二人の時間
闇夜が支配する静寂の草原で、深い紫色の髪を風に靡かせながら、グォドレイは佇んでいた。
その日はルーデンベルン王妃、オーレリアの国葬が執り行われた日だった。
ローブを目深に被り、念入りに姿隠しの魔術を掛けた上でひっそりと参列した。
そして、彼女の安らかな死に顔を思い出しながら、こうして一人オーレリアと初めて出会った草原で冥福を祈っていたのだ。
冷たい風は冷え切った心を更に蝕み、痛みを伴った。
煙管を握る手は降ろされて、炎などとっくに消えていた。
彼女に対する問いかけは葛藤にも似た言葉となり、湧き上がっては打ち消して、ただ心の傷だけが何度も深く刻まれるだけの時間だった。
縁というものは妙なものだ。
人ではない魔導士という存在だからなのか、それとも運命とやらが導いているのか、予感というものは確実に存在している。
泣きながら必死に草原を駆ける小さな少女と、その日彼は偶然出会ったのだから。
もう二度と、人間とは関わらないと決めていたというのに、グォドレイは姿を隠す事をせず、自分の運命を受け入れるかのように溜息をついた。
もしかすれば寂しさが募り過ぎて、誰でも良いから側に居て欲しいという感情からの行動だったのかもしれない。
「……なんだ? 鼻水ぶったらして汚ねぇガキだな」
酷く痩せてボロを纏ったその少女の前でしゃがみ込むと、グォドレイはうんざりした様にそう言った。
「おい、嬢ちゃん。この辺りは魔獣の縄張りだ。こんな時間に歩いてると餌食になるぜ?」
覗き込む様に見つめると、薄汚れた銀髪の間からサファイアの様な瞳を覗かせ、涙を溢れさせていた。
「リア……?」
——いや、そんなはずはないだろう。寂しさのあまり俺はどうかしちまったのか……。
グォドレイは押し寄せる悲しみを飲み込み、そっと手を差し伸べた。
「お前さん怪我だらけじゃねぇか。一体どうして……」
だが、少女は怯え、悲鳴を上げた。
「おい……」
戸惑うグォドレイの前で、少女は鞭打ちに耐える体制をとった。小さな身体をより一層小さくし、身を固くして。
それは、少女が執拗に長い年月の間折檻され続けてきた心の傷を見せつけられたようなものだった。
直感的に、『目を逸らす事は赦されない』と思った。
オーレリアと良く似たこの少女を傷つけたのは、自分なのかもしれないのだから。
安らかな死に顔に見えたオーレリアは、その実、あの王城の中で一体どんな生活を送っていたのだろうか。
人間であるとはいえ、あまりにも短い生涯を終えた彼女は本当に病で亡くなったのだろうか?
——もしもあの時、無理矢理にでもリアを連れ去っていたのだとしたら……?
そしたら、こんな痛々しい少女を作り出すことは無かったのかもしれない。
震える少女を見つめたままグォドレイは立ち上がると、幅の広い袖口から煙管を取り出した。
ぽっと魔術で火を灯すと、闇夜が一瞬照らされて、少女の薄汚れた様子が一層はっきりと認識できた。
背中の方は衣服が引きちぎれ、目を逸らしたくなるほどの無残な鞭打ちの痕が露わとなっている。
この小さな身体でどれほど悲惨な状況だったのか、想像するだけで心が痛みに蝕まれた。
少女は恐る恐る顔を上げた。
彼女にとって恐怖の対象でしかなかった大人が、自分に手をあげる事も、怒鳴る事も詰る事も無いということが意外でならなかったのだ。
ぷかぷかと煙管をふかし、少女を労わる様なアメジストの瞳で見つめる男を不思議そうに見上げる。
「……治療、してやろうか?」
グォドレイは、そう言った自分に驚いた。
魔法薬は完璧に何もかもを治癒する事などできない。特に古傷に対してはその効力を発揮しないのだ。
それは恐らく、心の傷が作用しているのだろう。深く身体に残った爪痕は、確実に心を蝕んでいるからだ。
つまり、少女の傷痕を治療する為には、その壮絶な程にズタズタとなった心の傷をも治療する必要があるということだった。
グォドレイの言葉に少女は瞳を見開いた。
「治療って、あたしの……?」
「他に誰が居るってんだ?」
グォドレイは溜息を吐くと、ぷいと踵を返して歩き出した。
「あ、待って!」
少女は慌てて立ち上がると、グォドレイの後を折れてしまいそうな程に細い四肢を動かして必死についてきた。
「お前さん、名は?」
「ミルドレット・レイラ・ルーデンベルン」
ルーデンベルンの名を名乗ったことに、グォドレイはズキリと心が痛んだ。
——ああ、やはりこの娘はオーレリアの……。
くそ、何だってこんな風体でこんな時間にこんなところをうろついてやがるんだ。この娘は王女なんじゃねぇのかよ。
アーヴィング・ガブレビノ・ルーデンベルン。俺はこれほどにお前が憎いと思ったことは無ぇ!!
沸き起こる怒りを抑えながら、グォドレイはぶっきらぼうに言った。
「……長ったらしいな。ミリーでいいだろう?」
ミルドレットは初めて愛称で呼ばれ、ふわりと心が温かくなった。思わずきゅっとグォドレイのローブの裾を掴んだが、グォドレイは何も言わずに一瞬だけ視線を向けて、歩く速度を緩めた。
誰かとこうして会話し、触れ合うのは久しぶりだと思った。
僅かに引かれる服の裾の感覚を感じながら、グォドレイは寂しげに微笑んだ。
「腹減ってんだろう? 何か……」
「あたし、飴を持ってるよ!」
それは、修道院から逃げ出す前にニールから受け取ったものだった。
「なんでそんなモン持ってんだ?」
甘味は嗜好品である為、薄汚れた格好のミルドレットが持っている事を訝しく思って言ったが、「さっき貰ったの」と言って、ミルドレットは袋から一粒手に取り、グォドレイに差し出した。
「はい、あーんしてね」
屈んだグォドレイが戸惑いつつも開けた口の中に飴玉を放り込むと、自らの口の中にも一粒放り込んだ。
「……甘いな」
「うん」
涙が出そうになるほどに甘い飴玉に感じた。このままずっと味わっていたいと思ったが、いつかは溶けて消えてしまう事が堪らなく寂しく思った。
「寒く無いか?」
「平気だよ」
そう言った後、ミルドレットは「一人じゃないから」と、言葉を続けた。
「一人だと寒いのか?」
「うん。さっきまでは寒かったし、寂しくて堪らなかった。でも、貴方と居ると暖かいし、寂しくない」
カラコロと口の中で音を鳴らしながら、月明かりの下、延々と続く草原を二人で歩いた。
魔獣避けの魔術のお陰で辺りは静けさに包まれており、揺れる草原に落ちる二人の影が身長差をはっきりと映し出し微笑ましく思えた。
服の裾を掴む少女の手の細さに心を痛め、グォドレイはスッと手を差し伸べた。その手を戸惑いつつも嬉しそうに握るいたいけな様子に、胸が締め付けられそうだった。
「どっか、誰も来ない様なところに家でも建てるか……」
「お家? どうして?」
「ああ、必要だろう? 安心して眠れる、お前さんの寝床がな」
「あの……」
ミルドレットが遠慮がちにグォドレイの手を握りながら言った。
「それって……ずっと、あたしと一緒に居てくれるの?」
一瞬躊躇ったが、グォドレイは頷いた。
「ああ、ずっと一緒だ。お前さんが嫌にならねぇ限りな」
◇◇◇◇
——あの野郎、不器用にも程があるだろ!?
グォドレイは物陰に隠れながら、ミルドレットとニールのデートを見守り、心の中で悪態をついた。
二人はミルドレットの魔術で裏路地から瞬間移動し、道幅の広い通りを歩いていた。ニールは不満気にチラリと視線を向けて、言葉を吐いた。
「もう少し貴方の自慢をしたかったのですが……」
「そういうの要らないからっ! 恥ずかしいしっ!」
顔を真っ赤にして言うミルドレットが可愛らしく、ニールは抱きしめたい衝動を必死に抑えながら心の中で悶えた。
そんな体たらくな為、ミルドレットが歩きにくい靴に眉を寄せ、痛めた爪先を気にしている事になど全く気づいていなかった。
次のデートプランは何だったかと思い出し、『その四、美味い店での食事。台詞「君の瞳に乾杯」』であることに気づいて悪態をついた。
——グォドレイめ、ふざけているのか!?
ニールはお勧めの店の所在まで思い出しながらも、笑顔を浮かべたままこめかみにピシリと青筋を立てた。
ミルドレットはニールから並々ならぬ殺気を感じ取り、青ざめた。
——やっぱりこの人絶対おかしい!
「ニール、お師匠様を探そ……」
「いいえ!」
ニールは即答すると、ミルドレットを半ば強引にエスコートしながら「こちらです」と言った。無理に引っ張った為、ミルドレットは痛めていた足に追加のダメージを受け、「いだっ!」と悲鳴を上げた。
「すみません、大丈夫ですか?」
しゃがみ込むミルドレットを気遣い、ニールもしゃがみ込んだ。
その様子を見ていたグォドレイが『お! いい雰囲気じゃねぇか。よし、そのままお姫様抱っこだ!』と、期待していると、ニールはサッとミルドレットに背を向けた。
「私がお運びいたしましょう」
——おんぶかよ!?
ミルドレットはニールにお礼を言ってその背に背負われた。が、スカートである為背負いづらく、ずるずると滑っていく。ニールの首をミルドレットの組んだ手が締め上げ、笑顔を崩さないまま耐え抜くという、なんとも間抜けな構図が出来上がった。
二人がグォドレイ推奨の店へと辿り着いた時には、紫色に顔色を変えたニールに店員が驚いてガチャン! と食器を落としてしまった程だ。
とはいえ、曲がりなりにも王族である二人だ。ニールは元より、ミルドレットも習得した完璧なテーブルマナーを披露し、店の者に『只者ではない』と思わせたのは言うまでもない。
そして、当然ながらグォドレイはすっかりと呆れ果て、見守る事も馬鹿馬鹿しくなって帰宅してしまった。
「このお魚美味しい!」
嬉しそうに瞳を輝かせたミルドレットを見つめる事が出来て、ニールは上機嫌になった。
ヒュリムトンの王城の食事はどうにも肉料理が多い。グォドレイと共に庶民らしい食事を摂って来たミルドレットには、素朴な味の方が好みなのだ。
自分が選んだ店ではなく、ミルドレットの好みを深く理解しているグォドレイに勧められた店であるという点は気に食わないが、目の前で美味しそうに食事をする可愛らしいミルドレットを見てご満悦になるのは抗えなかった。
「グォドレイとはいつもこの様な食事を?」
つい、そう問いかけてしまった自分に不覚をとったと思ったが、彼女の事は何でも知りたいと考えてしまうのだから致し方が無い。
「お師匠様、お料理が凄く上手なの!」
——あの男、料理も嗜むのか!?
「でも、あたしが作ったスープは美味しいって良く褒めてくれたよ」
——ミルドレットが作った食事を食べれらるとは、羨ましいにも程があるぞ!!
笑顔の仮面にピシリと罅を入れながらも、ニールは更に問いかけた。
「成程。ミルドレット様はどのような食べ物が一番お好きなのですか?」
「食べ物?」
「はい」
少し考えて、ミルドレットは「ニールから貰った飴玉かな」と言った。
「お師匠様と初めて会った時、あたし、ニールから貰った飴を持っていたの。ボロボロに薄汚れたあたしなんかが差し出した飴を、何の躊躇もなく食べてくれたんだ。二人で飴玉を頬張りながら歩いたあの日の味は、一生忘れられない。あんなに心が温かくなる味は他に無いもの」
ズキリとニールの胸が痛んだ。どう頑張ってもあの男には敵わないという悔しさが滲む。
「……ミルドレット様は、グォドレイを愛しているのですか?」
ニールのその言葉に、ミルドレットの頬がみるみるうちに赤く染まっていった。
「前は、全然そんな風に意識していなかったんだけど! なんか最近そうなのかなって。笑っちゃうよね、あたしなんか家族からも愛されなかったくせにって」
火照った両頬を包み込む様に両手で触れながら、ミルドレットは恥ずかしそうに言った。
「あ、でも心配しないで。あたし、王太子妃になる為にちゃんと頑張るからっ!」
——それでは、ミルドレットが幸せになれないのでは……?
ニールは躊躇ったものの、溜息を吐いてじっとミルドレットを見つめた。
「ミルドレット様。貴方にお話しておきたい事があります」
ニールの真剣な様子に、ミルドレットは不安気に眉を寄せた。
「心配しなくても大丈夫だよ。お師匠様は感謝祭にはヒュリムトンの王城にあたしを送るって言ってたもの。約束を破る様な人じゃないから、怒ったりしないで欲しいの。きっと、これがお師匠様と過ごす最後の機会だと思うから」
「いいえ、その事ではありません。私がお話するのは、グォドレイとミルドレット様の母上オーレリア妃の事です」
「……お師匠様とお母様の事?」
サファイアの様な瞳を戸惑う様に揺らすミルドレットを見つめながら、ニールは頷いた。
ミルドレットを心の底から愛しているからこそ、彼女の気持ちを蔑ろにするような行為はしたくないと考えられる様になったのだ。
押しつけるだけの好意でミルドレットを幸せになどできはしない。
本当に彼女の事を想うのならば、グォドレイの抱える痛みも隠さず知るべきだ。
その上でも尚、王太子妃になると決めてくれたのならば、この上ないのだから。
涙を零しながら時折頷き、思い悩む様に眉を寄せる彼女を見つめながら、ニールはゆっくりと悲しい物語を話し終えた。
店を出て落ち込んだ様子のミルドレットを元気づけなければと、次の行先を思い浮かべた。
『その五、景色の良い場所でイチャつく。台詞「愛してるよ、ミルドレット」と言ってキス』
「……」
ニールは最早、場所の指示のみを聞こうと心に決めた。
ミルドレットは魔術で歩きやすい靴へと変えて、デザインはともかく習得したばかりの魔術をすっかりと使いこなしていた。
得意気に微笑むミルドレットが可愛らしく、ニールは思わず頬を染めた。
「新しい魔術を習得されたのですね」
「うん! 凄く便利!」
——一瞬で着替えられるのは、確かに便利そうだ。デザインは独創的だが。
コホン、と咳払いをして、ニールは手を差し伸べた。ミルドレットは嬉しそうにその手を取ると、仲睦まじく街を歩いた。




