9.躾部屋
暴力的なシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
気が付くと真っ暗な中で横たわっていた。ガタガタとした馴染みのある振動で、自分が馬車に乗っているのだと分かる。
(あれ、私なんで馬車に…?)
頭がボーっとして記憶が判然としない。鳩尾がズキズキと痛む。手首と足首を縛られていた。猿轡を噛まされているし、肌に触れている感触からして麻袋に詰められているようだ。
(そうだ、図書館帰りに誘拐されたんだ)
1つずつ思い出すと芋づる式に記憶が蘇ってきた。
(まさか王城の敷地内で誘拐されるなんて)
今頃上を下への大騒ぎになっていることだろう。
ひとまず逃げるために魔法を使おうとしたものの、やはり発動しなかった。
(これ、もしかして特注の縄?)
魔法石が練り込まれた縄は捕縛されたら魔法が使えなくなる。これは兵団のみが所有する特注品で市井には流通していない代物だ。私はてっきり不審者に捕まったとばかり思っていたが、あの2人は本物の騎士兵団の兵士なのかもしれない。
ちなみに私は以前に1度この縄にお世話になったことがあるが、あの頃はフェアリーアイのあまりある魔力によって問題なく魔法が使うことができた。しかし今は完全に魔法が使えなくなっていた。
(それでも何とか逃げる算段を立てなくちゃ)
魔法が使えない事実に打ちのめされそうになったが、気力を振り絞って自分を奮い立たせる。ひとまず起き上がろうと身を捩った時だった。
「ったく、あともう少しだってのに起きちまったのか」
鳩尾を殴って来た騎士兵の声がすぐ近くで聞こえた。身体が勝手に緊張する。痛みのトラウマのせいか、腹部の痛みが増した気がした。
「まぁ大人しくしてろや。良い子にしてたら悪いようにはしねぇからよ」
そう言って麻袋越しに私の頭をワシワシと粗雑に撫でた。どちらが上か分からせようとする行いだ。嫌になる。この人は他者への思いやりとか気遣いとか優しさとか労わりとか、そういった諸々の良心を一体どこに置いてきてしまったんだろう?
しかし相手のその攻撃は有効だった。先ほどまでの気力はどこへやら、お腹の疼痛と共に倦怠感が身体を支配していた。完全に萎えた心が私の身体を脱力させている。
(やばい、どうしたら良いのか分からない)
見張りがいる以上、ここで抜け出すのは至難の業だろう。もうすぐで着くらしいどこかに逃げ出す道はあるだろうか。
騎士兵が言った通り、間もなく馬車が止まった。
「起きたか?」
「ああ、起きた」
私を後ろから拘束した人の声だった。外から来る音が聞こえたので御者をしていたのかもしれない。
何の説明もなくそのまま乱雑に担がれて運ばれる。山賊がやるような肩にかける抱え方をされたので、お腹が圧迫されて物凄く痛い。最近は痛みとか苦しみとは縁遠い生活をしていたから余計に辟易した。
(日頃の行いでも悪かったかしら?)
ここまで理不尽な扱いを受けると、却って自分が何か悪いことでもしたのだろうかと思えてくる。無事に帰ることができたら何か慈善活動でもしてみようか。
麻袋に詰められているので自分がどこに運ばれているのも分からなかった。ただ足音が地面を踏みしめる音からカツカツと床を歩く音に変わったので室内に入ったみたいだ。それも反響音からそれなりの広さのような気がする。人の気配もするがこの家の使用人だろうか。
やがて兵士2人は立ち止まるとドアをノックした。中から返事が聞こえてきて部屋に入る。少し入ったところで私は床に下ろされた。
「デクスター様、連れて参りました」
「おお、ようやくですか」
男性にしては少し甲高い声が聞こえてきた。次いで足音が聞こえたかと思うと、麻袋の口が開く。目の前にはバッハみたいな人がいた。本当に絵から飛び出したような見た目だ。
(その髪はカツラですか?それとも地毛ですか?)
猿轡をしていなかったら思わずそう問うていたかもしれない。
デクスターと呼ばれた男は私を見て喜びを露わにしていた。
「素晴らしい!アリサ・カーライル本人に違いありません!」
「猿轡を取りますか?」
「お願いします」
兵士の1人が私の後頭部をゴソゴソすると猿轡が外れた。ついでに縄も解いてくれたら良いのにと思ったが叶わぬ望みだった。
「はじめまして。私はデクスター・ブライ。それなりに商いで成功を収めている者です」
私は無言でデクスターの様子を伺った。商いで成功を収めていると自分で言うだけあって指にはゴテゴテと宝石の指輪をつけ、部屋の中も金ピカの飾りだらけだ。ただ洗練されていない。むしろ下品なくらいである。毎年国王陛下が高所得者を呼んで行う夏のパーティーがあるが、そこで見かけたこともなかった。
「ふむ」
デクスターは何か合点したように1つ頷くと、いきなり私の頬を平手で打ってきた。
パシン!!
鳩尾の打撲ともまた違う、ジンジンとした痛みが頬を襲った。吃驚しすぎて怒りすら湧いてこない。ただなんで?と思うばかりだ。
「人が挨拶をしているのに無視をするとは。それに人を品定めするような目。英雄と称されている割に全く礼儀を弁えていませんね。がっかりですよ」
「…このように強引に連れてきておいて、礼儀を弁えていないのは一体どちらの方ですか?」
思わずそう切り返したら今度は逆の頬を張られた。
(なるほど、常識が通じない相手なのね)
私は自分の置かれている状況を理解した。
デクスターは無表情で話を続ける。
「まぁ一旦あなたの無礼は脇に置いておきましょう。私はですね、あなたにお願いがあってここにお越しいただいたのです」
「……はい」
色々突っ込みどころが満載だったが全て呑み込んだ。今は相手の目的を探る方が大切である。
「数年前、この近辺であの国宝の魔法石を作っていたという話を伺ったのです」
「左様ですか」
かつてフェアリーの墓場と私が勝手に命名した場所で、この世界には存在しなかった全属性魔法攻撃を軽減させる魔法石を私は生成した。8色のマーブル模様を描く石はその効果もさることながら見た目も大層美しく、陛下に献上したものは国宝になっていた。どうやらこの屋敷はあのフェアリーの墓場の近くにあるらしい。
(作製場所は陛下か近衛兵の皆にしか話していないのに)
カイトも私も不用意にベラベラと話したりはしない。勿論陛下や皆だってそうだ。となれば消去法で情報の出所は当時のあの御者だろうか。
(口止めでもしておけば良かったわ)
まさか数年越しに自分の首を絞めることになろうとは夢にも思わなかった。
「あれほど美しいものがこの世界に1つしかないのは由々しきことです。私だけでなく、多くのコレクターが垂涎している宝石なのですよ」
本当は危険な任務のためのお守りとして近衛兵の皆とドラゴンさんたちのためにいくつか作製していたのだが、個人が所有しているとそれこそ強盗などの恐れもあったため、陛下は献上された魔法石のみが現存すると公表していた。
「作っていただけますね?」
呆れて物も言えない。要は金儲けのために私にあの魔法石を作らせたいということなのだろう。彼には私が金のなる木にでも見えているのかもしれない。それにしてもなんで誘拐されているのに協力して当然というような言い回しをされなければならないのか。
(大体、あれはもう作れないし)
魔法石の材料にはフェアリーの死体が必要である。フェアリーアイだった頃は死体も見えていたが今は一切見えないため材料を集めることもできない。それにあの魔法も何か色んな属性魔法を組み合わせたような魔法だったから残念ながらもう使えない。
(でも作れないことがバレたら殺されるのかしら?)
私は少しの間考えてこう答えることにした。
「残念ながらあれは冬になって雪が積もってからでないと作れません」
「何故?」
「…あの魔法石はフェアリーの死体を材料に使います。しかしただの死体ではありません。雪が十分に積もったある満月の夜、生きているフェアリーたちが死んで雪に埋まっている同胞のために鎮魂の舞いを捧げます。とても幻想的な光景ですよ。そしてその舞を受けた死体は雪の中で特別な力を得る。その死体でないと作れません」
フェアリーの死体を使うこと以外は全くの作り話だ。我ながら出鱈目すぎて笑えてくる。しかしこの話が嘘か真かデクスターは判断ができない。となれば冬まで待たざるを得ないだろう。それまでにはカイトが助けに来てくれるはずだ。
(私がこの人にとって金のなる木であり続ければ殺されることはない)
案の定デクスターは顎に手を当ててどうしたものかと思案している。しかし、話は私の予想外の方に転がってしまった。
「ふむ、時間を稼ごうという魂胆ですか」
彼の目つきは卑しいものを見るような冷徹なものに変わっていた。
(そうか、この人は本当は今すぐにでも作れるのに、私が嘘をついて時間を伸ばそうとしていると思っているんだ)
デクスターの読みは半分間違っている。時間を稼ぐつもりなのは確かだが、私はもう2度とあれを作ることはできない。作れると勘違いをしている限りは殺されることはないだろうけれど、何だか嫌な予感がする。
「あなたたち、この者を躾部屋へ運んで用意しておいてください」
そう言い残してデクスターは部屋を出て行ってしまった。
命令された兵士たちがこの部屋の隅の絨毯を捲ると床下収納のような扉が現れた。どうやらここに秘密の躾部屋があるらしい。私は再び兵士に担がれて地下に連れて行かれた。
嫌な予感は的中した。いかにも地下というような簡素な石造りの部屋は天井から鎖で手錠が吊るされ、すぐ近くには木の柱が立っている。
私は縄の上から手錠をかけられた。鎖は天井の滑車を経由して高さ調整が可能らしく、ガラガラと鎖の一方を巻き上げられ、足の爪先がギリギリつくくらいに吊るされる。柱はすぐ目の前にあった。
準備が終わると間もなくデクスターが数人の使用人と共に降りてきた。デクスターの手には数種類の鞭、使用人は水の入ったバケツを手に持っていた。
(そういう趣味はないんだけとな)
いかがわしいことをされないだけマシかと思った時だった。
「ああああああっ!!」
背中に強烈な痛みが走った。服を着ていても関係ないらしい。そのまま連続で何度も叩かれる。その度に鋭い痛みを感じて絶叫した。そのうち服が破れて直に鞭を受け始める。その凄まじい痛みにふと気が遠退いた。
パシャン!
「ああっ、あうぅ…」
バケツの水をかけられて現実に引き戻された。皮膚が破れて血が滲んでいるのか、水が酷く染みる。
(違う、これ塩水だ…)
たまたま口に入った水がしょっぱかった。傷口に塩を塗るというが、本当にヒリヒリが止まらない。
デクスターは別の鞭に持ち替えて更に躾という名の拷問を続けた。
(痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛いっ!!!!)
痛みで何も考えられない。まるで地獄の呵責のようだ。私は気絶しかける度に使用人から塩水をかけられ、意識を保ったままこの責め苦を受け続けた。
永遠のような時間が流れて、ようやくデクスターの手が止まった。
「今から魔法石を作る気になりましたか?」
「つ、作れません」
「まだ足りませんか?」
「ひっ!!」
鞭を見せられて私は怯えてしまう。こんな理不尽な暴力には屈したくないのに、全身が震えて止まらなかった。
「ほ、本当に今は作れないんです。お願いですから止めてください」
「やはりまだ「躾」が足りないようですね」
「ああああああああっ!!!!」
私の懇願は虚しくも棄却され、無情にも再び鞭による拷問が始まってしまった。
(助けて、誰か!止めてよ、この男を!!)
回りを取り囲む兵士や使用人は人形のように無感情な顔を私に向けている。この場には誰も私を助けてくれる者はないらしい。
またしばらく永遠にも似た時間が流れた。終わる頃には足に力が入らず、ぐったりと柱に寄りかかっていた。手首にほとんど全体重がかかっていてそれはそれで痛いし、ずっと腕が上がっている状態なので痺れてもいる。けれど鞭を打たれた背中と比べれば些末なものだ。今や背中は燃えるように激しく痛んでいる。
(何とか、何とかしなくては…)
私は目まぐるしく思考を巡らせた。作れないとバレたら嬲り殺されそうだが、今でも十分殺されそうだった。
「これで作る気になりましたか?」
「何度…言って…る通り、今は…作れな…んです」
叫びすぎて喉が嗄れていた。
デクスターは手に持っている鞭をこれ見よがしに弄ぶ。私は痛みによる恐怖で反射的に泣いてしまった。
「泣くほど身に染みているはずなのに、なかなかしぶといですね」
「…本当…今…作れ…な……んです」
ここで私は一縷の望みをかけることにした。
「代わり…公表…して…ないレシピ……を教…ます……、今は許…てくださ…」
「公表していないレシピ?」
デクスターの目の色が変わった。
「なるほど。公表していないあなたのレシピを専売できるということですか。勝手に交渉をしてくるのは虫唾が走りますが、まぁ悪くない交渉ですから許しましょう。それで、教えて下さるのは何のレシピですか?」
「…料理」
「では後ほど料理人を寄越しますから詳しい話はその者にしてください。…ああ、忘れていました。フェラペヴォ ―治癒せよ―」
癪ではあるがデクスターの魔法によって拷問で受けた背中の傷や鳩尾の打撲、ついでに嗄れた喉までたちどころに治っていった。
「あなたたち、後のことは頼みましたよ」
そう言ってこの家の主人は立ち去った。どうやら「躾」の時間は終わったらしい。
次回は来週水曜日の12時台に投稿予定です。
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※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。