♪愛は残酷
十年前の件が静かになり、夏休みも半ばになった。
テニス部の部員候補が一度集まったけれど、お盆の時期に差し掛かったということで一旦は活動なし。月末から本格的に始動しようということで、わたしもわくわくしている。
最初は球技大会でわたしが楽しいと思っただけだったのに、すごいところまで来たと思う。部活ができたのも、飽きっぽいわたしがまだまだテニスに意欲的なのも、忠のおかげだ。
わたしの家は、お父さんが休暇を取れなかったので帰省しないことになった。そのため暇を持て余したわたしは家でゴロゴロと過ごしていたのだけれど、お母さんから追い出されてしまい、炎天下であてもなく散歩していた。どこか日陰でジュースでも飲んで帰ろう。
そんなとき、忠を見かけた。
「やあ、忠」
「あ、みのり。何をしているんだい?」
「散歩。忠は……テニス?」
忠はラケットを持っていた。でも、それは忠のものではなさそうだった。少し短くて、カバーについたストラップは忠の好きなアニメのものではなく、忠に似つかわしくないファンシーなマスコットだった。
忠は少し困った顔をする。
「テニスではないよ」
「ふうん……」
忠はより一層困った様子になり、一瞬目を閉じると、優しい声で続けた。
「お墓参りに行くんだ。留守参り。……みのりも来る?」
「……そうしようかな」
忠と並んで歩いた途端、日差しがより一層眩しくなった気がした。
「ねえ、みのり」
「なあに?」
「十年前のことがわかって、どう思った?」
少し考えた。
「嬉しかった。これですっきりした気持ちで、テニスができるって」
「そう……」忠は俯いた。「僕はね、辛かった」
「なんで?」わたしは忠の表情を窺ったけれど、これと言って気持ちを読み取れる色はなかった。「藤井英人に同情したの?」
忠は首を振った。
「同情じゃないんだ、悔しかったんだよ」
「……?」
「見せつけられたって言うのかな? 高校生でこんなことを言うのは小恥ずかしいけれど、藤井夫妻の愛を見せつけられた気がするんだ。それに引き換え、僕たちは果たしてそういう絆を持っているのかなって」
忠の声が震えはじめた。
「ごめんよ、みのり。僕はずっと、みのりに嘘を吐いている。どうして嘘を吐いているのかは伝えなきゃならないとは思うんだけれど、伝えるとそこでみのりとの関係が終わってしまう。僕がこんなだから、十年前の事件を知って辛くなるんだ」
わたしは天を仰いだ。
わたしはどうしても、忠と一緒にいたいと思っている。その気持ちは、十年前のふたりに負けない気もする。
でも、恋だの愛だので括れるとも思えない。
忠のことを素直に好きとは言えない。ならばなぜ忠と一緒にいるのかと言えば、忠がわたしと一緒にいてほしいと願っているように思ったからだ。いつもは真面目で堅苦しいくらいの忠が、わたしの前では冗談っぽくなってとても優しくなる。「好き」とは言ってくれないから、理由はわからない。でも、わからなくても嬉しい。嬉しいからずっと一緒にいたくて、忠が望むわたしになりたくて――成績をわざと落としたり、忠が英語でことわざを言ってもわからないふりをしたり、テニスをしたりする。わたしも忠に嘘を吐いているのだ。
わたしが好きなのは忠ではなく、わたしと一緒にいて笑ってくれる忠だ。
だから、いまの忠は大嫌いだ。
「ねえ、忠。Which?」
わたしは忠の背負っていたケースからラケットを奪うように取り出し、地面に突き立てる。忠は面食らって返事をできずにいた。
「トスで決めよう? わたしも忠に嘘を吐いていると思うの。でも、忠と違って嘘を吐いたまま一緒にいたくない。だからトスをして勝ったほうが、『嘘をばらすかばらさないか』もしくは『一緒に居続けるか別れるか』を先に決める権利を得るの。負けたほうは残ったほうを選べる。勝ったら『先に相手に選ばせる』もオッケー。どう?」
忠は静かに頷いた。
わたしは突き立てたラケットを回転させた。ピンク色で短いそれは、弱々しくもわたしたちの運命を定めるべく懸命に回っていた。
「僕はRough」
「わたしはSmoothだね」
ラケットがからからと跳ねながら倒れた。けらけらと嘲笑う声のような音だった。持ち上げてみると、結果はわたしの勝ち。
わたしは何を選択しようか。忠は口をきつく結び、眉をひそめ、奥歯を噛みしめている。事件を調べているとき、わたしはずっとこんな顔をしていたのかもしれない。あのときのわたしも、いまの忠も、あるいは十年間の藤井英人も、蚊帳の外にされた悲しさや憎しみに表情を強張らせる。コートサイドのギャラリーは口出しする権利を持たず、静かに憧れ悔やむだけ。
忠を見ていて、ふと、わたしは鎌本先生の言葉を思い出し、その意味を理解した。ああ、そうか――愛は人を残酷にするとはこういうことなのか。
「忠から選んで」