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月も朧に  作者: 喜世
第一章
13/23

〈12〉 継承

何をどう足掻こうが、日は過ぎる。とうとう初日がやって来た。


 すべては挨拶から始まる。

 藤右衛門の楽屋は朝から賑やかだった。皆はまっ先に座頭の楽屋にやって来ていた。

そして、鈴屋の鶴之丞にも挨拶をしていた。

 彼は藤右衛門のために朝早くから来ていた。

当代彼しかできない役を、徹底的に伝授するためでもある。


「さて、拵えの最終確認しましょうね」


「よろしくお願いします」


 いつも以上の緊張をしている藤右衛門。若干声が震えている。

 彼を安心させるように、鶴之丞はにっこり笑った。


「よし。合格」


「ありがとうございます」


 そして、真剣なまなざしで言った。


「私が、一世一代(※1)を決められるような芝居をすること。わかった?」


「はい……」


 伝統を途絶えさせてはならない。継承していかねばならない。

重い責務が、両方の肩にのしかかっていた。






 柝の音が聞こえた。


「よろしくお願いします!」


 袖で皆に改めて挨拶をする佐吉は、藤翁に笑われていた。


「赤っ面似合わんな佐吉。まぁ、芝居で勝負しろ。精いっぱいやるんだ」


 鳥屋に向かう、藤右衛門を見つけた佐吉は、声をかけた。


「よろしくお願いします! 勉強させて頂きます!」


「よろしく、あんまりいじめないでね」 


 微笑を浮かべる阿古屋は、吉原で見た花魁以上の美貌と色気だった。

ぽーっと見とれていると、藤右衛門に付き添う彼女の弟子に笑われた。


「坊ちゃん、旦那の花魁で逆上せてたら、鈴屋さんの相手はできませんよ」


「え?」


「そう。佐吉、鈴屋の兄さんの花魁はこの世の物じゃない……」


 佐吉はその言葉にぞっとした。


「……覚悟しときます」


 今この時、彼は阿古屋の美貌や威厳に負けてはならないのだ。

 もらった役は、岩永左衛門。阿古屋を取り調べる役なのだから……






 藤右衛門の阿古屋は、花道から登場するなりジワ(※2)が起きた。

取り調べで使われる楽器、三味線、琴、胡弓。

 己の呼吸さえも聞き取れるのではないかという静寂の中、

阿古屋はこの三つを弾き切った。


 佐吉の岩永左衛門。

 人形になりきって、瞬きをしないように目を見張り、

阿古屋の真似をして、楽器を弾く振りは、滑稽に。

 客席から笑いが幾度も起きた。

 しかし、笑ってなど居られない彼は、必死にやり切りった。


 藤翁の秩父庄司重忠。

 ほとんど動かないが、心の広さ落ち着きが必要。 

ずっしり構え、貫録で魅せた。


 幕切れ、すさまじい歓声でその場は包まれていた。


 すぐさま藤右衛門は、ずっと袖で芝居を観ていた師匠である鶴之丞に挨拶に向かった。


「本日はありがとうございました。無事務めさせていただきました」


「まだまだね。特に楽器。日々精進。それと、お役の理解をもっと深めるように」


「はい」


「わたしには決してできない、あなたの阿古屋だった…… よくやった」


 褒められた藤右衛門は、黙って頭を下げた。


「……決めた。阿古屋はあと一回」


 その言葉に、藤右衛門ははっとした。


「……一世一代ですか?」


「そう。安心してあなたに譲れる。頑張ってね」


「ありがとうございます……」


 明日は今日よりも、明後日はさらに……

 高みを目指していこうと、心に誓った。






「お疲れさまです。良かったですよ」


 すでに身支度準備万端の、雪太郎。

一方の佐吉は、三太に手を借りて必死に赤い化粧を落とし、次の役の拵えの支度をしていた。


「兄さん、お疲れさまです。ありがとうございます!」


「さて、気を引き締めて、次、よろしくお願いしますね」


「はい!」


「佐吉さん。手を止めたらあきません! はよう!」


「すんまへん。兄さん」


「謝ってないで手を動かしてください!」



 その頃、舞台の袖では、化粧を落として楽な浴衣姿になった藤右衛門が、腕組みをして

眉間に皺を寄せながら唸っていた。


「なんだい?」


 彼女の義理の兄、幸助の『奥方玉ノ井』を見ての文句だった。


「もっと痩せません?」


「わかってる……」


「毎回それじゃないですか。真面目な話です。足や腰に来ますよ、いい加減にしないと」


「わかってる!」


「お義姉さまと別居始めてからブクブク肥りだして…… いい加減寄りを戻してください!」


「今、それは言わんで良いだろ!」


「あぁ怖い怖い山の神(※3)…… あら、綺麗ね。山陰右京」


 そこへやって来た雪太郎の山陰右京と佐吉の太郎冠者主従。


「ほら、この美男子二人と全く釣り合い取れないのがいいんだよ。このお役は」


 その言葉を、藤右衛門は無視した。


「佐吉。あなたやっぱり赤面似合わないわね」


「そうですか? お爺さまにも言われました」



 そっちのけにされた幸助は、ふてくされた。

仲を取り持とうと、雪太郎と佐吉は必死。


「藤右衛門兄さん、次の御支度がありますよね? そろそろ行かれては?」


「幸助兄さん、よろしくお願いします。お手柔らかに……」


 不敵な笑みを残し、座頭は去った。

もともと穏やかな性格の幸助も、笑みを浮かべて若手二人を激励した。


「よろしく頼むよ。全員初役だからね。頑張るしかない」


「はい!」






 主の『山蔭右京』は、遊女『花子』に会いに行きたい。

 しかし、正直に言えるわけがない。

 そこで、良い方法を思いつく。


「座禅をするから、持仏堂に籠る。見舞いに来てはいけない」

と、奥方『玉ノ井』を言い包めることにした。

 佐吉が演ずる『太郎冠者』を呼びだすと、彼に自分の代わりに座禅をするよう命令する。


 奥方にバレると怖い太郎冠者、断ろうとする。

 しかし、どうしても外出したい山蔭右京。

 「断るなら斬る!」と脅され、仕方なく従う羽目に……


 花形役者の雪太郎、佐吉が出るとあってかいつもより若い客が多かった。

また、すべてが初役と言う目玉で客を呼ぼうという興行主の思惑が当たったか、

目の肥えた年配もちらほらおり、緊張気味の役者達をほほえましく眺めていた。


 三枚目の方が得意な佐吉。

 太郎冠者の、情けない表情や、怖い奥方に怯える芝居に客席は沸いた。


 旦那の山蔭右京が座禅をしていると思いこみ、見舞いに来る奥方。

 彼女にばれないよう、太郎冠者は着物を被り、やり過ごそうとする。

 しかし、しつこい奥方は着物をはがしてしまう。

 そして座禅をしているのは、自分の夫ではないと知ってしまう。

 怒られて怖がる太郎冠者、主の行為をすべて話してしまう。


 騙した夫への仕返しと、玉ノ井は太郎冠者に頼み、座禅をして着物を被せてもらう。


 そこへ、楽しいひと時を過ごして帰ってくる、山蔭右京。

 酔っている。

 恋しい花子にもらった着物を肩に掛けて。


 雪太郎は、二枚目を演じることが圧倒的に多かったが、必死に己の殻を破ろうと努めた。

 酒に酔い、上機嫌な様子。

 多くの客は、そんな珍しい彼の芝居に感心していた。


 座禅をしているのは、太郎冠者。

 そう信じ込む山蔭右京は、べらべらと楽しかった一夜の出来事を話してしまう。

 聞きながら、怒り心頭の玉ノ井。


 すべて話してしまってから、衣の下にいるのは、太郎冠者でない事に気づく山蔭右京。


 必死に逃げる山陰右京。追いかける玉ノ井。


 客席に笑い声が響いていた。






「兄さん!」


 全ての出番が終わり、化粧を落とす佐吉の鏡に永之助の笑顔が映った。

 今度は一人で落とせる化粧。

 兄弟子三太は、藤翁の手伝いに行っていた。


「あれ? 来てたんか?」


 永之助は、三河屋の頭である雪太郎の父、石川雪之助と同じ座組で興行予定だった。


「はい。明日が初日ですけど、出番少ないから通し稽古も終わりました。

でも、兄さん、赤面似合いませんね。芝居は面白かったですけど。人形振り、すごくお上手です」


 芝居をほめられたのは有りがたかったが、またしても言われた、「赤面は似合わない」

 これだけ言われるところを見ると、本当に合わないのだと、佐吉は合点した。


「どや? 台詞は少しはマシか? 太郎冠者は?」


「ちょっと言葉が上方風になるのが気になりましたが、表情豊かで面白い太郎冠者でした」


「おおきに。気ぃ抜いたらあかんな。そういえば、永之助は、今月は何のお役もらったんや?」


吃又(どもまた)(※4)の修理之助(しゅりのすけ)です」


「毎日筆で虎を消すんか?」


「はい。虎を消して、印可の筆をもらって、お姫様助けに行きます」


 確かに、出番はかなり少ない。

 佐吉は、永之助の修理之助が虎を消すさまを見たくなった。

 しかし、吃又はそれが眼目の演目ではない。


「又兵衛は、三河屋のお父さんか? おとくは?」


「篠屋の亀彦兄さんです」


「なら、ほとんど、三河屋さんと篠屋さんか? 親戚で固めたか……」


 亀彦の姉は、雪之助の奥さん。


「はい。三河屋のお父さんいわく。雪兄さんだけ、武者修行ということで、私と交換したそうで……」


「そうか……」


 なかなか厳しそうな三河屋の石川雪之助。

 挨拶に行っただけでいまだ共演はしていない。

 故に、芝居がとても気になる。


「どうや? 吃又?」


「すごく良いです。お二人のおとく又兵衛は」


「みたいわぁ…… 観れるかな?」


「千秋楽がこちらの方が早いので……ギリギリ観られますね」


「よし。そうするわ、こっちが終わってから行くわ」


 佐吉の楽しみが一つ増えた。

しかし、のんびりそんなこともしていられなかった。


「あ! 兄さん。早くお化粧落としてください! 

切られ与三、始まっちゃいますよ!」

(※1)一世一代(いっせいいちだい)

一生の仕納めとして演じる晴れの舞台。

現在『アンコールにお応えして』と称して何度もやってる方がいらっしゃいますが……

まぁ、作者は2回観ましたが……


(※2)ジワ

客席に感嘆のざわめきが広がること


(※3)山の(やまのかみ)

山の神=女神=恐ろしいものの代表=口やかましい妻の呼称


(※4)吃又(どもまた)

傾城反魂香(けいせいはんごんこう)

土佐将監閑居場(とさのしょうげんかんきょのば)


主役の浮世又平うきよまたへいのモデルは岩佐又兵衛(いわさまたべえ)


昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』に幼少期の彼が出てきたので、

「おぉ」となった方もいらっしゃるかも知れません。

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