第十話 『凱旋なき帰還、天翼は沈黙を裂く』
第十話『凱旋なき帰還、天翼は沈黙を裂く』です。
これで九日連続投稿となりました。
ここまで読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。
北方戦線は一つの転換点を迎えます。
戦場での勝敗だけでは測れないものが、ドミニオン王国を揺らし始めます。
よろしくお願いします。
「ようやく揃ったか」
軍装の肩に雪を積もらせ、鋭い目で本陣を見渡しているタチャンカの顔には疲労があった。
「ヤマトを連れて帰ってきてくれたことには感謝するが、何があった?」
ナイトメアに抱えられて帰ってきたヤマトは大きな傷を負っており、死んだかのように気絶していた。
「……メテオ兵にやられたのだ」
「嘘を言いなさい。大方、撤退の時に言い争って手を出したんでしょう。全く大人気のない……」
歯切れの悪い言い方をしたナイトメアだったが、エースの目はごまかせなかったらしい。
「まあいい……死にはしないだろう。医者に見せろ」
苦虫をかみつぶしたような顔でヤマトを見送るナイトメアに、エースは冷たい言葉をかけた。
「後でどうなるかわかっていますね?」
「でもあいつだって――」
「言い訳は結構です。この大事な戦で自分が何をしたのかよく理解なさい」
「……」
黙りこくるナイトメアを背に、エースはタチャンカの方へ向き直った。
「陛下の容体は?」
「詳しいことはわからんが、意識は戻らんらしい」
その言葉で、本陣の空気がさらに沈んだ。戦場のどんな敗北よりも重い事実だった。
王が立っている限り、軍は揺るがない。だが、その王が倒れた時、軍は何を柱にすればいいのか。
誰も、すぐには答えられなかった。
「軍議を開く」
タチャンカが告げた。
「この北方戦線に出ている将は、今この場に揃った。情報を共有し、命令系統を再編する。各部隊長にも伝令を飛ばせ。今後の命令は、暫定的にこの本陣から出す」
幕舎の中に、将たちが集まった。
「戦況だけを見れば、我らが有利である」
タチャンカは地図の上に駒を置きながら言った。
「大門は裂いた。敵の外郭防衛線も削った。こちらの主力はまだ残っている。兵数、装備、陣形、どれを取っても、ドミニオン側の優位は揺らがん。このまま再編して押し込めば、メテオはさらに後退する」
「なら戻る必要はない」
ナイトメアが低く言った。
「俺を出せ。次は仕留める。アルバートが本陣に姿を見せた以上、敵の中枢は近くにいる。今こそ叩くべきだ。陛下が倒れたからこそ、俺たちが王威を示す必要がある」
「ナイトメア」
エースが名前を呼んだ。
それ以上の発言は許さない。そう言葉にせずとも分かる圧があった。ナイトメアは仮面の奥で歯噛みするように沈黙した。
エースは地図へ視線を落とす。
「戦況だけを見れば、タチャンカの言う通りです。ですが、今の問題は戦況ではありません。王が倒れたという事実です。兵たちは必ず動揺します。敵もそれを利用するでしょう。すでにメテオ側は噂を流している可能性があります」
「それは否定できん」
タチャンカは腕を組んだ。
「陛下が回復し、直接命を下せるなら継戦も可能だ。だが、それまで待つとなれば、前線で時間を消費することになる。補給線は伸び、士気は落ちる。アルバートが再び現れれば、本陣の安全も保証できん」
「だからこそ、一度本国へ戻り、王都で陛下を療養させなければなりません。その上で、メテオとの今後を決めるべきです」
「休戦か」
「一時的なものです」
「それでも、事実上こちらが足を止めることになる」
「分かっています」
エースの声には迷いがなかった。
「それでも、今このまま進めば、私たちは戦に勝って国を壊します」
幕舎の中が静まり返った。
ナイトメアの赤い眼光が揺れる。
タチャンカはしばらく地図を見つめ、それから深く息を吐いた。
「……合理はそちらにある。国家としては王都を優先せざるを得ん」
駒を一つ、後方へ戻すタチャンカの指先の動きは重かった。
「本国へ一時撤退する。前線部隊は順次後退。追撃に備え、殿は俺が見る。エース、お前は陛下の護送を」
「分かりました」
「ナイトメア。勝手に動くなよ」
「……チッ」
軍議が終わった後、幕舎の外でタチャンカはナイトメアを呼び止めた。
「お前を裁かねばならんのも事実だが、元はと言えばヤマトの身から出た錆だ。奴もきっちり処分してやるから、これ以上お互いで騒ぐなよ」
「それで俺が納得するとでも?」
ナイトメアは吐き捨てるように言ってタチャンカの下を去っていった。
◇
メテオの市街に、イーブルが現れていた。あちこち削れた城壁や血痕を見て、イーブルは深くため息をついた。
「思ったよりも手ひどくやられたらしいな」
「……申し訳ありません。作戦は成功したのですが、何分にも敵が強く……」
「わかっていたことだワイズ。気にするな。お前は傷が深いようだから早く都で手当てをしてもらうといい」
「はっ、ありがたきお言葉。ですが、命に別状はありません。こちらでの仕事が済んでからゆっくりと治療いたします」
イーブルは苦笑した。
「では報告を聞くとしようか」
「市民街は外壁の損傷こそ激しいものの、中はそれほど荒らされてはいません。兵も半数近くはやられましたが、将は誰も討たれていません」
イーブルは静かに目を閉じた。
戦として見れば、メテオの被害は甚大だった。大門は破られ、外郭防衛線は削られ、兵の多くが傷ついた現状を見てもなお、ワイズが伝えたかったことを理解しようとしていた。
「よくやった。と言っておこう」
「ファング・アレクサンドラも倒れたようですので」
イーブルの顔に意地の汚い笑みが浮かんだ。
「では、もう攻めてはくるまい。私はアルバートに報告してくる」
イーブルは踵を返した。
「今日はもう十分だ。お前たちは兵の再編と負傷者の処置を優先しろ。戦場で死ななかった者を、後方で死なせるな」
「では、都に撤退なさいますか」
「当然だ。兵を休ませておけ。後、喧伝も忘れるな。“ドミニオン王国に勝った”とな」
恭しく礼をして、ワイズは全軍撤退の指揮をとる。不完全燃焼であったエスミックはぶつくさと文句を言っていたが、顔は笑っていた。
◇
その数日後、王都オルドレアの西大路、英雄の帰還門には、民衆が詰めかけていた。
かつての王国の栄光を刻んできた白石の大門。その下を、北方より戻ったドミニオン王国軍が通ろうとしていた。
だが、歓声はなかった。
いや、正確には、歓声になりきれないざわめきがあった。
「陛下が倒れたという噂は本当なのか?」
「いや、そんなはずがない。ファング陛下だぞ」
「でも、王旗が……」
情報は錯綜していた。
メテオ側が流した噂は、すでに王都の裏路地にまで染み込んでいた。ファング王が戦場で倒れた。ドミニオン軍は敗走した。メテオは王国軍を退けた。どれが真実で、どれが誇張で、どれが嘘なのか、民衆には分からなかった。
ただ一つ分かることがある。
帰還する兵たちの顔に、勝者の誇りはなかった。
エースは先頭近くで、沈黙したまま門をくぐった。
タチャンカは最後尾近くで軍の乱れを抑え、敗北に見えぬよう隊列を保たせていた。
ナイトメアは仮面の奥から民衆を見ていた。いつもならば、弱き者の不安など切り捨てていただろう。だが今は、そのざわめきが不快なほど耳に残った。
彼らは帰ってきた。だが、それは凱旋ではなかった。
帰還した出征組は、そのまま留守を預かっていた将たちと合流した。
誰もが、すでに檄文と噂を確認していた。王都の混乱も、兵たちの動揺も、もはや隠せる段階ではない。
軍議は即座に開かれた。いつの間に回復したのだろうか、ヤマトの姿もそこに見える。
黒い卓上に、北方戦線の地図、被害報告、王都内の治安報告、そしてメテオから流れたと思われる噂の写しが並べられる。
「陛下の容体だが、意識が戻る可能性は五分五分だそうだ」
マックスの声は、以前にもまして低いように聞こえた。
エリカが苛立たしげに腕を組む。
「それで? メテオの連中に好き勝手言わせたまま黙ってるわけ?」
「黙るわけでは……」
「何? ミー。あんたの予想は大外れ。王都には人っ子一人現れなかったわけで、私たちは一戦もしていないんだけど?」
「……今、動き方を間違えれば、噂は事実になりましょう。王が倒れた今、我らは身動きが取れない……統率が乱れれば、その隙をつかれてしまう恐れが……メテオ以外にも」
口ごもりながら言うミーの言葉に、かつての説得力はなかった。
「それで納得できるとでも?」
ガンツが厳しい視線をミーに向ける。
「分かっています。貴方たちのやりきれなさも……」
エースの声は疲れ切っていたが、彼女の胸に秘めた芯は、折れてはいなかった。
エリカも、ガンツも引き下がるしかなかった。前線で最も悔しい思いをしたはずのエースに言われては、かける言葉も思いつかない。
「ですが、陛下がどうなるかわからない以上、今は戦えませんし、王都の安定が最優先です。ここは、アルテミス王子に代理で指揮を執っていただきましょう」
ヤマトが不意に立ち上がった。
「俺は反対だ! あいつに国がまとめられるとは思えねえ!」
「……確かに、陛下と比べると、アルテミス様では能力が足りない部分があるかもしれません。ですが、私たちで勝手に国家を取り仕切るなど、それはやっていることは国家の乗っ取りにすぎません。私たちまで、メテオと同じ轍を踏むわけにはまいりません」
ヤマトは口をつぐんだ。一切の反論が思いつかない。だが、本能がアルテミスの即位を拒否していた。
その感情は、この場にいる誰もが持っただろう。アルテミスは凡人だった。とても大陸全土を支配できる能力があるとは思えない。
「……反対はあるか」
マックスが問う。
エリカは不満げに目を細めた。
「あのボンクラに国がまとめられるとは思えないけど、仕方ないわ。それ以外に方法がないもの」
その言葉が、軍議に参加している将軍の総意であったことは疑う余地もなかった。
「命令系統が変わります。継戦は不可能ですから、メテオと停戦協定を結びます」
「……メテオがそれを受ける保証は、どこにありますか?」
こちらから休戦協定を結ぶなどと言い出せば、メテオに勝者の印象を与えてしまう。それでは、ガンツとエリカに顔向けができない。それを看過できなかったミーの、悪あがきの発言だった。
「……メテオも無傷ではありません。戦全体を見れば優勢だった我々からの停戦協定は、彼らにとって願ってもない申し出でしょう。最も、これが最初からの目論見だったのかもしれませんが」
「……同感だ」
タチャンカが悔しそうにつぶやく。
マックスがうなずいた。
「俺はエースに賛成する。陛下が倒れた以上、最優先は王都と陛下の身柄だ」
「休戦協定の文面はこちらで整えましょう……」
絞り出すような声でミーが言った。
エリカはしばらく黙っていたが、やがて舌打ちした。
「……分かったわよ。ただし、メテオが調子に乗るなら、次は私も出る」
ガンツが静かにうなずく。
「その時は、俺も行く」
タチャンカは地図を見つめたまま言った。
「では、決まりだな。メテオへ休戦協定の使者を出す」
「王子の補佐は私がします」
その顔には、ただ背負うと決めた者の覚悟だけがあった。
「ドミニオン王国は、まだ崩れていません」
その言葉を最後に、軍議の結論は定まった。
だが、その決断が本当に国を救うのだろうか。英雄の帰還門に残った沈黙だけが、その答えを知っているようだった。
第十話『凱旋なき帰還、天翼は沈黙を裂く』を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、戦そのものの勝敗よりも、王が倒れたことによって国全体が揺らいでいく回になりました。
勝っているはずなのに凱旋できない。
戻ってきたはずなのに、誰も勝者として迎えられない。
ここからドミニオン王国は、外敵だけでなく内側の不安とも向き合っていくことになります。
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引き続きよろしくお願いします。




