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ニールの敵

 明朝早く、ヴィンセントを乗せた馬車はヒュリムトンの王城を去って行った。


 ニールはテラスから見送りながら、邪魔者が一人消えたと考えたが、ミルドレットが姿を消した今、喜ぶ気持ちにはなれなかった。


 ヴィンセントがミルドレットへと向けてしたためた手紙には、次のような事が書かれていた。


『親愛なる、ミルドレット。


 そなた程、心の綺麗な人と初めて出会った。

 共に居る事で、己の愚かさが痛い程染みる。だからこそ、側にいる事で少しでも自分も優しくいられるのではと思ったが、力不足で足を引っ張るだけに過ぎないようだ。


 私は、そなたを愛している。


 愛さずにはいられぬ程、そなたは魅力的な女性なのだから。


 これほどに恋焦がれた事など一度も無かった。


 だが、女神というものは、手の届かぬものなのだと改めて思い知った。


 もしもまた、出会う事があればと願わずにいられないが、それは赦されぬことなのだろう。


 そなたの健勝を祈っている。

                    ヴィンセント・ハメス・ユジェイ』


 ニールはその手紙を破り捨てると、ヴィンセントの乗る馬車を一瞥して踵を返した。


——ヴィンセントという優秀なシャペロンを無くし、アレッサはどれほど保つことか。暫く様子を見てやるとするか……。


 だが、一日、二日と経つにつれ、焦りが生じたのはニールだった。

 もしもミルドレット不在のまま感謝祭を迎える事となれば、否が応でも王太子妃はアレッサに決定するのだ。

 普段は何事にも動じず辛抱強いニールだが、ミルドレットの事となると途端に気が短くなる。


 ミルドレットがグォドレイに連れ去られて四日目の夜、我慢の限界を超え、ニールはシハイルの白銀の仮面を外した。

 愛用しているスローイングナイフを腿のベルトで固定しながらいつもの笑顔のまま心に決めたのだ。


——アレッサを消す……。


 恐ろしい決断を冷酷過ぎる程にあっさりとし、離れのテラスから飛び降りて、音もなく闇夜を駆けた。


 墓碑の横を通り過ぎ、咲き乱れる花々に目もくれずに王城へと向かった。ヴィンセントも不在の今、アレッサの命を奪う事は尚更に容易だろう。ユジェイの国秘を重要視していたドワイトの思惑は叶わないが、致し方のないことだ。


 ニールにとっては、ミルドレットさえ居ればそれで良いのだから。


 王城の屋根へと身軽に登り、その上を駆けてアレッサの部屋へと向かおうとした時、気配を感じて身を隠した。


 長いローブを頭からすっぽりと被り、身を潜めながらたった一人離れから王城へと向かう人影。


 ユーリ・ザティア・ヒュリムトンの姿だった。


——母上? こんな夜更けに一人で、一体何処へ向かうつもりだ?


 ニールは訝しく思い、母の跡をつけた。

 彼女は王城の中へと忍ぶ様にそっと駆け込むと、フードを下ろした。足早に廊下を進み、奥へと向かって行く。


 その先には、ルーデンベルン王アーヴィングに賓客として与えられた部屋があった。


 ユーリは控えている騎士を追い払うと、一人扉を開け室内へと入って行った。


——母上が、アーヴィングに一体何の用だ?


 そう考えて、ニールは眉を寄せた。

 ニールがアーヴィングを脅かさぬ様にと結ばれた契約の魔術は、ユーリがアーヴィングと結んだものだ。


 思えば、二人はどういう関係であったのか……?


「ユーリ。何をしに来たというのだ」


 室内からアーヴィングの声が漏れ聞こえてきた。ニールは息を殺し、じっと聞き耳を立てた。


「解っているだろう。グォドレイが動いた以上、我々は黙って見守るしかないのだ」


 ニールは眉を寄せた。


 そもそも紫焔の魔導士と謳われるグォドレイが、人間であるミルドレットの面倒を見ようと思った事も妙な話だった。魔導士とは本来人間を超越した存在であり、神に近いとまでされるのだ。

 そのグォドレイがわざわざアーヴィングを誘拐し、やたらと人の領域に干渉してくるのは何故か……。


 アーヴィングは、その理由を知っている……?


 ミルドレットの所在もまた……。


——ならば、口を割らせるしかない——


 ニールはゆっくりと扉を押し開けた。室内に居た二人はハッとして振り返り、侵入してきたニールへと驚愕の目を向けた。


 そこには、シハイルとしての面影を一切削り取った、恐ろしい暗殺者が立っていたからだ。そして、一瞬の躊躇も無くその男の母親であるはずの女の首筋へと刃を当てがった。


「……化け物め」


 脂汗を垂らしながら、アーヴィングが呟く様に言った。


「自分の母親を質と取るか」


 無言のままニールはナイフを握る手に僅かに力を入れた。ユーリの首筋から鮮血がにじみ出る。


「シハイル、止めなさい! 母を脅す気ですか!!」


 震える声で言ったユーリに、ニールはさらりと言葉を放った。


「貴方など、私を勝手に産み落としただけの存在に過ぎません」


——我が母ながら、正直呆れた女だ。


 ジロリとダークグリーンの瞳でアーヴィングを見据えた。


「誰も、私が自分の母を、わざわざ貴方の部屋で殺すとは思わないでしょうね」


 誘拐されて来たはずのルーデンベルン王の部屋で、ヒュリムトン王妃が殺害されていたとなれば、困るのは誰か……?


「知っている事を話してください。貴方方は、グォドレイの何を知っているのです?」


 アーヴィングは観念した様に小さく何度か頷くと、部屋の奥の椅子へと視線を向けて座るように促した。


「余にとって、やはりミルドレットは凶と出たか」


 そう言ってアーヴィングはミルドレットと同じ銀髪を撫でつけた。


「座りなさい。話が長くなるからな」


 ニールはユーリに向けていた刃を収めると、素知らぬ顔で椅子へと掛けた。我が息子にたった今殺されかけたユーリは震えが止まらず、その場にへたりと座り込み、アーヴィングが彼女に手を貸して椅子へと座らせた。


「……これは、紫焔の魔導士グォドレイと、ルーデンベルン王族。そしてヒュリムトンの王族に関わる重大な機密だ」


 そう前置きをすると、アーヴィングはゆっくりと話し始めた。



◇◇◇◇



 且つて、ルーデンベルンの国土は今よりも広く、大国ヒュリムトンとの国境付近にあるランセン地域も統治下にあった。


 その地に、女神の如く美しいと言われた二人の娘が居た。


 オーレリア・アナベル・エイデンと、ユーリ・ザティア・マクレイである。


 公爵家の娘であるユーリとは異なり、オーレリアは男爵家であるという身分の差こそあるものの、二人は優劣をつけることが難しい程の美貌を持ち、隣国ヒュリムトンの貴族からも求婚の書簡が届く程であった。


 だが、オーレリアは艶やかな銀髪を結い上げる事もせず、自分は結婚になど興味はないと、本ばかり読む様な変わった娘であり、一方ユーリは赤みがかった栗色の髪の手入れを怠る事無く、いつか本当に心から愛する人と共に過ごせたらと夢見る娘だった。

 二人は考えや身分こそ違えど仲が良く、気が合う親友同士だった。


 その頃、ヒュリムトンとルーデンベルンの国境近くである為、ランセンの街は人の往来が多く栄えていた。


 仲の良い二人は街に揃って出かける事も多く、その日オーレリアは書籍を探しに、ユーリは流行りのドレスを見にと共に外出していた。

 だが、帰り途中に馬車の車輪が破損し、広く草原が広がる道端で立ち往生する羽目となってしまった。


 修理まで時間がかかるということで、従者が申し訳なさそうに頭を下げた。


「平気よ。お喋りをしたり本を読んで待っていれば、時間なんてあっという間に過ぎてしまうのだもの」


 気にする様子もなく、彼女達は従者にそう言って微笑むと、草原に布を広げて座った。


 その日に限って街から邸宅への道を通る者も無く、修理には随分と時間を要し、暗くなってくると本を読む事も難しくなってきたわけだが、それ以上に日が沈むと獣に襲われる危険性も出て来る。従者は焦りながらも修理に急いだが、灯りが殆ど無い中での修理は難航した。


「随分、暗くなってしまったわね」


 ユーリが不安気に言うと、オーレリアは本を閉じて空を見上げた。

 輝く星々を指さして、書物から学んだ星座の知識を披露して、ユーリの気を紛らわせた。


「それと、あの星は……」


 オーレリアがそう言った時、悲鳴が轟いた。


 驚いて悲鳴がした方へと二人が振り向くと、巨大な四つ足の魔獣が唸る様に喉を鳴らし、従者を威嚇している様子が目に入った。


 闇夜にもギラリと光る目。鋭い牙をむき出しにし、従者へと襲い掛かる。断末魔の悲鳴を上げて命乞いをしつつも命を失った従者の遺体を前に、ユーリとオーレリアは恐怖に震えた。

 肉を引き裂く音。血なまぐさい臭いに耐えきれず、ユーリが悲鳴を上げ、オーレリアは慌てて彼女の口を塞いだが、魔獣がギラリと光る眼光をこちらへと向けた。


「ユーリ!」


 身動き取れずに怯えているユーリを庇う様に、オーレリアが抱きしめた。魔獣は喉を一度鳴らした後、大地を蹴って凄まじい脚力をもって一瞬のうちに飛び掛かって来た。


 オーレリアは瞳を固く閉じながら、自分の人生がこんなところで終わってしまう事を悔しく思った。


——せめて、ユーリだけでも……。私と違って、彼女は公爵家という身分の高い令嬢なのだから……。


 だが、襲い掛かって来るはずの魔獣は、動きを止めてしまったのかという程に静かであった。

 訝しく思い、そっとオーレリアが瞳を開くと魔獣が宙に浮いた状態で泡を吹いている様子が目に映った。


「……え?」


 オーレリアが眉を寄せた時、背後から声が掛けられた。


「ちっ。人間なんかを助けちまったぜ」


 振り向くと、深い紫色の髪を揺らし、アメジストの様な瞳をした男がつまらなそうに鼻を鳴らして言った。


 端整なその顔立ちは、見惚れる程に美しかった。


「ったく、めんどくせぇな」


 彼はその顔に似合わずぶっきらぼうにそう言うと、人差し指をピンと弾いた。それと同時に宙に浮いていた魔獣が弾かれた様に飛んでいき、ドウと大地に倒れ動かなくなった。


「あの、助けて頂いて……」

「ああ、礼なんかいい。俺に話しかけるんじゃねぇ」


 オーレリアの言葉を遮って男はプイと背を向けた。その様子に戸惑うユーリを他所にオーレリアが憤然として立ち上がると、頬を膨らませて声を放った。


「助けておいて、話しかけるなとはどういう事なの!?」

「助ける気なんか無かったってこった」

「貴方、人が困ってるのに放っておこうとしたというの!?」

「お前らに関わる気なんかねぇんだ。さっさと失せろ。ここは俺の縄張りだ」


 美しくはあるが跳ねっかえりで有名なオーレリアは、むぅっと唇を尖らせて目の前に居る男に食って掛かり、ユーリはおろおろとしながらその状況を見守っていた。


「失せて欲しくても生憎馬車も壊れているし、従者もたった今魔獣に襲われて死んでしまったのですもの。どうやって失せろというのかしら!?」


 オーレリアの言葉に男は舌打ちすると、何やら歌う様に詠唱を始めた。何をするつもりだと警戒し、オーレリアがユーリと身を寄せ合うと、男はパチリと指を鳴らした。


 ぐらりと視界が歪んだかと思った瞬間、周囲の風景が一変し、二人は身を寄せ合ったままどこぞの屋内へと移動していた。


 見覚えのある家具類から、どうやらここはオーレリアの自宅であるエイデン男爵家の邸宅であると理解した。


「助かったのね……」


 安堵して涙を流すユーリを慰めるようにオーレリアは優しく背を叩くと、唇を噛みしめた。


——あの男。一体何者なのかしら……。


 それが、紫焔の魔導士グォドレイと、オーレリアとの出会いだった。

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