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月も朧に  作者: 喜世
第一章
14/23

〈13〉 お釈迦様でも気がつくめぇ

「残念……」


 永之助はそういいながら、手で顔を覆った。

 ギョッとして傍観するしかない、佐吉。


「なんだ? 永?」


 少々不機嫌な様子の幸助。


「お前も太りすぎってか?」


 にこやかに永之助は答えた。


「はい。おじさま。与三郎は、本当は、すっきりとした二枚目ですから」


「そうよ。永之助、もっと言ってやりなさい。太りすぎって。見初めの場(※1)を切っといて良かったわ。

パツパツで羽織が落ちそうもないわ」


 すでに拵えを終えた藤右衛門。

本来のお藤とは全く違う色気たっぷりのお富がそこにいた。


「ひどい言い草だ…… 幸次郎、可哀想に……」


「あら、お義兄様。大事な大事なわたくしの旦那様にはこんなこと申しませんわ。

あの人の与三郎は本当に男前ですから……」


 勝ち誇ったように、お藤は言った。

そんな喧嘩を余所に、永之助は佐吉の手を引っ張って走りだした。


「佐吉兄さん、早く行きましょう! いい場所無くなっちゃいます!」


「わかった! わかったから引っ張るな! 危ないわ!」


 それを見送ると、幸助は小さくため息をついた。


「あの二人、どうなんだ?」


「お永は、佐吉を兄さんとしてしかみてない。佐吉も、お永を弟としてしか見てない……」


「難しいな……」






 最後の幕、『与話情浮名横櫛』の幕が開いた。


 江戸のお店、伊豆屋の若旦那、与三郎。

赤間源左衛門(あかまげんざえもん)の妾であった、お富と互いに一目ぼれ。

密通したところを、赤間源左衛門に見つかってしまい、見せしめとして切り刻まれてしまう……

 お富は逃げ出し、入水。たまたま船で通りがかった和泉屋の大番頭、多左衛門に助けられる。


 それから三年。与三郎は命ばかりは取り留めたものの、家を勘当されて無頼漢となった。

一方、お富は助けてもらった多左衛門の妾となっていた……



 源氏店妾宅の場は、和泉屋の大番頭、多左衛門の屋敷の前から始まる。

和泉屋の番頭、藤八が雨宿りしていると、風呂帰りのお富が女中を連れて帰ってくる。

 お富は、口にぬか袋を咥え、結い上げてない下げ髪。いかにも風呂上りと言った格好。

 彼女の色気に、やられた藤八は、お富の言葉に甘えて妾宅へ上がってしまう。



 藤八と同じく、色気にやられてぽーっと観ていた佐吉。

永之助の言葉に驚いた。


「なんで、藤右衛門兄さんはあんなに色気出せるのに、お母さんは全く色気ないんですかね?」


「はっ!?」


 お藤は色っぽいというより、可愛いが当てはまった。

なぜ、男になって、藤右衛門になり、女を演じるとものすごい色気が出るのか……

 それは佐吉にもわからなかった。


「……やっぱり、女形と女は違うんでしょうかね?」


「そうかもしれへんな……」


「……あ、そろそろ雪兄さんとおじさま、出てきますね」


「せやな……」



 頬にこうもりの刺青を入れ、女物のぞろぞろ長い着物を着た、雪太郎の蝙蝠安(こうもりやす)と、

着流しで、豆絞りの手ぬぐいでほっかむりをした幸助の与三郎が花道より現れた。

 友達である与三郎の怪我の治療代が欲しいと、お富を強請る。


「配役逆ですね、やっぱり」


「安が上品すぎるわ……」


 

 その場に居合わせた藤八、かっこいいところをお富に見せようとするが、

上手くいかず追い払われる始末。

 蝙蝠安に早く帰ってもらいたいお富は、少々のお金を包み彼に渡す。

まんまと小金が手に入り、嬉しい蝙蝠安はそそくさと帰ろうとする。

 しかし、与三郎は帰ろうとしない。もっと自分が強請ろうというのだ。

 なぜなら、彼は気付いていた。お富は自分をこんな目にあわせた張本人だと……


 そこからが、この芝居の見せ場である。



『もし、御新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ…… いやさあ、お富。久し振りだなあ』


 徐々に距離を詰めていく与三郎。


『そう言うお前は……』


 訝しげに問うお富。


『与三郎だ』


『えっ』


『おぬしぁ、俺を見忘れたか』



 大向こうが多くかかった。


「竹屋!」


「待ってました!」


「たっぷり!」



『しがねえ恋の情が仇、命の綱の切れたのを、どうとりとめてか木更津から、

めぐる月日も三年(みとせ)越し、江戸の親にゃ勘当受け、

よんどころなく鎌倉の、谷七郷(やつしちごう)はくいつめても、

(つら)に受けたる看板の、(きず)がもっけの幸いに、

切られ与三(よそう)と異名を取り、押借り強請(ゆすり)も習おうより、

慣れた時代の源氏店(げんやだな)、その白化けか黒塀の、格子作りの囲い者、

死んだと思ったお富たぁ、お釈迦様でも気がつくめえ』


「竹屋!」


 自分は散々な目にあったのに、お富は囲われて裕福な暮らしをしている。

その恨み事をつらつらと並べ、お富を責める。


 そこへやって来たこの屋の主、藤翁の演ずる多左衛門。

ごたごたを解決するため、邪魔な藤八と蝙蝠安を屋敷から帰し、

与三郎と話をつける。

 商売でもはじめてまともになれと、まとまった金を渡し彼を帰す。

 しかし、何かが引っかかる与三郎。屋敷の裏に身を隠す……


 一段落つけた多左衛門は、店があるからと、屋敷から出て行く。

その際、お富に守袋を渡す。訝しがる彼女は、その中身を改めて驚く。


『そんなら、わたしの兄さん!」


 多左衛門は生き分かれた兄だった。

それゆえ、妾として囲っておきながら、指一本触れなかったのだ。


ぴしっと玄関の扉を閉める多左衛門。


「藤屋!」


 多左衛門が去った後、隠れていた与三郎はお富のもとへ…… 

多左衛門に感謝しながら、二人でやり直そうと誓うのであった。


初日の幕が下りた。

舞台袖で余韻に浸る二人。


「案外、はまってったんじゃないですか?おじさまの切られ与三。声もよく通りますし」


「せやな。元は大店の坊々や言うのがにじみ出てたきがするわ。見初めの場やれば、もっと入り込めるとちゃうか?」


「でも兄さん、そのためにはまず痩せないと」


「せやった」


 二人して大笑いしていると背後からうわさの本人から

文句がかかった。


「大笑いするんじゃない。本当に失礼なやつらだ」


 すでに化粧を落とした幸助だった。

 

「あ、おじさま。お疲れさまでした」


「お疲れ様でした。勉強させていただきました」


 彼は永之助に小銭を手渡した。

 

「ほれ、お永、二人でなんか食ってこい」


 彼なりの気づかいだった。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、永之助は遠慮なく受け取った。


「ありがとうございます! 兄さん、行きましょ」


「ありがとうございます! 明日もよろしくお願いします」


「明日もよろしく」


 若い二人を見送り、彼は溜息をついた。


「俺も仲直りして、痩せるかな……」






 二人は茶店で団子を食べながら、芸談に花を咲かせた。


「いつか与三郎もお富も、両方やってみたいです」


「俺は、永之助がお富の時に、与三郎やりたい。もちろん、見初めの場から」


「がんばりましょ!」


「おう!」






 中日を過ぎたころ、佐吉は兄弟子同伴で藤五郎に呼び出された。

 久々の呼び出しに少々緊張気味の佐吉とは別に、三太は久々のお供という事で朝から怯えていた。


「……ついに佐吉は、お払い箱ですか?」


 そう、真っ先に藤翁に聞く始末。


「違う違う」


藤翁は笑って三太を落ち着かせた。


「芳野屋さんが再来月から、三月ばかり江戸に来ることになったことを知らせておこうと思ってな」


「……一門、ですか?」


「あぁ。吉左右衛門以下弟子数名だ。心配するな。嫁さんも次男坊もちゃんと置いてくるそうだから」


三太は胸をなでおろした。

弟弟子の脅威になる物はなにもない。


「さいですか……」


「一月は、芳野屋が座頭。もう一月はうちが座頭の、両家だけの興行だ」


 感心しきって物を言わない弟弟子の代わりに、

三太が受け答えを続けた。


「……あとの一月は?」


「若手花形の指導をしてもらう。あちらから連れて来る若手も、こっちの若手も、ほぼすべて出す予定だ」


 素晴らしい若手花形の企画の魅力に唸る二人。

しかし、次の言葉で、佐吉と三太の背筋にサッと冷たい物が走った。 


「演目もいくつか決めてある。そのうちの一つは、お前さんが主役だ。役変わりはしない。

お父さんにみっちり教わりなさい」


 藤翁は、佐吉が何も言わない理由は、嬉しさの余りだと思った。。


「ひさびさに、お父さんに甘えなさい」


 しかし、彼の心の中は違う。

 どうにか、返事だけは返したが。

 

「……ありがとうございます」





 部屋を出て、すぐさま三太は弟弟子を引っ張って、庭に出た。


「……大丈夫か?」


 三太はそっと、労わるように佐吉に声をかけた。


「……二度と会えん思てたんや。会えると思うと嬉しい」


 しかし、声が震えていた。


「でもな…… でも、兄さん……」


 三太は努めて笑顔で返した。

 

「あかん。大旦那はんは、そやったかも知れん。

旦那はんは違うかも知れへん。いい方に考えましょ。

女将さんとの目の届かないところで、佐吉さんに芳野屋の芸を教えたいだけや。

そう思わんと」


「せやったらええけど……」




 佐吉は恐れていた。

 祖父は、己の最期を悟った時、息子である父に、

 家の芸、家の役をいくつかつきっきりで教えた。

 今回も、それと一緒ではないかと……

 


 佐吉は兄弟子の考えが正しければと祈った。






「よう! 修理之助(しゅりのすけ) これから虎退治か?」


「あ! 兄さん! おはようございます! すみません。お席取れなくて……」


 若衆姿の永之助が手を合わせて謝った。

自身の興行の千秋楽の次の日、佐吉は永之助の楽屋にいた。


 すぐさま佐吉はカッコつけて言った。


「いや、気にすんな。俺は袖で観るのが好きなんだ」


「合格です兄さん」


 師匠に今日の合格をもらうと、彼は意気揚々と楽屋を後にした。

 

「よっしゃ、お父さん方に挨拶してくるわ」





 まずは座頭の雪之助へ挨拶へ。

彼は、浮世又平の拵えの最終確認を弟子たちとしていた。


「おはようございます。芳野屋の……」


 おそるおそる挨拶すると、彼は笑顔で答えた。


「おはよう。佐吉か。よく来たな。雪が一月世話になった。ありがとさん」


「こちらこそ、大変お世話になりました。今日は袖から勉強させて頂きます。よろしくお願いします」


「よろしくな。あぁ、幸ちゃんによろしくな」


「はい」


 次は、亀彦の楽屋へ。

彼は浮世又平の女房、おとくの拵えを終え、

ほっと一息ついているところだった。


「おはようございます」


「あ、藤屋さんの佐吉ちゃんだったね」


「はい。今日は袖から勉強させて頂きます」


「よろしく。……で、どうなの?」


 見た目だけでなく、身振りも口調さえも、

どこかのおかみさんのようだった。

 すでにお役に入り込んでいるのだろうと、佐吉は考えたが、

彼が何を自分に聞きたいのか、わからない。


「あの……」


「お永ちゃんとに決まってるでしょう?

今日は終わった後、逢い引きするの?

良いわね、若いって……」


 一人で暴走し始めた彼についていけず、

佐吉は口ごもった。


「その……」


「頑張ってね。二人のこと、応援してるから」


「は、はぁ……」


 そこへ男の子が走って来た。

彼は、亀彦の膝の上に乗って、じっと彼を見た。


「おとうちゃん! お化粧終わった?」


「これこれ、進吉。佐吉兄さんにちゃんと挨拶しなさい」


 亀彦の長男、進吉は礼義正しく父親の横へ座り直し、

しっかり挨拶した。


「こんにちは。さきちにいちゃん」


 可愛いその様子に、佐吉は笑みをこぼし、挨拶を返した。


「こんにちは。進ちゃんは、そろそろ初お目見えですか?」


「そう。いつにしようか、演目どうしようか、いろんな人と相談中でね。

今月はこういう環境に慣れさせるために、楽屋に入りびたりでね、

みんなの邪魔ばっかり……」


 それはそれは、楽しそうなうれしそうな、父親の顔だった。


「楽しみですね……」


 かつて、自分も自分の父にそう思われていたのだろうか。

 懐かしさと、寂しさを感じた佐吉だった。

(※1)見初めの(みそめのば)

『与話情浮名横櫛』では、与三郎とお富が出会う場面。

お富に見とれた与三郎が、着ていた羽織を落とす「羽織落し」が見せ場の一つ。

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