潔癖症の俺には中世風の魔法世界が無理でした ~アルノの日常小話~
その一口、吹かないでください
前世の記憶が戻ってから食事の時間が怖くなった。
その頃、俺の食事の世話をしていたのはマルタだった。
何が使われているのか分からない食器。
誰が触ったのか分からない匙。
それでも食べなければ腹が減る。三歳の身体は俺の事情なんて考えてくれない。
「坊ちゃま、まだ熱うございますから」
マルタが汁の入った匙を持ち上げた。
そして、ふう、と息を吹きかけた。
「……待って」
「はい?」
「……今、何をしたの?」
「冷ましております」
「口で?」
「はい」
俺は匙を見つめた。
今、何を吹きかけた?
「――やめて」
「ですが、熱いままではお口を火傷なさいますよ」
「冷めるまで待つから」
「そうですか?」
マルタは不思議そうな顔をしたが、匙を下げ、新しいものに替えてくれた。
よかった。
これなら安心だ。
しばらく待つ。
マルタが匙を持ち上げた。
「そろそろよろしいでしょうか」
「まだ熱い?」
「確かめてみましょう」
そう言ってマルタは匙へ口を近づけた。
「待って!」
手が止まった。
「今度は何でございますか?」
「何をするつもり?」
「少し熱さを確かめようかと」
「その匙を口にいれて?」
「はい」
「俺のだよね?」
「はい。坊ちゃまのものでございます」
なぜ、それで平気なんだ。
「……マルタが口に入れたら俺のじゃなくなるでしょう」
「食べてしまうわけではございませんよ」
「そういう意味じゃなくて!」
マルタは困ったように匙を見た。
「では、坊ちゃまがご自分で確かめますか?」
「そうする」
匙を受け取った。
口へ運ぶ。
熱い。
「……あっつ!」
「ですから、冷まして差し上げようとしたのですが」
マルタがため息をついた。
「坊ちゃまはどうしてほしいのでございますか?」
俺は匙を置いた。
「……少し待つ」
「かしこまりました」
しばらくして、マルタが尋ねた。
「もう召し上がれますか?」
「……うん」
「では、今度こそ」
マルタが匙を持ち上げた。
俺は慌てて手を伸ばした。
「自分で食べる!」
「……左様でございますか」
マルタは匙を渡してくれた。
ようやく食べられる。
そう思って口へ運ぶと今度はすっかり冷たくなっていた。
「……冷たい」
「温め直しましょうか?」
「やめて!」
「……坊ちゃま。温かいものと冷たいもの、どちらがお好みなのですか?」
俺は答えられなかった。
どちらかといえば温かいものが好きだ。
ただし、誰にも息を吹きかけられていないものに限る。
お読みいただきありがとうございます。
こちらは『潔癖症の俺には中世風の魔法世界が無理でした』のちょっとした日常を描いた短編です。
本編では妹リリアの誕生をきっかけに前世の記憶を取り戻したアルノが、中世風の魔法世界の常識に振り回されながら暮らしています。
興味を持っていただけましたらぜひ本編もお楽しみください。




