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湖面上のダンス

「そっか。ヴィンスはユジェイに帰っちゃったんだ……」


 ニールからヒュリムトンの王城の様子を聞いて、ミルドレットは寂しげにため息をついた。


 二人は街の時計塔のてっぺんに腰かけて、街を見下ろしていた。

 グォドレイからの指示書にあった、『景色の良いところ』を考えた結果、ニールには見晴らしの良い高い場所しか思い当たらなかったのだ。


 一見、心中でも目論むカップルの様に見えるものの、ミルドレットには魔術があるし、ニールは身軽である為、万が一落ちたとしても無事だろう。


「アレッサ、大丈夫かな。一人で心細い思いしてるんじゃないかな……」

「シャペロンは失いましたが、ユジェイから専属の従者を多数連れて来ているのですから問題ないでしょう」


 ミルドレットと違いアレッサは恵まれている方だ。それに、彼女にはデュアインがついている。ニールの見立てでは、二人は互いに恋心を抱いている様に思えた。

 アレッサが王太子妃に選ばれなくても、デュアインに爵位の一つでも与えてやれば二人の行く末は安泰だろう。

 曲がりなりにも実兄に、それくらいの温情を与えるくらい大した事ではないはずだ。


「ヴィンセントが国に帰り、寂しいですか?」


 ニールの問いかけにミルドレットは素直に頷いた。


「そうだね。ヴィンスには散々お世話になったもの。『兄様』って呼んでもいいって言ってくれたから、新しい兄様が出来た様な気になっちゃってたし」

「え? 兄……ですか?」

「うん! ヴィンスは頼もしい兄様みたいな存在だよ」


 ニールは今更ながら、ミルドレットを想うあまり彼女に近づく全ての男を敵視していたことに気づいて羞恥した。


「……ヴィンセントならば、会いたいといえばすぐに飛んで来ることでしょう。あまり寂しがる事もないかと思います」

「そっか。これからもアレッサはヒュリムトンに居るわけだし、ヴィンスに会う機会もあるよね!」


 ミルドレットが「手紙書こうっと!」と笑みを浮かべる様子を見つめながら、ニールはすまなそうにため息を吐いた。

 相変わらず、自分は彼女から奪ってばかりだと考えて、唇を噛みしめる。


「あの、ニール……今日はお師匠様の事や、ヴィンスの事だったりと色々と沢山話してくれてありがとう」


 ミルドレットは俯くと、ぎゅっと拳を握り締めて意を決した様に言葉を吐いた。


「もう一つだけ、聞いてもいいかな?」

「ええ。勿論です」

「その……お、お父様は……?」


 ニールは眉を寄せた。何故グォドレイはあの諸悪の根源を野放しにしているのだろうか。

 だが、今はミルドレットと折角二人きりの時間を過ごしているのだ。冷静になる様にと自らに言い聞かせながら、ニールは応えた。


「ルーデンベルン王は、感謝祭までヒュリムトンに滞在するとの事です」


 感謝祭で王太子妃が決定する。

 それを見届けてから帰国しようという魂胆なのだろう。


「そ……そっか……」


 サファイアの様な瞳を見開いたまま、ミルドレットはぎゅっと更に拳を強く握り締めた。


「ミルドレット様」


 ニールはミルドレットの手を取り、固く握り締められた手をそっと解いた。


「あまり強く握り締めては、怪我をされてしまいます」

「ニール、あたし……」


 ミルドレットは、ぽろぽろと涙を零しながら身体を震わせた。


「怖くて堪らなくなるの。お父様の事を考えるだけで、昔の事を思い出しちゃうから!」


 恐怖に怯えるミルドレットを見つめ、ニールは思わず彼女の肩に優しく触れた。


 一体、どうすればミルドレットの傷付いた心を救う事ができるのだろうか。

 ヒュリムトンの王太子妃となれば、ゆくゆくは国母となり外交の場にも顔を出す必要性が出て来る。その頃にもなれば、ルーデンベルン王も代替えしているであろうものの、彼女の心に刻みつけられた恐怖が消える事は決して無いのだ。


 ルーデンベルンが、存在している限り……。


「お師匠様に対しても申し訳無くて堪らないよ。きっとあたしを見る度に嫌な思い出を思い出してたんだよね」

「それは違います。過去にいつまでも囚われてなんかいられない性分なのだと本人が言っていましたので」


 きっぱりと言い切ると、ニールはため息交じりに言った。


「グォドレイの過去の事で、ミルドレット様が気に止むことなど一切無いのです。その様な気持ちにさせる為に話したわけではないのですから。ですが、貴方がヒュリムトンに戻るのだとすれば、私が全力でお守り致します」


 ニールはそう言って、ミルドレットの手を優しく握った。


「ミルドレット様が悲しまぬ様、ずっとお側でお守りしますから、ご安心ください」

「……ずっと?」


 ズキリとミルドレットの心が痛んだ。悲し気に瞳を伏せ、長い銀色の睫毛でミルドレットのサファイアの様な美しい瞳が隠される。


「……でも、ニールには婚約者候補が居るんでしょう? ずっとあたしの側になんかいられないでしょう?」


 ミルドレットの言葉に、ニールは『何のことだったか……』と考えて、いつぞや話の流れでそんな事を言ったこともあったなと思い出した。


「それは、もう良いのです。初めから居なかった様なものですから」


 デュアインこそが本当の兄だった。であれば、『シハイル』とは幻でしかない。その婚約者候補もまた、存在しないと言えるだろう。


 ミルドレットはサファイアの様な瞳を見開いた。


「婚約者候補が居ない……? それじゃあ……本当にずっと、あたしの側に居てくれるの?」

「はい」

「あたしが、王太子妃になったとしても?」

「……はい」


——その時には、全てを打ち明けて許しを請おう。こんな化け物が、貴方を愛してしまってすまなかった、と……。


 ニールはそう心に決めて、ミルドレットを見つめた。だが、ミルドレットは不安気に俯いた。


 風がさらさらと彼女の銀髪を攫う。日の光がサファイアの様な瞳を照らし、柔らかそうな唇が無残にもぎゅっと噛みしめられた。


「……選ばれなかったら、あたしを殺すの?」


 震える声でそう言ったミルドレットは、悲し気に眉を下げた。ニールは驚いて、握ったミルドレットの手を僅かに引いた。


「まさか。何故そんなことを?」

「だって、ニールはお父様の命令であたしの側に居るんでしょ?」


——そんな風に思っていたのか……?

 ニールは愕然とし、慌てて首を左右に振った。


「貴方の側に居るのは、私の意思です!」


 確かに、アーヴィングはアリテミラの身代わりにミルドレットを宛がえる様にと指示を出した。だが、それはニール自身が望んだことでもあったのだ。

 却下されたが、母に承諾を得ようと頭を下げにも行った。そのせいで王太子妃選抜レースが執り行われるようになったのだから。


 だが、考えてもみればそんな事情をミルドレットが把握しているはずなどない。


 どれほどにミルドレットを想っているのか彼女に全く伝わっていなかったのだと改めて知り、ニールは血の気が引く思いだった。


「ミルドレット様、誤解無き様に。私は貴方の護衛騎士です。誰からも貴方を傷つけさせない様にと、全てを捧げるつもりでお側に居るのですから」


——後悔していた。

 ミルドレットが惨い仕打ちをされていたことに、気づかないでいた自分に。


 彼女は自分とは違う。色のある世界で生きているのだと勝手に決めつけて、見ない様にしていた。目を向けてしまえば、彼女の虜になると分かっていて、それが恐ろしかったのだ。


 だが、もう遅い。ニールはミルドレットを知ってしまった。狂おしい程に彼女を愛してしまったのだ。


「私が、貴方から離れてはもう、生きてはゆけないのです」


 それは、愛の告白に違いなかったが、心に傷痕が深く残る二人にとっては別の意味を持っていた。


 互いの側こそが、自分自信と向き合える唯一の場所なのだから。


 ミルドレットは微笑むと、「有難う」と言ってニールの背にそっと両手を回した。


「再会出来て良かった。あたしも少しでもニールの役に立てる様に頑張るから」


 王太子妃になると決めたのは、ニールをルーデンベルンの呪縛から解放する為だ。それだというのに、彼が自分の意思で戻ってしまうのなら意味を成さない。


——例えあたしが王太子妃になれなかったとしても、側に居てくれると約束してくれたのなら、もう大丈夫だよね……?


 彼女の体温が伝わり、ニールも戸惑いながら優しく抱きしめた。


 再びニールの心臓が煩い程に鼓動し始めた。そんな時に限ってグォドレイのくだらない指示書が脳裏を過る。


『その五、景色の良い場所でイチャつく。台詞「愛してるよ、ミルドレット」と言ってキス』


——キス……?

 今? ここで? 何故??


 余りにも緊張をし過ぎて行動の理由を追求し、余計に意味が分からなくなり、ニールはだらだらと背に汗を垂らした。


 ミルドレットが顔を上げ、ニールを見上げた。


 柔らかそうな彼女の桜色の唇を見つめ、ごくりと息を呑む。

 白銀の仮面を被り、シハイルに成り代わっていた時は衝動に駆られて口づけをしてしまったが……。


——いいや、ここは多少強引でも自分の意思を彼女に伝えるべきだ。


 ニールはミルドレットの両肩を掴むと、強引に時計塔の屋根に押し倒した。ゴチン! と、ミルドレットが頭を打ち、「ふぎゃっ!」と色気のない声を上げたが、ニールには最早そんなことを気にしている余裕など無かった。


「な、何? 一体どうしたの? ビックリしたんだけど……」


 壁ドンならぬ屋根ドンの体制で、ニールはじっとミルドレットを見つめた。


 ミルドレットは打ち付けた頭部の痛みと、尋常ならざるニールの様子に恐怖を感じ、冷や汗を垂らした。


——ニール、まさか王太子妃に選ばれなかったとしても殺さないけど、今あたしを殺すつもりなんじゃ……?

 まずい、何とかして誤魔化さなきゃ!


 そっと、ニールがミルドレットに顔を近づけようとした時、「お、お願いがあるんだけど!」と、彼女が言ったので、ぴたりと動きを止めた。


「お願い、ですか?」

「う、うん。実は……!」


 夕暮れ時の空は黄昏色に染まり、雲は鮮やかなまでの赤色を放っていた。


 ミルドレットとニールは街から離れ、湖畔へと赴いていた。

 歌うように詠唱をすると、空を反射する湖面の上をニールの手を引いて歩いた。


「マナーの勉強や復習なら一人でできるけれど、ダンスはパートナーが居ないと難しいから」


 照れた様に笑って言うミルドレットに「これくらい、お安い御用です」と言って、ニールはパートナー役を引き受けた。


「ここなら広いから良いかと思って」


 夕暮れの空を反射する湖面をステージ替わりに、二人は軽やかにステップを踏んだ。


「折角ヴィンスと沢山練習したのに、生誕祭では披露できなかったから」

「確かに、随分と上達されましたね」

「でしょ? とっても頑張ったの」


 ステップを踏む度に、ミルドレットのスカートの裾が可憐に揺れる。


「感謝祭でも夜会ではダンスが行われます。王太子妃に選ばれたのならパートナー役になるでしょうから、思う存分見せつけてやってください」


 ニールの言葉に、ミルドレットは小さく笑った。


「そうだね。選ばれたらいいけれど。あたし、王太子妃候補のお披露目パーティーでも踊れなかったし、三度目の正直かな? 殿下の足を踏まない様に気を付けなきゃ」


 繋いだ手を伸ばした後、クルリと回転させながらニールの腕の中にその身をすっぽりと抱かれて、再び離れた。


 身体が触れ合う度にミルドレットはドキリと心臓が高鳴ったが、それをニールに悟られないようにと踊りに集中した。


——なんだか、意識したら上手く踊れなくなっちゃう。ニールに婚約者候補が居ないって解ったのは嬉しいんだけれど、でも、だからといってニールとあたしの関係性が変わるわけでも何でもないのに。


 これ以上、ニールと一緒に居たら駄目だ。ちゃんと線引きをしないと。王太子妃に選ばれなかったとしても、あたしとニールが結ばれる事なんて絶対に無いんだから。


 側に居てくれるとは言ってくれたけれど、あたしを婚約者にする気なんかニールには無いってことなんだから。


 必死に集中しながらなんとか一曲踊り終えると、ニールが手を叩いて褒め称えた。


「上出来ですよ、ミルドレット様」

「本当?」

「はい。驚きました」


 ニールは、シハイルさながらにミルドレットの手を取ると、その甲に口づけをした。


「完璧な淑女です」


 赤みがかった栗色の髪を黄昏色に染め、笑みを浮かべるニールも完璧な紳士だった。


「さあ、そろそろ帰らなければ。グォドレイが心配するでしょう」


——今、ヒュリムトンの王城にはアーヴィングが居る。

 アーヴィングの側に居ることは、ミルドレットにとって苦痛以外なにものでもない。ともなれば、無理矢理に連れ帰る訳にもいかない。

 それに、彼女の意思を尊重するのだと決めたのだから。


 例え、感謝祭に彼女が姿を現さなかったのだとしても、受け入れるしかない。


 その時は……アーヴィングを殺し、自分も共に命を潰えよう……。


「お師匠様、心配してるかな……?」

「勿論です。彼は貴方の事を最も尊重しているのですから」


 ニールの言葉に、ミルドレットは頷いた。


——そうだね。ニールの言う通りだ。お師匠様の所に帰ろう。


 ニールとは、もうこれ以上二人で会ったら駄目だ。ちゃんとお別れしなくちゃ。


「ニール。あと一つだけ我儘きいてくれる?」


 顔を真っ赤にしながら言うミルドレットに、ニールは小首を傾げた。


「構いませんが」


 さらりと風になびくニールの赤みがかった栗色の髪を見つめて、ミルドレットはゴクリと息を呑んだ。


——嫌がられるかもしれないけど、でも……これが最初で最後だから!


「それじゃあ、ちょっと動かないでね?」

「……はい?」


 不思議そうに見つめるニールの肩にパッと手を置くと、ミルドレットはふわりと宙に舞って口づけをした。


「ご、ごめん! え、えーと。それじゃあ、あたし、帰るね。『さよなら』!!」


 パッとミルドレットが姿を消して、呆然としていたニールは魔法が解け、ザブン! と湖の中へと落ちた。

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