第八章 雪解けを待つだけ (幻想)
時折、入り口から流れ込んでくる風に揺れながら、目の前の炎は変わらず、淡々と燃え続ける。感覚のなくなっていた手先や足先の指に、暖かな血が流れ込んでいくのが分かった。洞窟の中心で燃え上がる炎は、洞窟内だけではなく、そこに逃げ込む人間の体も心も暖めてくれるのだろう。
「ふぅー。外はまだまだ止みそうにないな」
体中に纏わりついた雪を手で払い除けながら、ルインさんが洞窟に戻ってくる。口元を覆い隠していたマフラーとフードを外すと、寒さから頬はほんのりと赤みをおびていた。
「これを飲んで温まって下さい」
炎にかけていた古びたヤカンから、これまた古びたコップにお湯を注ぐと、ルインさんに手渡した。味気のないただのお湯だけど、何もないよりは幾分かマシである。
「ありがと」
受け取ったコップを口元に持っていくと、白い息で冷ましながらゆっくり口に含んでいく。コップから伝わる熱もきっと、冷え切った手を暖めてくれているのだろう。
隣町まで向かう中間地点の洞窟で、しばしの休憩をしている僕らは、旅人用に常備されている薪や水、ヤカンやコップなどを使わせてもらって暖をとっていた。ここにある物は、良く晴れた日に街の人たちが運び込んでいるようである。
「あと、どれくらいでしょうか?」
「うん? そうだな……」
お湯を飲み干したコップを置くと、ルインさんは肩掛けのリュックから丸めた包装紙を取り出す。街を出る前に貰った簡易的な地図である。
「どれどれ……うーん。この地図で見ると、今俺たちがいる洞窟はちょうどこの辺ってところだな。この雪の影響もあるけど……あと2時間くらい歩けば隣町に着けるはずだ」
「2時間ですか……」
エイダは大丈夫だろうか? 病状が悪化してなければいいけど……。
「心配か?」
顔に出ていたのだろうか、心の内を見透かしたようにルインさんは言う。
「はい。でも考えていたってしょうがないですよね。僕達は僕達にできることをするしかない。そうですよね?」
自分で自分を奮い立たせるよう、言い聞かせるように言う。
「その意気だな。よし、じゃあそろそろ行くか?」
「はい」
振り込む雪をバケツに集め、そのまま薪の上に落として炎を消すと、洞窟の中に暗闇が訪れる。洞窟の壁に手を添えながら慎重に歩いていき、降り続ける雪の待つ、外の世界に再び足を踏み入れた。
体中にぬくもりが残っている間に少しでも進んだ方が後の道が楽になる。有言実行とばかりにルインさんは少しだけ先程よりもペースを上げて進んでいく。気のせいか、足元のかんじきも、炎に暖められたおかげで調子がよさそうである。
風で揺れる木々の隙間を抜け、傾斜のキツイ坂道を上り、そして下る。分かっていたことだけど、みるみるうちに体に残っていた炎の暖かみは消えていき、迎えてくれるのは冷たい氷の世界。足や腕は簡単に棒のように冷たく固くなってしまう。それでも力を必死に込めて一歩一歩と前に向かっていくしかない。
無言のまま歩いていくと、次第に揺れる炎の眩い光が小さく見え始める。それは一つではなく、2つ3つと次第に増えていく。
「どうわら、やっと目的地にちゅいたようだな」
口元を隠したマフラー越しにルインさんは言う。口がかじかんで上手くしゃべれないのか、ところどころ聞き取りづらくはあったけど、なんとなく言いたいことは分かった。
小さな門を基点に円形にぐるっと壁が町を包み込む形で作られた観光の町「ベームコーデ」、町の中は壁のおかげで風は遮られ、雪が降り落ちてくるだけである。最初に目が行くのは、立ち並ぶ建物の入り口すべてに、炎の灯る灯篭が立ち並んでいることだろうか。一つだけでも幻想的な雰囲気を醸し出す灯篭が、無数に立ち並ぶ、この光景見たさに観光客が訪れるという理由もなんとなく分かる気がした。町の奥にはひと際大きな建物があった。町の顔のように堂々と鎮座し、その周りをこれまた無数の灯篭が取り囲んでいる。町のいたるところからは灯篭の光に映えるように、白い湯気が湧き上がってもいる。これがこの町を観光の町に変えた“温泉”の湯気であることは間違いないことだった。
「さすがは観光の街だな……吹雪の中を歩いてきた俺たちがアホらしくなる」
同じようなことを思っていただけに、ルインさんの言葉に僕は大いに頷く。
観光の町とはいえ、今は夜だ。さすがに外を出歩く人の姿はない。となると、適当な建物に入って、目的の人物の泊まる宿を探すしかない。
「とりあえず誰かに聞いてみますか?」
はやる気持ちが、僕の足を支配する。
「心配するな。慌てなくても検討はついてるから」
そっと触れるように優しく肩を掴まれる。気持ちを察してくれているかのように。
「居場所が分かるんですか?」
「王族にも連なる貴族だろ。間違いなく貴族の中の貴族。大金持ちに決まってるさ。そんな貴族様が一般人と同じ安宿に泊まるはずがないだろ。つまり……」
「つまり?」
「この町で一番高級な宿を探して、そこに行けば会えるってわけだ」
「なるほど……高級な宿って……もしかして」
「そう、きっとあれだろ」
ルインさんが指さす先、町に入った時から目立っていた。他の建物とは一線を画す規模と造り、積もる雪と闇夜を照らす灯篭の炎が上手く重なり合い、幻想的な雰囲気を醸し出している。宿としてだけではなく、建物そのものが観光の目玉として町を彩っているのだろう。誰が見ても、この町で一番の格式と伝統、高級感を感じずにはいらない。ルインさんが確信をもっているのも頷ける。
「行きましょう。ルインさん」
「あぁ」
目指す先が分かれば、後は動くだけ。僕らは名も知らぬアルセントの貴族に会いに、宿屋への道を急ぐのだった。




