第八章 雪解けを待つだけ (悪化)
「少し雪が強くなってきたな。今日は早めに帰るか?」
慣れたように矢をホルダーに戻しながら、ルインさんは言う。
この日も変わらず、僕とルインさんはせっせと雪ウサギを狩りに森へとやってきていた。
「そうですね。戻りましょう」
ルインさんの言う通り、空を覆う雲はいつもより薄黒く厚みをましていて、振り落ちる雪も綿雪から粉雪へと変わり始めていた。
実はルインさんの提案にすんなり従ったのは、雪が強くなったからだけではないのだ。その理由は僕の持つ網の中に入った1羽の雪ウサギ。狩りをするようになってから、初めて僕が捕まえることができた雪ウサギである。1羽も捕まえられていなければ、無理をしてでも残ろうと思ったかもしれないけど、1羽捕まえた後なので、堂々と帰ることができるのだ。ちなみに横を歩くルインさんの持つ網には、10羽の雪ウサギが窮屈そうに詰め込まれていた。うん、見なかったことにしよう。自分は自分、ルインさんはルインさんである。
「うん? どうしたリオン」
「いえ、なんでもありません」
いつものように街に戻り、解体所で雪ウサギを買い取ってもらうと、僕らは宿へ戻ることに。先程よりも雪はさらに強くなっている。
服に着いた雪を払い落として玄関を抜け、2階の部屋に向かっていると、慌てた様子のマリアさんが駆け寄ってくる。冷静なマリアさんにしては珍しい光景である。
「どうしたんだ? 慌てて?」
「す、すいません。はぁはぁ、実は……エイダさんの容体が」
息を整えながらマリアさんは言う。
「エイダがどうしたんですか?」
「とにかく部屋の中に」
促されるままエイダの待つ部屋の中に入ると、ベッドの上で眠るエイダの姿と白衣を着た白髪の老婆の姿があった。この老婆はエイダが倒れた初日からお世話になっている、街のお医者さんである。
「連れも戻ってきたようじゃな」
振り向いた白髪の老婆は、掛けている古い眼鏡を外して言う。外された眼鏡は首から下げられた紐に結ばれて、胸の前でぶら下がっていた。
「先生、エイダの容態は?」
僕の問いに、一度目を閉じて伏せた後「うーん。残念じゃがあまりよくはないの」と言った。
「今は熱を抑える薬で眠ってはおるが……それも一時的な誤魔化しにしかならん」
「治らない病ってことですか?」
「違う違う、そういうわけではないんじゃ……が」
目の前の先生は、なんとも歯切れが悪い物言いだった。
「先生、はっきり言ってくれよ。どうすればエイダは治るんだ?」
しびれを切らしたようにルインさんは言う。
「薬がないのじゃ。この街には……」
「ないって、こんなに大きな街にですか?」
雪深い土地とはいえ、ハイダルシアの中でも首都に次ぐ2番目の規模を誇る街である。
「街の大きさではなく病の問題なんじゃ。元々、この街のような寒い地方では珍しい病でのぅ。たまに現れる旅人が、よその街や国から持ってくることが多いのじゃ。それでも何十年に一人おったかおらんか。それであまり薬も置いとらんのじゃ」
申し訳なさそうに先生は言うが、ないものはしょうがない。この街にないのなら、ありそうなのはもっと大きな街ということになる。となると……。
「じゃあハイダルシアまで取りに行けばいいんだろ?」
同じことを考えていたのか、ルインさんが口を開く。
「確かに首都なら薬は置いてあるはずじゃ。だが……」
「だが?」
「この雪でまともに馬車は走れんじゃろう、きっと」
あざ笑うかのように、窓の外では一段と雪が強く降り落ちている様子が見て取れた。
「歩いたとして、ハイダルシアまで最短でも5日以上はかかる。帰ってくるとなると往復で倍の10日以上。それまで病状が悪化しなければよいが……次に悪化した時、また同じ熱止めの薬が効くかどうか……分からんのじゃ」
「そんな……」
目の前で静かに眠るエイダを助けるすべがないなんて……。
「そういえば……いや、無理なことじゃ」
ふいに考え込んでいて先生は思い出したように途中まで言いかけてやめる。
「何か手があるんですか?」
「確か隣町に今、アルセントの貴族一行が観光に来ているとか……貴族一行なら間違いなく、お付きの薬師がいるはずじゃ。その薬師なら旅人がかかる病の薬を持っていてもおかしくはない。隣町なら半日程で歩いて行ける距離じゃしな。じゃが、アルセントの貴族が他国で、それも旅人の為に薬を分けてくれるかのぉ……」
「それでも、もし貰えるなら……ねぇルインさん」
ルインさんは考えるように顎に手を当てたまま重たく言葉を発する。。
「その貴族って? 誰だ?」
「名前までは……じゃが、かなり身分が高く、王族に連なる一族だとか……」
「王族に連なる貴族……か。確かにそれは難しそうだな」
納得するように、言葉を噛みしめながらルインさんは言う。
「そんな……諦めるんですかルインさん」
「バカ、諦めるなんていってないだろ」
「え?」
「難しいとは思うけど、エイダを助けるためには、貴族から薬を分けてもらうしかないだろ?」
「お前たち、隣町に行くのかい?」
「もちろん」
こうして雪の降る中、エイダを救う薬を求めて、貴族の待つ隣町に向かうこととなった。




