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産まれた罪

 『ニール』が初めて人を殺めたのは、六歳の頃だった。


 体重こそ軽く体力も乏しいものの、子供であるが故に相手の警戒心を容易に解けるというのは、この上ない武器だった。

 ターゲットは疎か、追手にすら暗殺者だと認識されず、安全に仕事を熟す事ができるのだから。


 ルーデンベルン国王アーヴィングの指示を的確に遂行し、十歳になる頃には彼のお気に入りとなっていた。


——『お気に入り』。


 そんなものは、あの男の中には存在しない。恐らく実の子ですら、あの男にとってはそれほどの価値は無いだろう。


 それでも、世間知らずな子供だった私は調子づいていた。


 よくやったという労いの言葉の代わりに飴玉の入った缶を手渡され、自慢げに持ち歩いていたのだから。

 立派な鷹が彫り込まれた缶は容易に手に入れる事などできない高価なものだと、子供の時分にも分かった。


 一つ、二つと増える缶を大事に部屋に並べては、誇らしく思った。


 例え、ターゲットが心根の優しい誠実な相手だったとしても。どんなにか自分を労わり可愛がってくれた相手だったとしても、躊躇う事なく仕事を熟した。


 寧ろ、躊躇う理由が無かったのだ。


 どんな相手であろうとも、私はヒュリムトン王家の血を引く高貴な身分だ。それ以外の命など、ゴミも同然だと、無意味な自尊心だけは人一倍強かったのだから。


 十三歳の時、初めてミスをおかした。

 追手に捕まりルーデンベルンの獄中に投獄されたのだ。


 私がこの国の王であるアーヴィングの指示で行う仕事は、近衛騎士のごく一部にしか知られていない。一般兵ごときでは自分の顔すら知らない事だろう。


 私は愚かにも期待していた。アーヴィングの『お気に入り』なのだから、直ぐに解放されるだろうと甘んじていたのだ。


 尋問をする兵が期待通りに私のポケットから飴玉の入った缶を取り、訝し気に眉を寄せた。


——愚かな男め。貴様の王のお気に入りであるこの私を捕らえるとは。


 そうほくそ笑んだ時、その兵士が放った言葉に、私は驚愕した。


「これは、ヒュリムトン王家の紋章が刻まれているではないか。こいつ、ヒュリムトンの密偵か!!」


 全身の血の気が引く思いを味わった。


 『違う』とも『そうだ』とも言えず絶句する私を、兵士は残忍な目で見据えた。


 拷問を受け、骨を砕かれ、爪を剥がされた。


 それでも口を堅く閉ざし、決して情報を洩らす事はしなかった。自分の素性が明らかとなれば、確実に『お気に入り』ではなくなるのだから。

 唯一残された居場所に縋りつく様に、必死になって痛みに耐えた。


 その時初めて、この世界にとって私は不要な存在なのだと思い知った。


 何がヒュリムトンの第二王子だ。要らないから隣国に捨てられたのだ。

 掟で男子を一人しか儲けないと定められている事を知っていながら身籠った母は、自分可愛さに私をいとも簡単に捨てたのだ。


 愚かにも、私はいつかヒュリムトンに帰り皆に温かく出迎えられるものだと思い込んでいたのだ。


 その妄想は砕かれて、粉々に散らばった破片は全て私の身体に突き刺さり、辛うじて残っていた自尊心は破れて無残な状態となった。


 朦朧とする意識のまま、かび臭い床に寝転がり、石造りの床を這う虫を眺めていると、隣室から悲鳴が聞こえた。


——耳障りな……。


 それは執拗な程に鞭を打つ音と共に、何日も聞こえてきた。時折ぐすぐすと鼻をすする泣き声は、年端も行かない少女の様であった。

 いい加減うんざりとした私は、皆が寝静まったであろう深夜を見計らって隣室に声を掛けた。


 無論、窓も何もない地下牢では時間の感覚が分からないのだが、耳を澄ませば聞こえてくる王城内の物音で、私はその日の時刻を理解していた。


「耳障りな泣き声を上げるのを止めろ。聞いているこっちが腹立たしくなる」

「……誰?」


 泣き声がピタリと止んだ代わりに、問いかけられた。苛立ってため息を返すと、小さく笑う声が返されたので、眉を寄せた。


「何故笑っている?」

「だって、他に人が居るなんて思わなかったから。あたし一人じゃないんだって思ったら、少しだけホッとしたの」


——妙な奴だ。


「貴方は、どうしてそこに居るの?」

「お前には関係ない」


 わざとスッパリと切り捨てる様に答えたが、隣人が口を噤んだので、どうにも落ち着かなくなって再び声を掛けた。


「お前こそ、何故そこに?」


 ほんの数秒間を空けたあと、少女は寂しげに答えた。


「……わからない」


 私は馬鹿にした様に笑い声を上げた。


「自分のやった事も理解できず、罰を受けているのか?」

「うん。……あたしは、多分、生きてる事が罪なのかも……」


 ドキリと、私の心臓が強く鼓動した。


——生きている事が罪……?


 脳内でその言葉を反芻し、ドキドキと鼓動する心臓から自分が明らかに動揺しているのだと理解した。


——私も、か?

 だからアーヴィングは、私を助けようとしないのではないか……?


 私は、あの男の『お気に入り』ではなく、なかなか死なない邪魔者だと思われているのか……?


 いいや、違う! 私は必要とされているはずだ! ヒュリムトンにとっては不要な存在でも、アーヴィングにとっては……!


「もう少ししたら、貴方の事を出してあげられると思う」


 隣人の言葉にハッとして、眉を寄せた。


「もう少しで一週間だから。そうすればあたしは外に放り出されるの。この地下牢にはあたしと貴方の他には誰も居ないから、馬小屋の子にお願いすれば貴方の事を出してくれると思う」

「馬小屋の子、だと?」


 そんな下等な者が、どうして私を助けることなどできるというのだ?


「ここの掃除はその子の担当だから、鍵はその子が持っているの」


 それを聞き、私は唇が引きちぎれんばかりに噛みしめた。

 凄まじい屈辱だったのだ。


 自分はヒュリムトンの第二王子で、世の中の誰とも違う高貴な血を引き、ルーデンベルン国王の『お気に入り』であり、優れた騎士なのだと自負していたのだから。


 それが、馬小屋で働く下賤なガキに助けられるとは……。


 数日後、彼女の言う通り、馬小屋で働くガキが地下牢の鍵を開けに来た。腹立たしくて堪らず、私はその鍵を奪い取って奴の首を引き裂き、自分を救った者がいるという事実を無い事にした。


 あとは、あの少女を殺すだけだ。


 地上へと戻った私は、少女の姿を探したがとうとう見つける事ができなかった。


 それも当然の事だった。まさかその少女が、アーヴィングの娘である第二王女、ミルドレット・レイラ・ルーデンベルンであるとは思いもしなかったのだから。


 彼女もまた、あの地下牢での隣人がニール・マクレイであったことなど知る由もないことだろう。


◇◇


 ニールは馬を走らせながら昔の記憶を思い出し、小さく舌打ちをした。


 グォドレイの手によって遠い異国へと連れ去られたニールは、ヒュリムトンへの帰路についていた。船を乗り継ぎ、馬を何頭も乗り換えて、もう数日もすれば王城にたどり着くというところまで来た。


 その間、グォドレイがミルドレットに手を出すのではないかという不安で、気が狂いそうだった。


——いいや、あの男はミルドレットに心底惚れこんでいるのだから、決して彼女を傷つける様な事などしないはずだ。


 殺したい程に憎い相手だというのに、グォドレイの誠実さを信用しているという矛盾が、余計に腹立たしい。


 もしも自分がグォドレイの立場ならば……そう考えて、ニールはゾクリとした。


 恐らくとうの昔に彼女を自分のものとしていたことだろう。


 狂おしいほどに愛している相手と二人きりで過ごしてきて、何もしないはずがない。

 例え彼女が抵抗したとしても、強引にわが物にしたはずだ。そうすることでいつかは彼女も自分を愛してくれるのだと、言い訳を掲げて執拗に犯し続けたに違いない。


 そうだ。現に長らく年月を開けて今、大国ヒュリムトンの王太子妃として迎え入れるという言い訳を掲げて、彼女をわが物にしようとしているのだから。


 走らせる馬の手綱を握り締めながら、ニールは唇を噛みしめた。


——私の様な化け物が愛情を求めた事が、私の罪だというのか……?


 それでも、『欲しい』のだ。

 例えミルドレットがグォドレイを愛しているのだとしても、奪い取り、強引にわが物とする。


 誰からも愛情を与えられずに生きた自分が、初めて求めた欲求を満たす為にミルドレットは犠牲になるしかない。


——私も、グォドレイの様な愛情を与えてくれる者と共に育ったのならば、こんな歪んだ化け物にならずに済んだのだろうか……。


 そう考えて、嘲笑して馬の腹を蹴った。


——そうではない。私は生まれながらの化け物だ。もしも私が彼女の立場であれば、ルーデンベルンを滅ぼしたに違いない。


 だが、ミルドレットには復讐心どころか誰かを怨む様な醜い心が一切無い。


 だからこそ、再会して尚更に狂おしく惹かれたのだ。


 純白の穢れない彼女を、自分の様などす黒い化け物が穢してしまいたいという欲求に飲み込まれてしまったのだ。


『ヒュリムトンの王太子妃になれば、一つくらい小さな我儘が通るだろう。あいつは、お前さんが二度と汚れ仕事をしなくていい様にと、ルーデンベルンとの縁を切らせる為に、王太子妃になると決めたんだ』


 グォドレイの言った言葉が脳裏に響き渡り、ニールは思わず馬を止めた。突然手綱を引かれて嘶く馬を宥めて、ふと眉を寄せる。


『……それなのに、背にあんな傷があったらお前さんを救えねぇ、王太子妃になれねぇって泣いていやがった。自分はお前さんにとって役立たずだって、そう言ってな』

『お前さんに、そこまで想って貰える価値があるっていうのか? お前の覚悟はどうなんだよ。答えやがれ!』


——ミルドレットは、私の為に王太子妃になる決意をした。グォドレイはミルドレットの為に全てを捧げる勢いだ。


……では、私は?


 そう考えて、今まで立っていた自分の舞台が突然消えて無くなってしまったかのような感覚に陥った。


「……求めるだけで、私はミルドレットに何かを与えようという気が無かった」


 ニールはその時初めて、他人を思いやる気持ちというものを知ったのだ。

 今までミルドレットにしていた行動は、結局のところすべて自分の為にのみだったと思い知って、愕然とした。


 ミルドレットを欲する余り、彼女の全てを踏みにじっていたのだ。


——ドレスや宝石を与えても、彼女は喜んだ様にお礼を言いはするものの幸せそうではなかった。


 だだっ広い草原の中、ニールはポツンと馬を止めて一人俯いた。雨粒が空から零れ落ちて、ニールの肩を濡らす。


——私が本当に求めていたものはミルドレットが幸せそうに笑う顔なのだと、どうして今まで気づかなかった……。


 グォドレイの前では、恐らく彼女は何度も幸せそうに微笑んだ事だろう。

 その笑顔を、一度も自分は目にした事が無いと気づき、ニールは雨に打たれながら愕然とした。

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