第十章 岸壁の上の要塞(公爵)
……………………アルセントのとある屋敷……………………………………
アルセントには国王に次ぐ権力を持つと言われる御三家、三つの公爵家が存在している。最も古くから王国に寄り添い、王族に連なる血統を脈々と受け継ぎ歴史と伝統を重んじる御三家の筆頭、ロンガム家。歴代当主が必ず騎士団総帥を務め、アルセントの防衛、警備、攻撃のすべての武を司る騎士の家、フラジリス家。歴史は他家に比べ浅いが、大戦後の教会とのパイプ役として、今日のアルセントと教会との密約関係を築き上げた信仰心の強い家、エンテリカ家。この御三家が絶大な権力を得るかわりに国王を支え、アルセントの国は成り立っていた。
そんな御三家のひとつ、歴史と伝統を重んじるロンガム家の現当主は、アルセントの現国王の弟。娘しか生まれなかったロンガム家に、王家より婿養子として入り、当主となっていた。こういった経緯を繰り返し、ロンガム家は血の濃さを保ってきたのだ。
アルセントの中心部、貴族の家々が立ち並ぶ中央通りを真っ直ぐ進むと、最後の門番のように、ひと際大きく豪華で細部まで精巧に造られた屋敷が待ち構えている。ここがロンガム家の屋敷であった。
屋敷の前に三台の馬車が止まる。前後の馬車に守られるように真ん中に止まった馬車から黒と白を基調としたメイド服姿の女性が降りてくる。その後に先に降りたメイドの女性に手を支えられながら、小柄で幼さの残った面影の少女が馬車を降りていく。腰まで伸びた髪の毛は枝毛ひとつなく整えられ、身にまとったローブや靴、装飾品にいたるまで新品のように光沢があり、一片の傷や汚れはない。醸し出す雰囲気や見た目から、少女が高貴な身分の家で生まれ、何不自由なく育ってきたのだということが容易に想像できた。
石畳の階段をメイドに手を引かれたまま上っていく。屋敷の玄関は大きな木製の飾り扉となっている。自動扉のように両開きの扉が開くと、奥行きのある玄関が広がり、両脇にはメイドや侍女、執事が出迎えるように立ち並んでいた。
「お帰りなさいませ。エレンお嬢様」
統一された角度のお辞儀と、寸分のズレもなく合わせられた声がエレンと呼ばれた少女を出迎える。その様子にエレンは当たり前のことのように気にした素振りもない。玄関から中央の大階段まで続く赤い絨毯の上を歩くエレンは立ち止まると振り返る。そこには一歩後ろをついて歩いていたメイドの姿があった。
「ねぇロザリア。部屋に戻ったら貴方が淹れてくれる紅茶を飲みましょう」
「かしこまりました、エレン様。ではお先にお部屋にお戻りください。私はロージェ殿と少しお話をしてから、すぐに向かいますので」
「そう、分ったわ。早く戻ってきてね」
そう言うと両脇に並んでいた侍女の一人が、エレンの傍に歩み寄り、エスコートするように二人は中央の階段を上っていった。
「さて」
エレンの姿が見えなくなるとロザリアは玄関へと戻り外へ、目的の人物はちょうど執事や侍女とともに馬車から荷物を下ろしている最中であった。
「長旅ご苦労様でした。ロージェ殿」
「おや、ロザリア殿もご苦労様。エレン様はお部屋へ?」
「えぇ、旅の疲れもないようです。これもロージェ殿を含めた薬師の皆様のおかげです」
「フォフォフォ、かいかぶりすぎです。ワシらは職務をまっとうしたまでのこと。傍に付いておられるロザリア殿のお力ですよ」
「ありがとうございます。それであの……あ、いえ……なんでもありません」
途中まで言いかけてロザリアは言いあぐねたようにやめる。
「あの夜のことですな」
ロザリアの心の内を見透かしたようにロージェは言う。
「……はい」
「心配ご無用、あの夜の件は一切口外は致しません」
「……ありがとうございます」
「ただ年寄りの戯言と思って聞き流してもらえれば結構ですが、どんなに隠そうとしても人の口に戸は立てられぬこともお忘れないように。これは出過ぎたことを言いましたな」
「……ご忠告ありがとうございます。分かっているつもりです」
「それならよかった。ではまた」
そう言って会釈をすると、ロージェは侍女に案内されるまま入口傍の扉から自室へと戻っていく。ロージェを見送ると、ロザリアはエレンの待つ部屋へと急いで向かうのであった。
エレンの部屋の前にロザリアがやってくると、中からエレンの声が漏れ聞こえていた。
「会いたくないわ。帰ってもらって下さい」
普段大きな声を出す事がないエレンの様子に、ノックをしないままロザリアは扉を開けて中に入る。
「いかがされましたか? エレン様」
「ロザリア。聞いてよ」
そう言うとロザリアに向かって一直線に駆け寄り、幼子のように胸に飛び込んだ。
エレンと話していた侍女も、ロザリアが現れたことに少し安堵した様子であった。エレンを抱きしめたままロザリアは目線を侍女に送る。すると察したように侍女は一礼をして部屋を出て行った。
「それでどうされたのですか? 大きな声を出されて」
我が子をあやすかのように艶のある髪を手ぐしで撫でながらロザリアは言う。
「……だってヘンリーが私に会いにきているの」
「……そうだったのですね」
ヘンリーという名前で、ロザリアはエレンの態度の理由を理解することができた。ヘンリーことヘンリー殿下、その名の通りアルセントの現国王の息子であり王位継承順位3位の王子様である。
現国王には息子が3人、娘が2人おり、ヘンリーは上から3番目。継承順位から想像できる通り上に2人の兄がおり、王位継承を狙った争いもないアルセントにおいて継承順位3位の王子など、次代の王になる可能性も低く、折を見てどこかの貴族の家に婿として嫁ぐことが半分約束されているような立場であった。
ヘンリーとエレンは歳こそ2つ違いだが、両家の関係も強くヘンリーが幼少期よりエレンに恋心を頂いたという事由もあり、ヘンリーの婿養子先としてロンガム家の名前が第1候補として上がっていた。そのことを知ってか知らずかヘンリー自身も、時間があればロンガム家の屋敷を訪れ、エレンに会いにきていたのだった。
「お会いになられてはいかがですか?」
期待していた答えと違ったのか、エレンは目を大きく見開いてロザリアの顔を見上げる。
ロザリアとしても仕える主人の気持ちを尊重した思いとは別に、ロンガム家に生まれたエレンの背負う宿命を考えての苦しい発言だった。
「……分かった」
少し考えたように間を置いた後、そう言ってエレンは納得したように頷く。
「会ってくる……その変わり嫌になったらすぐに戻ってくるから、その時はロザリアの淹れた美味しい紅茶が飲みたいな」
「かしこまりました」
返事をするロザリアにはエレンが無理して強がっている様子が痛いほどわかる。
それでも目の前の主人が御三家の令嬢として大人になろうとしている瞬間を傍で支えることができる幸せを、心を鬼にして噛みしめていた。
今、ロザリアにできることは戻ってきたエレンにとびきり美味しい紅茶を振る舞うことだけ。
コンコン
エレンの出て行った部屋にノックの音が響く。部屋の中にはロザリアの姿しかない。
「はい」
ロザリアの返事を待っていたように扉が開くと、そこに立っていたのはロンガム家当主専属の執事長セバスティンだった。




