114 カエル族のプロポーズ
晴れ渡っていた空は、長くは続かなかった。
太陽が真上に昇る頃には、空が灰色の厚い雲に覆われていった。
「風向きが変わって、雨の匂いがする。水路に戻ろう」
風葉の言葉で、三人は足早に元の道を戻った。
みんな出かけたのか、水路には誰もいなかった。
「カエルも、しばらく戻ってこないだろうね。出口の所から様子をみようか。絵葉は、そこからスケッチすれば?」
三人は、雨に濡れずにゆっくり外を覗ける平らな石灰岩の上に陣取り、まずはランチタイムを楽しむ事にした。
外は早春の少し冷たい湿った風が吹いていたが、この場所は上手く風避けがあり、寒さを感じると言うほどではない。巣から持ってきた生姜湯も、まだほんのりと暖かかった。
そうしていると、ぼつぽつと空から雨粒が落ち始め、それを合図にカエルの歌があちらこちらから響き始めた。
宴会のように楽器の演奏はなく、歌だけだ。
水辺においで
雨の中
君と一緒に
歌いたい
二人のように
いつまでも
君と一緒に
歌いたい
向き合った二人から、一匹の雌を取り囲んでいるグループまで様々だ。
青い池周辺は、カエルの歌声一色に染まっていった。
風葉が、ふと真下を見ると、カエルが若い雄に詰め寄っていた。
「おい、なぜ来たんだ。試練を達成するまでプロポーズは許さぬと言ったはずだ」
「はい、おかげさまで達成できました。これもお義父さんのご指導のおかげです」
「お義父さんって呼ぶな。婿と認めた覚えはない」
「そんな。試練を達成したらプロポーズを認めるとおっしゃったではありませんか」
「試練は一つとも言っていない」
「そんな、ひどい!」
うちひしがれる若い雄に向かってカエルが追い打ちをかけた。
「春になったし、今度は南の山で…」
そう言いかけた時だった。
一番人気の輪の真ん中から、若い娘がこちらに走ってきた。
「お父さん!彼に何を吹き込んでいるの?!」
今まで威勢の良かったカエルの姿が、みるみる間に萎んだ。
「あ、いや、えーと……そう、アドバイスだ。お前は歌の上手い伴侶を探しているだろう?上手く歌えるように指導をだな……」
娘は、事態を理解したようだ。
「お父さんね!彼を向こうの集落に行かせたのは!おかげでこの冬は会えなかったのよ!」
「いや、だって彼はその、ハッキリ言って音痴じゃないか!お前のためにならない!」
「私は歌の上手さで伴侶を選んだりしないわ!」
「なんて馬鹿なことを言う!お前は、神様の分身であり、音楽の申し子だった忍の血筋なんだぞ!音痴と結婚するなんて許されない!」
その時だった。カエルは、背後からの冷気に、さらに身を縮めた。
恐る恐る振り返ると、そこには現在プラチナの笛の持ち主である、カエルの奥さんが居た。
「そうですか。貴方が私を選んだ理由は、歌の上手さだったと言う事ですね」
「い、いやもちろん違う。笛の才能は素晴らしいが、一生懸命練習する姿や、その美しさ、高潔さに惚れたと伝えただろう!」
「では、私に笛の才能がなかったら、美しくないと言う事ですね」
カエルは全力で首を振って否定しはじめた。
「違う違う。そもそも出会いは、溺れていた俺を君が助けてくれた時じゃないか!音楽なんて全く関係ない!」
カエルの奥さんは、にっこりと、でも威圧感たっぷりに微笑んだ。
「では、私が音痴であっても選んでくださったと?」
「もちろんだ!」
娘がにっこりと引き継いだ。
「では、音痴な彼を伴侶に選んでも問題ありませんね。お父様?」
嵌められたと気付いた時には言質を取られた後だった。
「うん、まあ、そうだな。でもまだ先でいいんじゃないかな?もう少し彼が練習してからでも……あ、いや、なんでもない……です……」
しょんぼりしてしまったカエルに、若い雄が言った。
「安心して下さい、お義父さん!この冬、向こうの集落で流行りの新しい音楽をマスターしたのです!」
そう言うと娘と並んで、合唱の群れの真ん中を進んで行った。
バラバラだった歌は、少しずつ揃い始めていた。
若い雄は、その曲に合わせて低音を駆使してリズムを刻み始めた。
クォン、クォン、ク、ク、クォン、クォン……
水辺においで――
雨の中――
君と一緒に――
歌いたい――
クォン、クォン、ク、ク、クォン、クォン……
低いベース音がリズムを制御し、雄カエルたちの歌声が一つにまとまった。
やがて、雌カエルが輪唱で曲に加わっていった。
辺りは歌声に包まれ、やがてツガイが成立した者たちは、青い池に飛び込んでいった。
もちろん、カエルの娘もだ。これから産卵が始まるのだ。
カエルはその姿を見て、その場でオンオン泣き出してしまった。
「私の娘が……私の娘を返せ……」
奥さんはその背をそっと撫でて慰めた。
「あの子は十分に大きくなったのです。幸せそうではありませんか」
「あんな雄に渡すために育ててきたんじゃない」
「立派な重低音でしたわ。貴方の歌声には敵いませんが、彼の声を取り入れれば、新しい音楽が生まれそうですよ」
「そ、そうか?まあ、向こうの集落には負けられないからな」
「そうですよ。それに孫たちが生まれるではありませんか。楽しみですね」
すっかりカエルの機嫌は直ったらしい。
奥さんと連れ立って、どこかに消えていった。
上部から一部始終を見ていた蟻人三人は、目を丸くしている。
一番に回復した一葉が笑い出した。
「カエル族は、どう見ても女の方が強いね」
風葉も、笑いが止まらないようだ。
「まあ今日は、やけ酒に付き合ってやろうか」
絵葉の手元には、カエルたちの大プロポーズ会の様子とともに、奥さんと娘に詰め寄られて小さくなるカエルの姿絵も完成していた。
「めちゃくちゃ上手いけど、これはカエルには見せない方がいいな」
風葉の笑いが、さらに止まらなくなったようだ。
雨粒が池に跳ねる音にまじって、カエルの歌声がいつまでも続いていた。




