第二話 まほろばは遠し、誰も彼もぼくを責めまくる(前)
話は次の日の朝食に飛ぶ。
夕食の話は、敢えて高速スキップすることにしよう。
トーストは決して、ぼくを裏切らない。魔法の妙薬である。
コーヒーは……うんまあ、ミルクと砂糖さえあれば、いくらでもごまかしは効くものだ。
問題ない、問題ない。
そんな和やかな雰囲気の中で、ぼくは彼女に問うてみた。
「そういえば、チヒカさんはどうしてメイドになろうと思ったの? やっぱり任務だから?」
前々から思っていた素朴な疑問である。言外に「何故メイドなのにそんなに食事を作るのが下手なの?」という含みもあったが、それには気づかれなかったようだ。
その反応は思ったよりも鈍い。
「ええ、まあ……色々とありまして。ある方の勧めもあったのですが」
言葉を選ぶ返事からは、彼女の心の中はなにも見えなかった。
元々あまり感情的な側面を見せる人ではないが、何故かその質問に対しては、特に反応が薄い気がする。
いやなにかを堪えているような、不可解な部分が覗いて見える気がする。
「不器用なメイドで申し訳ありません、ですが精一杯務めてまいりますので、どうかおそばに置いてください」
反応を読むようにじっとチヒカさんの顔を見つめていたぼくの視線をどう勘違いしたのか、彼女は一気に距離を詰めて、ぼくの手を握りしめながら懇願に瞳を潤ませる。
あかん、これはあかんやつや……ぼくは一発でハートを撃ち抜かれた気がして、う、うんと曖昧ながらも頷いた。
ぱっと明るくなる顔、この笑顔にはとても勝てそうにない。
寄り添って触れ合う距離からは、指と指の間から伝わる以上の暖かさを感じられるような気がした。
なんか騙されてる?
そしてメイドさん手作りお弁当をカバンに詰め込んで学校に向かう。
ナイフとランタンは入ってない。危ないから。しかし心はどこか浮かれない。
「お車にはお気をつけくださいね」
なーんて言われながらお見送りを受けて、制服のネクタイをさりげなく直してくれるチヒカさんが、当然距離を極限まで縮めてくる。
顔が赤くなるのを悟られないように必死に逸らしながら、それでも心の中は晴れやかなほどに浮き足立っている。
……はずなのだが、食事のことを思い出すと、途端になんとも言えない気分になってしまう。
この浮き沈みの激しさは一体なんなのだろうな。
さらに時間が過ぎて、その日の帰り道。
日直の仕事を押しつけられて、なんだかんだと遅くなってしまったぼくは、夕焼け空の下を一人急ぎ足で歩いていた。
早く帰らないと、チヒカさんが余計な心配をしてしまうんじゃないか、なんて考えている自分がなんだかむずがゆい。
もはやチヒカさんの存在を疑ったり追い出そうという気は微塵も起こらなくなっていたが、しかし疑問はまだまだある。
一体誰がぼくを狙っているのだろう。
何故忍者がぼくをガードしてくれるのか。
何故忍者なのにメイドなのか。あの身体能力はどうなっているのか。
あれだけの騒ぎがあったのに、あの時どうして誰も駆けつけてこなかったのか。
ぼくは帰り道の途中にある、チヒカさんと出会ったあのビルの前へと足を向けた。
そこで異変に気づく。数日前は確かにそこにあったはずの破壊の痕が、綺麗さっぱりなくなっている。
一体これはどういうことなのだろう。ぼくは夢でも見ていたのだろうか。
それともスーパー左官屋集団が現れて、数日で全て元通りにしてしまったのか。
考えてみるとさっぱりわからないことだらけだ。
そもそもあのピンクのゾウさんパンツの子、あれは一体……。
「おい!」
不意に声がして振り返る。あ、ゾウさん。
「誰がゾウだ! これだけの美人を捕まえて。さっきから呼んでいるのに、こっち見ろや」
そこに立っていたのは、間違いなく以前ぼくを襲った女の子である。身長はかなり低いが、態度はやけにでかい。
「さて、ここで会ったが百年目だ、今日こそトドメをさしてやるから覚悟しろ」
百年も経ってませんよ、それに今日は塾があって急ぐんで、これで失礼します。
「あ、そうでしたか。塾じゃしょうがないですねそれじゃまた明日……って、それで帰すか!」
ノリのいいやり取りで逃げられるかと思ったけど、やっぱり無理らしい。
金髪に染めた髪をツインテールにしている、この派手な少女。
よく見るとこの娘もメイド服なんだなあ。
オレンジカラーのエプロンに純白のシャツがまぶしい、これはメイドじゃなくてどこかのファミレス店員だろうか。
太ももすれすれのスカートの絶対領域が中々小憎らしい。
そりゃあゾウさんもはみだすってもんだ。
やけに胸元が強調された服だが、思ったほど膨らみはなかったりする。
口にしたら問答無用で絞められそうなので、決して言わないが。
蒼い瞳は性格悪そうに吊り上がっていて、口元も生意気に歪んでいる。
この娘がいきなりミサイルを撃ち出すとは思えないくらい、可愛いと言えば可愛い。
と一通り冷静に観察してみたが、これ、もしかしなくても絶体絶命の状況?
ぼくの頭の中をピンクのゾウさんがずっとうろうろしている……ああ、もう現実逃避するしかないのか。
「と言いたいところだが……まあ今日は勘弁してやろう」
あれ、急に大人しくなったぞ? どういう風の吹き回しで。
「いいか、大人しく引き下がってやるのは、あの女が怖いからじゃないぞ。大体あの女をそばに置いている時点でお前がおかしいんだ。あの女はお前の母親……」
その瞬間ぼくは信じられないような猛ダッシュをかけて、彼女の細い肩を掴んでいた。
「母さんがなんだって? どうしてここで母さんが出てくるんだ」
「おい、離せ! 乱暴するな」
「乱暴しようとしたのはきみだろ。母さんがなんだっていうんだ!」
自分でも信じられないくらい、強い力を指先に籠めていたらしい。
彼女はそれを大きく振り払って、痛みに耐えるように自分の肩を押さえていた。
それでもぼくは近寄って、彼女の前に顔を乗り出す。
それに怯む彼女は、ぎっとこちらを睨み返して、押し返そうと迫ってくる。
いやキスする五秒前ではない。メンチの斬り合いでもない。似たようなものだが。
「……ふん、やっぱりなにも知らないんだなお前」
先に下がったのは彼女のほうだった。
引いたというよりは呆れて離れたというところかも知れない。
はん? とあからさまに馬鹿にして肩を竦める仕草が憎たらしい。
ぼくはそれでも彼女に食い下がろうとしたが、それは翳される手のひらに静止された。
「そんなに気になるなら、あの女に直接聞けばいいだろ。私は帰る! 帰ってやればいいんだろ」
そのまま瞬時にその場から消えた影が、もう遠くに跳び去っていた。
改めて見る人間離れした運動能力。
最後の言葉は、一体誰に向けて言い放ったのか。
それより彼女も忍者なのか……どっちにしても、ミサイル撃っている時点でまともじゃないのは確かだが。
格闘戦ではチヒカさんに負けていたから、やはり遠距離支援タイプの戦闘能力なのだろう。足がキャタピラでなくてよかったね。
その時、ぼくは知らなかった。
ビルの影で金髪のメイドに睨みを効かせていたもう一人の影がいたことを。
その赤い鎧の奴と出会うのは、もう少しだけ先の話になる。
「ぼくの母さんのこと、なにか知っているの?」
制服から部屋着のラフな格好に着替えたぼくは、家に帰ってすぐ、夕食の準備をしているチヒカさんの背中にそう聞いた。
おいしそうな湯気……はやっぱり立っていなかった中で、彼女が振り返る。
その顔は見たこともないほど深刻なものだった。
ぼくは空になった弁当箱を手渡す。彼女がそれを受け取る。
その動作は極自然なようでいて実に不自然で、そばで見ていると油を差していない関節がギシギシ言っているような気がした。
「……はい。私も詳しく聞いているわけではありませんが……始様のお母様は、私と同じ忍の一族の出身なのです」
「じゃあ母さんもチヒカさんみたいに凄い技を持っていたの?」
「はい……そのように聞いています。最もお母様の力は、私とは明らかに違う種類の力だったそうですが……」
歯切れの悪い言葉、なにか言い淀む調子は、これまでのチヒカさんとはまるで違っていた。ぼくは進まない会話に、苛立たしげに核心に迫る方向から切り込む。
「ぼくの母さんが交通事故で死んだっていうのも、嘘なんだね?」
それは完全な当て推量だったが、その時真っ青になったチヒカさんの顔色は見るも無惨なほどで、その心の内を明確に現していた。
「誰にそんなことを聞いたのですか?」と今にも口に出しそうな唇が引き締められて、一本の線になる。
彼女はその疑問を口に出す代わりに
「はい……」
と絞り出すような一言を呟いた。
そこでぼくの緊張の糸は切れてしまいそうになった。
頭の中でなにかがぐるぐる回る。
体はどうにもなっていないのに、気分が悪くなってくる。
ぼくはへなへなとキッチンの椅子に腰を落として項垂れてしまう。
全身から力が抜けて、そのまま床まで滑り落ちてしまいそうだ。
だが一方で、それは既に終わったことだと言い聞かせる自分もいた。
事実が違ったところで、母さんが生き返るわけじゃない。
それよりもぼくの中で、さらなる疑問がいくつも噴き出していた。
ぼくは顔を上げ、気を取り直してその疑問をチヒカさんにぶつけようとする。
その時彼女は、素人料理から抜け出せない食事の用意を終えていたところだった。
なんとかそれだけはまともに炊けている白いご飯をよそい、ぼくの前に茶碗を差し出しながらこう呟いた。
「週末メイドの里に参りましょう。お館様にお会いになられて詳しいお話を聞けば、お母様のことも、始様のことも、全てわかると思います」
ぼくは静かに頷いた。そして次に
「明日からぼく好みの味つけを覚えてもらうために特訓しよう……」
と呟いた。
その日の夕食は、やけに水っぽくて薄い煮物だった。
生煮えでごりごりしていないだけ、まだまともではあったんだけど、ね。
これで白いご飯もまずかったら、さすがにぼくも音を上げていたに違いない。
こっそりとかけたかつおのふりかけは、とても美味しかった。
それから数日は何事もない日々が続いた。いやなにもなかったというわけでもないのだが。
「始ほんとに明るくなったよね」
と少し拗ね気味に言うハルカと、
「でもなんかげっそりしてる気もする」
と言うアキミの不可解なものを見る目に晒され、そしてとどめのようにカステラ片手にトウカが、
「女が出来たとみた」
と呟くと、何故か全員の目が揃ってキッとぼくを睨みつけるものだから、どうにも居たたまれなくなってしまう。
「ひゅーひゅー相変わらず妬けるねえ始は……ぐほ」
これは田中だった。
また余計なことを言ってハルカに鉄拳制裁を食らっている。
本人曰くそんなに痛くはないが、目の前に火花が飛び散るくらいのダメージ、らしい。
ぼくならお金をもらってもそんな目にあいたくない。
一応彼の名誉のために言っておくが、別に田中はいじめられッ子ではない。
ただいじめられたがりなだけで、そんな自分がおいしいと思っているのだ。
確かにそれが本当においしいこともたまーにはあるのだが、大半はうまくはまることがない。
帰り道、突然腕を掴まれて、驚く暇もなく引っ張り込まれたのは、放課後で空になった教室の一つだった。
細身の割に強い力で引っ張ってくるのは、砂糖(当然カステラ)の甘い香りがするトウカだ。今日も何本食べたんだっけな……。
待ちかまえていたのはアキミとハルカの二人。ほんときみら仲いいな。
「ではこれより尋問を開始します。ずばり!」
「チヒカさんとふしだらな関係は」
「あったの? なかったの?」
トウカはまだ腕に絡みついたままで、昔あった人形みたいにまとわりついて離れない。
ぼくにもう少し身長と筋肉があったら、そのまま持ち上げたいくらいだったが、多分無理だろう。
くっついているのがアキミやハルカでなくてよかったと思う。
この薄い胸なら、それほど女の子を意識しなくても……いたっ。
「今なんか失礼なこと考えたネ?」
はい……言葉もありません。
休む暇もなく、鼻先にずいっと指先を押しつけてくるハルカの距離が近い。
その背後から絶妙のポジションで不気味に笑いかけるアキミも……いやそのキャラ本気で怖いって。
「あるわけないじゃないか、大体彼女はただの家政婦さんで……」
そこまで言ってふと考えた。もちろん彼女は普通の家政婦さんではない。
家事は問題なくこなせるけど、料理は中々上達しない。
むしろ彼女はぼくのボディガードとして派遣された女性だ。
そもそも忍とメイドは両立するものなのか。
でもメイドの里って言ってたなあ……そこが本拠地だとしたら、一体それはどういう組織なのやら。ぼくにもさっぱりわからん。
「それに、彼女とぼくの関係にきみらがなんの関係が……いたっひだっ、ぐあ!」
まず手の甲をぎゅっとつねられ、次に間髪入れずでこぴんを食らい、そして思い切り足を踏まれた。これは失言でした……はい。
昔から何故かぼくはもてたらしい。彼女たちは三人とも幼なじみで、ずっとぼくにくっついて離れなかった。
クラスが離れたこともあるけど、いつもずっとぼくに甲斐甲斐しくついてきてくれていた三人の視線がどこに向かっているか、気づかないほど鈍いわけじゃない。
ただ時に控えめに、時に大胆になる彼女たちの気持ちが、だんだんぼくの中で重みになっていたのも事実だった。
特に父さんと母さんがいなくなってからは……だから心理的に遠ざかろうとしていたこともあった。
それに応えて、少し距離を置こうとしてくれた優しさも知っている。
だけど……
「最近やけに大胆すぎやしないか、三人とも」
「当たり前でしょ」「だわ」「だねえ」
最初の当たり前だけ綺麗にはもった後、息を合わせたようにそれぞれの語尾をつけたす、このコンビネーションの良さ。
そう、これがこの三人なのだ。
その後なにを言うでもなく三方からじっと見つめてくる視線から目を逸らしながらも、三人がなにを訴えかけているかは容易に想像出来た。
彼女たちなりに焦りを見せているんだな、これは……。
そんな女の子たちの息遣いを間近で感じながら、とりあえずトウカの手をなんとか優しく振りほどく。
さすがにそこでピークが来て、ハルカに突かれた額を押さえながら、アキミに踏まれた足を軽く振って痛みを逃がそうとする。
ついでに手の甲も痛いのでさする。
まるで間抜けなダンスを踊っているようだこれじゃ。
そんな無駄な時間を数秒過ごしてから、三人に向き直る。
「今は誰とつきあうとかないから。チヒカさんとはなんにもないよ」
「あってからじゃ困るんだよなあ」
また三人の声が揃った。どうしろというんだぼくに。




