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#61 もう逃げない



毎年、誕生日は不思議な気持ちになる。

他人には昨日と同じ普通の日でも、自分にとっては特別な日だ。でもこれといって実感はない。

新年みたいに世界中の人がカウントダウンをしているわけではないし、クリスマスみたいに街中が誕生日を祝う装飾品で溢れているわけでもない。

本当に自分だけが感じる、新たな門出なのだ。

だから私は今日、アユムにずっと待たせてしまっている返事をしようと決めていた。

そのことを朝、バックヤードで制服に着替えながら桜に話すと、桜は驚いた顔をしてから目を細めた。


「そっか……それがヒナの出した答えなんだ」


「うん」


私は静かに頷いた。


「でも、本当にそれでいいの?後悔しない?」


桜は心配そうに聞いてくる。


「うん。大丈夫」


本当は「うそ。後悔するかも」と喉まで出かかった。私はその言葉を飲み込み、唇をきゅっと合わせた。


「アユムさん、驚くだろうね……」


「……たぶん」


曖昧な笑みを浮かべながらそう返事したところに、店長が慌てた様子でバックヤードへ入ってきた。


「桜川さん、悪いんだけど、今日これから新宿店にヘルプ行ける?何人か欠勤が重なって人が足りないの」


「新宿ですか?」


「そう、新宿店。駅前の一番大きな店舗ね。ランチ帯だけでも手伝ってほしいって連絡が来たの」


「わかりました。着替え直してすぐ向かいます」


私は制服を脱いで私服に着替えると、エプロンとシャツを袋へしまい、バックヤードを後にした。



誕生日という節目に、こんな変化もいい。

いつもとは違う店舗で、初めて顔を合わせるスタッフと働く。

大都会のど真ん中の駅前店ということもあって、ランチ帯は息をつく間もないほど、私は忙しなく動いていた。

緊張感の中に達成感があって、それは私を満たしてくれた。

もしかしたら私、キャリアウーマンの素質があるのかも?なんて飛躍したことを考えてにやけていたら、危うく出来たてのホットドッグを床に落とすところだった。


休憩時間に入るとアユムにメッセージを送った。


『急遽ヘルプで新宿東南口店に来てるよ。仕事終わり少し会える?』


同じ休憩時間を取っていた大学生の相原由香という女の子の彼氏の愚痴を聞いてあげていると、アユムから返信が届いた。


『会えるよ。18時半、東南口の階段下で待ってる』。


由香が覗いてにんまり笑う。


「彼氏さんですか~?このあと会うんですか?」


「うん。私、今日誕生日だからちょっと前進しにね」


そう言うと由香は訝しい顔をしたが、細かいことは気にしない性格らしい。「それより聞いてくださいよー!」と、すぐにまた彼氏の愚痴を話し始めた。



18時半の東南口は、仕事帰りの会社員や待ち合わせをする人たちで賑わっていた。

その中にスーツを着たアユムがいた。

みっちり働いてくたくたに疲れていたのに、アユムを見つけた瞬間、元気になって駆け寄った。


「アユム!お待たせ」


「おお。お疲れ」


ワイシャツのボタンをひとつ開け、ネクタイを軽く緩めた仕事終わりの姿は、もう何度も見ているのに胸をくすぐられる。


「アユムもお疲れさま。ねぇ、どこかカフェ入らない?」


「ああ。じゃあ行くか」


アユムに手を握られる。


「ヒナ」


ん?とアユムを見ると、私を愛おしそうな目で見つめていた。


「誕生日、おめでとう」


昨日お祝いしてもらったのに、その言葉は新鮮で何度も聞きたくなった。


「ありがとう」


語尾を弾ませて言うと、私たちは喧騒の中を歩き始めた。



賑わうカフェに入り、一息ついた。

冷たいアイスコーヒーを一口飲んだだけなのに、おもしろいくらい疲れがすっと抜けていった。


「ヘルプはどうだった?」


アユムが口に運んだコーヒーのグラスを静かにテーブルに置いた。


「忙しくて、キャリアウーマンになった気分だったよ」


身を乗り出すように言うと、アユムは「そっか」と笑った。

一瞬流れた沈黙を、私が破った。


「アユム、今日は大事な話があって呼び出したの」


少し改まった口調で言うと、アユムは不思議そうな目を向けた。

私は小さく息をつき、アユムを真っ直ぐ見つめた。


「あのね、私────」


「あれ?アユムとヒナちゃん?」


遮られた言葉の方に向くと、コーヒーを片手に持ったスーツ姿の男の人が席を探すように立っていた。

見覚えのある顔にふと懐かしさがよぎる。

アユムも同じだったようで少し緩んだ口元は、再会に喜んでいるようだった。


「スバル……久しぶりだな」


アユムの親友の泉スバルだった。

仕事を通じて出会った、潤くんとはまた違う繋がりの友人だ。

私とも何度か会ったことがあり、たしか最後に会ったのは上野で航平くんとデートをした帰りの電車の中だった。

私と別れたあとのアユムのことを教えてくれたり、アユムに女の子を紹介したと言っていた。

懐かしい半面、なんとなく気まずくもあり挨拶を逃してしまった。


「久しぶり。仕事帰り?」


そう言ったスバルさんも嬉しそうに笑っていた。


「ああ。お前も?でも有楽町だったよな?」


「今年の春に新宿に異動になったんだよ。で、仕事帰りに時々ここに寄って、コーヒー飲んでから帰ってんの」


「へぇ。じゃあ今度飲みにでも行くか」


「よろしく。ていうか……え、寄り戻したの?」


スバルさんは私とアユムを訝しげに交互に見た。


「ああ。悪い、言うの忘れてた。寄り戻って付き合ってる」


「忘れんなよ。どんだけ心配したと思ってんだよ。いや、まぁいいんだけどさ。よかったじゃん」


スバルさんは不満そうな顔をしていたが次第に顔が綻んでいった。

アユムの友達というだけあって、スバルさんも大人の顔立ちをした美形である。二人並んで話している姿は雑誌のモデル同士の対談のようだった。


「ヒナちゃんも久しぶり。去年、電車の中で会った以来だね」


「はい、お久しぶりです」


「なに、じゃあ結婚決まったってこと?」


「あ……それは……その……」


目を伏せると、スバルさんは何かを察したように笑った。


「あー悪い。踏み込みすぎだな。まぁいいや、式には〝忘れずに〟呼んでくれよ」


スバルさんはアユムの肩に手を乗せて、その言葉をわざと強調したように言うと、空いた奥の席に行ってしまった。


「……とんだ邪魔が入ったな」


私は苦笑した。


「大事な話って?」


もう一度、小さく息をついた。


「うん、あのね───」


ガッシャ────ン!

店内に響き渡る、鋭い大きな音がした。


「す、すみません!」


音の方に振り向くと、私たちの席から少し離れたところで女性のお客さんが食器を落として割ってしまったらしい。

すぐさま店員が駆けつけて、穏やかに対応していた。


息をついたのも束の間。

今度は、隣の席の小さな子供が大きな声で泣き始めた。お母さんと思われる女性は慌ててあやすが泣き止まない。

思わず困った顔でアユムと顔を見合わせて笑ってしまった。


張り詰めた気持ちが、ざくざくとみじん切りにされる。

私はグラスを手に取り、無心でストローを吸い上げた。冷たいコーヒーが喉を通り過ぎていく。

ストローからそっと口を離すと、アユムをちらりと見て、私は俯いてしまった。


「……店、変えるか」


子供の泣き声をBGMに、アユムがぽつりと呟いた。



ただ、落ち着いた店でコーヒーを飲みながらゆっくり話がしたいだけなのに。

それなのに、三件覗いたカフェはどこも満席だった。

これは結論を急ぐなという神様からのお告げだろうか。

いやいや神様、半年もアユムを待たせているんです。

いい加減、答えを出さないといけないんです。

それがどんな返事になるとしても。

私はこの半年でじっくり考えてきたんです。

だから、誕生日を機にアユムに伝えたいんです。

二人とも前に進めるように。



結局、池袋へ帰り、お馴染みの服部珈琲舎を覗いた。

落ち着いた店内はほとんど席が埋まっていたが、運良く空いている席もあってそこに腰を落ち着けた。

その安堵から、ふふっと笑みがこぼれた。


「やっぱり、このお店が落ち着くね」


「そうだな」


アユムはくすっと笑って、ゆったりとした動作で熱いコーヒーをすすった。


「……それで?大事な話ってなに?」


カチャッと小さな音を立ててカップをソーサーに戻すと、アユムは真っ直ぐ私を見つめてきた。


話があると聞いて、どんな話かもわからないのにアユムは少しも動じていなかった。

そんな姿を見て、コーヒーカップを口元に運ぼうとした手が、ふと止まってしまった。

話を切り出した私の方が気後れしていた。

そのままそっと下ろして、私はアユムを見つめ返した。


「……私ね、別れようと思うの」


アユムは一瞬、目を見開き眉を寄せた。言葉を失っているようだった。

アユムが小さく口を開きかけた時、私はすかさず言った。


「臆病な自分と」


「……え?」


「私、アユムと結婚したい。もう逃げない」


二人の間に静かな時間が流れた。

私はアユムを見つめ、アユムも私を見つめていた。

やがてアユムは視線を落とし、安堵したように小さく息を吐いた。

ぴくりとも動かず黙っているアユムを見て、そろそろ不安になってきた。


「……アユム?」


アユムの腕に手を当てて名前を呼ぶと、アユムはゆっくり視線を上げた。


「ああ……悪い。嬉しくて……」


さっきまでの余裕のある姿はなくて、張り詰めていた気持ちがほどけたように目を細めて笑った。


「待っててよかった」


その言葉に重みを感じた。


「アユム、今夜の予定は?このままどこか飲みに行かない?」


明るい口調で言うと、アユムはコーヒーカップに添えた手をぼんやり見つめて小さく笑った。


「予定あるよ。今夜は嬉しくて泣く。一人でひっそり」


私はプッと笑った。


「なにそれ」


アユムもつられたように笑う。


「あ。あとね、正社員のこと、店長によく話聞いてみようと思う。ちょっと不安だけど」


「応援するけど、ヒナ鳥が飛び立っていくのは寂しい気もするな」


アユムの少し沈んだ声を聞いて、私は寂しさを蹴散らす満面の笑みを浮かべた。


「飛び立っても、この気持ちは変わらないよ」


喜びも、不安も、寂しさも、この夜に混ざり合っていく。

好きという気持ちと、信じる気持ちを隠し味に加えれば、美味しいパンケーキが焼き上がるみたいに、きっと甘い毎日ができあがる。


そんな未来を、私はもう怖がらない。




最後まで読んでくださり、

ありがとうございました!


「猫は夜にひっそり泣く」は

三ヶ月にわたって連載した作品です。

ヒナとアユムの物語を楽しみながら、

最後まで走りきることができました。


最初は20話くらいで終わらせる予定が、

30話…50話……と進んでしまい、

61話まで長引いてしまいました。

それなのに最後までお付き合いいただき、

本当にありがとうございます。

皆様のおかげです。


一話でも読んでくださった方、

更新を楽しみに待ってくださった方、

評価をしてくれた方。

すべての方に心から感謝しています。


最近、新しい物語を執筆中ですꕤ︎︎

皆様にまた読んでいただけたら嬉しいです。


本当に本当にありがとうございました!


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