第七章 権力の在り方 (血脈)
広大な敷地面積の上に建造されている、アセピレート大寺院内には4つの庭がある。そのうち3つにおいては、誰でも自由に行き来ができるようになっていた。ただ1つ、枢機卿の自室が並ぶ、奥の間に隣接した中庭のみ、枢機卿とその補佐官のみが、使用することを認められていた。
自室の窓から中庭を見下ろすと、綺麗に手入れされた木々や芝に、太陽の光は燦燦と照りつけ、暖かく気持ちのよさそうな天気だった。籠ってばかりの仕事に嫌気もさし、気分転換に中庭を散歩することにした。補佐官であるヨハンを残し部屋を出る、赤い絨毯が敷き詰められた階段を降りて、中庭に足を踏み入れた。一歩一歩進むごとに、自然のクッションである芝に靴は吸い込まれる。優しい感触は、時に重力から解放させてくれるような感覚でもあった。
少し歩いていると、大きな広葉樹の木の下に、2つの人影を見つけた。芝の上に白いシートをひいて横になるアドルフ・マクベス殿と、じっと本に目を落とすマリー・ルク・セブルス卿の姿だった。遠くから見ていると仲の良い姉弟のようにも思えた。
「こんにちは。セブルス卿」
本から顔を上げると、セブルス卿はニコッとほほ笑んだ。
「マクベス殿はお休みですか?」
「ええ、ここは気持ちがいいから。誰でも横になれば、眠くなってしまうわ」
そう言って慣れたように髪を耳にかける。その仕草は、絵の中の登場人物のように様になっていた。
「そうですね。横に座ってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
シートの上に腰掛けると、心地よい風が頬を撫でるように吹き抜ける。広葉樹の葉も嬉しそうに靡いていた。
「気持ちがいいですね」
「でしょ。でも勿体ないわ」
「勿体ないとは?」
「こんなに気持ちのいい場所なのに、使えるのは枢機卿である私達くらい。みんなもっと自由にのんびりすればいいのに」
「皆さん、お忙しいようですから」
「ふふ、枢機卿の中でのんびりとしているのは、私とアドルフくらいかしら」
「あ、いえ、これは失礼しました。決してそう意味では……」
私としたことが、木々の隙間から注ぐ太陽の光にそそのかされて、迂闊な事を言ってしまった。
「いいのよ。嫌味じゃないわ、本当のことだから……カッセル卿は古本屋、ドゥーブル卿は教師、アルセントで働いているエスター卿、それにサンデロイツ卿も、ミッサーレ(枢機卿の晩餐)が終わってすぐに元の場所に戻っていく、ここに残っている枢機卿も5人だけ。でも、ナーヴェル卿様は、ここには自室がないでしょ?」
先日お伺いしたが、お一人だけ他の枢機卿の自室とは離れた場所にあった。
「今いるのは実質4人の枢機卿だけなの。グランヴィッツ卿もすぐに出ていくのでしょ?」
「……はい」
アセピレート大寺院には、長くても1週間程度の滞在予定だった。
「フスカ卿に、庭を楽しむような気持は期待できそうにないし。やっぱりのんびり日向ぼっこしているのは私とアドルフくらいね」
確かに、お世辞にもスマートな体型とはいえないフスカ卿ならば、庭の植物を愛でるよりも、食べることにしか興味がないであろう。
「ふぁーあ」
腕を思い切り伸ばして、マクベス殿は起き上がる。少しだけ後ろ髪が寝ぐせでハネていた。
「うん? おや、グランヴィッツ卿もいたの?」
「はい。お休み中でしたので、無理に起しませんでした」
「別にいいよ。それで二人は何の話をしてたの?」
興味津々といった様子で、マクベス殿は尋ねる。その様子は無邪気な子供のようだった。
「忙しさで、誰も庭に来ないという話を」
「ふーん、みんな真面目だよね。僕なんかほとんど寝てるか、食べてるか……どっちかかな。別に枢機卿の席に興味ないし」
「マクベス殿、あまり滅多な事は言われない方が……」
どこで誰の影が見張っているかも分からない場所で、迂闊な発言は命取りである。
「大丈夫。だって僕は所詮お飾りの枢機卿だよ。教会は始祖であるエビナス・マクベスの血縁者が、枢機卿にいるという事実が大切なだけ。別に僕じゃなくても、血が繋がっていれば誰でもいいのさ」
無邪気な仕草や言葉の奥に、なんとなく深い闇をかかえているようにも感じた。誰にも理解できない、マクベスの名を継ぐが故の闇だ。
「あ、でも枢機卿の待遇には感謝してるよ。何にもしなくても3食しっかり食べられるし、いいベッドで眠ることもできる。それにマリーともこうして日向ぼっこできるからね」
「ふふ、うれしいわ」
二人だけの幸せな空間が出来上がっているようで、お邪魔虫は早く退散したほうがよさそうだ。
「それでは私はこれで、ゆっくりできたので仕事に戻ります」
シートを押さえながら立ち上がる。
「真面目だね。グランヴィッツ卿は」
「それだけが取り柄ですから」
「よし。真面目に働くグランヴィッツ卿に一つ、教えてあげるよ」
そう言うマクベス殿は、早く言いたそうにウズウズしている。
「何でしょう?」
「グランヴィッツ卿が調べようとしていることは、カッセル卿の古本屋に行けば、きっと分かるよ。あの店、外も中も汚いけど、国宝級の掘り出し物が眠っているから」
「……」
「……」
沈黙の間には、風でめくれる本の擦れる音だけがした。
忘れていてはいけない。のんびりと隙を見せているようで、目の前にいる二人は間違いなく枢機卿ということを。
「……ありがとうございます。では失礼」
手を振る二人に会釈すると、そのまま中庭を後にするのだった。




