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第二話 まほろばは遠し、誰も彼もぼくを責めまくる(後)

 やっと三人から解放されて校門を潜った瞬間、突然トウカがまた降ってわいて出た。

文字通り階段からダイブして、背中にまとわりついてきたからたまらない。

下手したらそのまま地面に顔面激突だったよ。

たまたまそこにあった鏡に、見慣れたボンバーヘアーがちらりとよぎらなければ、本当にそのまま無防備にボディプレスを食らっていたかも知れない。

学校に鏡を寄贈してくれた、なんとか会に感謝しなければ。

「はーくん、久しぶりに一緒に帰ろ」

抱擁というよりはもう羽交い締めの形で、ぎりぎりと背中に乗っかるトウカを背負い込んだぼくは、数歩進んだ後それを振り払うように体を振った。

素早く離れるトウカは、にっと屈託のない笑顔で、また腕に細身の体を絡めてくる。

この時トウカは、今日は私の番とは言わなかったが、先程の経緯を思えば大体わかるような気はした。

じゃんけんでもして争って決めたに違いない。

振り返ればあとの二人が歯噛みしてこちらを睨んでいる景色が容易に想像出来て、後ろを振り返ることも出来ない。

「いいけど、トウカの家って思い切り反対方向だよね」

「だからー、そこまで。牛歩戦術で行きます」

それただの悪あがきのことだぞ。

指差したのは分かれ道になる百メートル程先の交差点だった。

「久しぶりだよねー。最近ずっとふさぎ込んでたからはーくん」

すり足で本当に一歩ずつのろのろと歩くトウカは、まるで石化しただだっこちゃんのようにぼくの腕にすがって、その歩みを止めにかかってくる。

抵抗するのもあほらしいので、仕方なくその速度に合わせて歩きながら、彼女の好意的解釈に溜息が出た。


そう、トウカの言うことは随分と脚色してある。

振り返って初めてわかる、自分の荒れ方。

そんな自分を黙って見守ってくれた友達のことは、ラップでは言い表せないくらいありがたいのかも知れない。

牛歩デートに勤しむぼくたちを、足早に(低速なのはこちらだが)通り越していく他の生徒たちが不思議そうな顔で見る。

それを見送ると、ぼくはトウカの顔をじっと見つめた。

「なに? もしかして恋にフォーリンしちゃったりしてる?」

ううん、多分それはない。

「相変わらず連れないなあ。一緒にお風呂で体こすりつけあった仲なのに」

子供の頃にね。

「泡踊りもやったよね」

単に踊っただけだけどねっ。

「あれもやったねえ、せんぼうきょ……」

うわーそれは駄目だ! てか真似たのは前半だけで、その後はないだろ。

あの頃はそんな意識すらなかったぞ。

「今思うと進みすぎているカップルだった」

カップルでもやらないよあんなこと。ただの子供のおふざけだ。

「それだけ深い間柄ということで」

うん……そうだね。

 トウカとは幼稚園からなので、相当長いつきあいだ。

もうずっと一緒にいるのが普通になっていて、こうやって腕にまとわりつかれてもなにも思わないくらいになっている。

まあこれでもう少し胸があれば、ドキっとしちゃったりもするのかも知れないが。

スレンダーなトウカは、なにを食べても太らない。

毎日カステラをぱくついている姿は、ダイエット女子から見れば“さつい”すら覚える代物らしい。

そういえばトウカは昔からずっと甘いものを食べていたような気がする。

思い起こせば砂場でも棒つきのアメをくわえ、お風呂場でもどこかの名物のやけに甘いたまごせんべいを、ぬれおかきだと言い張りながら食べていた。

まるで砂糖をエネルギーに変換して動いているロボのようだ。

トウカがこうしてそばによるだけで甘い香りが漂ってきそうだ。

バニラエッセンスとも違う、白くてざらざらした上白糖のような……ってどんなだよ。トウカの体は砂糖で出来ているに違いない。

「せめて和三盆と言って欲しいなあ」

「ほんとどうやったらそれで太らないか不思議だな」

「昔は太ってたじゃん」

そういえばそうだった……子供の頃はもっところころしていて、今のトウカとは別人だったよな。

誰も見ていないところで、日々たゆまない努力を続けているのだろうか。それにしちゃ普段だらだらしすぎだが。

「女の子には謎がつきものなのさ」

どうせトウカのことだから、大した秘密もない天然なんだろう。

「さすがつきあい長いだけあって読んでるね。その通り。だから始くんのこと好きだよ」

はいはい……全く。

「好きだよ、始くん」

うん? 言い直したその声の調子の変化に気づいて、ぼくが振り向いた時、もうトウカは腕にまとわりつくのをやめて、分かれ道の先に小走りに去っていた。

「また明日ね」

そう言って手を振る姿は普段のトウカではなく、等身大の女の子だった。なんだよそれ……。


 次の日、誰が作ってもかわりばえしないトーストにほっとしながら学校に行く。

今となっては朝食だけが唯一の救いだなあ。

チヒカさんの料理の覚えの悪さは、まるで改善しない。

というかあれだけ精密な動きの出来る人が、なんで料理だけはあんなに大雑把なんだろうか。謎すぎる。

もっともチヒカさんが来る前に比べれば、毎日暖かい手料理にありつけるだけ、全然マシなんだけど。

 学校に行くと、よしっと謎のかけ声を発してから、アキミが一人で寄ってきた。

「おはよう」

彼女にしては随分と無理をした笑顔で出迎えてくれる。

その後ろで、また朝からカステラの封を切るトウカの姿は、いつも通りの幼なじみだった。

「じゃあ今日は私の番だから」

そう言って放課後の教室で声をかけてきたのは、やっぱりアキミだ。

ブレザーの胸元がきつそうなアキミが動くと、自然と視線が集まる。

その視線が最後にはぼくに向けられて、羨望と嫉妬のジト目になるのはいつものことだ。

「えいっ」

拍子抜けするような気の弱いかけ声と共に、今日はいきなり手をつないできたから堪らない。

約二名の痛い視線が稲妻状に突き刺さる中、さらに小声で交わされる周囲の陰険な空気。

たまらずダッシュして外に出たぼく。

それに「やん」とか言いながら、それでもついてくるアキミ。

踊り場でやっと止まって息をするぼくを、アキミが心配そうに覗き込んでくる。

「なんで逃げたの?」

「恥ずかしいからに決まってるじゃないか。なんで手なんて」

「駄目だった?」

この上目遣いに弱い。

仕方ない……その後こそこそと忍者のように周囲に気を配りながら歩くぼくに、黙ってアキミが後からついてくる。

どれだけ人目を気にしたところで、放課後の人の波の中ではなんの効果もないのだが……アキミは呆れもせずにぼくにつきあって、ほとんど効果のない隠密行動の間も、手だけはしっかりつないだままで黙ってついてくる。

やっと校門を抜けていつもの道にかかると、ほっと一息ついてアキミの方を見る。

普段からあまり運動しないアキミが息を切らして、その度に胸が弾んでいるのがちょっと気になる。

「少し休んでいこうか」

「うん……」

これがトウカやハルカなら、ご休憩とかご宿泊ネタになるのかも知れないが、アキミの反応は至って普通だ。

そこまで考えて昨日のトウカの反応を思い出した。

多分あれは……そういうことなんだろうな。

「……こうして一緒に帰るのも久しぶりだよね」

静まってきた息と共に、アキミが呟くように言う。

 思えばアキミとのつきあいも小学生以来で、もう随分長い。

アキミはどちらかというと控えめで大人しい女の子だ。

昔から学業優秀、家はお金持ちなこともあって、アキミは習いごとが多く、一緒に遊ぶ友達もほとんどいなかった。

子供の頃からずっと伸ばしている髪は、ところどころがピンとはねていて、絹ごしのストレートヘアというわけではない。

たまーに言うことが不気味だったり、独特の世界を持っているこの少女と出会ったきっかけは、本当に些細なことで。

「どうかした?」

じっとこちらを凝視してくる瞳は、瓶底メガネみたいになっていた。

そういえば今日は伊達メガネがない。

それが彼女の本気度の現れなのだろうか。

髪が揺れるのと同時に、ふんわりとした胸元がまた揺れる。

この胸が膨らみ始めたのは、小学校高学年になってからだっけな。

それまではどことなく冴えなかった風貌のアキミが一気に女らしくなって、男たちの見る目が変わった。

それでもぼくと田中以外にあまり打ち解けないアキミは、いまだに深窓のご令嬢キャラだと思われている節がある。

本当はすぐやきもちを妬くし結構怖いことも考えているし、おっほっほなんて笑うこともない、普通の女の子なんだけど。

 なんて考えているうちに、もう随分と無言で歩いているような気がする。

アキミは普段から割と口数が少ないので、二人きりになると、大体こういうことになってしまう。

その辺がトウカとは決定的に違うところだ。

だけど視線を向ければ、すぐにそれに気づいて笑顔を見せてくれる。

そんな表情がたまらなくなることもある。本当に極々たまにだけだが。

「迷惑だった?」

ううん、そんなことないよ。でも一緒に帰って噂されると恥ずかしいし。

「そんなこと気にしてたの? トウカとは一緒に帰ったのに」

彼女の額に縦筋が入っているのが、なんとなく見えたような気がした。

というかね、日替わりで一緒に帰る人が替わるから後ろ指さされるんだけど。

「それははっきりしない始くんが悪いからです」

女教師みたいな尻上がりの言い方で即返答されると、もうなにも言い返せない。

「協定だから独占はしないけど、私の心はいつだって始くんのそばにいるよ」

協定という言葉の意味はもう大体わかっているからツッコミはいれないけど……それよりも続けて出た言葉に、ぼくは怯まずにはいられなかった。

やっぱり彼女たちのアプローチはストレートだ。ストレートすぎると言っていい。

「なんでぼくなの」

ぼくもストレートに質問を返す。

「他の人じゃ意味がないからよ」

「そんなすごいこと、ぼくが君たちにしたとは思えない」

「したよ。十分してる」

そんな馬鹿な。

「人が人を好きになるのは、理屈や理由じゃないよ」

思いつめたような声で迫ってくる彼女の本気に、気圧されてつい後ろに下がってしまう。

だけどきついくらいにつないだままの手は、それを許さない。

「あっ……」

ぼくが動くと同時に、引っ張る形で彼女の体がふわりと触れた。ま、マシュマロがはねる……。

「ごめん」

「んーん……私はトウカほど積極的になれないから、わざとだとしても嬉しい。あのね……」

アキミの体が離れる直前に囁かれた本当に短い言葉に、どう反応すればいいか、ぼくにはわからなかった。

結局その後も、無言で二人歩き続けるだけで、帰り道のデートは終わった。


 次の日の朝。

トーストにあんこを塗っているチヒカさんに出迎えられたぼくは、さすがに絶句した。にゃーご飯か。

「おいしいと聞いたのですが……だめですか?」

掃除洗濯家事育児……いや最後はいらないが、とにかく万能なチヒカさんの手腕には、初日から驚かされてばかりだった。

おかげでたった数日で家の中はピカピカだ。

以前通いで来ていた家政婦さんは、いい意味でも悪い意味でも普通の人だったが、チヒカさんのそれは常軌を逸している。

かつてを知っている人が見れば、卒倒しかねないほどに、家中が美しく輝いている。

毎日洗濯してくれる服も、着ているこちらが綺麗になる錯覚を覚えるほどだし、食器もカップもやっぱりピカピカだ。

しかし……しかしだよ、こと食事に関しては、本当にセンスがないんだよなあこの人。

忍者は粗食らしいけれど、なにか関係があるのだろうか。

いや多分ないな。うん。

しかしメイドとしては、結構致命的な問題かも知れない、これは。

「申し訳ありません。メイドとしての訓練は日が浅いもので」

それ全然シノメイドじゃないよね。

「メイド路線を導入したのは最近なもので……」

メイドの里なのに?

「改名前は命土里という地名でした」

なんのギャグだろうそれは……謎だらけだよメイドの里。

それも明日行けば全てわかるんだろうけど。

「はい……」

そのことに触れると、途端に表情に翳りが浮かぶ。

やっぱりチヒカさんはその話題に触れたくないらしい。

一体なにがあるというのだろう。

答えを待たされる身も中々辛くて、愚痴の一つもこぼしたくなるのだけど、その顔を見ると、どうしても言葉が続かなくなってしまうぼくだった。

そして向き直るのは、あんこトーストの朝食である……食えなくはない、食えなくはないんだけどねえ。

あんパンだと思って食べてもやっぱりなにかが違う、この独特の違和感を説明する言葉を、ぼくはまだ知らない。


 いつもの通学路を通って、いつもの学校に行く。いや睡眠は十分足りている。

ふと足を止めた場所は、母さんが事故にあったと聞いていた場所だった。


その日連絡を受けて病院に駆けつけたぼくは、無言の母親と対面して、ただ疲れ果ててしまうまで泣き叫んだ。

電車で数駅ほど向こうに住んでいるという父方の叔父さんがやってきて、後のことは全てしてくれるというので、ぼくは黙って家に帰った。思えば叔父さんの存在を知ったのも顔を会わせたのも、その時ただ一度きりだ。

帰り道の途中、このなんでもない交差点で、同じように足を止めた。

そこでただ道を睨みつけたことを、昨日のことのように思い出す。

心の中でどんなに罵っても、悔やんでも泣いても、そこにあるものはぼくになにも返してはくれない。

ただ人と車が行き過ぎていく、どこにでもある普通の光景が延々と続くだけだった。

あの時ぼくの中でなにかが切れたような気がする。そしてぼくは荒んでいった。

だけど聞かされた事実は全て嘘で、本当はぼくが思っていたように、母さんは交通事故で死んだのではないらしい。

今にして思えば、確かにおかしいのだ。

事故があれば、警察が実況見分だとか現場保存に動いていてもおかしくない。

しかしあの日そんな跡はどこにもなかった。

もしかしたらぼくが通りかかった時には、既に全てが片づけられていたのかも知れない。

だがガラスの破片一つ落ちていない、噂話をする人もいないことに、違和感を覚える余裕なんてなかった。

だからって気が狂いそうだったあの日々が、綺麗に洗い流されるわけじゃない。

一体ぼくはなにをやっていたんだろうと思うだけだ。

そんな徒労感が今さらながらに押し寄せてきて、足がひたすら重くなり、その場を離れることが出来ない。

それでも必死で足を引きずって、その場を強引に後にするのに何十分かかったのだろう。

学校には遅刻しなかったので、多分それはぼく一人の時計の針だけが異様なほど遅く回っていたに違いない。


 教室に着くと、洗いざらしの白い体操服がひらりと舞うのが目に入った。

教室のドアをくぐると、いつも目線はまず自分の席に向かうものだ。

その先に唐突にあったのがそれなのである。

ついでにいうなら濃紺の薄いようで厚い、しかし幅は極端に狭い布地も同時に目に入った。いわゆるあれである。敢えて説明はしない。

さらについでにいうなら、それから伸びるすらりとした健康的な生の手足も、ぼくの目を奪ってやまない。今この胸が震え出しそうである。

「おはよう! 始。今朝は遅かったね」

並の肺活量とは思えない美声を轟かせたのは、誰あらんハルカである。

この健康的非暴力(ただし相手による)少女も、ぼくの幼なじみの一人だ。

とにかく子供の頃から元気で、暗い影の一つも見えないパワフルかつダイナミックな女の子は、時々疲れるくらいに熱血趣味だったりする。しかしその格好は……。

「ああこれ? ちょっと制服汚しちゃったから」

朝からかよ。

「車に引かれそうになっている子供を助けて、泥はねちゃったんだって」

そばにいたトウカが無表情で言ってから、はっとした顔をして自分の口を塞いだ。

その心の動きが見えるようで、ぼくは違う意味で眉を顰めてしまった。

するとその顔を見て誤解したトウカは、さらに焦って体を揺らす。

とんでもない失敗をしてしまったという表情が、逆に滑稽に見えてくるくらいに。


だけどそれはもう問題じゃあないんだ、トウカ。

ぼくは自分でも驚くほど冷静だった。

思えばそれも、チヒカさんとメイドの里の方向に注意が向いていたおかげかも知れない。

あの金髪ゾウさん女に少しは感謝すべきなのかもな。

「でもどんなに体を振っても乳は揺れない」

少し冷たいなと思いながらも、思わずそんなことを口に出していた。

これが普段のやり取りなら、トウカの悲痛なツッコミが返ってくるところだが、その時はハルカもトウカも唖然として、お互いの顔を見合っただけだった。

「なにかあったの……?」

ハルカの心配そうな声が、今は少しだけ重い。

だけど今のぼくは、交通事故という言葉から連想ゲームのようにショックを受けたりはしていない。

それが示せただけでもよしとしよう。

「なんでもないよ。それより怪我はしてないの?」

「うん、子供はちゃんと学校に行ったよ」

子供のことじゃない。

ぼくは多少のいらつきを隠さないまま、じろじろとハルカの体つきを見た。

もちろん怪我がないか確かめるためである。

変な気を起こしているわけではない。ええ断じて。

行儀悪くぼくの机にお尻を乗せているハルカの体は、どこも傷ついているようには見えない。むき出しの手もぞんざいに投げ出され気味な足も、純白の体操服も濃紺の部分も。

「じろじろ見るなよー。いやらしいなあ」

空気を読まずに、後ろからやってきた田中の声が聞こえる。

そのだみ声は揶揄の色に満ち満ちていた。

田中の体を隠すように座っていたハルカが、肩をビクっと震わせる。

どうやら背中に田中の息がかかったのが気持ち悪かったらしい。薄い体操服では無理もない。

その上体がひねられ、躍動感溢れる動きで右ストレートを放った瞬間、翻った服の裾から淡い水色のブラが見えたような気がしたが、多分気のせいだろう。いやきっと気のせいだ。

田中がスローモーションで激痛に悶えながら倒れていく姿に、教室中が注目したおかげで、ぼくがハルカの下着を見てしまった件は、誰も気づくことなく終わった。

ついでに言えば、トウカの失敗のこともこれでうまくごまかせた。

ありがとう田中、たまには役に立つお前の散り際の勇姿を、ぼくはきっと忘れない。

誰も知らない、ぼくだけが知っている勇姿だが。


 放課後、やはりハルカは校門の前で待っていた。そう、あの体操服姿で。

やけに大きなバッグを片手にさげているのは、それに制服が入っているからだろう。

というかよくその格好で授業受けられたなあ。いやずっと一緒にいたんだけどさ。

「よ、今日は私の番だから一緒に帰ろう」

その紳士協定、いつまで続くんだろうね。

「それは始がちゃんと誰か一人を選ぶまでだろうね」

誰も選ばなかったら?

「その時は田中が引き継ぐよ」

「それぞっとするからやめてくれよ」

ハルカはぼくの反応に高らかに笑った。


 今こうして普通に笑えるハルカを、ぼくは本当にすごいと思う。

彼女と知り合ったのは小学一年生の頃だから、トウカと知り合った少し後、アキミと知り合う少し前のことになる。

その頃の彼女は、事情があって両親と離れて暮らしていた。

ほとんど会わないせいで、顔もほとんど覚えていないそうだ。

それでも彼女に暗い影はなかった。

むしろ活発すぎて手の着けられないほどで、ぼくも彼女の乱暴で豪放な振る舞いに何度泣かされたか知れない。

そんな彼女が真っ青になって心を失ったのは、両親が揃って海外で死んだと知らされた時だった。

その時のぼくは、死というものがどういうことなのかわからなくて、ただ彼女の愕然とする顔を見ていることしか出来なかった。

だけど、彼女の復活は思った以上に早かった。

一週間学校を休んでから再び登校した彼女は、もう今まで通りのハルカだった。

元々おばあちゃん子で、祖母に預けられていたハルカの生活は、以前も以後もなに一つかわらなかったそうだ。

今でも遠くで生きているような気がするんだと言った彼女の顔は、本当にそう思っているように見えた。少なくともその時のぼくには。

 ぼくが落ち込んでいた時も、ハルカだけはぼくを励まそうと傍に寄ってきた。

だけどぼくはそんなハルカが逆に疎ましくて、思い切り拒絶したことがある。

その時彼女がぼくをひっぱたきながら泣いた光景は、今でも忘れられない。

だけど、それでも彼女はまた次の日にはいつも通りだった。

それがぼくにはさらに辛くて、この数ヶ月はほとんど口を聞いていなかった気がする。

「相変わらず始は考えていることが顔に出るなあ。せっかく美少女と歩けるのに、そんな暗い顔しないでよ」

どこからツッコむべきかなあ。美少女か、それともその恥ずかしい格好か。

「えー? アキミが言うにはこれで絶対悩殺ってことだけど」

どこの昭和の光景だよ。

「ふうん。よく知ってるんだ。マニアック」

絶句して咄嗟に言葉を返せなかったぼくの態度を、降参と受け取ったらしいハルカはけたけたと笑った。

通り過ぎていく生徒たちの視線がハルカに集まっている。

そりゃあそうだろう。

しかし牛歩のトウカといい、手を繋いできたアキミといい、ハルカといい、何故こうも注目を浴びる行為が続くのか。

毎回晒し者になるぼくの身にもなって欲しいものだ。

後方から好色な視線がハルカ(のお尻)に向けられるのを、自分のカバンで牽制するのに忙しいこちらの身にもなって欲しいものだ。

しかしそれに気づいたとしても、当のハルカはなにも思いはしないのだろうな。

「どうしてハルカはそんなに明るく笑えるんだろう」

ぼくは言ってはいけないことと知りつつ、ほとんど無意識にそんな言葉を吐き出していた。

言ってから後悔したところで、取り消すことが出来るわけじゃない。

トウカも今朝そんな気分で居たたまれなかったに違いない。

しかし彼女はやっぱり全く気にしていないらしい。

「根が単純だからだろうね。いつまでも苦しいと思い続けられないんだよ。そんな自分がいやになって疲れちゃうから、忘れてしまおうと思ったら、ほんとに忘れられた」

さっぱりとした考え方だ。ぼくもそうなれたら、どんなによかったか。

数歩先を行くハルカが振り向く。

その顔には、いつもはない憂いが覗いていた。

「……だから始の苦しみは、私には理解してあげられない」

そう言われて、ぼくは気がついた。

ぼくだってハルカの苦しみを理解したことはないんだ。

所詮人間なんてそんなものかも知れない。

達観しちゃっているな、冷めすぎだろうかぼくは。

「ごめんね……あの時無神経なこと言っちゃって」

そんな言葉を被せられて、ぼくははっとハルカの顔を見直した。

夕焼けの中で、潤み気味の瞳がぼくを見ている。

そんなことをずっと気にしていたのか。

「そんなことじゃないでしょ。始のことは、忘れてしまおうとは思えないから。だから始だって、いつまでも忘れられなくて苦しいんでしょう」

彼女の言う通りだと思う。

ふんわりと彼女の体が近づいてきて、また体操服の白い布地が舞った。ほんの一瞬の抱擁。

「大丈夫、いつか気持ちも落ち着くよ」

その言葉は、ハルカのセリフとは思えないほど落ち着いていた。

いや、ハルカだからこその言葉の重みがそこにあった。

ぼくは自分でも不思議なくらいに落ち着いていた。

「ありがとう、決心がついたよ」

ぼくはぼくに出来ることをしよう。無意味に前向きでいいんだよな、こういう時は。

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