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私は何事もない様子で牧場の仕事をしつつ、どうやってアームストロングに乗り込もうか考える。一体誰が、何を、何処まで把握しているのかわからない状況だ、正面から採取材を申し込んでいいものか悩んでいたが、意外なことにチャンスは向こうから転がり込んできた。
『おう、ゴッシー。暇ならまたアームストロングに来ないか?』
司令室から中継されてきた、ジョーの通信。私ははっと息を詰めつつも、表面ばかりは笑みを浮かべて応じる。
「あ、えぇ! ちょっと中途半端だったんで、また行かなきゃと思ってたんですよ」
『そうか。仕事熱心で素晴らしい。それに引き替えウチのデイヴときたら、いっつも何か訳わからん事で急がしいだ何だって』と、どうも近くにいるらしいデイヴに向けるようにして、一通り愚痴ってみせた。『ま、とにかく。ちょっと見てもらいたい物もあるんでな、いつ来れる?』
「今日明日にでも」
『じゃあ、明日だ。ウチのLRVが、朝一でそっちに何か運ぶらしいから。その帰りに乗せてもらうといい』
どうにもタイミングが良すぎるし、ジョーの云う〈見てもらいたい物〉というのが引っかかる。けれどもこの期を逃しては、次のチャンスは当面ないだろう。私は毒を食らわば皿まで、の心情になっていた。
翌日、私は〈キザ野郎〉から得たIDカードをポケットで弄びながら、アームストロングの中型LRVの席で考えていた。
そう、〈キザ野郎〉。彼との会談は余りにも急だったものだから、私は幾つか問いただすのを忘れてしまっていた事がある。
その第一は、彼の動機だ。最初から彼は、私たちが得た証拠を盗むつもりで、算段を整えてくれたのだろう。彼曰く、〈自分は核心に近すぎるが故に、自由に動けない〉とのことだったが、それを翻訳すれば、こういうことだろう。〈自分は目立ちすぎる存在なため、かぐやで自由に行動することが出来ない〉。ここから推理できることは、彼は基地の中でも非常に知られた存在だということだ。それは運営班の誰かとしか思えなかったが、とにかく彼は、隊長とジョーが密約を交わして隠し通した宇宙船の証拠を手に入れたかった。
どうして? 彼はその証拠を手に入れて、何をしたかったというのか。
それ以外にも幾つか疑問はあったが、やはり最大の物は〈動機〉。それに尽きる。
どうにも焦臭い物を感じてならなかったが、とにかく今は、私自身が真実を手に入れることが最優先だ。〈キザ野郎〉の事は、それから考えても間に合うだろう。
先日と同じように、一番エアロックは素通りして二番へと向かう。今思えば、一番は例のUFO型宇宙船が格納されていたのだろう。そして今は、その残骸が。
「おう、来たなゴッシー」
エアロックに向かえに出てきたジョーは、普段通り黒い戦闘服に身を包み、ニヒルな笑みを浮かべている。軽く頭を下げる私に、彼は手元のタブレットに目を落としつつ云った。
「えっと、前回は廃棄物処理施設までだったな。じゃあ今日は、ウチの核融合炉から案内することにしよう。発電量は5万kwと小型だが、なんだか凄いことやってるらしい」
促された通路を進みつつ、頭の中でアームストロングの構造を思い出しつつ、私は云った。
「D-T反応じゃなく、He3-D反応の実験炉なんですよね!」
「へぇ。それって、どういう?」
「地球上で実用化されてる核融合炉は、重水素(D)と三重水素(T)の反応を用いているんです。これは低い温度でも核融合が起きるとか、原料が海水からいくらでも取れるとかいうメリットがあるんですが。結構中性子線が出て、それを浴びた隔壁なんかが放射能を持っちゃうんです。でもヘリウム3(He3)と重水素(D)の核融合だと、それが殆ど出ない」
「放射線は、もう御免被りたいね」ベテルギウス騒動を思い出してか、皮肉に云うジョー。「じゃあ最初からヘリウムだかを使ったヤツを作れば良かった」
「He3-D反応は、更に高温じゃないと核融合が起きないので。制御が大変らしいです。あとはヘリウム3自体、地球には殆どないし。ヘリウム3は月面特産ですよ?」
「あぁ、そういえばなんだか、聞いた覚えがあるな」決まり悪そうに、頭を掻く。「さすが理系だけあって、随分詳しいな」
「かぐやにも、小型の実験炉がありますから」
「そう、か。じゃあ案内するまでもなかったか」
「いえいえ、こっちの方がスケール大きいって聞いてましたから。是非見たいです」
ジョーは殆ど、警戒心を持っていないようだった。私が持ち出したカメラを咎める事もなく、前回と似たような調子で先を進む。
そして最新技術のオンパレードで、私は当初の目的を忘れそうになっていた。けれども何とか自制しつつ、辛うじて今、自分がいるところを頭の中でプロットしていき、警備区画の切り替わりを意識する。
一時間ほどで、月面標準時での昼食時間となった。前回と同じ食堂に通された私に出されたのは、なんと、これぞステーキ、というような骨付き肉の塊だった。
「う、おおおお」
何もかも忘れて、思わず唸り声を上げてしまう。それはそうだ、自分たちでウサギ肉を作っているとはいえ、これほど大きな切り身を一人で食べられるはずがない。
本当にこんな物、食べていいんだろうか。
そう混乱しつつ湯気の出る肉塊とジョーとを見比べていると、コーヒーパックを咥えていた彼はニヤリと笑い、片手で私に促した。
「貧血には肉だって云ったろ? 遠慮せずに食えよ」
「い、いや、でも。さすがにこれは」地球で食べても、数千円は下らないはず。「月面価格だと、お幾らくらい、なんでしょう?」
「気にするなって。考えてもみろ、輸送費に比べたら、原価なんてゴミみたいなもんだ。マッシュポテト一キロも、ステーキ一キロも。同じようなもんだ」
「でも、お芋は月面で作れるでしょうけど、ステーキは」
そこで彼は口元に笑みを浮かべ、僅かに身を乗り出した。
「ま、そう云うな。言わばこれは、買収だな」
「買収?」首を傾げつつ、思い出す。「そうえいば、何か云ってましたね。〈見てもらいたい物〉があるって。何です?」
「それは見てのお楽しみだ」
それは困った、と肩を落とす私。
「でも。代償を知らないことには、買収されるワケにも」
「冗談だって! いいから食えよ! 冷めちまうぜ?」
笑いながら叫んだジョーに、私は仕方がなく、ナイフとフォークを手に取る。
厄介な事に、私は美味しいとか何とかよりも、何だか申し訳ない気持ちが先に立ってしまう。あぁ、肉だな、でも申し訳ないな、と思いつつモグモグと口を動かしていると、不意にジョーは耳のレシーバを叩いて云った。
「トトゥリリゥが?」
ギクリ、として私は顔を上げる。
トトゥリリゥ。確かそれは、冥王星人を自称する阿部の、奥さんの名前。
彼の奥さんはアームストロングに捕らえられていて、拷問を受けているとか何とか。
やはり、阿部の云っていたことは。全て本当だったのか?
そう顔を青ざめさせる私には気づかぬ様子で、ジョーは腰を上げつつ何者かとの通信を続ける。
「わかった。すぐ行く」そして彼は私に目を戻し、云った。「悪いな、ちょっと急用が入っちまった。すぐ戻るから、少し休憩しててくれないか?」何事かを言い掛けた私に、彼は背を向けつつ付け加えた。「あぁ、その辺を適当に歩いてもらってもいいが、あんまり遠くに行かないでくれよ?」
そして床を蹴り、半分飛ぶようにして去っていくジョー。
不意に蘇ってくる緊張感。
私は最後の肉塊を無理に飲み込み、すぐに腰を上げ、ジョーが消えていった通路に向かった。
アームストロングの構造は、だいたい頭に入っている。そして、例のLv10の場所も。
だがジョーが進んでいく方向は、私の地図の中でも空白の領域だった。円形の基地だ、恐らく点対称の構造としか思えなかったが、それでも心細さを覚えつつ、私は見え隠れする彼の背中を追う。
幾つかの角を折れ、下部に向かうシュートを飛び降り。辺りは次第に無人になっていき、私も自分自身の足音が気になり始めた頃だ。ジョーは一つの透明な扉に遮られたゲートで立ち止まり、ポケットから取り出したIDカードを通した。
さぁっ、と開き、すぐに奥に消えていくジョー。
私は左右を見渡し、誰もいないのを確認してから、思い切ってゲートに向かい、ポケットから例のIDカードを取り出す。
監視カメラは見あたらないが、もし、これで警報が上がったりしたら。どうしよう。
そう一瞬躊躇したが、今更引き返せるか、という気持ちの方が大きかった。私は思い切ってカードをリーダーに翳す。
何事もなく、開く扉。私は息を詰め、床を蹴って、更に薄暗い奥地へと向かった。
ジョーの後ろ姿が消えて、十数秒経っている。それで私は通路の先を急いだが、不意に角の一つで奥から人声がして、慌てて壁に手を滑らせて急停止する。
そして、そっと奥を覗き見る。
一つの扉の前で、ジョーは腕を組み、何者かと話をしている風だった。
私の記憶違いなのか、あるいはアームストロングには幾つもあるのか、わからない。
けれども窺える扉には。案の定、Lv10と。赤い字で描かれていた。
加えて、ジョーの向かいにいる人物。
彼は全身を白い防護服のような物で覆っていたが、その胸には、無数の血が、飛び散っていた。
「参ったな。トトゥリリゥは、まだ行けると云っていたじゃないか」
云ったジョーに、血塗れ防護服の男が、少しくぐもった声で答えた。
「やっぱり、向こうとこっちじゃ、環境が違いますからね。まだ大丈夫と思っていましたが、この辺が限界のようです」
「アイツから得られる物は、もう、ない?」
「えぇ。あとは解剖して調べるしか」
そして防護服の男は、手にしていた銀色の物体を掲げて見せた。
何だかよくわからない金属製の器具で、まるで拷問か何かに使う器具のようだ。
ジョーはそれを眺め、俯き、フム、と考え込んだ。
「将軍は怒るぜ? アイツからは、もっと得られるものがあるだろうと。楽しみにしていたのに。意味、わかるか?」
防護服の男は、僅かに怯えたように、俯いた。
「力不足で、申し訳ありません。ですが何しろ初めての事ですから」
「わかった。もういい。将軍にはオレから、上手く云っておく」そして彼は親指を立て、鋭く首筋で引いて見せた。「ヤれ。オレも見届ける」
深々と頭を下げる、防護服の男。
そして二人は、扉の奥に消えていく。
確かに私の鼻孔は、その時、酷い血の臭いを嗅ぎ取っていた。
私は早鐘のように打つ心臓に促されるよう、踵を返した。
クソッ! クソッ!
心の中で罵りながら、私はゲートを抜け、記憶にある通路に向かう。
彼の優しげな様子に、危うく騙されるところだった。所詮、彼は軍人だ。捕虜を拷問することも、抹殺することも、何とも思わない。血に飢えた殺人鬼だ。
恐らく彼の云う〈見てもらいたい物〉というのも。私が何かを嗅ぎつけているのを知った彼らが、私を懐柔し、それで上手くいかなければ拷問し、〈キザ野郎〉の情報を吐かせたいとでも考えていたに違いない。
幾つかのゲートを過ぎ、記憶にある経路を辿り、そして私の目の前には、別のLv10が現れた。
耳を澄ますと、例の、深い、深い響きを伴った音がする。
私は息を整え、ハンドルに手をかけ、ぐるぐると回す。
そして扉の向こうに現れたのは、記憶通り。幾重にも半透明な幕が垂れている、目映い光と重い音に包まれた、謎の実験室だった。




