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(加筆版)カンの隊商2(この時のモンゴル)

チャアダイ(投稿日の翌日早朝)・ジェベ・ムカリ(以上5月8日12時頃)のところに加筆しました。本筋に直接関わるところでもありませんので、気が向いた時やお手すきな時にお読みいただければと想います(加筆版追記)。


この節を書くために色色と調べていたら、史料の泥沼にはまってしまい、投稿の間隔が開いてしまいました。



人物紹介

ホラズム側

スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主


モンゴル側

チンギス・カン:モンゴル帝国の君主


人物紹介終了

 この時、世界の針は大きく平和に振れておったと言って良い。


 結局その協定が二人の美徳を礎にして共存共栄の理想の下に

――スルターンの公平であり寛容であろうとする想いと

――チンギスの軍兵の身命を重んじ、またその臣民を交易により豊かにせんとする想いの下に

――実現されたものと言おうが、


 あるいはスルターンの気まぐれとチンギスの打算との野合によりたまたま成立したものと言おうが、


 協定は協定。

――交易に預かるを得る者は、その利という直接の恩恵を受け、

――そうではない者も平和という得がたいもの、あたら身を死にさらさずに済むというありがたい恩沢(おんたく)を授かる。


 春の息吹は、モンゴルにも平和のおだやかさをもたらしておった。

 そしてそれが引き続くならば、それはこの者たちにとってもまた幸いであったろう。



(人物紹介

ボルテ・ウジン:正妻であり、ゆえに第1オルドの(あるじ)。オンギラトの王女。)


 チンギスの次子チャアダイ。


「お前は我の孫なのに何でこんなに黒く生まれたんだ。

 ほうら。比べてもこんなに違うぞ。」


 そうして、自らの無骨(ぶこつ)な腕を、その(ふところ)に抱く赤ん坊のぷよぷよした腕に沿わせ、互いの腕の腹の色を比べる。

 もっとも赤ん坊なれば、チャアダイが()()()い、()()()()()()()()を理解する訳でもなく、ただその()()()()()で見上げるのみ。


「でもおかげで父上より良き名を賜った。

 知っておるか。

 我が一族で名を色にちなむは、お前と我、そしてお前の()()()()()()()のみ。

 きっと()()()()()()()がお前を天より守ってくれよう。

 ほうれ。カラ・フレグよ。何と良き名だ。」


 今度はチャアダイが両手で抱え上げて()()()()をすれば、赤ん坊もまた祖父に劣らず上機嫌となった。

 孫を、息子のモエトゥケンが連れて来たので、この者には珍しく相好を崩しっぱなしであった。


 そもそもはトゥルイの子にフレグとの名を、チンギスが賜ったことに始まる。

 そしてそれをチャアダイが随分良い名をもらったものだとうらやんでおり、更には生まれたばかりの赤ん坊についても()()()()聞き知るに及んで、チンギスが


「チャアダイよ。

 そなたは母のボルテに似て、色白ゆえその名を授けた。

 ところが生まれたばかりの孫は色黒と聞く。

 ゆえにこれを吉兆とすべく、カラ・フレグとの名を賜ろう。」


との気配りをしたのであった。(注1)



(人物紹介

ドレゲネ:オゴデイの事実上の正妻。メルキトの王女。)


 三子オゴデイ。

 いつもの如く朝から酒を飲んでは、この(なご)やかな日々がずっと続けば良いと心底(しんそこ)想っておった。

 (とし)かさの五人の男子を生んだことと()()()()()()()()()のゆえに、オゴデイ家の后妃をとりしきるドレゲネ。

 その尻に敷かれがちなこの者は、そこより逃げて、己をしかることのない優しき愛妃の下に入り(びた)っては、ごろごろしておった。

 オゴデイは彼女との間に一子を設けておったが、ドレゲネの嫉妬を恐れ、チャアダイに養育を託しておった。

 そして父上がもう戦などしなければいいのにと、いい加減、戦というものに飽きないのかと想う日々であった。




(人物紹介

ソルカクタニ:トゥルイの正妻。ケレイトの王女。

モンケ:トゥルイと正妻ソルカクタニの間の長子。

クビライ:同上の第2子

フレグ:同上の第3子

アリク・ブケ:同上の第4子)


 四子のトゥルイ。

 妻のソルカクタニが腹の子が暴れるというので、耳を当てると、確かに赤ん坊が時々妻の腹を蹴っておるのが分かる。

 ようやく歩き出したフレグが、兄のクビライを追おうとしては転びかけるので、身重(みおも)の妻に代わり面倒を見るというのが、トゥルイの日常であった。

 腹の中の子は生まれて後に、アリク・ブケとの名を授かる。

 三人の子を()()()()()につくったのは、次の金国との決戦にて、もしや無事に戻れぬかもしれぬとの恐れが夫婦の間にあったゆえである。

 弟たちとは少し年の離れたモンケは、日が明けてから暮れるまで外で馬に乗っておった。



(人物紹介

ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。

クナン:ジョチ家筆頭の家臣。ゲニゲス氏族。

バトゥ:ジョチの次子。)


 例外は無論あった。最前線におる者たちであった。

 長子のジョチはクナンの戻りに際し三日間盛大な歓迎の宴を開いた。

 そしてチンギスのこたびの許しをまさに恩寵の如くに受け取り、軍征の準備が整うや、再び西へ赴いた。

 ただ父の期待に応えるためであった。

 とはいえ今回は、先のメルキト征討とは異なり、前方におる諸勢力に率先臣従を求めながら進軍するものであり、兵馬の負担は自ずと軽かった。

 チンギス勃興の時より継続されていることであり、騎馬の諸勢力を自らの下に引き入れ、それにより自軍をひたすらに強大化させるための行いであった。

 ジョチに対し、チンギスはその軍才を見込んで、


馬蹄(ばてい)の及ぶまで我が帝国を広げよ、そしてそこをそなたに与えるであろう』


との終わることのない命を与えておった。

 ジョチはまさにその生涯を通じてそれに忠実に応えようとし、ゆえにジョチ家の封領はそもそも賜ったイルティッシュ川流域より徐々に西方へと拡大しておった。

 そしてこの命は、ジョチの死後には、その子のバトゥに引き継がれることになる。




(人物紹介

ジェベ:チンギスの臣。四狗の一人。ベスト氏族。


スブエテイ・バートル:チンギスの臣。四狗の一人。ウリャンカイ氏族。


グチュルク:ナイマンのカン。先代タヤン・カンの子供。

――カラ・キタイ最後のグル・カンの娘婿でもある。


トク・トガン、クトゥ、チラウン:いずれも、メルキトの王族)


 カンより四狗(ドルベン・ノカス)の称号を賜るジェベ。

 その追討は、まだ続いておった。

 戦うことなくアルマリク(注2)からイシク・クル湖方面へ逃げたグチュルクを猛追し、一端は追い迫るも、天山山脈に逃げ込まれたため、その姿を見失った。

 その後カシュガルにおるとの情報を得た。

 天山山脈の峠道を越えてようやくカシュガル(注3)に至るも、やはりグチュルクは戦わずに逃げて、バダフシャーン(アムダリヤ川上流の南岸の地)の山岳に逃げ込んでおった。

 そして現地勢の激しき抵抗に遭い、自部隊に少なくない損害が出ており、まさに()()()()()()()という状況に陥っておった。

 配下の訴えるところでは、


「現地勢は樹上や崖上に弓兵を配して我らを待ち伏せします。

 あるいは山塞によって騎馬の突撃を拒みます。

 そして残念ながら、カンの威名はこの遠き地には届いておりませぬ。

 恐れのためにひれ伏すこともありませぬ。

 それどころか、あれら定住の民は、遊牧の民と異なり、まさにその寸土を守るために死に物狂いで()()()()()()。」


 といって、こたびの征討はその現地勢の臣従が目的ではない。

 それを目的とするなら、それはそれで腰を()えてやれば良いこと。

 ただ今回はあくまでグチュルクの首一つである。

 その配下でさえ逃げ散ろうと問題ない。

 ましてや現地勢など、(はな)から()()()()()()気はなかった。

 遊牧勢においては、グチュルクを除けば、もう我がカンに対抗しうる者は残っておらぬ。

 軍兵を集めるには、何より血筋がものを言う。

 ジョチがトク・トガンを、スブエテイがクトゥとチラウンの首をとったとの報告は、ジェベの下にも既にもたらされておった。

 これでメルキトのカンたりえる血筋は滅んだ。

 後は我だけか。

 何としても、グチュルクの首をカンにお届けしたいと想う。

 さすれば、ナイマンの血筋もまた絶える。

 といって大きな犠牲を強いられるであろう現地勢の征討を強行することも、また()()()()()()のであった。



(人物紹介

ムカリ:チンギス第2の家臣。ジャライル氏族。四駿(馬)の一人。


耶律阿海:チンギスの家臣。キタイ族。)


 そして最後にチンギスが左腕と頼むムカリ(右腕はボオルチュである)。

 チンギスはこの者を華北(かほく)に留め、対金国戦の全権を委ねておった。

 カンの証しであり、ゆえに本来はカンしか持ち得ぬ大トク。

それを授け、我に従う如く、ムカリに従うべしとした。


 この時その配下として授けたは、

――正妻ボルテの一族たるオンギラトを筆頭にオングトやイキレスといった姻族(いんぞく)(チンギス一族と婚姻関係を持つ氏族)、

――そしてチンギスと祖を同じくするウルウト、マングト

――という()()()()()()名族ぞろいであり、

――血統ではいずれもムカリのジャライル氏族より上である。

 

 チンギスがあえて大トクを授けたのは、この点を考慮したゆえであった。



 またムカリによれば、

 『国王』と『太師(たいし)』の称号を是非カンより授かって下さいと、

 配下のキタイ人諸将がしきりに請うとのこと。


 彼ら()()()、それでキタイ軍・漢軍の士気は上がり、また軍兵はより集まるとのことであった。

 その称号についてチンギスは良く知るところではなかったので、近侍(きんじ)する耶律阿海(やりつあはい)に問うてみた。

 この者はキタイ人であり、またその弟はまさにムカリの配下におったのである。

 ムカリが面前におれば直接問うのだが、そうも行かぬ。

 といって称号について問うために、最前線におる()()()()を呼び出す気はチンギスにはない。

 金国戦の総指揮官と言って良いムカリなら()()()()である。


「恐れながら、そして有り難きことに、わたくし自身も太師の称号を帯びることを既にカンに許されております。

 ムカリ・ノヤンならば、帯びて当然の称号です。

 ただそれのみでは、わたくしと同じに留まってしまいます。

 ここは国王の称号も是非お授けになるのがよろしいかと考えます。」


「王とは何のことだ。」


「王とはカンの次に(くらい)する者です。

 本来ならカンの弟君や御子が帯びます。

 ただカンは以前ムカリ・ノヤンに左手の千人隊長たちを統べよとお命じになりました。

 恐れながらムカリ・ノヤンに()()()()()称号とわたくしも考えます。」


「国とは何だ。」


「国とはもともと漢人の言葉です。

 キタイ人にも()()()のもので、我らは「グル」と読みます。

 モンゴルの言葉でいえばカンを(した)うイルゲン(臣民)のことであり、またカンの治めるウルス(国、帝国)のことです。

 我がキタイの皇帝はグル・カンと称しました。

 いかがでしょう。

 いっそカンはグル・カンと称され、ムカリ・ノヤンはグル・ワン(キタイ読みで「国王」)と称されては。」


 チンギスは阿海の顔を見返した。

 何となくこの者の言が冗談なのか本気なのか、

 あるいは本気ならば何を意図しておるのか、

 理解しがたく想ったゆえであった。

 もっと率直に言えば、己の権威に対する挑戦をわずかであるが感じ取ったのであった。

 そこにはモンゴル人に良く似る顔があるのみであった。

 ただ誰しも亡国への想いはあって然るべきもの。

 先の言は、その想い(あふ)れてのゆえと受け取ることにした。

 何より、この者はあのバルジュナにての苦難の時も、我を見捨てなかったではないか。

 かようなことで己へ忠義を示して来たこの者を罰するというのか。

 己はまた人を疑い過ぎる悪い癖に(とら)われておるのではないか。

 そう己に問い返した。

 その言を追求することは止めにし、代わりに次の如くに告げた。


「そなたの言う通りなら、まことにムカリにふさわしき称号。

 せっかくだ。

 そなたが赴き、ムカリにその称号を授けると伝えてはくれぬか。

 弟の顔も見たかろう。」


 今度、阿海の想いを読み取るはたやすかった。

 喜びを満面に浮かべて


「もしお許しいただけるなら、是非にでも(うけたまわ)りたく想います。」


と答える。


「帰路、故地に寄り、家族に顔を見せて来い。」


 阿海はまさに礼も()()()()()チンギスの下を去ると、その日のうちに発った。

 それを聞いたチンギスは、ムカリやその下におるモンゴルの将兵もまた同じ気持ちであろうとは想う。

 それを許したく想うものの、やはり()()()と改めて想うチンギスであった。




 ジョチからは再び西方へ進軍しますとの報告を、

 ジェベからは追討が難渋(なんじゅう)しておりますとの報告を受けておった。

 しかしホラズムに赴いた和平の使者からは、未だ何の報告もなかった。

 チンギス自身が、「ホラズムの監視は必ずあるゆえ、下手に人を介して我と連絡を取ろうとするな」と、先に命じておった。

 「ホラズムの君主の疑惑を招いては、何にもならぬ。

 交渉の結果は、ヤラワチ自身が、隊商に報告し、次に我に報告せよ」とも。

 こちらの申し出を断る理由を、チンギス自身()()()()()はできなかった。

 交易をなして何の害があろうか、利しかない。

 しかし状況はまったく把握できぬも、締結は難しいかも知れぬと想い始めておった。


(ヤラワチでも駄目か。)


 その場合、隊商を率いるオマルには、「決してホラズムには入るな、戻って来い」と厳命してあった。

 配下の者を、無駄に危険にさらす気はなかった。

 幼くして父を失い、戦となれば常に少数の側。

 まさに一人の命をも無駄にしなかったからこそ、今の己がある。

 これはチンギスにとって、信条というより、自らの経験に裏打ちされた事実であった。

 弟カサルの存命時、兄弟間の対立が激化しても、結局その命を奪うことはなかった。

 それは、何より反対する母上のあまりの剣幕振りにたじろいで、というのが正直なところであり、それが第一の理由に他ならぬ。

 ただ怒りが静まるのを待って、というより、己が怒りを静めようとして、その念頭に想い浮かべるべく努めたのは、その事実に他ならなかった。

 そしてその時殺さなかったからこそ、カサルの子であるイェグやイェスンゲが、今、己を叔父として慕い、仕えてくれておるのだ。

 もし殺しておったら、どうであったか。

 確かに我に仕えるしか道がなかったろう。

 しかし果たして二心抱かぬと言えるか。

 あのカサルの気性を引き継ぐ子ぞ。

 そして父たるカサルの剛力と叔父たる我の才覚を受け継ぐを得れば。

 まさに内乱の源となっておったろう。

 そしてそれを防ぐためには、我はあの甥たちを殺さねばならなかったろう。

 何ゆえ、そのような状況に至らずに済んだのか。

 それを忘れてはなるまい。



  

 ()()()()()()()ムカリからは、ほぼ半月に一度、くわしい戦況の報告をたずさえ、伝令が至っておった。

 チンギスは、全体としては将兵を休め、金国軍が自壊するのを、反乱や内乱により滅ぶのを待っておった。

 窮鼠(きゅうそ)猫を噛むとの言葉があるが、無論金国軍はそんなものに留まらぬ。

 手負いの虎に他ならぬ。

 へたに仕留めようとしてしくじれば、こちらが大ケガしかねなかった。

 それゆえムカリに少しずつ領土を削らせ、

 あわせて臣従する西夏に西北方面より攻めさせておった。

 この時、東北方面に当たる遼東にて蒲先萬奴(ほせんばんど)(注4)が、金国に対し反乱を起こし独立しておった。その後、萬奴は一端チンギスに臣従したが、すぐに背いた。ただこれを征討しては、却って金国を助けることになる。しばらく放って置けと、ムカリには命じてあった。

 またムカリによれば、南宋が機に乗ぜんとして、歳幣(さいへい)の送付を止め、更にはしきりに南辺を侵しておるとのことであった。

 金国はまさに四面に敵を構える状況に陥っており、並みの国家ならとうに自壊しておかしくない。

 しかし我らモンゴルに劣らぬ尚武(しょうぶ)の気風ゆえであろうか、持ちこたえておった。

 どうしても倒れぬなら、再び自ら大兵を率いざるを得ぬと想う。

 まだその時ではなかった。

 チンギスに急く気はなかった。



(注1ボルテ 秘史の冒頭部の有名な「ボルテ(蒼き)・チノ(狼)」と同じ語である。「蒼き」は傍訳に「蒼色」とあるのに基づく。傍訳とはモンゴル語・漢語に通じた同時代人が付した各語の訳である。ただブルーの毛色の狼というのはおらぬから、ここは青みがかった、つまり寒色系の灰色と想われる。「蒼白」との熟語もあり、人肌とすれば色白となろう。


 チャアダイ 秘史にては一貫してこの名で記され、チンギスたちに、こう呼ばれておったのはほぼ間違いない。チャガタイとの名はムスリム史料に基づき、正確な意味を反映しているのはこちらの名とみなされる。チャガンで「白」ゆえ、チャガタイで「白い人」となる(異説はある)。


 カラ・フレグ カラが黒色を意味しない場合、蔑称、特に血統上の蔑称となるので、この者が色黒であったのは間違いない。

 例えばカラ・キタト(=キタイ)で「傍流のキタイ人(の国)」となる。事実その建国者の耶律大石は、遼の開祖阿保機(あぼき)の子孫とはいえ、傍流であった。

 モンゴル側の史料「秘史」は『グチュルクが西遼のグル・カンの下へ逃れた出来事』を伝えるのに、西遼をやはり「カラ・キタド」との蔑称で呼ぶ。

 他方「親征録(モンゴル史料に基づき、これに主に華北での出来事を加筆した漢籍)」では同じ出来事を伝えるのに、この蔑称をしりぞけ、正しくただ「契丹」とする。

 (以下、少し話が逸れます。)上記に加え、「親征録」の加筆記事中にはキタイ人武将の活躍が多いこと、また往時モンゴル語と漢語に通じたとなれば、まずキタイ人が想い浮かぶこと。以上から、私見ではあるが、「親征録」を編纂したのはキタイ人ではないかと想える。


注2 アルマリク: 現中国の新疆ウイグル自治区北西部にあるクルジャ(中国語名 伊寧)、もしくはその近郊とされる。いずれにしろ、これをうるおすイリ川沿いにあった。

 往時モンゴルからホラズムに向かう主要街道はアルマリク→タラス→サイラーム→オトラルもしくはホジェンド(ともにシルダリヤ川沿いにある)を経由する。


注3 カシュガル: アルマリクから南西に約660キロ。現中国のほぼ西端に位置する。

 いわゆるシルクロードの代表的な城市。長安(現西安)を出てタリム盆地を抜ける経路では、タクラマカン砂漠の北縁を通るものであれ南縁を通るものであれ、ここを出口として西域諸国に至る。

 ゆえに地理的にはむしろ西域諸国に近く、カラ・ハン朝の時にはその領土に組み込まれ、この時がこの地のイスラーム化の始まりと考えられている


注4 蒲先萬奴:稀代の梟雄(きょうゆう)と言って良いこの者も、伝える史料には恵まれていない。

 本来、叛臣としてであれ、伝の一つも立てるべき「金史」は、本紀の方にわずかに記すのみ。例えば、その独立を伝える条は「遼東の賊の蒲先萬奴は僭号し、天泰と改元す」と至って簡素なものである。

 「秘史」がこの者のモンゴルへの臣従を伝えておる点では、まだマシとも想える。しかし過去の遠征と混同し、チンギスの次弟カサルが臣従させたことになっているのは、まさに「秘史」の間違い()()()()である。

 そもそも遼や西夏でさえ、まともな国史を残せていない。

 やはり(つわもの)どもの夢を伝えるのは夏草のみということなのだろう。)


参考文献

本話を書くに際しては、特に下記の書を参考にさせていただきました。記して謝意に代えたいと想います。

愛新覚羅 烏拉煕春 著 「契丹文墓誌より見た遼史」 (松香堂 2006年)


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