31.聖女じゃない
初めてのお茶会が終わって数日後の夜のこと。
昼間の賑やかさが嘘みたいに静かだった。
窓の外では、湖から吹く風が木々を揺らしている。
リシュアの部屋では、エルマが机の上へ手紙を整理していた。
王都から届いたもの。
避暑地の貴族からのもの。
茶会の誘い。
挨拶状。
近況を尋ねる便り。
以前より、明らかに数が増えている。
「…随分増えましたね」
エルマがぽつりと呟く。
リシュアはベッドへ腰掛けたまま、静かにその手紙たちを見つめていた。
ふと、机の上の一通へ視線が止まる。
——“まるで聖女のようなお嬢様だと伺いました”
柔らかな文字だった。
あきらかに好意からの称賛。
けれど、リシュアは静かに目を伏せた。
茶会の時の婦人たちの視線、最近増えた噂。
空気が少しずつ、変わり始めているのを感じる。
しばらく沈黙が続いたあと、リシュアが小さく口を開いた。
「…私、聖女なんかじゃないのに」
その声は、風へ溶けるみたいに小さかった。
エルマはすぐには返事をしない。
ただ静かに、最後の手紙を重ねて置く。
リシュアは俯いたまま続けた。
「なんだか、変なの」
「みんな、浄化を綺麗なものみたいに言うけど…」
窓の外で、小さな風の精霊たちが揺れる。
リシュアはぎゅっと自分の手を握った。
「怨霊になった人たちを悍ましいものみたいに言うけど…」
「確かに、怖かったし、苦しかったし……」
橋の下の女。
小屋の奥で怯え続けていた男。
今も思い出せる。
あの感情を。
——助けて。
——怖い。
——死にたくない。
リシュアは小さく息を吐く。
「でも……」
「みんな、悲しそうだった」
その瞬間、部屋の空気が静かに揺れた。
まるで精霊たちが、耳を澄ませているみたいに。
「苦しくて」
「誰にも気づいてもらえなくて」
「それで、壊れてしまっただけなのに……」
「浄化は美しいものなんかじゃないわ…悲しいものよ」
リシュアはそこで言葉を止める。
胸が痛かった。
“恐ろしいもの”として語られるたび、あの人たちが、ますます独りになっていく気がした。
エルマは静かにリシュアを見る。
そしてゆっくり、彼女の隣へ腰を下ろした。
「お嬢様は、お優しいですね」
穏やかな声だった。
けれどリシュアは首を横へ振る。
「違うわ」
「だって、私は…あの人たちを見て、怖かったもの」
怨霊たちを見た時、助けたいだけじゃなかった。
怖かったし逃げたかった。
胸が苦しくなった、出来るなら見ないふりしたかった。
リシュアは俯く。
「なのに、みんな…」
「勝手に、綺麗なものみたいに言うの」
その声は、少しだけ苦しそうだった。
エルマはしばらく黙っていたが、やがて、小さく微笑む。
「…浄化そのものが綺麗だからではないと思いますよ」
リシュアがゆっくり顔を上げる。
エルマは窓の外を見る。
風の精霊たちが、静かに漂っていた。
「怖くても、目を逸らさなかったのでしょう?」
優しい声だった。
「苦しいものを見て、“恐ろしい”だけで終わらせなかった」
「だから皆、お嬢様を見ると安心するのだと思います」
「お嬢様の覚悟が美しく見えたのですよ」
リシュアは小さく瞬きをする。
うまく言葉にできない。
けれど胸の奥へ、何かが静かに落ちていく気がした。
窓の外では、夜風がそっと木々を揺らしていた。




