第十章 岸壁の上の要塞(従者)
エレンの部屋がある別邸から、長く広い渡り廊下を進むとロンガム家当主の書斎や寝室のある本館が見えてくる。敷地面積の広大なロンガム家では当主の屋敷を中心に蜘蛛の巣状に廊下が伸び、廊下の先に各屋敷が立てられていた。
ロザリアは今、当主専属の執事長セバスティンの後ろをついて歩いている。セバスティンがロザリアを呼びに来た理由は、当主直々の呼び出しであった。エレン専属のメイドであるロザリアが別の本館に住む当主に会うことは珍しいことであり、呼び出しを受けること事態さらに珍しいことであった。ただ、それでもロザリアにとってなんとなく呼ばれた理由は分かっていた。単純に驚かされたのは呼び出しを受けたことが予想よりも早かったことにだ。
ロザリアは視線をセバスティンに向ける。目の前の背中は歩いているのに揺れが少ない。一流の執事になると些細な微動すらコントロールすることができるのであった。さすがはロンガム家の使用人を束ねている執事長である。ロンガム家には200人以上の使用人がいる。執事やメイド、侍女、コック、召使などだ。使用人の中にも序列はあり、当主専属の執事長であるセバスティンを頂点に、4人の専属、専属付、一般の使用人の順となっている。エレン専属のメイドであるロザリアは役職でいえば4人の専属に該当するが、専属の中にも細かな序列があり、当主専属、奥方専属、エレンの兄専属、エレン専属の順となっている。つまりロザリアは使用人内の序列でいえば第5位となる。御三家筆頭のロンガム家で200人以上いる使用人の中で5位というのはアルセント国内では好待遇であり、使用人でありながら並みの貴族よりも高い権力を持っていた。
渡り廊下を抜け、本館の中に二人は進んでいく。エレンの住む別館に比べ調度品や絨毯の色など、日ごろ来客を受ける頻度の高い本館だけあって高価な鎧や兜、剣など高貴な身分と権力を広く知らしめる意味も込められた並びとなっている。
本館の2階、入り口から一番奥にある重厚な両開きの扉の前でセバスティンは足を止める。
コンコン……コンコン
白い手袋を付けた手の甲で2度ノックをすると、中からの返事を待たずセバスティンは扉を開いて入っていく。
「失礼致します」
セバスティンに続いてロザリアも頭を下げたまま部屋の中に進む。
エレンの部屋と同等か少し広い書斎、中には分厚い本が収まった本棚や、ローブを纏った甲冑が威圧するようにロザリアを向かい入れる。
「お言いつけの通り、ロザリアを連れてまいりました」
「そうか、ごくろう」
ロザリアにとって、久々に聞く当主の肉声がセバスティンを挟んで聞こえてくる。
「それでは……私はこれで失礼致します」
そう言ってセバスティンが入って来た扉から出ていく。パタンという扉の閉まる微かに音が聞こえると、必然的に部屋の中にはロンガム家当主とロザリアの二人だけとなった。
「楽にして顔を上げてくれ。戻ってきたばかりだというのに呼び出して悪かったな。ロザリア」
「いえ、めっそうもございません。それでどういった御用でしょうか? ダーウェル様」
ロザリアが顔を上げると、書斎の椅子に座ったロンガム家当主ダーウェル・レム・ロンガムの姿があった。キリっとした目鼻立ち、40代とは思えない若々しさ、物腰柔らかな表情と声色、御三家の当主であることを無駄にひけらかさない様子に始めて会った人は間違いなく好印象を持つだろう。しかし、そう言ったプラスの様子があまりにも不自然で何故だかロザリアはこの当主が苦手であった。
「御用って訳ではない。父として、この度のハイダルシアへの旅行、愛娘であるエレンの様子がどうであったか専属のメイドであるお前に聞きたくてな」
「エレン様は景観の美しいハイダルシアに、心も体もリラックスされていたように思えます」
「そうか……それはよかった」
そう言ってダーウェルは安堵しように胸をなでおろす。その様子にもロザリアは少し違和感を覚えずにはいられなかった。ここまでなら娘の様子を聞きたい良父である。しかし本心は別にあるように感じていたのだった。
「お前が付いてくれているなら、どこに行ってもエレンは安心だ。ロザリアはいつもエレンを一番に考えてくれている」
「ありがとうございます。エレン様専属メイドとして当たり前のことをしているまでです」
「謙遜するな。言葉で言うほど簡単にできることではない……が、一番に思っているはずのお前にしては珍しい事があったようだな」
探るような物言いに変わった瞬間、ロザリアは心の奥で、世間話から話題が、呼び出した理由に変わったことを感じた。
「珍しい事……とは? 何でしょうか?」
「お前自身が気づいていないとは思えないが……なんでも、ある夜に妙な来客があったそうだな。エレンを一番に考えるお前にしては珍しく、来客の為に帯同していた薬師の中でも一番の腕を持つロージェをエレンの傍から離して、別の村に行かせたとか……覚えがあると思うが」
「その件につきまして……大変申し訳ありません。事後ではありましたがエレン様にも報告し了承を得ておりましたので、お忙しいダーウェル様のお耳に入れるまでもないかと軽視しておりました」
「謝る必要はないし、私は怒っているわけではない。エレンの体調や来客の状況、全てを加味した上でのお前の判断であろう。それを尊重し、私も好判断であったと思っている。ただ……」
そこまで言って一度ダーウェルは口の中の唾液を飲み込む。
「ただ、エレンを常に一番に考え己にも他者にも厳しいお前が、今回ばかり何故このような判断をしたのか……気まぐれとは思えず、少し興味があって聞いてみたいと思ったのだ。なぜなのか……とな?」
「……ダーウェル様、私はそこまで有能なメイドではありません。恥ずかしながら、ときには情に流されてしまうこともあります。今回の件も今考えてみれば専属メイドとして判断を見誤ったとしか言いようがありません。猛吹雪の中、我が身を顧みず、仲間の為に薬師に会いに来た二人の青年の心意気に、私は流されてしまったのです。ですので、なぜかと問われても……情に流されてしまったとしかお答えできません」
そう言い切ると、深くロザリアは頭を下げる。
「そうか……あい、分かった。呼び出してすまなかったな。下がってよい」
「承知致しました。失礼致します」
再び頭を下げると、ロザリアは扉を開きゆっくりと書斎を出て行った。
ロザリアが書斎を出て行ったことを確認するように、書斎の本棚と本棚の隙間、赤いカーテンに仕切られたスペースから青年が顔を出した。
「わざわざ僕をこんな部屋の隅に隠してまで聞かせたかった話が、この程度ですか」
青年は少し不満げに言うと、乱れた髪を手で整えながら窓際のソファーに腰を下ろす。
「そう言うな。お前も次期ロンガム家の当主として200人以上の使用人を束ねていかねばならない身だ。隠し事のある人間の表情や挙動を理解するいい機会と思ったからこそ、ロザリアとの話を聞かせたのだ」
「それは理解しています。しかし父上の心配しすぎではありませんか? ロザリアが嘘を言っているようには見えなかったですよ。僕には」
そう言って青年はお手上げといった様子で両手を顔の横に上げる。
「私も同じだ。嘘を言ってはいない、ただ何かを隠してはいる。さすがにあれも長年ロンガム家に仕えている由緒あるエスティル家出身のメイド、偽りの顔などいくらでも持っているようだ」
「はぁ隠し事ですか……でも実際、病人に会ったロージェはただの旅人だったと言っているではないですか。あれも隠し事の仲間ですか?」
「仲間とまでは言わん。だがロージェとて我が家に忠誠を尽くす者ではない。お前も幼少の頃から世話になっているだろうが、ただの客人でしかないことは忘れるな」
「それも分かっています……分かっていますが、父上は何を気にしてらっしゃるのです? 旅人が何者であれ、それは他国で起きたこと。僕には考えすぎにしか思えませんね」
そう言うと青年は乱暴に扉を開けて、書斎を出て行った。
「はぁ……あれも短慮な所が直ればよいが……それともあれの言う通り私が考えすぎなのか……」
ダーウェルは立ち上がり書斎の窓から外を覗く。
「杞憂であればよいが……どうも胸騒ぎがする」
窓から見える空は、ダーウェルの心の内を見透かすように、黒い雲が不気味に覆い隠そうとしていた。




