくる。始めから僕らが同行することが確定事項であったかのような手際の良さである。
それでも行くしかない。僕らは促されるままに、用意された馬車に乗り込むのだった。




