第八章 雪解けを待つだけ (氷槍)
降り続く雪は、弱くなるどころか僕らをあざ笑うかのように強くなるばかりで、月の隠れた暗闇の中では時として、ただの凶器へと姿を変えるばかりであった。
「気をつけてくださいね」
宿屋の玄関前でマリアさんが心配そうに言う。被っている毛糸の帽子には、ものの数秒の間に雪が積もり始めていた。
「あぁ、寒いから。マリアも早く中に入れ」
何重にも着込んだ服に、フードを被り上から毛糸の帽子、手にはもちろん二重の手袋、口元までマフラーで隠したルインさんは気遣うように言う。同じように全身を完全防備で包んでいる僕ですら、立っているだけで寒さを感じてしまうのだ。見送りだけとはいえ、普通の恰好をしているマリアさんはきっと寒さを我慢しているに違いない。
「分りました。あ、そうだ。これを持って行って下さい」
部屋に戻ろうとしたマリアさんは、思い出したように胸元から一つのブローチを取り出す。それは綺麗な真紅のブローチだった。
「母から受け継いだブローチです。きっとお二人を守ってくれるはずです」
「そんな大切な物いいのか?」
「ええ、きっと何かのお役に立つと思います」
「……分かった。ありがと。預かるよ」
少し考えた後、マリアさんの手からブローチを受け取ると、そっと内ポケットの中に忍ばせた。
「じゃあ行ってくる」
「お気をつけて」
心配そうに見送るマリアさんを残して、僕とルインさんは人通りが全くない中心街を一歩ずつ慎重に歩いていく。補装された街中の道ですら、すでに雪が積もり滑って転んでしまう恐れもある。補装されていない外の道がどれだけ危なくなっているのか、想像もできなかった。でも、それでも僕らはエイダを救う為に、前に進むしかない。
しばらく進んでいく、雪ウサギ狩りの際に通っていた、南門によく似たレンガ造りの門が見えてくる。門の足元には小さなか灯りが灯っていて、詰め所に誰かが残っていることが分かった。
「キミ達が連絡のあった2人組かな?」
扉が開いたままになっている門を通り抜けようとした瞬間、詰め所の窓が開き、赤黒く焼けた肌をした中年の男性が顔を出す。頭皮に残るアッシュグレイの髪は少し薄くなっていた。
「連絡?」
口元を隠していたマフラーを少しだけ下にずらして僕は聞き返した。
「そうさ。こんな雪の酷い夜に、隣町まで歩いていく無謀な二人組が門を通るから、助けてやってくれって、人づてにドクターのばあさんから言われてさ」
ドクターのばあさんという言葉に、宿屋に残ったままエイダを見てくれている先生の顔が浮かぶ。先生なりに心配してくれていたのだ。
「旅人のあんたらが雪の中でどうなろうが、しったこっちゃないが。あの人には息子が世話になったからな。しょうがない特別にこれを貸してやろう」
そう言って詰所の窓から放り投げてきたのは、縄で編みこまれた円状の物体だった。円形に編み込まれた部分の上に足を載せるようになっているところを見ると、どうやら足に付けて使う道具だということだけは分かったけど……隣で同じような顔をしているルインさんも初めてみる道具のようだ。
「これは?」
「“かんじき”といってな、この地域に昔から伝わる靴みたいなものさ。夏から秋にかけて取れる特別な草を乾燥させて編んであるのさ。だから雪に強い。これを今履いてる靴の外に巻き付けるように履いてごらん。少し動きにくいけど、雪に足を取られなくなる」
言われた通り足を載せ、しっかりと縄で結びつける。付けてみると見た目以上に軽く、足首まで雪の中に沈んでいたのが嘘のように、雪の上を歩きやすくなった。
「雪の上を歩くことは、思った以上に体力をつかうものさ。真夜中の雪の中で動けなくなるのが一番怖い。この雪の中で立ち往生しても、助けは来ないと思ったほうがいい。せいぜい気を付けて行くことだな」
捨て台詞のように言うと、詰め所のおじさんはドンっと音を立てながら窓を閉めるのであった。優しいのか……優しくないのか……分からないおじさんである。でも、貸してもらった“かんじき”は十分役にたちそうだ。
マフラーで再び口元を隠すと、外を指さすルインさんに続いて、門の下を潜り抜けていく。
街の外は予想以上に風が強く、雪と一緒に容赦なく僕とルインさんの体に吹き抜けていく。
目を開けているのも辛い程、冷たく槍のように襲い掛かる雪の結晶、前を歩くルインさんはきっと、僕よりも厳しい強風と雪を耐えてくれているのだろう。言葉を発することができなくても、背中から優しさと暖かさが伝わってくるようだった。
2時間程、林の中を歩いていくと、突然ルインさんが立ち止まる。顔を上げて先を見ると、雪に半分以上埋もれた小さな木の杭があることに気づく。杭は一定間隔で、雪の中から頭だけを突き出している。立ち止まっていたルインさんは一つ目の杭に被さった雪をゆっくり払い除けていく。すると杭には赤く塗られた線が彫り込まれていた。
どうやらこれが、街で教えてもらっていた目印で間違いないようだ。
隣町までの中間地点には休憩できるように、自然にできた洞窟を活かした休憩所があるとのことだった。その目印が赤い線の掘られた杭であり、その杭から洞窟までを結ぶように、同じ杭が道に打ち込まれているのであった。
つまり杭に沿って歩いていけば、休憩所まで行けるようになっている。
僕としてはもちろん、エイダの為にも早く隣町まで行きたい気持ちが強いけど……体温の奪われた体を少しでも回復させるため、進むべき道から逸れ、目印である杭に沿って歩を進めていくことにした。




