第七章 権力の在り方 (頂点)
アセピレート大寺院内にある各枢機卿の自室、10人の枢機卿がいる中で、自室として用意されている部屋は9つだけ。No,1シャルル・ド・ナーヴェル卿様だけは、権威も発言力も別格であれば、1人だけ専用の自室が別のフロアに用意されているのであった。
深緑の映える中庭を抜け、先の見えない長い廊下を歩き続けると、まるで離宮のように隔離された建物が見えてくる。建物すべてがナーヴェル卿様の自室となっている。
重厚な扉の前に立つと、見計らったように開かれる。出迎えてくれたのは初老の男性補佐官、促されるまま建物の中に足を踏み入れると、男女数十名の補佐官が廊下に一列に並んでいる。その光景は圧巻であった。
「グランヴィッツ卿様、本日はどのような御用ですか?」
最初に出迎えてくれた補佐官が、一歩前に出て尋ねてくる。
「ナーヴェル卿様にお会いしたい」
「お約束は?」
「約束はしておりません」
突然の来訪であるため、門前払いを受ける可能性も十分ある。それが例え同じ枢機卿であったとしてもだ。
「原則、お約束がない方をお通しするわけにはいかないのですが……おっと、失礼」
別の補佐官がやってくると、私の前にいる初老の補佐官に何やら耳打ちをする。
「どうやらお会いになるそうですので、こちらへ」
誘導されるまま、補佐官の後を付いて階段を上る。入り口からここまでの広さだけでも、他の枢機卿の自室と同じくらいか、それ以上だろう。階段を上りきると薄暗い廊下へとつながっていく。窓のない廊下は、日中であることを忘れさせてしまう。
「ここから先はお一人でお願い致します」
お辞儀をし、補佐官は来た道を戻っていく。安全な建物の中にいるのに、一人にされると、見知らぬ洞窟に取り残されてしまったかのような、虚無感が襲い掛かってくる。それはきっと部屋の奥から感じる物が原因なのだろう。
立ち止まっていても意味がない。なんの為にここに来たのか分からなくなる。壁に掛かった燭台の炎の揺らぎを頼りに、廊下を突き当りまで行くと、模様の入った扉が待ち構えていた。薄暗い中、近づいてみるとその模様には見覚えがあった。ハイダルシアの遺跡で見た、模様である。なぜここにこの模様が……灯り師に縁が深い模様が枢機卿の自室の扉に描かれているのか……さらなる謎の答えはこの扉にあるのだろう。恐る恐る、扉をノックしてみる。返事はない。元より返事が返ってくるとも思ってはいない。扉に手を掛けると、力を込めて開く、目的の人物は窓の傍で外を眺めていた。
「グランヴィッツ卿か?」
外を見つめたまま、こちらを振り返らずにナーヴェル卿様は言う。
「はい。突然の訪問となり申し訳ありません」
ゆっくり後ろ手で扉を閉めると、一歩前に進む。
「かまわん。それで要件とは?」
「……ミッサーレでもお話させて頂きました」
「灯り師のことかの?」
待っていたとばかりにこちらの意図を呼んで、先に口に出す。私としては気を遣う必要もなくなったわけでもあるだろう。
「灯り師について、何故私が誰にも探らせず、直轄案件にしているのか知りたいのだな?」
「お聞かせいただけますか」
ナーヴェル卿様はおもむろに壁際の本棚に向かうと、赤い表紙の一冊の本を抜き取る。
「これはもちろん知っているだろう」
そう言って手渡されたのは『四大国暦戦録』と書かれた本。知っている所か、この大陸で知らない人がいないと言われる程の代物である。かつて四大国が争った大戦の歴史をまとめた物で、教会にとってはエビナス・マクベスの功績も記された重要な資料でもある。
「この本の中にはこう書かれている。『終わりの見えぬ戦いに誰もが憔悴しきる中、一筋の光が差し込んだ、一人の老人の声に導かれるように各国は休戦の旗を上げたのだ。後に『エビナスの軌跡』と言われるこの事柄』と、だが誰も不思議に思わなかったのか? 一人の老人であるエビナス・マクベスが、どうして泥沼の争いになっていた大戦を治めることができたのか? 残念ながらこの本の中に詳細は記されていない」
「その話と灯り師にどんな繋がりがあるのです?」
記憶に間違いがなければ、『四大国暦戦録』に灯り師という記述は出てこない。
「一つだけ教えられることは、エビナス・マクベスは灯り師の力の恩恵によって『エビナスの軌跡』と呼ばれる程になったということ。この事実は教会の根底にも関わること、だからこそ私は灯り師に関する全てのことを直轄案件として、誰にも触れさせていない。もちろん枢機卿であろうと……。これで話は以上だ。下がってくれ」
「ですが、まだ……この部屋の扉に描かれた模様や……」
「私は下がれと言ったのだ。No,10 セシル・フォン・グランヴィッツ卿」
「……分かりました」
これ以上ここにいても成果は期待できない。後ろ髪を引かれる思いを押し殺して、素直に部屋を後にするしかなかった。
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グランヴィッツ卿が部屋を出ていくと、遅れて音を立てて扉が閉まる。
ナーヴェル卿は再び窓から外を眺めた。
「……エリザ」
「お呼びでしょうか?」
一息つく間もなく、隅の暗がりから姿を現す。全身黒のローブとフードで身を包んだ姿は見間違うことなく枢機卿の“影”だった。顔を隠す仮面はいつものピエロではなく、白い狐面である。
「貴様にしては珍しいことをしたな」
「申し訳ありません」
ハイダルシアで、不用意にグランヴィッツ卿と関りをもったことだとういうことは、みなまで言わずとも、共に分かっていた。
「……情か? それともエイダか?」
「……」
何を言っても言い訳になると考えているのか、エリザは黙ったままでいる。
「まぁ良い、どちらにせよ確認は必要になる。私への忠誠心をもう一度信じさせてはくれないか?」
「……もちろんです。いかようにもご命令下さい」
一歩前に進むと、片膝を床に付けて膝まづく。
「では、秘密を嗅ぎまわる鼠を駆除してくれ」
「それは……」
「もちろん……卿だ。手段は問わない」
エリザにしか聞こえない声で、ナーヴェル卿が名を告げると、一瞬、動揺した様子を見せた後、すぐさま視界から姿を消していた。
「興味心からの軽率な行動は、藪をつついて蛇を出す」
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