【第38話】 守るための中止
翌朝、境界の草は眠るどころか、赤い実をつけていた。
晴真が閉鎖線の外から見守る間にも、青かった実が膨らみ、皮へ濃い秋色が広がっていく。その根元では白い霜が土を這い、隣の葉を一枚ずつ閉じさせていた。
「一晩で弱まるどころか、進み方が増えてるな」
触れずにしゃがみ込み、晴真は前日に乾燥を移した一点を見る。表面は乾いたままだった。しかし、その脇から新しい芽が伸び、先端では果実が熟し、さらに奥では地面が冷え始めている。
追加の季節替えは使っていない。それでも、すでに動き始めた成長も、活性も、実りも、休眠も止まってはいなかった。
今日の祭を開けるか確かめに来たはずだった。
晴真は立ち上がると、閉鎖板へ手をかけたまま振り返った。
「再開判断は保留だ。全員を呼ぼう」
フィエルナが来る頃には、霜の筋は昨日と違う方向へ伸びていた。彼女は境界へ入らず、冷気の流れへ掌を向ける。
「冬はこの地点から広がっていない」
「別から来てる?」
「居室側ではない。休息場所の裏を回り、通路の下へ潜っている。ここへ冬を重ねれば、眠る範囲をつなげるだけ」
晴真は、熟し続ける果実へ目を戻した。
異常地点だけを絞り、反対の季節を当てる。頭に浮かんだ案は単純だった。育つなら眠らせる。冷えるなら夏を足す。
だが、それぞれの反応は同じ中心から広がっていない。
「一点ずつ打ち消すつもりだった」
「打ち消せる根拠がない。昨日乾かした土も、周囲の芽吹きまでは戻していないでしょう」
「分かってる。けど、どこかを押さえれば――」
「チチッ!」
ピィロが夏側へ二歩進み、急に羽毛を縮めた。甘い香りに引かれるように首を伸ばしたものの、地面へ足を下ろさず後退する。
低い警戒音を鳴らし、今度は閉鎖線に沿って走った。途中で振り返り、晴真たちを確かめてから、別の連絡路へ向かう。そこでまた戻り、同じ往復を繰り返した。
「熱は、こことは別か」
晴真が問いかけても、ピィロは答えの代わりに翼を広げ、夏側と荷置き場の間へ身体を向けた。
フィエルナが冷気の筋を見る。ピィロは熱の方向を警戒している。二つは重なっていない。
原因を一つに絞ってから動く時間はなかった。
「全区画を閉じる」
晴真は入口板を外し、裏返した。
「今日の季節祭は中止だ。再開日は決めない。原因調べより先に、人と食べ物と種を外へ出す」
「昨日の成功まで捨てる必要はないわ」
「捨てない。昨日は成功した。だから今日も開ける、とは言わないだけだ」
フィエルナは短くうなずいた。
「休眠域を避ける線を作る。住人は共用側へ」
晴真は熱を持つ荷の隔離へ向かおうとした。
その裾を、ピィロが強く引いた。
「ピィ!」
「向こうの荷を離さないと、熱が――」
晴真が一歩進むと、ピィロは回り込んで進路を塞いだ。胸を膨らませる威嚇ではない。羽毛を固く縮め、晴真の足と危険側の間へ居座っている。
以前なら、抱き上げて安全な場所へ移したかもしれない。
晴真は足を止めた。
「そっちは通るなってことか」
ピィロは短く鳴き、別の連絡路へ走る。数歩先で振り返り、晴真が来ないと分かると戻って裾を引いた。
「分かった。案内は任せる」
晴真は指差す合図を変えた。
「熱い荷へ近づかなくていい。安全な荷との境目を教えてくれ」
「ピィ!」
ピィロは迂回路を進み、荷置き場の外周へ回った。強い香りを放つ籠へは近づかず、その隣の箱との間を往復する。羽先が橙色に光る場所では足を止め、光が弱い側へ回ると晴真を呼ぶ。
晴真はその選択に従い、安全側から箱を引き離した。熱を放つ荷には触れず、周囲の成熟物だけを収穫して別へ移す。
「次は?」
ピィロは答えを待たず、さらに奥の箱へ走った。晴真の指示で動くのではなく、自分で危険と安全を分け、その判断を作業へ渡している。
「頼むぞ、ピィロ」
名を呼ばれると、ピィロは一度だけ胸を広げた。すぐにまた荷の間を走り出す。
受付では、ネロイが第二日の来訪予定者へ頭を下げていた。
「本日は中止です。受け取った代価は返します。予約品の受渡しも延期します」
「明日は開けるのですか?」
「約束できません」
「せめて見込みだけでも」
「曖昧な見込みで、もう一度ここまで歩かせる方が信用を失います。再開できる状態になれば、改めて条件を出します」
差し出された代価を一つずつ戻し、ネロイは開催を惜しむ声にも予定を濁さなかった。来訪予定者は廻季原へ入らず、日中のうちに四辻宿やラトラ村方面へ引き返していく。
居住区では、セナトが植物住居の入口を開け放っていた。伸びかけた蔓が壁を押していたが、彼は切り戻そうとはしない。
「手入れは後です。持てる物だけ持って、共用空間へ移ってください」
「このままにしたら、住居が崩れませんか?」
「僕が残っても、今の成長は止められません。家を守って住人が残れないのでは、順番が逆です」
住人を送り出したあと、セナト自身も最後の枝を置いた。未完成の窓枠へ名残惜しそうに触れたものの、居残らず退避線へ入る。
その線を作ったフィエルナは、冷え始めた床を避け、共用空間まで細い氷の印を続けていた。
「印の外へ出ないで。眠りの力は、見える霜より先へ届いている」
彼女は冬の広がりを止めようと力を重ねず、安全に通れる場所だけを選び直した。
納屋では、マルタが籠を容赦なく分けていた。
「こっちは置いていく」
「展示用としては一番見栄えがいいぞ」
「だから何だ。食べる分と来年の分より、今日きれいに見える方が大事かい?」
晴真が返す前に、マルタは保存種の箱を抱えた。
「主食、種、保存食から運ぶ。販売棚の残りは、その後だ。間に合わない物は残す」
「異論なし。祭用の配置は捨てる」
「捨てるんじゃない。今は拾わないんだ。戻れるかも分からない場所へ、人を入れないためにね」
その言葉どおり、晴真は救える物を増やそうとしなかった。熟しすぎる前に回収できる実だけを採り、熱を放つ商品を安全な荷から離す。境界近くの飾りや、配置したままの籠には手を出さない。
季節替えも使わなかった。
夕方、共用空間には住人がそろっていた。安全確認済みの気候室へ寝床が分けられ、飲用水と保存食が運び込まれている。マルタは主食と種を数え、ネロイは返金と延期分を確認した。
「来訪予定者は全員帰還しました。受渡しも止めています」
「住人も全員いる。植物住居へ残った人はいません」
セナトの報告に、フィエルナが続ける。
「今夜使う寝床への冷気の侵入はない。ただし、閉鎖域の休眠は進んでいる。明日も戻さないで」
「生活食と種は守った。数日なら閉鎖区画へ入らずに暮らせる」
マルタが箱の蓋を閉じた。
祭の二日目は消えた。返金が出て、商品も配置も残した。収入も評判も、昨日の続きを期待した者の足も止めた。
それでも、誰も傷つかなかった。寝床があり、食べ物があり、次へ残す種がある。
晴真が床へ腰を下ろすと、ピィロが近づいてきた。寝床から持ってきたらしい温かな小石を一つ、彼の膝元へ置く。
「さっきは助かった」
晴真が手のひらを見せると、ピィロは自分からその横へ座った。ただし、撫でようとした指にはくちばしを向ける。
「そこまでは許可してないか」
「ピィ」
フィエルナが向かい側へ腰を下ろした。
「止められた側なのに、嬉しそうね」
「俺より正しい道を選んだんだ。嬉しくもなる」
「次からは、引かれる前に止まりなさい」
「それができたら、ピィロの仕事が減るだろ」
ピィロが得意げに羽毛を広げる。フィエルナは呆れたように息を吐いたが、小さな氷台をその隣へ置いた。
日が沈む前、三人は閉鎖域を遠くから見た。
熟した果実の色は濃くなり、別の場所では葉が眠り、その先では熱気がまだ揺れている。新しい季節を加えなくても、すでに始まった変化は進み続けていた。
「使わないことと、止めることは別だな」
晴真は境界へ近づかなかった。
「今日は暮らしを切り離した。次は、あの中で何を切り離すか決める」
季節祭は止まった。
だが、廻季原で暮らす者たちの夜は、守った食事と寝床の中で途切れずに続いていた。




