第129話 ブルーフォレストの「魔の森」と「時の扉」
ノアとオスカーは、金鱗竜に乗ってブルーフォレスト城を目指して急いでいた。
季節は冬。
常夏のパドラルから北へ向い、シルバーコルティナール山脈を越えると急に風が冷たくなる。
ノアは、騎竜訓練で呼吸と空気をコントロールする魔法を身に付けていたが、やはり真冬の空は寒く、冷たい空気が喉に刺さる。
「魔の森ってブルーフォレスト城の近くにあるのですか?」
Holy Mage同士であれば、精神感応術で脳内会話が出来るが、まだ、精神感応術を使いこなせないノアは、息苦しい中なんとかオスカーに届く声で尋ねた。
「いや、魔の森は、我が領地の西の森の奥、ほぼブロッサン国との国境、デスベアルフ山脈の麓にあるって、領民でもそこまで行く者はいない」
ノアは、「魔の森」にあると聞く、もうひとつの「時の扉」が気になっていた。
自分がパドラルにある「時の扉」を通って地球からリゲル・ラナへ来たのであれば、「魔の森」にあるという「時の扉」から、地球や別の星へ飛ばされる可能性があるかもしれないと考えていたからだ。
「じゃあ、ポリアンナが、わざわざ皆を連れてその森へ行くことなんて無いですよね?」
ノアは、冷たい空気を吸い込んで咳き込みながら、「あのしっかりしたクリス先輩やアンナ先輩も一緒なのだから大丈夫なはずだ!」と、自分に言い聞かせて冷静さを保とうとしていた。
「ああ、それは有り得ない。竜達の訓練を行っている場所までしか行かないはずだ」
と、ノアの質問に答えたオスカーはノアを気遣って言った。
「それより、ノアこの高さで声を出しての会話は喉を傷めるぞ。何か言いたいことがあれば、心のシールドを解除してから手を上げて合図してくれ。私が君の心を読んでから返事は君の脳に直接話しかける」
オスカーも妹たちに何があったのか予想がつかず焦る気持ちが逸るばかりだったが、ノアを気遣うことは忘れていないなかった。
また、ノアが「魔の森」を気にする理由も察しがついていた。
そして、ブルーフォレスト城に戻り次第、本来自分がやるベきことをしなければと思っていた。
それには、まず何が起こったのかを正確に知らねばならない。
オスカー自身、自分の未来が大きく揺らぐ気配を感じとっていた。
シルバーコルティナール山脈を越えるとシルバー・ベイリー領となり、進行方向左手の山並みがハイコルティナール山脈に変わるとラングレー領上空となる。
そして、そのハイコルティナールの山々が途切れると、頂きに白い雪を乗せたデスベアルフ山脈が左前方に聳えるのが視界に入りると、間もなくブルーフォレスト辺境伯領上空にとなる。
ブルーフォレスト城は、辺境伯領の中でも南西部に位置している。
オスカーは、高い塔の上にわずかに雪の綿帽子を乗せたブルーフォレスト城のエントランスにクレイヴを着陸させると、クレイヴの背から飛び降りて城内へ駆け込んだ。
クレイヴもオスカーを背から降ろすと、身体を鷲サイズに縮小して主人の後を追って城内へと飛ぶ。
ノアもクレイヴに続いて自分の金鱗竜を着地させ背から降り、竜の手綱をブルーフォレスト伯爵家の騎士に任せてオスカーの後を追った。
ブルーフォレスト城の大きな門が、ふりたりを出迎えるように自動的に開くと、その中の広い玄関ホールでオスカーの父であるブルーフォレスト辺境伯が待っていた。
オスカーは、父親の姿を見ると、今まで出したことの無いような大きな声でブルーフォレスト辺境伯に詰め寄った。
「父上、ポリアンナ達が戻らないとは本当ですか?」
ブルーフォレスト辺境伯家の広い玄関ホールにオスカーの声が響き渡る。
いつも、物静かなオスカーの聞いたことの無い大きな声に、その場に居た騎士も、玄関ホールから続く大階段の上の廊下を歩いていたメイド達も思わず驚いて動きを止めてしまうほどだった。
ブルーフォレスト辺境伯は、いつもとは違う息子の青ざめた顔を見ながら言った。
「わざわざ戻って来て貰ってすまない。いつもなら昼前には戻って来るのに一向に戻って来ないので、騎士達に探させたのだが…見つからないのだ。唯一、ポリアンナだけはクロエとイヴァンが連れ帰って来た」
「えっ?どういうことですか?」
と、予想外の辺境伯の返答にノアとオスカーが同時に驚きの声をあげた。
「ポリアンナ以外の四人がなんとしても見つからないのだ」
辺境伯も自分の娘が戻ったことに安堵するどころか、ポリアンナだけが生還したことに焦りを感じていた。
「四人が行方不明?」
「それで、ポリアンナは無事なのですか?」
オスカーは、妹のポリアンナを心配すると同時に、事の次第をいち早く把握して行動しなければと焦っていた。
同行したノアもポリアンナの容態が心配だったが、このリゲル・ラナで親しくしてくれた大切な友人たちが消息不明と聞いて心配でならなかった。
「ポリアンナは従者のイヴァンがクロエに乗せて連れ帰って来たが意識が無い。よほど神聖力を使ったせいだと思う。今は、アンネットが付き添っている。暫く安静にして寝かせていれば回復するだろう」
イヴァンとは、ブルーフォレスト辺境伯家に先祖代々使えている白魔術が使えるWhite Mage騎士のひとりである。
ポリアンナが幼い頃からの彼女の遊び相手も兼ねて警護をしてきた者で、今回も念のため五人に付き従っていた。
「では、イヴァンに詳しい話を聞きます!」
と、言ってオスカーは玄関ホール内に控えている騎士達を見回した。
オスカーは、四人が行方不明と聞いて一刻も早く捜しに行きたい気持ちだったが、ブルーフォレスト辺境伯家の臣下の騎士達は無能では無いと知っている。
彼らが捜しても見つからないのに、自分がやみくもに探すことは賢いやり方ではないと思っていつつも、気持ちだけが焦っていた。
オスカーのイヴァンを捜す様子を見た辺境伯が
「イヴァンは、ポリアンナの部屋に居る。呼んで来させよう」
と、言うとオスカーは、
「いえ、私がポリアンナの部屋に参ります。彼女の様子も確認したいですから」
と、言ってオスカーは、父の返答を待たずに大階段に向かって歩き出した。
慌てて階段を登る息子の後姿を見送る辺境伯に、ノアがおずおずと近寄って言った。
「あの、ブルーフォレスト辺境伯。僕もポリアンナ嬢の部屋に伺ってもよろしいですか?」
ノアは、本当はすぐにでもオスカーの後を追いたかったが、ここは貴族の居城でありポリアンナは辺境伯令嬢である。
平民の男である自分が貴族の令嬢の私室に入れ無いことを、地球人であるノアもリゲル・ラナでの生活を通して学んでいた。
すると、意外にもブルーフォレスト辺境伯は優しい声でノアに言った。
「もちろん、君も見舞ってやってくれ。君のことはポリアンナからもアラン様からも伺っている。君はKey Personなのだろう?これから頼むぞ!」
と、辺境伯はノアの肩に軽く手を置いて意味ありげにそう言ってから、ノアの背中をポンと押してくれた。
「ありがとうございます!」
ポリアンナと行方不明の四人が心配でならないノアは、気もそぞろなままオスカーの後を追って急いで大階段を登って行った。
「いよいよ、陛下の予言が動き出してしまった。我々は、我々にできることをするしか無い。必ずアランさま達がこの危機を救ってくれる」
と、ノアのその後姿を見送りながらブルーフォレスト辺境伯は、小さくつぶやいた。
ポリアンナの部屋には、彼女付きの侍女数名と従者のイヴァン、そしてポリアンナの母であるアンネット・ポーリー・ブルーフォレスト辺境伯夫人が居た。
ポリアンナの天蓋付の大きなベッドの横には、二脚の椅子と猫脚の丸テーブルが置かれ、その椅子のひとつにブルーフォレスト辺境伯夫人が横たわる娘を見守るように座っていた。
テーブルの上には水差しとグラス、ティーセットが置かれ、小さな花びんに数本の可憐な花が飾られている。
ブルーフォレスト辺境伯夫人は、オスカーが部屋に入って来たことに気づくと、椅子から立ち上がって言った。
「オスカー!戻って来てくれたのですね」
オスカーは母親の横に駆け寄り、ベッドに横たわる妹を見ながら言った。
「母上!ポリー、ポリアンナの様子はどうですか?」
辺境伯夫人は、オスカーの青ざめた顔を見ながら彼の冷たい手をとって言った。
「今は、力を使い果たして眠っています。私のヒーリング魔法で身体の傷は癒してありますので、後は本人の神聖力の回復次第です。ゆっくり寝ていれば数日で回復するでしょう」
「そうですか」
と、妹の寝顔を見て、少し落ち着きを取り戻したオスカーが母の手の温かさを感じながら言った。
だが、残る四人の行方と何が起こったのかもわからぬ状況に安堵しているわけにもいかない。
彼は、ポリアンナの兄のオスカーから、スチュアートリア帝国のブルーフォレスト近衛騎士団団長として意識を切り替えて言った。
「ますば、何があったかを知りたいのでイヴァンと話さなければなりません」
そして、オポリアンナの部屋の後方隅に控えている侍女たちの方を振り返った。
「イヴァン、別室で話を聞かせてくれ」
と、オスカーが言うと侍女たちと共に部屋の隅に控えていた騎士のひとりが進み出た。
「かしこまりました!オスカー様」
主家のお嬢様を守り切れなかった自分を悔やんでいたイヴァンだったが、ポリアンナの命に別条がないことに安堵していた。
そして、次の自分がやるべきことも自覚していた。
なんとしても、妹の仇り四人を救出しなければならない。
「では、母上。ポリーをお願い致します」
と、言うオスカーの後に続いき、勇んで部屋を出ようとしたイヴァンがチラリとノアを見た。
ノアも、ふたりに付いて行こうした。
だが、オスカーがノアを振り返って言った。
「ノア。君はポリーを頼む。ここからは我々のスチュアートリア帝国軍騎士の仕事だ。君の仲間を心配する気持ちはわかるが足手まといだ。ここの城でおとなしくしていてくれ!」
そうピシャリと言い放ったオスカーと従者のイヴァンが部屋から出ると、扉がパタンと冷たく閉じた。
いつも優しいオスカーの冷ややかな言葉に、ポカンとして立ち尽くしていたノアに向かってブルーフォレスト辺境伯夫人が近寄って言った。
「ごめんなさいね」
辺境伯夫人は、立ち尽くすノアの気持ちを落ち着かせるように言った。
「オスカーが不愛想な言い方をする時は、自分を律している時なのです。あなたの気持ちがわかるからこそ敢えて冷たく言ったのだと思います。オスカーを悪く思わないであげて下さい」
そういう優しく語る辺境伯夫人の顔を改めて近くで見たノアは、「はい」と、返事をしながら心の中で思っていた。
「オスカー様は、母親似なんだな」と。
ブルーフォレスト辺境伯夫人は続けて言った。
「あなたは、皇帝陛下やアラン様から特別な客人だと伺っています。もちろん、この話は皇帝陛下の側近のごく一部の者しか知らないことなので安心して下さい。そして、私達も詳しいことは知りません。ただ、あなたは何か大切な使命を持ってこの星に来たそうですね?重要なことはこれだけです」
「えっ?僕が異星人だったことをご存じなのですね?」
ノアは、驚いたように辺境伯夫人に言った。
「ええ、私と夫の辺境伯、そして父のイーサン・バルナバーシュ・ブルーフォレストは存じています」
イーサン・バルナバーシュ・ブルーフォレストとは、帝国神聖魔術士養成大学で教えているブルーフォレスト先生のことである。
ブルーフォレスト先生は、アレクサンドル皇帝やアランの父のであるラファエル前皇帝と共に伝説を作った帝国の重鎮のひとりなので、自分のことは知っているのだろうとノアも思っていた。
「ポリアンナ嬢とオスカー様は?」
「ポリアンナは、あなたが打ち明けていないのなら知らないと思います。オスカーはどうかしら?さっきの口ぶりだと知っているのかもしれません。でも、少なくともオスカーは、あなたを守ろうとしている事だけはわかってあげて下さいね」
「はい!」
ノアは、ブルーフォレスト辺境伯家の者が自分を気遣い、守ろうとしてくれている事が嬉しかった。
それと同時に、アランにKey Personと言われたことを思い出し、辺境伯夫人が言うように自分が何か大切な使命を持ってこの星に来たとするなら、それは何なのだろう?と考えていた。
「あの。僕の使命は、リリアーナ嬢やアイラ嬢、クリス先輩やアンナ先輩を助ける事なのでは無いでしょうか?」
と、真剣な眼差しで言うノアを見て辺境伯夫人は
「まあ、落ち着いて隣に座りなさい」
と、言いながら向かい合わせに置いて椅子を侍女に命じて横に移動させ、並ぶように置かれた椅子に座り、隣の椅子の座面に手を置いて言った。
ノアは恐縮しながら、辺境伯夫人に言われるまま夫人の隣の椅子に座った。
そして、ふたり並んでポリアンナの寝顔を見つめた。
いつもより血色が悪いせいか、色白の顔がさらに白く見えてまるで人形のようだった。
「皇室近衛部隊の騎士団長であるオスカーが、ここブルーフォレスト辺境伯領に戻って来たのは、単に新年祭の休暇の為では無く、皇帝陛下の勅命なのです。だから、今回の事はオスカーの使命なのでしょう。それは、オスカーだけでなくブルーフォレスト辺境伯家の者全てが受け入れる試練なのだと、私は思っています。そして、あなたも与えられたが使命があなたを待っているばすです。それまでは、この城で一緒にポリアンナの回復を待ちながら待機していなさい」
と、ブルーフォレスト伯爵夫人はノアの片手にそっと手を置き、ノアの顔を覗き込んで優しい表情を浮かべて言った。
ノアは、ポリアンナの母であるブルーフォレスト辺境伯夫人とじっくり話すのは初めてだった。
自分の娘がこんな目に遭い、そして息子も危険な任務に向かわねばならないという時にでも、穏やかに毅然とした態度で、しかも、アカの他人のノアの心配もしてくれるブルーフォレスト辺境伯夫人。
ポリアンナによると辺境伯夫人もHoly Mageらしいので、きっと見た目よりもずっと年齢を重ねておられるに違いなかった。
一見、華やかで優雅な名門貴族の奥方様に見えるけれど、やはりHoly Mageとして確固たるものを持つ人柄にノアは感動に近い感情を覚えた。
それと同時に夫人の深い愛を感じ、ノアはふと地球に残して来た母を思い出していた。
リゲル・ラナに来た当初こそ気になっていたものの、もう一年以上も忘れかけていたこの想い。
今頃、母親は自分のことを捜しているのだろうか?
それとも、死んだと思われているのだろうか?
闇バイトに手を出した馬鹿な息子のことなど忘れたいと思っているのだろうか?
いや、もう居なかったものと思われているだろうか?
そんな考えが頭に浮かび、思慕の感情が湧き上がって来て泣きたくなった。
だが、不思議と自分の手の上に置かれた辺境伯夫人の手の温かさが、その悲しい気持ちを吸い取ってくれるようだった。
「わかりました」
と、うつむいて目から溢れそうになる涙を堪えながらノアは震える声で答えた。
すると辺境伯夫人は、そんなノアの顔を見ないふりをするかのようにポリアンナの寝顔を見つめながら、ノアの片手に置いていた手でノアの手の甲を優しくポンポンと叩きながら言った。
「ポリアンナも目覚めてあなたが居てくれたら、少しは心強いことでしょう。それまでにお友達四人が無事に見つかれば良いのですが…。ポリーの力になってあげて下さいね」
ノアは、伯爵夫人の優しい言葉を聞ながら、ポリアンナのためにも自分がしっかりしなければと思っていた。
そして、改めて人形のように美しいポリアンナの寝顔を見つめた。
眠っているのに表情は少し苦しそうにも見える。
よほど怖い目に遭ったのだろう。
ポリアンナのためにも自分の大切な友人四人が無事に戻ることを強く願った。
ブルーフォレスト城には、いくつもの部屋が有る。
城主の家族や客人のための居室、使用人や家臣たちの生活に必要な居住スペースの他に、舞踏会を開けるほどの大広間やミュージックホール、絵画や美術品が飾られた美術室、膨大な書物を納めた図書室、大きな浴場、武器庫等々一般的な城にある施設が完備されている。
そして、この城には普通の城には無いような様々な設備もある。
そのひとつに、会議や会談をするための専用の部屋が有る。
「四季の間」と呼ばれているその部屋は、独立した四連続きの部屋である。
そんな部屋が有るのも、ブルーフォレスト城が諸侯や近隣諸国と帝国間での会談や条約を結ぶ会場として利用されて来た歴史がある証でもある。
この四つの部屋はそれぞれ広さが異なり、会談する人数に合わせて使用されている。
この四つの部屋が特別なのは、各部屋それぞれが独立している部屋だったが、騎士たちの隠し部屋や地下に繋がる秘密通路が隠し扉で隠されており、いずれの部屋も結界を張りやすい特別仕様となっているからだった。
今、オスカーとイヴァンは、その「四季の間」の中の一番小さい「春の間」に居た。
「イヴァン、まずはポリーを無事に連れ帰ってくれた事に感謝する」
と、オスカーがイヴァンに頭を下げた。
すると、イヴァンは慌てたように
「いえいえ、私は自分の仕事をしたまでです。それに駆けつけるのが遅れたせいで、他の四人の方を見失ってしまいました。申し訳ありません!」
と、平伏し土下座をしてオスカーに謝った。
オスカーは、そんなイヴァンを責めるそぶりはせず腰を折って片膝を床につけ、土下座して謝るイヴァンの両肩を優しく抱いた。
そして、彼を立ち上がるように促しながら言った。
「いや、君はベストを尽くしてくれたんだと思う。頭を上げて詳しく話してくれ」
イヴァンは、オスカーに促されるまま立ち上がり、自分の知る限りのことをオスカーに語りだした。
新年祭の休暇でブルーフォレスト城に帰省したポリアンナは、休暇中に魔法の練習と使い魔の訓練をしたいというリリアーナとアイラを連れて、冬場は使用されていない金鱗竜の訓練場行くのが日課となっていた。
それは、朝食後に城を出て昼食前には戻るというルーティーンだった。
その日もいつものように朝食後を終えてからブルーフォレスト伯爵領内の森にある竜の訓練場へ出かけた。
いつもと違うのは、昨日からアンナとクリストファーも加えて五人で行くことにしたことだけだった。
広大なブルーフォレスト辺境伯領の森の中に竜の訓練場が有る。
元々、辺境伯爵領地内にある森には、金鱗竜と呼ばれる竜が生息していた。
ブルーフォレスト辺境伯家のHoly Mageは、代々その金鱗竜を使徒として使っている。
やがて、先々代のブルーフォレスト辺境伯時代に、卵から孵化させた野生の金鱗竜の幼竜を、使徒の竜を用いて騎竜として調教することに成功したのである。
これが、スチュアートリア帝国皇帝に対しての忠誠を誓っているブルーフォレスト辺境伯家ではなく、皇帝に対して反旗を翻すような一族であれば大変なことになっていたに違いなかった。
金鱗竜は、大人になると氷点下を下回る気温でも分厚い鱗で体温を維持しているので問題なく活動できるが、まだ鱗が柔らかく薄い子供の竜は、一定の温度を下回ると冬眠して越冬する。
比較的温暖なブルーフォレスト城周辺も冬には雪が降り、積もることもあるので、真冬の期間だけでは、まだ若い金鱗竜達を広大なブルーフォレスト辺境伯領な南西部へ移していた。
このように、この竜の訓練場は先々代のブルーフォレスト辺境伯時代から使用している場所なので、ポリアンナはもちろんブルーフォレスト辺境伯家の者は、安全な場所であると思っていた。
また、ブルーフォレスト辺境伯領は広大でブロッサン国とエド・ロア王国に隣接する辺境領であるが、ブルーフォレスト城かある位置は比較的温暖な気候で、その近くにある騎竜の訓練所も真冬でも雪に埋もれることはなかった。
そんなわけで、森中にある騎竜の訓練場は、魔法の練習や使い魔の訓練には最適な場所だったのである。
事件があった前日の日、ポリアンナたちはいつも通り、リリアーナの使い魔の雄のふくろうのライナスと、アイラの使い魔の雌のふくろうのロザリーの訓練をしようとしていた。
三人に同行したクリストファーとアンナも久しぶりに魔法の練習をしようということになった。
「学校が休みだからって、だいぶ勉強をサボってしまった気分だわ」
と、アンナが言うと心配そうに足元でアンナの使徒のノエルがアンナを見上げていた。
「そんなことは無いよ。アンナも俺も学生には出来ない貴重な経験ができたと思うよ。トゥルリー先生と一緒に現場に行けたし、何よりもアラン総司令官から直々に教えを受けることができたんだからね」
そういうクリストファーの足元でマエルが、うんうんと頷いていた。
「そうよね?ゴザガント族の村やその周辺の村の解呪を手伝わせて貰えたのは貴重な経験だったわ。アラン閣下の新たな広域浄化魔法もしかり身に付けたいわ」
「そうだね。あの魔法の練習をしよう!」
と、言ってアンナとクリスは三人から少し離れた場所に移動した。
広域に及ぶ魔法の練習なので、三人の練習の邪魔にならないように配慮したのだ。
広域浄化の魔法は、滞ったダークエナジーを浄化する魔法なので、特に何もない場所で行ってもその場所の動植物や環境には影響は無い。
ただ、ダークエナジーを取り込んで凶暴化した魔獣が弱体化するだけだった。
ブルーフォレスト辺境伯領の広大な森の奥には、昔から「魔の森」と呼ばれているダークエナジーが滞りやすい地域が一部ある。
オスカーとアランは、広域浄化の魔法でその「魔の森」の浄化が出来るのでは無いかと考えていた。
以前、アランと辺境伯とで凶暴化した魔獣を退治したことがある。
だが、その魔獣は自然に凶暴化したのではなく、Black Mageの黒魔術の呪いの魔法によって生み出されたものだった。
そこに、Black Mageのパドリアヌスによるスチュアートリア帝国内での『大黒主神教』騒ぎや、パドラル侵略の動きと優先すべき事案が続き、特に異変が無いので後回しになっていたが、あれからしばく経過しているので、ブルーフォレスト辺境伯も「魔の森」の現状を確認しようと考えていた。
クリストファーは、アランに教わった後もジャンバラン砦内で何度も練習してある程度マスターしていたが、広域というほどにまで浄化することは出来ていなかった。
アンナの方は、なんとか魔法陣を発動させるところまでは出来ていたが、それを上手く広げるところまでに至らず苦戦していた。
練習に夢中だったふたりは、その様子を見ている謎の人物が居たことに気づくことはなかった。
だが、ふたりの使徒のノエルとマエルが何やら異変に気づきそれぞれの主人に伝えたが、その時には既にその怪しい気配は消えていた。
アンナとクリストファーは使徒たちの報告を疑うことはなかったが、腹ペコで帰城し、美味しいランチに舌鼓を打っているうちに、そのことをすっかり忘れてしまっていた。
ここはパドラルでも、ジャンバラン砦でもなく、スチュアートリア帝国内のブルーフォレスト辺境伯領であるという安心感で警戒心が緩んでいたのである。
クリストファーとアンナは、帝国神聖魔術士養成大学の学生であり、日頃はその学生寮であるミラ・ローズ宮に住んでいるので、軍の内部事情に詳しいわけではなかった。
ましてや、隣のブロッサン国にある『大黒主神教』教会の存在も知らなかったので、警戒心が薄かったのは仕方の無いことなのである。
翌朝、同じように五人が出掛けようとした時に、ブルーフォレスト辺境伯がポリアンナを呼び止めて言った。
「今日は、森へ行くのは止めた方が良いんじゃないか?」
「えっ?なぜですかお父様?」
「森がいつもより騒めいているのだ」
ブルーフォレスト辺境伯家の者は、気象の変化を察知して天気を読む能力に長けている。
そんな辺境伯が自領の森の異変を感じとっていたのだった。
ポリアンナも父譲りの能力があったが、まだまだ父ほどではない彼女には、いつもと変わらない朝に思えた。
「そうかしら?いつもと変わらないように思うのだけれど…。今日はHoly Mageのクリストファー先輩とアンナ先輩も一緒だし、クロエも居るから大丈夫よ」
と、ポリアンナは自信満々に答えた。
ポリアンナも帝国神聖魔術士養成大学の学生ではあるが、ブルーフォレスト辺境伯の娘なので、辺境伯領地内外の事情も危険性も熟知していた。
クリストファーやアンナよりも、ずっと警戒心は強かったが、『大黒主神教』の施設も全て撤廃され、関係者も全て逮捕されたと聞いていたので、城の近くに危険があるとは思っていなかった。
「そうか。では、イヴァンも一緒に同行させなさい」
ブルーフォレスト辺境伯は自分の嫌な予感を気にしながらも、竜の訓練場周辺は安全だと思っていたので、いつものように娘たちを送り出したのである。




