ランセンの女神
ミルドレットは不思議に思っていた。
人目も憚らず自分をエスコートする王太子を見つめると、彼は幸せそうに口元に笑みを浮かべるのだ。
周囲を見渡すと、大勢の招待客達が困惑したような妙な表情を浮かべているというのに。
不信感を抱かれるのは当然だろう。一月以上もの間、王城を留守にしていたのだから。それだというのに、何故王太子は怒るどころか待ちわびていたと言って迎えてくれるのだろうか。
せめて堂々と胸を張らなければ思いながらも、場内の奇妙な雰囲気に不安を隠せず、ニールの姿を探した。彼はヒュリムトンの貴族だ。きっとどこかに居るはず……。
「どなたかをお探しですか?」
不安げな様子に気づいて問いかけた王太子に、ミルドレットは頷いた。
「私の護衛騎士を」
「それならばご安心を、すぐ側に居る事でしょう」
どういうことだろう、と見上げたミルドレットに、彼は小さく溜息を吐いた。
「彼が、貴方の側を離れるはずがありません。貴方無しでは生きてはゆけないのですから」
その言葉に、ミルドレットはハッとした。
『私が、貴方から離れてはもう、生きてはゆけないのです』
時計塔の屋根の上でニールが言った言葉を思い出したのだ。
——どうして殿下はニールが言った言葉を知っているんだろう。二人は知り合い同士か何かなのかな……?
王太子にエスコートされて広間を歩くミルドレットを、皆訝し気に見つめていた。
体裁を重んじる貴族にとって、背に鞭打ちの痕を背負う娘を冠に頂く事は、どうにも受け入れられないのだ。ドワイトが提案した通り王太子妃の決定を投票制にしたのならば、間違いなく貴族達はアリテミラに投票する事だろう。
ひそひそと、そこかしこで陰口が囁かれた。
「あの娘は何故背に鞭打ちの痕が?」
「罪人であるとの噂ですが」
「そのような娘が、我々貴族を纏める王族に嫁ぐのか?」
「ここへ来た時は、気品のかけらもない娘だったとか」
それは、当然ミルドレットの耳にも入ってきた。唇を噛みしめて、毅然としようと努めたが、やはり自分は欠陥品なのだとズキズキと心が痛んだ。
耳元でシャラリとピアスが音を発した。それは、師であるグォドレイから譲り受けたものだった。ミルドレットの不安を少しでも和らげようと贈ってくれたものだ。
その音に勇気づけられ、ミルドレットは顔を上げた。
凛とした様子で、口元に僅かに笑みを浮かべて堂々と胸を張ったのだ。
それでも、ミルドレットを卑下する言葉は止まなかった。
ニールが苛立ち『黙れ』と声を荒げる直前、どよめく場内の様子をグォドレイは静かに見回した後、小ばかにしたようにあざ笑った。
「ミリー、こいつらはどうやらお前さんの背中が気になって仕方ねぇらしいぜ。お望み通り見せつけてやれ」
壇上の前で振り返って言うグォドレイに、ミルドレットは頷いた。
何をする気だろうと、訝しく思ったニールの腕から手を放すと、ミルドレットは歌うような詠唱をした。
すると、彼女が纏う純白のドレスの背の部分から、するすると銀糸が解けていった。解けた銀糸は天使の翼の様に紡がれていき、代わりに彼女の背が露わとなった。
「仕上げだ」
グォドレイがそう言うと、指を打ち鳴らした。
ミルドレットは銀糸で紡がれた翼をはためかせ、宙へと舞った。
驚いて見上げたニールの瞳には、傷一つ無い滑らかな肌の背を惜しげもなく見せつけるミルドレットの姿が映った。
——どういう事だ? グォドレイの魔術で傷痕を消したのか? それとも、そんなものは元々無かったのか……?
その場に居た誰もが感嘆の声を上げ、女神さながらのミルドレットを見上げた。
ニールもまた、その光景を見上げながら呆然とした。
「お師匠様」
「おう」
短いやりとりの後、ミルドレットはふわりとグォドレイの元へと舞い降りた。
「着地の練習が間に合わなかったんでな。俺様はミリー専用の踏み台だ」と言ったグォドレイの言葉が皆の笑いを誘い、拍手が沸き起こった。
彼女の一体どこが傷物だと言うのか。鞭打ちの痕があると言われた背には、傷どころか輝く翼を持つ女神であると声が上がった。
先ほどの異様な空気すらをも彼女の神々しさで打ち消してしまったと、手のひらを返した様な称える言葉に、ミルドレットは戸惑う様にはにかみながら笑みを浮かべた。
だが、ニールは眉を寄せた。
ミルドレットを抱き留めたグォドレイは、右腕のみを伸ばしていたからだ。彼のローブは左側の袖がだらりと垂れ下がっており、そこにあるはずの腕が無い様に思えた。
ヒュリムトン王夫妻の前で膝を折るミルドレットの後ろで、ニールはその様子を訝し気に見つめていた。
◇◇
日が落ちると共に、数か所に設置された投票箱は一か所へと集められる手筈となっている。それまでの間は感謝祭に振舞われた料理を前に、集まった貴族達も交えて歓談の時間が設けられた。
グォレイは多数の貴族達に取り囲まれてあれやこれやと質問攻めに遭い、おまけに令嬢を妻にどうかと次々と紹介された為、うんざりしてその場から抜け出してしまった。
ミルドレットはアレッサとの再会を喜び、互いに励まし合った。
「アレッサ、棄権だなんて一体どうして? ヴィンスが国に帰ってしまったから?」
ミルドレットの問いかけに、アレッサは困った様に微笑んだ後、傍らに居る男にチラリと視線を向けた。
彼は遠慮がちに握手を求める手をミルドレットへと差し出した。
「デュアイン・オールストンです。お見知りおきを」
デュアインと握手したミルドレットの耳に、アレッサがそっと耳打ちをする。
「彼、シハイル王太子殿下の影武者なの」
「え!?」
素っ頓狂な声を上げたミルドレットに、アレッサは悪戯っぽく笑って頬を染めた。
「酷い話でしょう? 私はずっと、殿下の影武者と逢瀬を繰り返して、恋してしまったのですもの」
思わず壇上に居る王太子へと視線を向けたミルドレットだったが、彼女の視線に気づいてニールも視線を向けバッチリ目が合った為、気まずくなってすぐさま目を逸らした。
『目を逸らされた!?』と、ショックを受けているニールの事など露知らず、ミルドレットはアレッサと会話を続けた。
「それって、二人はどうなっちゃうの?」
不安気に問いかけたミルドレットに、アレッサは幸せそうに微笑んだ。
「王太子殿下が温情を。だから、何の心配も要りませんわ」
デュアインはアレッサを労わる様に彼女の肩に手を触れると、小さくため息をついた。
「僕は両親の居ない天涯孤独の身だからね。堅苦しい事は無いだろうけれど、アレッサが一人で居る時間も多く、寂しい思いをさせてしまうんじゃないかと心配しているのだけれど」
「大丈夫よ。お兄様はきっと、呼ばなくてもユジェイから飛んで来るでしょうから」
ヴィンセントの事だ。アレッサの輿入れ先に入り浸って、義弟いびりをするに違いない。
ミルドレットはそんな光景を想像し、くすくすと笑った。
「そっか。アレッサが幸せなら良かった。それにしても、あの人の影武者だなんて、お気の毒」
「解ってくれるかい!?」
デュアインが涙目になって訴える様にミルドレットを見つめた。
「あいつときたら、気に食わない事があれば直ぐ僕を半殺しにするんだ。この立場じゃ医者も呼べないからね。全く、命がいくつあっても足りやしないよ」
治癒魔法が仕えるアレッサとは、まさにベストカップルであると言えなくもない。そんな理由もあって王太子がアレッサとの恋愛を認めたのだとしたら、相当な鬼畜であるわけだが、ミルドレットには考える余地も無かった。
「良く分かんないけれど、もしあたしが王太子妃に選ばれたら、デュアインさんにもっと優しくしてって伝えておくね」
「きっと、選ばれますわ!」
アレッサがミルドレットを励まして両手を優しく握った。
「ライバル同士お互い頑張ったのですもの、勝っていただかないと。大丈夫、アリテミラ姫に負けたりなんかしませんわ」
遠くで談笑しているアリテミラを一瞥した後、アレッサはミルドレットに黒曜石の様な瞳を向けた。
「背中の傷も、綺麗に消えたと聞きましたわ。私はあの時何故か気を失っていて、ミルドレット姫の雄姿を見る事ができず残念だったけれど。一体どんな魔法を使ったのかしら? ユジェイの国秘をもってしても、古傷の治癒は不可能ですのに」
ミルドレットは悲し気にサファイアの様な瞳を潤ませた。
「あれは、お師匠様が……」
「よぉ、ミリー。楽しんでるか?」
グォドレイが突然割って入って来ると、ミルドレットの肩をトンと叩いた。
「ユジェイのお姫さんか、その節はニコニコ仮面が世話になったなぁ」
「ニコニコ? ニール様の事ですか?」
アレッサがクスクスと笑うと、グォドレイは「ああ、あのおっかねぇストーカー野郎だ」と言ってへらへらと笑った。
壇上の方からの殺気を感じながらも、グォドレイはガン無視でミルドレットの肩を抱き寄せて、これみよがしに身体を密着させると、彼女の額にキスをした。
まるで恋人同士であるかのような二人の様子にアレッサは言葉を失って、思わず壇上の方へと視線を向けたが、そこには王太子の姿は無く、『殿下はどこへ行ったのかしら』と小首を傾げた。
「グォドレイ殿。私の妃に気安く触れないでいただけますか?」
突然背後に現れた男に驚いたアレッサを、デュアインがさり気なく誘導すると、「アレッサ、あちらへ行こうか」と言ってそそくさとその場から離れた。
グォドレイは不敵な笑みを浮かべながら、白銀の仮面を身に付けたニールを見つめた。
「まだ『候補』だろ?」
「『候補』であろうと何であろうと、気安く触れないでください」
「お前さんのものでもあるまいし、いちいち突っかかってくるんじゃねぇや」
「貴方のものでも無いでしょう?」
「へぇ? じゃあ、本人に聞いてみようぜ?」
グォドレイは不敵な笑みを漏らすと、ミルドレットの肩に置いた手を降ろし、彼女の腰へとするりと回した。
「なあ、ミリー。俺様とこうしてるのは嫌か?」
ミルドレットはニールにもグォドレイにも視線を向けずに「嫌じゃない」とだけ小さく答えた。
ぎゅっと拳を握り締めたニールに、勝ち誇った様にグォドレイはニヤリと笑って、アメジストの様な瞳で見据えた。
「いいか、よく胸に刻んでおけよ? 『古傷ってのは、開く』もんだなんだぜ」
「何を突然。一体どういう意味です?」
不快感露わに言ったニールに、グォドレイは小ばかにした様に肩を竦めて見せた。
「何が何でも、死ぬ気でミリーを守れってこったな」
「貴方に言われなくとも承知しています」
「どうだかな? お前さんは、ミリーを傷つけてばかりいやがるじゃねぇか」
グォドレイはそう言って、ミルドレットの頭にキスをした。
「俺様は、ミリーを傷つけたりなんかしない」
グォドレイの言っている事が事実であり、更にはされるがままとなっているミルドレットを見て、ニールはカッとなった。
「気安く触れないでくださいと言っているのです!」
声を荒げ、無理矢理にミルドレットをグォドレイから引き離そうと手を伸ばした。
だが、グォドレイはパッと躱してミルドレットから離れると、嘲笑うかのようにニールへと視線を向けた。
「いいさ。邪魔者は退散してやる。俺様は人間と関わるのはもう懲り懲りだからな」
「お師匠様……」
ミルドレットが寂しげにグォドレイを見つめた。
「んな顔するなって。大好きな奴に、たっぷりと俺様の分も愛情ってヤツを注いでやりな」
「それは違うよ、お師匠様」
ミルドレットの瞳に涙が滲んだ。
「人を好きになる気持ちに上限なんかない。あたしが誰を好きになったとしても、お師匠様の事を大好きな気持ちは、減ったりなんかしない。ずっと変わらないもの」
グォドレイはアメジストの様な瞳を見開いて、眉を寄せた。
「……俺の事も、好きでいてくれるのか?」
「うん、ずっとね」
「お前さんが死ぬまで?」
ミルドレットが頷くと、瞳に溜めた涙がほろりと零れ落ちた。
「死ぬまでどころか。例えあたしが死んじゃった後だって、ずっと、変わらずに大好き……!」
愛情の籠った眼差しで、グォドレイはミルドレットを見つめた。
まるで今生の別れであるとでも言いたげなその様子に、ニールは邪魔をすることに抵抗を覚えた。
「………ありがとう、ミルドレット。それじゃあまあ、『さようなら』」
グォドレイは口元に僅かに笑みを浮かべてそう言うと、フッと姿を消した。
鐘が鳴り響いた。
それは、王太子妃が決定した事の合図だった。




