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愁傷

「余は……認めぬ! ヒュリムトン王太子妃はアリテミラでなければならぬ!!」


 煌々と輝く月の下。墓碑へと続く路地の砂利を踏みしめながら、アーヴィングがそう言って二人の側へと歩いて来た。

 契約の魔術を結んでいるニールの居場所を、アーヴィングには筒抜けであるため、魔法に隠されたこの場所も容易に見つける事が出来たのだろう。


「お父様……」と呟く様にミルドレットは言ってすぅっと青ざめた。


「ミルドレット、私の後ろへ」


 ニールはアーヴィングから庇うようにミルドレットを自分の後ろへと隠すと、ダークグリーンの瞳でじっと見据えた。


「他国の王である貴方に、王太子妃の決定についてとやかく言われる筋合いは無いはずですが?」

「これではアリテミラが、ヒュリムトン王太子に見捨てられた姫というレッテルが貼られてしまうではないか!」

「勝手なことを! 彼女を巻き込んだのは貴方です!!」


 ニールの言葉に、アーヴィングは声を荒げた。


「だまれ! 傷物は、『()()』だけで十分だ!!」


 アーヴィングの言葉を聞き、凄まじい痛みがミルドレットの背を襲った。

 悲鳴を上げて蹲るミルドレットを見つめたニールは、驚愕した。


 彼女の背に深い傷が浮き出し、じわりと滲んだ血液が純白のドレスを汚しているのだ。


「ミルドレット。一体、何故……」

「動くな、化け物。契約の魔術でお前が余に手出しできぬ事はわかっておる。お前相手では兵を何人連れて来ようとも無駄だということもな」


 アーヴィングがすらりと剣を構えた。


「『()()』が居なければ、全てが丸く収まるのだ!! いつもいつも目障りでしかない厄介者め!!」


 ミルドレットが再び悲鳴を上げた。


 更に深い傷が彼女の背に刻み込まれ、夥しい量の血が流れ出た。


——一体、何が起こっているのだ……?


『いいか、よく胸に刻んでおけよ? 古傷ってのは、開くもんなんだぜ?』


 ニールの脳裏に、突如グォドレイの言った言葉が浮かび上がった。


——古傷、だと?


『あいつの心の傷を抉りやがって。二度目だ。お前さんにだけは見られたくねぇと、俺様に痕を消してくれと泣き付いてきた!』


 すぅっと、ニールは血の気が引く思いでミルドレットを見つめた。


 ニールの脳裏には、疲れ切っていたグォドレイの様子や、片腕を無くした様子などが浮かびあがり、バラバラだったパズルのピースが一つずつはまっていく。


 ミルドレットの言った言葉が浮かぶ。


『古傷を治療するのは難しいの。お師匠様は、寿命が縮むって言ってた』


——グォドレイは、ミルドレットの傷を癒す為に、自分の寿命を削ったというのか……?


 片腕を失ったのは、その代償か……?


 感謝祭で、ミルドレットがグォドレイに従順過ぎる程に大人しかったのは、それを引け目に感じていたからだというのか。


 そうまでして治癒した傷でも、心の傷が修復されない限り、精神的ダメージを受けると再び開いてしまうというのか……?

 こんなものは、治療とは言えない。王太子妃選抜で勝ち抜く為に、傷痕を消しただけに過ぎないではないか!


 スラリと、ニールは剣を抜いて、アーヴィングの前に立ちはだかった。


「無駄なことだ。余は契約の魔術というものを熟知しておる。お前も目を覚ますがいい。『()()』には、何の価値も無いのだからな!!」


 ニールはつっと冷や汗を流し、蹲るミルドレットへと視線を向けた。余りにも痛みが激しいのだろう、ふるふると小刻みに震える様子が痛々しい。

 しかし、自分には母ユーリが結んだ契約の魔術が残っている。アーヴィングを殺すわけにはいかない……。


 ミルドレットは痛みに耐えながら、唇を噛みしめた。


——痛い……怖い……! 助けて、お師匠さ………


 駄目! お師匠様を頼ったりしたらもう駄目。しっかりしなきゃ。あたしの為に、あの優しい人をこれ以上傷つけさせちゃ駄目。


 折角自由の身になったお師匠様を、またあたしが縛ったら駄目!! お父様に何を言われても、気にする必要なんかないって言ってた。


 あれはこの事だったんだ。


 あたしは、独りじゃない。ニールがついてる。


 古傷を癒すには、あたしが頑張らなきゃいけないんだ……!!


「お……父様こそ……!」


 ミルドレットは掠れた声を絞り出す様にして叫んだ。


「お父様こそ、あたしの世界には要らないっ!! あたしにとって、あんたなんか何の価値も無いっ!!」


 サファイアの様な瞳を真っ直ぐとアーヴィングに向けて言い放つミルドレットの姿は、気高く美しかった。

 ニールは力強く頷くと、ダークグリーンの瞳でアーヴィングを見つめた。


「この国にも、貴方の存在は不要です。お引き取り下さい」


 その言葉を聞き、アーヴィングは鼻でせせら笑った。


「オーレリアを殺したのは、『()()』ぞ?」


 眉を寄せるニールの後ろで、ミルドレットは瞳を見開いた。


「……え?」


 アーヴィングは鼻で笑うと、つらつらと言葉を並べた。


「『()()』を修道院に入れる条件として、オーレリアは余と契約の魔術を交わしたのだ」


 ミルドレットの瞳に涙が溢れた。


——契約の魔術……?

 お母様は、病で亡くなったんじゃなく、ひょっとして……?


「お母様と、一体どんな契約の魔術を結んだの……?」


 アーヴィングは剣先と共に狂気の眼差しをミルドレットへと向けた。


「もしも貴様が修道院から逃げ出したのなら、オーレリアの命が潰えるという契約だ。貴様は、周りに居る者を巻き込み不幸にするのだ!!」


 凄まじい痛みがミルドレットの背を再び襲った。


——あたしが、お母様を殺した……?

 修道院から逃げ出さなきゃ、お母様は死ななかった……?


「ミルドレット、貴方を修道院から逃がしたのは私です! 貴方に責任はありません!!」


 必死に説得するニールを呆然と見つめながら、ミルドレットは悲鳴を上げた。


——お父様の言う通りだ。お師匠様の事も、あたしは不幸にした……。


 ニールも、あたしと一緒にいたら不幸になっちゃう……?


 ミルドレットの背が引き裂かれ、パッと闇夜に鮮血が飛び散った。ニールはその様子を驚愕しながら見つめ、アーヴィングに振り返った。


「辻褄の合わない事を言うな、アーヴィング!! ミルドレットが修道院から逃げ出した日は、オーレリア妃の国葬が執り行われた日だったはず。オーレリア妃の死は、ミルドレットとは関係が無い!!」


 このままではミルドレットの命が危ういと察したニールは、怒鳴りつける様に言った。だが、アーヴィングはフンと鼻を鳴らし、小ばかにする様に剣先を軽く振り下ろした。


「言っただろう? 余は契約の魔術を熟知していると。『()()』は、お前が修道院を訪れるその前から、既に逃げ出す為の準備を終えていたのだ!」


 アーヴィングの言葉を聞きながら、ミルドレットは想像を絶する痛みに朦朧としていた。


——お父様の言う通り。あたしは、修道院から逃げ出す為に、シスターから鍵を盗んでいた。

 ニールにも会えなくなって、お父様の鞭打ちにあれ以上耐えられなかったから……!


 あたしがあの時、どこへも行かずに死んでいれば、お母様もお師匠様もニールも誰も不幸にならずに済んだ。


 あたしが、皆を不幸にした……!!


「止めろ、アーヴィング!! 例え何が起きようとも、私はアリテミラを妻に迎える気などありません!!」

「ほう? お前の意思こそ関係の無い事だ。お前が嫌ならば影武者が王太子となれば良いのだからな。元より真の王太子はそうなのだろう。ドワイトも望むはずだ!! 『()()』が死ねば全てが丸く収まるのだ!!」


 戯れの様に切りかかるアーヴィングの剣を、ニールは剣で弾き返した。


「父上もこれ以上は望んでいません。まして、ミルドレットの死など! だから彼女を選び、投票したのです!!」


 ヒュリムトン王族は、満場一致でミルドレットへと投票したのだ。


「おのれドワイト!! 謀りおって!!」


 アリテミラを呼び出す様に指示したのは、ドワイトによる自分への復讐だったのだと気づき、アーヴィングは憎々し気に声を放った。


「だが、『()()』がこの世に存在する限り! 余の汚点は消えぬ!!」


 ミルドレットが悲鳴を上げた。剣を使わずとも、アーヴィングの言葉で傷が抉られていくのだ。


——このままでは彼女の命すら奪われかねない!


 ニールはそう判断すると、殺気の籠ったダークグリーンの瞳でアーヴィングを睨みつけた。


——彼女を守ると決めた。例え、自分が死のうとも構わない。

 この男を、この世から葬り去らなければ。


 ミルドレットの為に……!


 ニールは素早く剣を握り直すと、アーヴィングの心臓を寸分の狂いも無く貫いた。




————奇妙なことが起こった。




 ゆっくりと大地へと崩れ落ちるアーヴィングと共に、自分の心臓も止まるものだと思っていたニールは、何事も起こらなかった我が身を不思議に思い、胸に手を当てた。


 死ぬどころか、無傷である自分の胸を擦り、訝しく思いながら振り返った。


 そこには、微動だにしなくなったミルドレットの姿があったのだ。


「……ミルドレット?」


 握りしめていた剣をカラリと落とし、ニールはミルドレットの側に赴き、膝をついた。


「貴方を脅かす元凶は、この世から消えました。もう、恐れるものなどありません」


 彼女をそっと抱き上げたが、固く閉じた瞳が開いてはくれない。


「ミルドレット。どうしたのです? 傷が痛むのですか? 直ぐに医師を。いえ、アレッサに協力を求めましょう」


 ミルドレットの胸は、剣で貫かれたかの様に夥しい血液で濡れていた。


「ああ……何故です……? ミルドレット……どうして、こんな……!!」


 契約の魔術が、忠実に発動されたのだ。


『アーヴィングの命を奪ったのならば、ニールにとってその時最も尊く大切にしている命も潰える』


 それは、ニールではなくミルドレットだった。

 ニールにとって最も尊く大切にしている命とは、ミルドレット以外無いのだから。


「……私が、貴方を殺してしまったのですか?」


 ニールの瞳から、涙が溢れ、ぽたりとミルドレットの頬へと零れ落ちた。


「貴方を守りたかったのに。どうして、こんな……!!」


 今まで一度たりとも流した事の無かった涙を、ニールはポタリポタリと零した。ミルドレットの死により、偽りの笑顔の仮面が砕け散り、ニールは心を取り戻したのだ。


 泣き叫ぶニールの声が、静寂の闇に響き渡った。

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