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第一話

 時計が5時20分を示している。誰かの手が、ごちゃついた刑事部屋の誰かの机の上にクリスマスツリーのおもちゃをそっと置いた。


 ボリス・ブリントン刑事、通称BBは退屈していた。

 元フットボール選手で身体がでかい。頭は綺麗にそり上げられた坊主で、その代わりといっては何だが眉毛が太い。顎にはその日の気分で髭があったりなかったりする。今日は頭と同様に綺麗にそりあげられていた。

 刑事部屋の中で一番大きな褐色の身体を、無意識のうちに縮こませて灰色のスチール机とキーキー鳴る椅子の間に押し込めている。こんなところにいるのは性にあわないが、今日は外に出かける用事がない。

 相棒のレニー・クラウン刑事は、こんなときこそデスクワークに励めよ、提出書類が溜まってるぜ? などとほざいてくれたが、その本人自身がすでに机の前に姿がない。見回してみても見慣れた金色の頭は、部屋の中のどこにもなかった。

「レニーめ。あいつだけ逃げたんじゃないだろうな?」

 BBは、ちっと舌打ちした。

 今日はせっかくのクリスマスイブだというのに、檻の中に閉じ込められている気分だった。いつもは自分が檻の中に閉じ込めてやる立場なのだが、今日は、こそ泥も殺人犯もギャングどもも、クリスマス休暇でもとっているかのようだ。

 刑事部屋にいるのは、あいにくのイブに当番にあたった刑事が数人と制服が数人。

「ちくしょう。俺は電話番じゃねぇぞ」

 低くつぶやくと、BBは特に何を見るでもなくぐるっと机の周りをながめた。

 いつもとかわらぬ乱雑な机の上。

 救いようもない高く積まれたファイルのそばに、三インチにも満たない小さなクリスマスツリーが置かれていた。

 プラスチック製で、小さい割には細かいところまでよくできた綺麗な色合いのものだ。BBの机のすぐ目に付くようなところに置いてあるのに、昨日までそこにあったという記憶はない。

「おいおい、こんなところにツリーを置いたのは誰なんだよ?」

 太い指でつついてみると、ツリーはあっけなくころんと倒れてしまった。たかが子供の玩具なのに、妙に慌ててツリーを元のように起こしながら、ボリスはこっそりため息をついた。


 エリックもため息をついていた。

 机の向こうで時折悪態をたれながら、支給のノートパソコンで報告書を打っているのは、この部屋で一番若いエリック・ケードだった。顔だけ見ればまだ大学生のようで、よく日に焼けた細い顔に少し伸びかけた黒っぽい巻き毛がからみついている。二番目に若いレニーとつるんでいると、先輩刑事に「刑事でかキッズ」などとからかわれることもある。

 だが実際のところ、レニーは顔は若いがエリックより三つ年上で、しかももっとずっと優秀な刑事だった。頭もよく勘もいい。度胸も行動力もあるうえに、銃を撃たせても格闘をさせても署内で五本の指に入るほどの腕前だ。何をやらせてもまだまだ半人前なエリックは、到底足元にも及ばない。それはここで働くようになって一年、エリック自身が嫌というほど思い知らされている。

「気にすんな。俺のほうがここには長いんだ。ちょっと場慣れしているだけだよ」

 肩をすくめたレニーによく言われるのだが、エリックとしてはそれに甘んじているわけにもいかない。今だってエリックは言うことを聞かないパソコンでの報告書提出に振り回されているが、レニーはそんなものはとっくの昔に済ませてしまっていることだろう。彼は要領もいい。それが証拠にレニーの机の前には今誰もいない。相棒のボリスがその向かいの机の前に所在なさげに座っているだけだ。少し硬くなったエンターキーを無理やり押し込みながら、エリックはこっそりため息をついた。


 マリアはぶりぶり怒っていた。

 クリスマスだ。今日はイブなのだ。それなのに、なんであたしはこんなとこにいるのよ?

 まるで、キーボードが機関銃のような音をたてている。淡いピンクがほどよく交じり合った金色のカールをきかせた頭を振りながら、誰よりも早く誰よりも多く伝票を撃ち落している、はずだ。だが、山のように机の端に積まれたそれは、一向に減った気配がない。なんで未だに紙の伝票がこんなにあんのよ。全部最新の電子システムに移行したんじゃなかったわけ?

 システム化から漏れてる伝票があるなんて、聞いてないってば。

 本当にもう、それもこれも、とマリアは考えた。

 あのシフト表を組んでくれたホッパーのせいだわ。なんでこのあたしが、イブにこんなところで時代遅れの伝票を打ち込まないといけないのだろう。受付だって他にいくらでも人材はいる。

 マリアは事務担当官で刑事でもないのだから、こんな夜にここにいる必要があるとは思えない。こんな伝票整理なんていつだっていいじゃないの。しかも、なんで家庭持ちから先に休みにするのよ。独身女だって未来がかかってんのよ。考えようによっちゃ家庭持ちよりもずっと重要なイベントなのに。ここでイアンに振られたら、警察署で責任をとってくれるのだろうか。イブに仕事だと聞いたときのイアンの顔を思い出すと、マリアの背筋がすっと冷えた。

「なるほど。クリスマス休暇なんてものは、警察には存在しないわけだな」

「早く帰るから。本当だってば」

 イアンは眉を上げた。

「無理なんじゃないか? そもそも警察なんて休みを取っていいような職場じゃないだろうし」

「だってあたしは、事務職なのよ」

「じゃあ、なんで休みが取れないんだよ? 矛盾してるだろ、お前」

 マリアは言葉を失った。それはそのとおりなのだから返す言葉がない。

 気を取り直して、だってシフト表が、ともごもご口の中で言い訳の言葉を探すが、すでにイアンはスマートフォンをいじりながらアプリでの曲選びに熱心で、マリアの顔を見ようともしなかった。そして出勤後、メッセージを入れたのにマリアのスマートフォンにはなんの通知もこない。

「さ・い・あ・く」

 打ち込み終わった伝票を足元の箱の中に放り込みながら、彼女は盛大にため息をついた。


 制服警官の格好をした男はわくわくしていた。

 玄関に向かう階段を昇りながら、男は手袋をはめた手で胸のふくらみを押さえた。ずっしりと重みのあるそれは、すでに体温で温まっているはずなのだが、男には到底そうとは思えなかった。胸の奥まで冷え込むような冷たい何か。その冷たさを愛おしむように、銃弾がたっぷり詰まったそれを男は再びダウンジャケットのうえから押さえた。この銃弾を奴の心臓に撃ちこんでやる。何と楽しい、何と素敵なクリスマスプレゼントだろう。今日は最高のイブになる。

 警察署の表玄関の前で、胸にさげていたIDカードをゲートのカードリーダーに当てるふりをした。もちろん、偽物だ。

 ゲートがエラーのブザーを鳴らす。

「おや、通れないのか? どうしたんだ」

 横の小部屋から受付の制服警官が男に声をかけてきた。

「おかしいな、こんなことなかったんだけど」男は困った顔をしてみせる。

 制服警官が男のそばに寄ってきて、手の中のカードを見ようとする。

「あれ、これ写真が付いてないじゃないか、警察のIDカードじゃないよ。カードを間違ってるんじゃないか?」

「あれれ、おかしいな。ああ、こっちだったか」

 そういいながら男は、胸のポケットに手を入れつつすばやくあたりを見回した。声をかけてきた制服警官が一人。遠くに人影は見えるが、近いところには他には誰もいない。

「ああ、こっちだった」

 男はジャケットの前をあけてカードではなく、銃――Glock 26――を取り出す。制服警官が目を丸くした。男が警官の制服なのに足下は安っぽい黒のスニーカーなことにようやく気づくが、すでに遅い。

「ほうらね?」

 男は、もう一度にっこり笑った。


 レニー――正式にはレナート・クラウン刑事――は、とても焦っていた。

 すでにクリスマスイブだというのに、まだガールフレンドにプレゼントを買っていない。そうでなくても最近仲が微妙なのに。ここのところずっとひとつの事件にかかりきりで、BBと一緒に何日か自分の部屋にも帰れないような追跡の日々を過ごしていたのだ。

 やっと犯人を逮捕して、洗濯機で洗われたジーンズのようにくたくたで自分の部屋に戻った時にはクリスマスなんて言葉自体、思い出しもしなかった。十二時間以上、死んだようにたっぷり眠って目覚めたときには、今日が何日かすらも頭になかった。ただ出勤のシフトの日だということだけを思い出して、午後からたらたらとごく普通に署にやって来たのだ。

 署の自分の机で報告書を打ち込もうとしたレニーが、クリスマスイブだということを思い出せたのは、机の引き出しにつっこんであったクリスマスツリーの玩具のおかげかもしれない。ツリーは、BBへのクリスマスプレゼントにするつもりで買ったのだが、姿のわりに結構高価なものだった。見た目は普通のありふれた飾り物でしかないが、録音機能付きのスマートトイで、目覚まし時計の機能もあり簡易メモとして使用することができるというすぐれものだった。行きつけのホビーショップで、その小さなツリーを買い込んだのが先週のこと。そのあと彼女へのプレゼントを買おうと思っていたのに、そのまま事件にまぎれて忘れてしまっていたのだ。

 やばい。

 今までに同じようなことで何度もいろいろな女性たちに振られている身としては、今の彼女との冷え始めた仲を修復するためにもクリスマスというイベントをおざなりにするわけにはいかないのだ。

 時計を見上げると、デパートの閉店時間には充分間に合いそうだった。すぐにでも行かなくては。報告書を打ってる時間はない。事件のために何も買えなかった、ではすまないだろう。絶対にまずい。ツリーをセットしたレニーが、それをBBの机の上に置いてこっそり署を抜け出したのはそんなわけだった。

 しかし、デパートの閉店時間まで一時間以上余裕がある、と見込んできたのが甘かった。

 デパート前の通りは、クリスマスの最後の買い物をしようとしている人々でごった返し、先に進むのが厄介なほどだった。こんな中をすいすい泳ぎ渡って、さっさと彼女の好みに合いそうな物を買い込むなんて芸当は、とうてい自分にはできそうにない。デパートの前の道で人の波にもまれながら、レニーはこっそりため息をついた。


 マリアは混乱していた。

 刑事部屋の入り口に現れた制服警官は、その顔を苦痛にゆがめていた。コーヒーを入れようとしていたマリアは手を止めて、なじみの顔に不思議そうに訊ねた。

「あれ、フレッド。どうしたの?」

 フレッドの後ろでゆっくりとドアが閉じる。かちりと自動的に鍵のかかる音がしたあとに、がんっと激しい音がしてドアにドアレバーロックがはめられた。これで鍵が開いてもドアはすぐには開かない。

 マリアは目をむいた。

「ちょっとフレッド。なに考えてんのよ」

「・・・・・・マリア、逃げろ」

 意味がわからず、マリアは紙コップを持ったまま、きょとんとフレッドの顔を眺めていた。彼女がその背後にいる見知らぬ男に気づいたのは、フレッドの大きな身体ががくんと前に崩れたときだった。まるで影のように、小柄なその男はフレッドの大きな身体に張り付いていたのだ。ドアレバーにロックをかけたのはこの男だろう。

 フレッドのわき腹に血の色が見える。それが小さなナイフのせいだと気づく前に、マリアは男のやに臭い腕の中に押さえ込まれていた。マリアのふわふわの頭の右側に硬いものがあたる。それが銃口だということは、すぐに想像がついた。

「悪いな、お嬢ちゃん。レニー・クラウンを呼んでくれよ」

 ねっちゃりとして笑いを含んだ口調で、男がマリアの耳元に囁いた。

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