風格
しかし、レオン姿のアグネスは口角を上げて笑みを作っているものの、その口角の端が震えているのはわかる。
そして、合わせている背中は汗でぐっしょりだ。
アグネスのその勇気と聖女そのものの献身的な姿に、いまこのアグネスを守れるのは自分だけだと、ノアは心を奮い立たせ、剣を握りしめ直す。
「わかった!副団長に伝えておく!おまえらになにか考えがあるんだろう。絶対に死ぬなよ」
退却の声を掛けてきた班員は貴族派の騎士なのだろうか。心配そうな表情をしたが、ノアの事情を知っているようでその考えを尊重しようとしているのだろう。
無理矢理に退却を促す発言はしなかった。
「ありがとう。頼む」
元殿下の風格なのだろう。ノアが「頼む」と言えば、なぜか気高く見えた。
「無茶だけはするな!レオンもだ!」
レオン姿のアグネスは、魔獣から目を離すこともできず、余裕のない表情で眉毛を少し上げ班員に目配せだけをした。
班員が去るのを見届けノアがアグネス姿のレオンに目で合図をするとふたりは事前に打ち合わせをしていたかのように、ふたり同時に前方に向かって全速力で駆けだした。
「アグネスのいい考えはなんだ?俺はなにをしたら良い?」
ノアは前方から逃げてくる騎士たちとぶつからないようにレオン姿のアグネス守るようにぴったりと横を走りながら、ノアは逃げ惑う周囲に会話が聞こえないように声を抑えてアグネスの作戦を聞き出す。
少し息を切らしながらレオン姿のアグネスがノアの方を見た。
「元の姿に戻って、まずは魔獣の動きを止めるわ!」
「そんなことができるのか?」
「魔獣を凍らせる。でも、わたしは氷魔法は出来ないから水魔法の応用よ。こんな大がかりなことはやったことがないから周辺も凍る可能性があるし、いつまで持つかもわからない。でもわたしの元の姿を見られる訳にはいかない。ノアには誰にも見られないために人払いをしてもらいたい」
ノアはそれを聞くと、ぎゅっと口元を結び2度ほど小さく頷いた。そして、ふたりは前方にはまだ魔獣の群れと闘い、取り残されている騎士達を視野に捉えた。
「いくぞ!」
そうノアがレオン姿のアグネスに声をかけたかと思うと、すぐに走っている速度を上げて、魔獣と騎士たちで混沌としている中にひとり飛び込んでいった。
たちまち、「ノア!」という歓声があがる。きっとノアが「レオンもいるぞ!」と言ったのだろう。何人かが少し後ろから駆けてきたレオンを余裕なくチラリと見て、「レオン!」と声を上げた。
「俺とレオンで殿を務める!お前ら逃げろ!」
ノアが他の周囲で闘っている騎士達にも聞こえるように声を張り上げて叫んだ。
誰もが嬉しそうにした半面、ふたりを残して逃げ去ってしまって良いのか、戸惑っているのがわかる。
「俺とレオンは大丈夫だ!早く逃げろ!」
ノアが騎士たちにそう促すと、騎士たちが互いに目線だけで会話をしてタイミングを計り、ひとりまたひとりと闘いから離脱していく。
なにも言わずに一目散に逃げる者、ペコリと頭をさげて離脱する者、感謝の言葉を口にしながら走り去る者。
ただどの騎士達もこのような場面でも落ち着いて振る舞い、すべてを引き受ける覚悟のノアに未来の王としての風格を感じずにはいられない。
「ノアとレオンは?」
最後まで一緒に闘っていた者が、息を切らしながら余裕なくノアに声をかけてきた。恐らく貴族派の子息なのだろう。ふたりを気遣い最後まで加勢してくれていたようだった。
「誰も死なせたくないんだ!おまえも早く逃げろ。俺らは大丈夫だ。俺が死神から嫌われているのはよく知っているだろう!」
ノアが剣を振りながらも、余裕のあるように冗談を言ってみせて無理矢理に口角を上げて笑顔を見せた。
「ノアは絶対に死なせないよ」
アグネス姿のレオンが呟くように会話するふたりに言い放った。
「レオンが一緒なら心配ないな。ふたりとも頼んだぞ。恩に着る。こっちは任せとけ!」
その班員は野営地の方を手で示しニカッと笑い、ノアとレオンに一礼すると、一目散で駆け出した。
最初はノアの剣を脅威と捉えていた魔獣の群れがジリジリと後退していたが、人間がふたりだけだと認識をしたらしく、形勢逆転とばかりにいまにもふたりに襲いかかりそうだ。
魔獣たちがいまに飛び掛かりそうな勢いで唸りをあげて睨み合いが続くが、そう時間も持たないだろう。
「アグネス、俺の真後ろに入れ!そして元の姿になるならいまだ!」
レオン姿のアグネスは、ノアと背中を合わせたまま、左手の人差し指の銀の指輪を抜いた。
たちまち、外套を羽織った旅装の本来のアグネスの姿になる。
ノアは目では確認できないが、合わせている背中からレオンの広い背中からアグネスの小柄で細い背中になったのがわかり、アグネスが元の姿になったことを感じとった。
「ノアはわたしの後ろに!」
ノアの真後ろにいたアグネスが魔獣の群れの前にノアと並び立った。
そして、アグネスが天に乞うように空に向けて両手を広げた。
「オディウム オムニア・ゲレント!」(敵意のある万物よ、凍れ!)
アグネスが天に届きそうな大声で呪文を唱えると、空気が太陽の光できらめいた瞬間、辺りの温度が急に下がったのをノアは肌で感じ取った。
こちらに敵意を向け、唸っていた魔獣から唸りは聞こえなくなり、霜が降りたようにうっすら魔獣が白くなって無機質なものになっている。凍っているようだった。
「凍ったのか?」
「いつまで持つかわからないけど、成功したみたい」
魔法を放ったアグネス本人も魔法が成功して魔獣が凍ったことに少し驚いたようだった。
「アグネス、ありがとう」
安堵した表情をしてノアは構えていた剣をようやく下した。
「これで終わったの?」
ノアは首を横に大きく振った。
「俺の勘だけど、これは一部にしか過ぎない。こいつらの出元を調べないと、この戦いは終わらない。現世と異界をつなげるどこかに魔獣を惹きつけるなにかが置かれているところがあると俺は考える」
うっすら白くなった魔獣の群れがいつ動き出すかはわからない。
「アグネス、一緒に探してくれるか?こいつらが溢れ出てくると元のところを」
「もちろんよ」
その時だった。
野営地の方向から爆発音のような大きな音が聞こえ、ふたりで同時にそちらに振り向くと、火柱が上がっていた。
「なにがあったんだ!」
ふたりで顔を見合わせる。




