マルタンへの道程4 イルマ峠城塞との別れ
王家からの北西軍への援軍であるムラジュ兵団と王都貴族家軍は、九月二十七日にバセナス街道をイルマ峠からスマヤッコ盆地を通り西にむかって港湾都市ムリリトに至り船で王都に帰還するためにイルマ峠城塞を出立した。
この前日に祐司とパーヴォットはイルマ峠城塞前の草原で行われたバーリフェルト男爵家の軍勢による送別会のような野外宴会に招かれた。
本当はイルマ峠城塞の食堂を借りて行いたかったのだが、食堂は王妃を出せる四大公爵家の面々が同様な宴会をすることになっていたので遠慮したのである。
祐司とパーヴォットにとっては今度こそマメダ・レスティノとの別れになる。
しんみりとむしろ別れを楽しもうと思って宴会に参加した祐司だったが、バーリフェルト男爵家隊の長であるバーリフェルト男爵の叔父トジャザ・フクセチエの子、すなわち従兄弟にあたるマヌイ・チェスラドは祐司を傍らに呼び寄せると種々の質問を投げかけてきた。
ちなみにマヌイ・チェスラドの兄は一度パーヴォットの見合い相手として候補になっていた男性である。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 王都の陽光7 パーヴォットの見合い話 上 参照)
マヌイ・チェスラドの矢継ぎ早の質問は祐司が王都を旅立つ前にバーリフェルト男爵家に呼ばれて、バーリフェルト男爵妃サンドリネルやまだ結婚式前の次女サネルマから嵐のような質問を浴びせられたことを思い出させるものだった。
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 春の女神セルピナ24 屋敷払い 参照)
無論祐司には知らされていないが、マヌイ・チェスラドは解囲軍としてイルマ峠に到着してすぐに祐司とパーヴォットがイルマ峠城塞にいる可能性が高いことを知った。
これは通過してきたイァルマノルデの街で祐司とパーヴォットが宿泊したことを聞き及んでいたのと、祐司とパーヴォットがイルマ峠城塞に入る前日に宿泊したケヤルドン村で祐司とパーヴォットがイルマ峠に向かった時間を聞いており、ほぼモンデラーネ公軍の襲撃と同時刻にイルマ峠に到達したはずだと確信していたからだ。
(第十五章 北西軍の蹉跌と僥倖 上 薄暮回廊10 厳戒の自治都市イァルマノルデ 参照)
(第十五章 北西軍の蹉跌と僥倖 上 北西軍の蹉跌2 山村の夏至祭 祐司とパーヴォットの覚悟 参照)
マヌイ・チェスラドが祐司とパーヴォットがイルマ峠城塞にいることを間違いなく知ったのは祐司が作らせた気球が届けた通信文による。
(第十六章 北西軍の蹉跌と僥倖 下 イルマ峠の紅アザミ3 熱気球 下 参照)
ただその前にマヌイ・チェスラドは王都のバーリフェルト男爵家に祐司とパーヴォットがイルマ峠城塞にいる確率が相当高い旨を手紙で知らせていた。
すると祐司と出会ったのなら以下のことを不審に思われないように聞き出せという、バーリフェルト男爵家の跡継ぎで従姉妹でもあるブアッバ・エレ・ネルグレットからの署名が入った返事が到着した。
バーリフェルト男爵の著名ではないのが不思議と言えば不思議だったが、マヌイ・チェスラドは指示通りに手紙に書かれていた内容を祐司に聞いた。
それは祐司が王都を旅立つ前にサンドリネル達が聞いたはいいがさらに疑義が生じたことに対する質問だった。
その質問とは物資は分子から成り立ちその根源は原子という根源の元素と祐司が説明したがその原子の性質を変えて違う物質に出来るかといういう現代の錬金術のような質問から、司法において裁判官、監察官、弁護人を独立させた場合にそれぞれの人員をどう得ていけばいいのかという司法制度上の問題、はては小麦粉を練って紐状にして食材となすときは発酵させる必要があるのかというものまであった。
流石に祐司もバーリフェルト男爵家の面々が祐司からさらに知識を搾り取ろうとしていることに気がついて「質問は書面にしてください。マルタンに到着しましたらバーリフェルト男爵家へわたしが答えられる範囲で手紙に書き綴って送ります」と言ってマヌイ・チェスラドの質問攻めから逃れた。
ただこの後はマヌイ・チェスラドに遠慮して祐司に話しかけていなかったバーリフェルト男爵家の郷士家臣や兵士が祐司のイルマ峠城塞における武勇伝を聞きたがった。
そして彼等は”カナビ風のマリッサ”、ブルニンダ士爵、”弓手のダッサレー”という当代の名の知られた剣の使い手を三人倒した祐司を褒めそやした。
祐司はパーヴォットにだけ聞こえるように「真の倒すべき強敵はまだだ」と呟いた。パーヴォットも小さな声で前を向いたまま「父の仇バルタサルですね」と答えた。
(第二章 北クルト 冷雨に降られる旅路 霧雨の特許都市ヘルトナ16 狂戦士 参照)
(第十一章 冬神スカジナの黄昏 西風至りて南風が吹く11 懐かしき人々の便り 一 参照)
真夜中近くまで続いた戦勝と王都への帰還を祝う宴会は酒を飲み尽くしたことで終了した。
最後に今度の戦役で命を失ったバーリフェルト男爵家隊の兵士を弔う祈りの言葉が一同で捧げられた。
バーリフェルト男爵家隊五十人のうち死亡したのは一名で、左腕に矢傷を受けただけだったがそこから細菌が侵入したのか敗血症を起こしたのだ。
宴会が始まる前ならまだしも相当な割合で千鳥足どころか左右から支えてもらわなければ立っていることさえ困難な者がいる宴会の終わる時に弔いをするとは現代日本人である祐司には奇異な感じがしたが、リファニアでは宴会には死んだ兵士も参加しているとされる。
そして死んだ者が自分達と別れて黄泉の国へ行くことを送るために宴会の最後に祈りの言葉を唱えるのが慣行だった。
また祈りが終わってからもしんみりした感じで送るのではなく、一同は剣を引き抜いて右手で頭上高くに掲げて「ヴァーーー」と雄叫びを上げた。
一同が見上げる夜空は真に暗く淡い光の冬の銀河が東の見え出していた。祐司は酒を飲んでいるのでそうでもなかったがパーヴォットは防寒着代わりに雨具を着込んでいた。
気温からすれば十一月初旬頃の太平洋岸にあるそこそこの標高がある高原で野外パーティーをしてるようなものである。
翌日はイルマ峠城塞からムラジュ兵団、トンバルデン男爵について北西軍を率いるベルンハルド将軍の元に行く以外のムラデムリの残余、王都貴族家軍の順でイルマ峠城塞を出立した。
出立の時間が遅いのは解囲軍の補給デポ地になっていたイルマ峠から一番近いケヤルドン村の野営地が目的地だったからだ。
ケヤルドン村は祐司とパーヴォットがイルマ峠城塞に逃げ込む前の日に宿泊した山村であるが、ケヤルドン村には解囲軍目当てに従軍酒保商人や娘子軍が集まってちょっとした街のようになっているということだった。
モンデラーネ公軍別働隊はイルマ峠城塞周辺の森林で定量の半分以下の食糧で耐えていたのに、解囲軍の兵士は交代でケヤルドン村まで行って兵食以外の飯と酒にありつくとともに性欲処理をしてくることが許可されていたという。
「マメダ・レスティノ様、いよいよお別れです。どうかルシェニアさんと幸せに暮らしてください」
祐司は隊列が動くのを待っている王都貴族家軍の隊列の中にいるマメダ・レスティノを見つけると走り寄って言った。
「約束します。子供が生まれたら知らせます。何処へ手紙を送ればいいですか」
マメダ・レスティノが祐司が声を掛ける前に言った。
「マルタンのマルヌ神殿の社務所に送って下さい。来年の春分あたりまではマルタンで過ごす予定です」
「アッカナンにも手紙を書くようにいいます。アッカナンは祐筆のくせに自分の手紙は滅多に書かない男ですがわたしがしつこく催促します」
祐司が答えるとマメダ・レスティノはアッカナンのことを引き合いに出してきた。
実は祐司がバーリフェルト男爵家と縁が出来るまではバーリフェルト男爵の祐筆であるアッカナンと、外回りの仕事が多い府内警備隊の基幹隊員であるマメダ・レスティノは互いにお顔を知っているという程度の仲だった。
それがほぼ同年配ということもあり、祐司を仲立ちとして交友関係が深まっていた。また二人とも妻は公認娼家である”花ウサギ亭”で働いていた娼婦である。
それぞれの妻であるカロシュネリとルシェニアは美人なことはもちろん郷士階級の出身で中世世界の女性としてはレベルの高い教養を持ち家事全般もこなす気立ての良い女性である。
それでもそれぞれの両親を説得するのにはかなり苦労しておりその分戦友という気持ちが生じたようだった。
ただ身分的にはマメダ・レスティノの方がやや上位であるが、アッカナンは祐筆という当主の間近で仕える身であるので互いに好敵手としても意識しているようだった。
「マメダ・レスティノ様、お命があってよう御座いました。二度も危ない目に遭いました。もうそれで十分バーリフェルト男爵家に仕えたことになります。これからは御自重してください」
パーヴォットはそういうと感極まったような顔つきになり、突然マメダ・レスティノに抱きついた。
「マメダ・レスティノ様どうぞご無事で王都にお帰り下さい。合戦が終わったからと油断をしてはいけません」
パーヴォットは半分涙声で言った。
マメダ・レスティノは祐司をバツが悪そうな顔をして見ると、「さあ、人が見たらおかしく思います」と言ってパーヴォットを肩を持って自分から彼女を引き離した。
その時にバーリフェルト男爵家隊が行軍のために動き出した。
バーリフェルト男爵家隊の者達は祐司とパーヴォットの前を通り過ぎる時に「お元気で」「一願成就願っています」というような声をそれぞれかけてきた。
祐司とパーヴォットはバーリフェルト男爵家隊がイルマ峠城塞の城門を出てイルマ峠に姿が消えるまで見送った。
「どうしてマメダ・レスティノ様に抱きついたんだい」
祐司はできるだけ優しげな口調でパーヴォットに聞いた。少なくとも祐司が知る範囲でパーヴォットが祐司以外の異性に抱きつくことなど今までなかったからだ。
今までのパーヴォットがマメダ・レスティノに接する態度や口調からパーヴォットがマメダ・レスティノのことを好いているのは明らかだった。
祐司はパーヴォットがマメダ・レスティノを好むのは一体どのような感情からか知らなければパーヴォットとの距離が縮まらないような気がしていた。
「実は…」
パーヴォットは言い出しにくそうに下を向いてしまった。祐司が黙っているとパーヴォットはいきなり祐司の顔を見つめた。そして決然とした口調で祐司の質問に答えた。
「実はマメダ・レスティノ様は父と同じ匂いがします。それでなんか懐かしくなって」
祐司はまったく予想外の答えに「そうか」とだけ返した。
パーヴォットが発する巫術のエネルギーの光は白っぽい色の上に薄いので祐司にも正確な感情の変化は読みづらい。
それはそれで祐司は幸いなことだと思っている。祐司にとってパーヴォットは特別な女性であるからパーヴォットの気持をのぞき見るなどということは出来ない方が祐司にはよかった。
この時はそれでもパーヴォットがほぼ本当のことを言っているのはわかったが、ただしほぼだった。
どうもマメダ・レスティノには女性を引きつける何かがありそうだが、マメダ・レスティノがモテる男などという噂は聞いたことがない。
マメダ・レスティノに惹かれる女性とはルシェニアやパーヴォットのように純真な心を持った女性に限られるようで、それはそれで下心を持った女性が寄ってくることはないというある意味羨ましい能力である。
祐司とパーヴォットがイルマ峠城塞を去ったのはそれから二日後の九月二十九日だった。
その前日はまた別れの宴会が催された。今回の主役は祐司とパーヴォットである。開いてくれたのは別動巫術師隊の面々だった。この日の宴会は食堂の一角をかりて行われた。
「あんたのおかげで出世や給金直しができたし、小遣い稼ぎもできた。礼を言うよ」
宴の最初に巫術師の束ねであるヘルカネルが一言言いたいといって祐司に軽く頭を下げて言った。
祐司は初めてヘルカネルが人に対して頭を下げる姿を見た。
ヘルカネルが言うように別動巫術師隊の面々は、五日前にイルマ峠城塞守備隊長に戻った北西軍のヘウレデ・エマルビンからそれぞれ昇進や昇級を言い渡された。
ヘルカネルが半隊長補格から半隊長格となりベルランとケルサックは戦士長のままだったが給金直しで昇級した。
ヘルモとトンクリアは戦士から戦士長補になるとともにトンクリアは正式に北西軍と入隊の契約を行った。
ちなみに軍の巫術師の給金は相撲の給金直しと類似した制度である。トンクリアやヘルモのように見習いといった者は年俸を契約で決める。
ちなみにトンクリアは年俸金貨十六枚銀貨六枚という契約である。
この見習いを外れると特定の規則で年俸が加算されていく。
まず階級により最低限の年俸が決まっている。北西軍の場合では衣食住を保証した上で戦士格で年俸金貨八枚、戦士長補格で金貨十一枚、戦士長格で金貨十三枚、半隊長補格で金貨十五枚、半隊長格で金貨十七枚となっている。
これに年齢と実戦経験が加算されるので実際はこの一倍半ほどが平均年棒となる。
トンクリアがこの規定よりかなり多いのは実戦に参加したこととその戦功が大であること、直射という特殊な”雷”の使い手であるので北西軍が手放したくなかったからである。
これに動員令が出て行軍したり防衛施設に詰めると一日銅貨半枚、戦場で戦闘行為に従事すると三日累計か一合戦当たり銅貨二十枚が加算される。
また演習に参加したり,合戦以外の捕縛手伝いなどでも一回に銅貨一枚などが加算される。
ちなみにヘルカネルは半隊長補格で基礎給金が金貨十七枚、イルマ峠城塞籠城戦以前の各種の任務に従事した加算金が金貨十三枚と銀貨四枚ほどになっている。加算金の内銀貨に直せば三百六十四枚である。
またヘルカネルはロクシュナル伯爵家軍、ブランブルド男爵家軍、ノヴェレサルナ連合侯爵軍と所属をかえたので、一定の技量を持った経験者と言うことで北西軍所属になるときに加算金七枚を基礎加算金として契約している。
ヘルカネルの年俸はバーリフェルト男爵家の中堅家臣アッカナンが年俸三百数十枚であるのでそれに匹敵する。
アッカナンの場合は王都に暮らす貴族家の家臣であるので体面を保つための服装や交際費にかなりの金額を割く必要がある。そうした出費がないヘルカネルは浪費家で無い限り相応の蓄えがあると思われる。
都市部の平均的な職人や小売商人の年収が金貨十枚であるから、ヘルカネルの収入はその三.二倍の収入となる。
三十歳ほどの庶民階級の女性がヘルカネルと同等の稼ぎをあげているとしたら中堅から上の女優や少しばかり売れっ子の歌手や踊り子、或いは馴染み客の多い娼婦しかいない。
ヘルカネルは今回の籠城で籠城している間は全て戦闘勤務日とされるので、銅貨八百二十二枚の加算と七日分の合戦参加と認定されて銅貨四百二十枚、併せて銅貨千二百二十枚、銀貨では二十枚、さらに戦果を上げた事による認定があり金貨では二枚半の昇給となった。
これの金貨二枚半分の昇給は退役するまでついて回るので、ヘルカネルが五十歳前後で退役しても今度の一連の合戦で金貨五十枚を余分に得られることになる。これを無理矢理現代日本の貨幣価値に当てはめると一千万円ほどになる。
ただこの金は北西軍を途中で退役してしまうと貰えなくなる。
こうした昇給システムを取ることで出来るだけ長く巫術師を自軍に留めようという算段である。
祐司の後釜として別動巫術師隊の隊長に内定したナルヴァンは半隊長格で正式に北西軍と契約した。
ナルヴァンの場合は長くとも後数年の奉公なので年俸以外に金貨四十枚という支度金をもらう契約になっているが、北西軍に入隊時に貰える支度金は半額で残りは退役予定年数まで務めて貰える。
これも長く巫術師を引き留めようという策である。
祐司は王都出身のナルヴァンがいくら無職でも北西軍という辺地の軍に入るのが不思議だった。
そこで彼に話を聞いて見るとナルヴァンとその妻は北西誓約者同盟の中核州であるバセナス州の出身で身内もバセナス州に多いと言うことだった。
そして何よりも晩年は故郷に帰って暮らすというのがナルヴァン夫婦の願いだったことがある。
ナルヴァンはランバリル子爵家を勤め上げてもう少し金を貯めようとしたたところをランバリル子爵が失脚したためにお払い箱になって少し予定が狂ったが、北西軍とかなり条件のいい契約を結べて金策のことが解決した。
さらに祐司が巫術師一人あたり金貨八枚を出すという大盤振る舞いをしたので、巫術師達はほくほく顔だった。
この日の料理はナルヴァンの妻が最初は料理は得意ではないと嫌がったヘルカネルとトンクリアを一喝して助手にすると、北西地域の名物料理をふるまってくれた。
北西地域の名物料理でこの日に出されたものはトナカイ肉のシチューとフィンランド料理のカラクッコに似た干し魚を一度煮込んだものとベーコンが入ったライ麦の包み焼きだった。
祐司はヘルカネルの部屋に数回呼び込まれたが、その時に彼女の手料理をご馳走になったことがありそこそこの味だと思った。
またトンクリアはヘルモが野戦病院にいる間に女中奉公の時に憶えたという料理を何度も運んでいたから、何故ナルヴァンの妻に料理が得意ではないと言ったのか不思議だったが宴会に出された料理を口にして納得した。
ナルヴァンの妻の料理は明日から料理屋を出せるほど美味しかった。
どうもそれを知っていたヘルカネルとトンクリアが到底敵わないとして怖じ気づいたようだった。
祐司とパーヴォットには少々肩の凝るバーリフェルト男爵家の宴会よりも、三ヶ月の間とはいえそれこそ生死を共にした巫術師達の宴会は楽しいものだった。
意外だったのはヴァンナータ島の裕福な旅籠の出である双子の巫術師の姉エディネタルが、マメダ・レスティノのことを聞きたがったことだった。
祐司がマメダ・レスティノは見かけ以上にバーリフェルト男爵家では高位家臣で人望がある人物で、さらに新婚であることを告げると、エディネタルは「そうだよね。あんないい男があの年まで独り身ってのはないよね」と溜息をついてから自分に言い聞かせるように言った。
祐司はマメダ・レスティノは粗忽な男という先入観念があるので、どうしても評価が低い。
ところが「マメダ・レスティノは父と同じ匂いがする」とパーヴォットは言ったが、その先にはだからマメダ・レスティノに惹かれるという言葉が隠れている。
祐司が贔屓にして半ば恋愛感情で結びついていた、王都の子連れ娼婦のルシェニアはマメダ・レスティノを伴侶に選んだ。
少し派手な感じがあり男からモテそうなエディネタルもマメダ・レスティノのことが気になっていたとなると、マメダ・レスティノは男にはわからないが女から見ると引きつけられる何かを持っているのだろうと祐司は思った。
バーリフェルト男爵家軍との宴会はパーヴォットを除いては若い男ばかりということで鯨飲暴食の気味があったが、別動巫術師隊の宴会は口うるさいヘルカネルがいる上にナルヴァンの妻まで参加しているので人間関係に多少気を使うホームパーティーのような雰囲気だった。
しかし祐司は現代日本の若い男性なので、卑猥な言葉や現代日本の感覚からすれば差別的な表現が当たり前のように飛び交ったバーリフェルト男爵家の宴会よりは楽しめるものだった。
この宴会の翌日にいよいよ三千のムラデムリを率いて、オラヴィ王が期待する若き武人トンバルデン男爵マーヌ・フェデラ・ラシュエリクはイルマ峠城塞を出立した。この軍勢の中程に祐司とパーヴォットが位置した。
この軍勢が出発する時には残った千五百ほどの北西軍の兵士達がイルマ峠城塞前に整列して北西地方で歌われる”旅立つ友を送る歌”という歌を歌って見送ってくれた。
祐司はまさかとは思っていたが、”旅立つ友を送る歌”は明らかに”Auld Lang Syne”のメロディーだった。すなわち”蛍の光”である。
十九世紀後半のアメリカ合衆国東部から来たサラエリザベスは音楽好きですでに祐司が知っているなかでは”賛美歌三百十二番 慈しみ深き”、”アメイジング・グレイス(Amazing Grace)”とフランス国歌の”ラ・マルセユーズ”をリファニアに伝えてそれがリファニアに根付いている。
サラエリザベスはヘロタイニア人に占拠されているタラシコット、すなわち南東部沿岸以外のリファニアの各地を訪れたということなので、本人もあまり自覚がないまま種々の祐司の世界の音楽を伝えたようだった。
スコットランド民謡で使われるヨナ抜き音階の五音音階は、同じ原理のピタゴラス音階を使用するリファニアの音楽と親和性がある。
この北西軍の愛唱歌である”旅立つ友を送る歌”は、ムラデムリの軍楽隊によってすぐに王都をはじめリファニアの畿内ともいえるホルメニア一帯に伝えられることになる。
別動巫術師隊の面々は整列して祐司とパーヴォットに声の限りの声で歌い力の限り手を振ってくれた。
パーヴォットは彼等の前を通りすぎるときは人目も憚らずに泣いた。祐司も生死を共にする仕事をした彼等とはもう二度と会えないだろうと思うと目頭が熱くなった。
「何日ほどでベルンハルド将軍のいる場所に着くんですか」
行軍が始まるとすぐにパーヴォットが祐司に聞いた。
「五日ほどはかかるだろう」
祐司は素早く頭を動かして答えた。
「ムラデムリはまたイルマ峠を通って王都に帰るんですか」
パーヴォットは少し心配そうな口調で聞いた。
祐司とパーヴォットとともに行軍しているムラデムリの一隊がベルンハルド将軍の元に到着してしばらく滞陣するとなると、ムラデムリは十月の中旬から下旬に再びイルマ峠を越えて沿岸州であるバセナス州に戻り港街ムリリトから王都に帰還することになる。
イルマ峠城塞の北西軍守備隊の兵士の話によるとイルマ峠は十月になると氷雨から次第に降雪が見られるということだった。
降雪のある山道を行軍するのはかなりの難事であり、これがリファニアでは冬季戦がほとんど行われない理由でもあった。
「まだ決まってないが、クアリ州を通過できるように王家から要請が出ているらしい。多分許可されるのではないかな」
祐司が別れたマメダ・レスティノから聞いたことを言った。
祐司としてはすでに話してもいい情報という判断とパーヴォットが誰かに言うことはないことを知っていたからだ。
クアリ州は宗教都市マルタンがあるために、不戦の州としてリファニアでは尊重されている。
このためにモンデラーネ公も本来なら戦術的には妥当なルートであるクアリ州を通過して北西地域に攻め込むことは遠慮していた。
しかし王家が州内で戦闘行為或いは作戦行動をしないことを誓約した上で軍勢の通過を”宗教”組織に要請したとなればほぼ認められることは確実だった。
ただムラデムリが王都帰還のためにクアリ州を通過するのは厳しく見ればクアリ州では禁じられている作戦行動であるが、王家とトンバルデン男爵はここでとんでもない方便を用意していた。なんとトンバルデン男爵はオラヴィ王の代参としてマルタンのマルヌ神殿に参拝を命じるという命令が王都から届いていたのだ。
そしてその警護役に表面上はどこの組織にも属さずに義勇軍として北西戦役に参戦したムラデムリの兵士を雇ったということになったとマメダ・レスティノが話してくれた。
祐司はトンバルデン男爵にマルヌ神殿への代参を頼まれているので、それなら代参の為にトンバルデン男爵から貰った奉納用の短刀と代参のために貰った金貨を返却しなければならないとマメダ・レスティノに言った。
するとマメダ・レスティノは「トンバルデン男爵はオラヴィ王の代参です。代参する者がついででも自分の事で参拝はできません。だからトンバルデン男爵の代参はユウジ殿がしなければなりません」とわかったようなわからないような説明をしてくれた。
それでも祐司は気になったのでトンバルデン男爵に面会をしてこの疑念を話すと、トンバルデン男爵はまるでマメダ・レスティノと打ち合わせをしていたかのように同じ説明をして自分の為にしっかり代参を頼むと念を押された。
形式的にはムラデムリは個々の兵士が自分の意志で参加した義勇軍という扱いなので、モンデラーネ公は悔しがるだろうが方便としては無理筋な話ではない。
「この軍勢は随分身軽ですね」
パーヴォットが周囲を歩いている兵士の様子を見ながら言った。
ムラデムリの兵士達は王都の郊外に演習に行くようないでたちである。大概は槍か投射兵器それに楯を携行して、背中には小さな背嚢と毛布しかない。
こうした軽装だからこそイルマ峠城塞籠城戦の初日にイルマ峠城塞前ですぐさま戦闘を行うことが出来たといえる。
「バセナス街道沿いにある集落に北西軍の補給デポがあるということだ。手伝い戦に出てきた援軍の食糧は地元勢が世話をするのが慣習だそうだ」
祐司の説明にパーヴォットは真顔で質問した。
「私達の分はあるのですか?」
「私たちも北西軍のために手伝い戦をしたんだ。お前ら二人にはやらないという方がおかしいだろう」
祐司は苦笑いを浮かべながら答えた。




