第七章 権力の在り方 (代償)
…………………………とある港町……………………………………
アルセント国の海沿いにある小さな港町、そこに今、1台の馬車が到着する。4人の聖騎士を護衛につけ、馬車から巨体を揺らして降りてくるルイス・デ・フスカ卿の姿があった。昨日降った雨でぬかるんだ地面は、巨体の重みに比例して大きく深い足跡を残していく。足跡は宿屋の前で消え、扉の先の受付には、泥の付いた靴で、歩いた汚れが残っていた。
「な、なぜ僕がこんな町に来なければならないんだ……こんな時に」
ミッサーレ(枢機卿の晩餐)が滞りなく終わってから数日後、フスカ卿の元に、No,1 シャルル・ド・ナーヴェル卿からの封書が届いていた。中には一枚の指示書だけ、近くアルセント国の海沿いの小さな町に、教会新設の要望が出ている為、直接現地に赴き、情勢や風土、住民や土地を見分してほしいとの内容だった。枢機卿自体が直接、教会新設の為の現地視察に赴くことは基本的には少ないが、ナーヴェル卿からの指示であれば拒否権など初めからあるわけもなく、渋々フスカ卿は港町を訪れていた。
「宿だってこんな狭くて……ベッドも小さいじゃないか」
普通サイズの部屋もベッドも、フスカ卿の巨体からすれば子供サイズと変わらなかった。
「それに……ナーヴェル卿様から、ぼ、僕に直接封書が届くなんて、まさか……“影”が戻らなくなったことと何か関係があるのか」
サンデロイツ卿から叱咤を受けた後、フスカ卿は慌てて自らの影の中でも、精鋭を総動員して灯り師について探索させていた……が、ある日を境にどの影とも音信不通となっていた。元々、裏で生きる影に連絡が取れないということ、すなわち死だ。そんなタイミングでの現地視察に、フスカ卿は嫌な胸騒ぎがしてしょうがなかった。
コンコン。扉がノックされた音に、フスカ卿はビクッと驚かされる。
「だ、だれだ?」
「お湯を持ってきました」
小さな宿屋では、寝る前に体を拭くためのお湯を、部屋まで運んでくれるのが常となっている。
「は、入れ」
キィーっと歪んだ木の擦れる音を立てながら、ドアが開く。ゆっくりと部屋に入って来た人物は、お湯を持ってきた宿屋夫人ではなかった。黒いローブに黒いフード、顔にはピエロの仮面を被ったその姿は、枢機卿であればピンとくるものである。
「“影”……か? 誰の……せ、聖騎士は、ど、どうした?」
廊下には護衛の聖騎士が4人、侵入者を遮るように陣取っていた。
「聖騎士なら4人ともお休みのようです、永遠に」
永遠という言葉が、フスカ卿の頭の中に最悪の光景を想像させる。
「お、お前は誰だ……ぼ、ぼくが枢機卿と知っているのか」
「もちろんです。No,7 ルイス・デ・フスカ卿様」
ピエロの仮面を被った人物は、ゆっくり確実に、にじり寄っていく。
「や、やめろ。ぼ、僕の後ろにはサ、サンデロイツ卿だってついているんだぞ」
ベッドの上、壁沿いまで後ずさるフスカ卿を追いかけるように、仮面の人物はゆっくりと歩み寄る。その手にはいつの間にか、刃渡り10㎝以上のナイフが握られていた。
「なぁ……やめ、やめて下さい」
フスカ卿のすがるような言葉を最後に、再びキィーっと歪んだ木の擦れる音を立てながら、ドアは閉じていった。
残された部屋の中には、ベッドの上でうつ伏せに倒れ込むフスカ卿の姿があった。真白だったベッドのシーツは真赤に染まり、赤い血が床に、ポツポツと水滴のようにゆっくり落ちていた。
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『枢機卿 ルイス・デ・フスカ卿が死す』
各国の新聞では一面で取り上げられ、枢機卿の死は瞬く間に、世間を震撼させた。平和を願う教会の枢機卿が死んだ、それも殺されて……。平和とは正反対の現実に、あるものは泣き、あるものはそれでも祈っていたそうだ。
私がこのニュースを知ったのは、アセピレート大寺院の自室で、溜まっていた最後の書類に目を通していた時だった。
「大変です。セシル様」
普段冷静なヨハンにしては珍しく、ノックなく部屋に現れる。
「そんなに慌ててどうした?」
「一大事です。こちらをご覧下さい」
ヨハンが広げた今日付けの新聞の見出しには『枢機卿 ルイス・デ・フスカ卿が死す』と大きく書かれていた。その下にはご丁寧に、死亡した時の詳細まで記されている。
「フスカ卿が……」
あまり好きなタイプではなかったが、同じ枢機卿が殺された。考えないわけがない。ザワザワと心が揺れる。枢機卿の死が、大きな事件の前触れの予兆ではないかと、私には妙な胸騒ぎがしていた。




