ハリエットとの約束
「ハリエッろ、てめぇ……ミリーに指一本触れれらろ……」
グォドレイがリビングの長椅子でハリエットを指さし、クッションを抱きしめながら言った。
頬が赤く染まり、呂律がちっとも回っていない。
「お師匠様が酔っぱらってるの、初めて見た」
ポカンとしているミルドレットに、ハリエットが悪戯っぽく言った。
「紫焔は昔からあまり酒に強くない。ワインを勧めても口をつけることすら無かったのだが、今日はいつもと違ったようだ」
感謝祭まではあと一週間程に迫っている。
グォドレイの中であらゆる葛藤があるに違いないという時に、ハリエットが「私の解呪の門出を祝ってくれ」とワインを大量に持ち込めば、飲まない訳にもいかない。
とはいえ、部屋に散乱している数十本のワインの空瓶を見る限り、グォドレイが酒に弱いとは到底思えないと、ミルドレットは苦笑いを浮かべた。
「お師匠様、もう寝室で休んだ方がいいよ」
「嫌ら! 俺様はミリーをハリエッろから守るんれ!」
「どうしてあたしをハリエットさんから守る必要があるの?」
「ミリーが大事らからら……」
ぎゅっとミルドレットを抱きしめて、グォドレイはそのまますぅっと寝息を立てた。
「寝ちゃった。もう、お師匠様、こんなところで寝たら風邪引いちゃうよ?」
「寝てないろ!」
グォドレイはガバリと起き上がると、ミルドレットに口づけした。
舌を差し入れて口内を犯す様に纏わりつかせながら、首筋に指を滑らせて鎖骨を撫で、もう片方の手で背を支えながらゆっくりと押し倒す。
「え!? ちょっと、お師匠様?」
「……ん。ミリー、愛しれる」
「ちょっと待って、お師匠様!?」
「ろうした? 嫌なのら?」
「嫌じゃないけど、だって酔っぱらってるし!」
突如いちゃつき出した二人の様子を、ハリエットはグラスを握り締めたまま唖然として見守っていた。
目を逸らしたいような、逸らしたら勿体ない様な、複雑な気分を味わっているのだ。
実のところ、グォドレイの飲むワインに魔法薬を仕込んだのはハリエットの仕業だった。酔っぱらったグォドレイを見てみたいと、ほんの悪戯心からであった訳だが、まさかこんな事態になるとは想定していなかったのだ。
揶揄ってわざとらしく誘った事はあっても、実際欲情したグォドレイの姿を見るのは初めてであった為、あまりの色気に赤面した。
「ミリー、俺……」
はあ……と、色っぽく切ない吐息を吐いて、グォドレイがアメジストの様な瞳を苦し気に細めた。
これはいよいよまずいと思い、ハリエットがおずおずと声を掛けた。
「えーと、紫焔。一旦落ち着いたらどうだろうか」
ハッとした様にミルドレットが頷いた。
「そ、そうだよお師匠様、ハリエットさんが見てる前なんだけど!?」
「はりえっろ……?」
ミルドレットの上に覆いかぶさったまま、グォドレイがピタリと動きを止めた。
ズキズキと痛む頭に朦朧としながらぼんやりと見える光景に目を凝らした。
恥ずかし気に頬を染めて見つめるミルドレットが居り、自分の手が彼女の柔らかい胸に触れている。
——夢か? ミリー、可愛いなぁ……。ん? でもなんか……。すっげぇ柔らかい。なんで俺、ミリーの胸触ってんだっけ……?
シン……と間を開けた後、「わぁっ!!」と叫びながら勢いよく飛びのいて、ガツンと壁に頭をぶつけて悶絶した。
「お、お師匠様!? 大丈夫!?」
「すまない、ミリー! 俺はなんてことをっ!!」
壁に後頭部を打ち付けていたグォドレイは、今度は慌てて頭を下げて床に額を強く打ち付けた。
木製の床がバキリと嫌な音を発する。
「あたしは平気だけど、頭を強く打ったんじゃない!? ちょっと! おでこから血が出てる!!」
「頭? 頭は……めちゃんこ……痛ぇ……」
ぐらりとグォドレイの身体が傾いてそのまま床へと倒れ込んだ。
「お師匠様っ!?」
悲鳴を上げるミルドレットを見つめ、ハリエットは無償に申し訳なくなって、苦笑いを浮かべながらパチリと指を打ち鳴らした。
グォドレイの身体が瞬時に消えて、「寝室に送り届けておいた」と告げると、ミルドレットは心配そうに眉を寄せた。
「一体何がどうなっちゃったの? ハリエットさんが来て気が緩んだのかな……」
「すまない、紫焔の弟子。私の責任だ。紫焔の酔った姿が見たくて、つい、その……薬を盛ってしまったのだ」
しょんぼりしながら言ったハリエットに、ミルドレットは頬を膨らませて見つめた。
「ハリエットさん、謝る相手はあたしじゃなくお師匠様でしょ!?」
「無論だ。ただ、お前にもすまない事をしてしまったから」
そう言ってスッと掌を上に向けると、その上に小さな黒曜石の様な石が嵌めこまれた正四面体が現れた。
「これは治癒の魔道具だ。紫焔の額の上に置けば、直ぐに良くなるだろう」
ミルドレットはそれを受け取ると、「お師匠様の所に行って来る!」と、パタパタと駆けて行った。
◇◇
ミルドレットがリビングに戻って来ると、散乱していたワインの瓶やテーブルの上が綺麗に片づけられており、椅子にすまなそうに小さく座るハリエットの様子が伺えた。
「片づけしてくれてありがとう、ハリエットさん」
素直にお礼を言ったミルドレットに、ハリエットは首を左右に振った。
「それよりも、紫焔は大丈夫だっただろうか」
「うん、多分平気。すやすや眠ってるもの」
本当は魘されるかのように「ミリー、すまねぇ」と何度も繰り返し言っていたが、そこについては触れない事にした。
「ハリエットさんも酔い覚ましにどうぞ」
ミルドレットは茶菓子とお茶を用意して、ハリエットの前のテーブルに置いた。その様子をハリエットがまじまじと見つめてくるので、小首を傾げた。
「どうしたの? ハリエットさん」
「……不思議だな。何故かお前に対しては、嫉妬心が芽生えない。お前自身がそういった感情を持ち合わせていないからだろうか」
ハリエットの言う言葉の意味が解らず、ミルドレットは困惑しながらも口を開いた。
「えーと、ハリエットさんとお師匠様って本当に友達同士なの?」
「ああ、その通りだよ。私が一方的に紫焔に想いを寄せているというだけだ」
「……そう、なんだ」
ミルドレットが淹れてくれたお茶を一口飲み、ハリエットは「美味しい」と微笑んだ。
「私が気に入らないか?」
「へ!? 全然、そんなことないよ!? どうして!?」
「私は、紫焔を煩わせてばかりいる。紫焔の心が自分に向いていないと分かっているから、そうすることでしか興味を引けない。まるで人の子供の様だ」
ミルドレットは首を左右に振ると、サファイアの様な瞳を真っ直ぐと向けた。
「あたしも、お師匠様を煩わせてばかりいるよ。だから、ハリエットさんの気持ちすごくよく解る。何かしてあげたいのに、なんだか空回ってばかりで結局迷惑をかけちゃうの」
「紫焔は、お前のすることならば迷惑だなどと思わないだろう?」
ミルドレットはニコリと微笑んだ。
「お師匠様は、きっと皆にそうだよ。ハリエットさんの事も迷惑だなんて思ってない。きっと今日は来てくれた事が嬉しくて飲み過ぎちゃったって事もあると思うから」
ハリエットはミルドレットの思いやりの深さに驚いた。師であるグォドレイ譲りということもあるだろうが、彼女は生まれ持っての気質がある様に思えた。
人を包み込む程の思いやりの深さが……。
「……あのね、あたしハリエットさんにお願いがあって」
「私に、願い?」
頷いて少し恥ずかしそうに頬を染めるミルドレットの様子がなんとも可愛らしく、一体どんな願いだろうかと期待した。
「あの……魔道具を作るのが得意だって聞いて。あたし、何かお師匠様にプレゼントしたいなぁって。ずっとお世話になってるのに、何もしてあげた事ないから」
いじらしいミルドレットの様子にハリエットはつい笑みを零しながら見つめた。
「構わないよ、紫焔の弟子。どんなものが良いだろうか?」
「いいの!?」
「勿論」
嬉しそうに瞳を輝かせるミルドレットが可愛らしく、グォドレイが愛するのは当然だとハリエットは思った。
「あのね、デザインもどんな物にするかも全然決まっていないんだけど。あ、貯金なら魔法薬を売ったお金が少しはあるの……」
「ああ、じっくりと話し合いながら考えようか」
「アクセサリーとか、常に身に付けていられるようなものがいいかなって思うの」
「ふむ、紫焔はあの風貌だからね。色を嫌わないだろう」
グォドレイへの贈り物についてあれこれと話しているうちに、デザインや効果も決まり、材料の調達や制作に取り掛かる日数を極力早めて、感謝祭には間に合わせると約束した。
少し安心した様に微笑むミルドレットを見て、ハリエットはどうしても問いかけをしたくなった。
「お前は、紫焔をどう思っている?」
ハリエットの突然の問いかけに、ミルドレットは一瞬躊躇したもののハッキリと答えた。
「とっても大好きだよ」
ミルドレットは微笑むと、どこか寂し気に言葉を続けた。
「お師匠様は皆に優しいから、本人が困惑しちゃうくらいに皆に好かれるもの。ある人が言っていたの。優しさは余裕がある人のする事だって。お師匠様は、自分の余裕が全部無くなっちゃうくらいに誰にでも優しいから、そんな人を嫌いになんかなれないんだって思うの」
「ああ、本当にそうだ」
そして、ミルドレットは溜息を吐いた。
——感謝祭に行きたくない。
できることなら、このままここでお師匠様と暮らして居たい。
でも、お師匠様はそれを望んでない。あたしを大事に想ってくれてるのに、どうしてなのか分からない。
悲しくなったミルドレットは瞳に浮かびそうになる涙を誤魔化す為、一口お茶を飲んだ。
「でも、自己犠牲が過ぎるよ。お師匠様は……」
ハリエットは「同感だ」と言って頷くと、サファイアの様な瞳を細めた。
「紫焔は、手元に幸せが訪れると、それを誰かに渡さずには居られない性分の様だ」
ミルドレットはハリエットの発言に同意して強く頷くと、心配そうに言葉を放った。
「ハリエットさん。あたしには、お師匠様は自身が満たされることを恐れているという風に見えて仕方が無いの。一体どうして? お師匠様は、幸せになっちゃいけない何かがあるの?」
ズキリとハリエットの胸が痛んだ。
それは恐らく、永く生きているからこその弊害に違いない。
結局手放さなければならないのなら、その幸せを自分の手元で温めてしまう前に、早く誰かへと渡してしまった方が良いという、諦めの様な虚しさ……。
——それでも、私は紫焔に幸せになって欲しい。
永遠の幸福を望まなくても、たとえ、ひと時の幸せであったとしても、知らなければ良かったなどと後悔しないような幸せを。
ハリエットが何でもない事の様にさらりと言葉を吐いた。
「……別れの時は、相手が身に付けているものを貰うといい。そうしたら、少しは寂しさも紛れるだろうから」
それは、グォドレイの耳に揺れるピアスを、ミルドレットが譲り受けるべきだと思っての言葉だった。
一瞬、ミルドレットの動きが止まった。
僅かに頷いて、「そうだね。解った」とだけ言うと、もう一口お茶を飲んで小さくため息を吐いた。




