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偽りの楽園

「――あ、あん、ジュリアン様ぁ……っ! も、もう、お昼を過ぎてしまいますぅ……。神殿の、儀式、に行か、なきゃ……っ」

「いい、気にするなエルザ……! そんな退屈な儀式などよりも、今はお前のこの、吸い付くような肌で私を満たしてくれ……っ、はぁ、はぁっ!」

王太子妃の寝宮。

かつてコレット様が使っていた神聖な部屋は、いまや甘ったるい香油の匂いと、淫らな吐息が充満する「愛欲の巣窟」へと変貌していた。

コレット様を国外追放してから一ヶ月。

私は晴れてジュリアン様の公式な婚約者となり、この国の「筆頭聖女」の座に就いた。

日々の公務や、かつてコレット様が毎日行っていた「神殿での祈祷」なんて、一度も真面目にやっていない。だって、お祈りなんて退屈だし、膝が痛くなるんですもの。

「ふふ、ジュリアン様ったら、本当に絶倫なんだから……。私、殿下のせいで、今日も腰がくだけちゃいましたぁ」

私はジュリアン様の汗ばんだ胸板に指先で渦を描き、濡れた瞳で見つめた。

昨夜から何度、彼を絶頂に導いたか分からない。私の優れた「締め付け」と「あざとい喘ぎ声」のせいで、ジュリアン様はすっかり腑抜けてしまい、公務の書類にサインすることすら億劫になっている。

「エルザ……お前のこの体は、本当に神の奇跡そのものだ。コレットの冷たい説教を思い出すだけで、反吐が出る。あいつを追い出して、本当によかった」

ジュリアン様はまだ微熱をはらむ私の太ももを撫で回しながら、満足そうに鼻を鳴らした。

「ええ、私もジュリアン様とお会いできて本当に幸せですぅ。……あ、そういえば殿下。先月おねだりした、お隣の帝国から取り寄せる最高級の絹のドレスなんですけれど……お支払いはもう済ませていただけました?」

「ああ、もちろん心配ない。神殿の維持費と、あのコレットが毎年使っていた『結界保守予算』をすべて削って、お前のドレスと宝石の購入費に充てておいたからな」

「まあ! 嬉しい! さすが私のジュリアン様、お優しいですぅ……っ!」

私は彼の首にしがみつき、熱い口づけを何度も贈った。

心の中では、あまりのちょろさに高笑いが止まらない。

(あはは! 本当に傑作! 結界の維持予算を丸ごと私のドレス代にしちゃうなんて! 国を護る予算で、私は世界一綺麗なドレスを着るの。最高に贅沢で、これ以上の快感はないわ!)

一応、形だけでも結界を維持しているように見せるため、ジュリアン様には国費で「最高級の魔石」を大量に買い込ませ、国境の結界維持装置に放り込ませておいた。

魔力ゼロの私でも、魔石さえあれば結界は持つ。

コレット様は「神聖魔力の循環が〜」とか難しいことを言って私を脅していたけれど、結局はお堅い彼女の「自己満足」だったのだ。お金さえかければ、結界なんて誰にでも維持できる。

そう、この時は、本当にそう信じ込んでいた。

◇ ◇ ◇

午後になり、私は新調したドレスに身を包み、宝石をジャラジャラと身につけて王都の通りをパレードしていた。

豪華な馬車に乗り、あざとい笑顔で手を振り、時折「皆様ぁ、お体は大丈夫ですかぁ? 私が神にお祈りして差し上げますねぇ」と、か弱い聖女のフリをして見せる。

「おお……新しい聖女エルザ様だ!」

「なんて愛らしくてお優しいお方なんだ!」

民衆たちは、私のその見かけだけの優しさと美しさに騙され、歓声をあげてひれ伏した。

私は馬車のカーテンの陰で、民衆たちを冷たく見下した。

(馬鹿な愚民ども。私の可愛いお顔と、あざとい笑顔だけでこんなに喜んじゃって。コレットみたいに泥臭く治療して回る必要なんてないのよ。聖女なんて、ただのアイドルなんだから)

しかし、パレードが王宮に差し掛かったその時だった。

ふと、王都の遥か彼方、国境を囲む「天空の防壁」を見上げた私は、一瞬だけ目を見開いた。

いつもなら、空を覆う結界はコレット様の純粋な魔力によって、美しい「黄金の光」を放っているはずだった。

けれど今、空に浮かんでいる結界は、どす黒く濁った紫色に変色し、ガラスのように細かなひび割れが無数に走っている。

「あれ……? なにあれ。ちょっと汚い色ね……」

私が眉をひそめて呟いたその瞬間、ドン、と腹の底に響くような、不気味な地鳴りが王都全体を震わせた。

「ひゃっ!?」

私は思わず馬車のシートに倒れ込んだ。

民衆の間からも、ざわざわとした不安のどよめきが広がる。

「今のはなんだ……?」

「地震か?」

「いや、国境の方から聞こえたぞ……! 結界の色がおかしくないか!?」

私は不快そうにチッと舌打ちをし、ドレスの乱れを整えながら王宮へ戻った。

(なによ、せっかくの気持ちいいパレードを台無しにして。ジュリアン様に言わなきゃ。魔石の量が足りないんじゃないの?)

◇ ◇ ◇

王宮の謁見の間。

私が不機嫌そうな顔をして戻ると、そこには血相を変えた国境守備隊の将軍と、神殿の神官長がジュリアン様に詰め寄っていた。

「殿下! 国境の結界が急速に弱まっております! すでに魔獣の侵入を許し、周辺の村が数件、全滅いたしました!」

「なに……!? 馬鹿な! 魔石は十分に買い与えただろう!」

ジュリアン様が机を叩いて怒鳴る。

将軍は苦渋に満ちた表情で首を振った。

「魔石の魔力は、ただの『物理的な力』に過ぎません! 結界を維持するためには、聖女様による神聖魔力の『調律』と『加護の祈り』が必要不可欠なのです! 魔石だけを詰め込んでも、結界の器がその負荷に耐えきれず、ひび割れて崩壊しつつあります!」

神官長も、青ざめた顔で私を指差した。

「エルザ様! お願いです、今すぐ国境の結界維持装置へ向かい、聖女としての祈祷と調律を行ってください! このままでは、あと数日で結界は完全に消失します!」

部屋に入ってきた私を見て、全員が救いを求めるような、あるいはすがるような目で私を見つめてきた。

私は一瞬だけ、全身の血が引くような感覚に襲われた。

(調律? 祈祷? そんなもの、やり方なんて知るわけがない。だいたい、私にそんな強大な魔力なんてあるわけないじゃない!)

けれど、ここで「できません」なんて言ったら、私の聖女としての立場はどうなる?

せっかく手に入れた、贅沢三昧の生活が、あの鉄仮面のコレットに「やっぱり偽物だった」と笑われて終わる?

そんなの、絶対にプライドが許さない。

私は瞬時に、いつもの「か弱く可哀想な悲劇のヒロイン」の仮面を被った。

両手を胸の前で握りしめ、瞳に涙をいっぱいに溜めて、ジュリアン様の腕にすがりつく。

「ジュリアン様ぁ……っ! 私、最近、神殿のお仕事と、殿下を癒やすための夜の奉仕で、お体を壊してしまって……っ。魔力が、魔力がどうしても練れないのですぅ……。頭が痛くて、目眩がして……今、強いお祈りを捧げたら、私、死んじゃうかもしれません……っ!」

「何だと!? エルザ、大丈夫か!」

ジュリアン様は慌てて私を抱きしめた。

その腕の中で、私は「はぁ、はぁ、苦しいですぅ……」と、いかにも重病人のように息を乱して見せる。

「神官長! 将軍! 見たか、エルザはこうして、身を削って私を、そして国を支えてくれているのだ! そんな彼女に、無理を強いるとは何事だ! 結界が破れたなら、騎士たちが命がけで戦えばいいだろう! そのために高い給料を払っているのだ!」

ジュリアン様は狂信的な怒りで、家臣たちを怒鳴り散らした。

神官長も将軍も、絶望と、そしてジュリアン様に対する「信じられない」といった侮蔑の目が混ざり合った、冷ややかな表情を浮かべた。

「殿下……正気ですか。数万の魔獣の群れを、騎士団だけで防げるわけが……」

「黙れ! 私の命令が聞けないのか! 下がれ、下がれ!」

ジュリアン様は物言わぬ家臣たちを追い出し、私をベッドへと運んだ。

「エルザ、大丈夫だ。お前は何も心配しなくていい。私が守ってやるからな……」

「ジュリアン様……お優しい、大好きですぅ……っ」

私は彼の胸に顔を埋めながら、冷や汗を流していた。

(や、やばいわ。本当に魔獣が攻めてくるの? 冗談じゃないわよ。結界なんて、コレットがあっさり維持してたから簡単なものだと思ってたのに……。最悪、国が危なくなったら、ジュリアン様をそそのかして、宝石だけ持って他国に逃げちゃえばいいわよね)

贅沢に慣れきった私の脳内は、まだそんな現実逃避で埋まっていた。

国境の結界に、最後の、そして致命的な亀裂が走っているとも知らずに。

第6話へ続く。

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