僕の憧れのお姫様
時間をかけて寒い道のりを一人寂しく歩きながら帰宅すると、待っていたのは当然母親からのお咎めだった。
リビングに足を運んだ矢先、目があった母親に『おかえり』と声を掛けられるもその発音は妙に遅口だ。
今日も連絡もなしに夜中に帰ってきたものだから心配させてしまったらしい。
といっても軽く注意される程度だから問題はないけどやっぱり帰りが遅くなるなら連絡ぐらいはした方が良かったかも......
「何度も言うようだけど遅くなるなら連絡してきなさいって言ってるでしょ、携帯持っていってるんでしょ」
ごもっともで返す言葉もない。
「ごめん......」
「もういい歳だからどこにいってたかなんて聞かないけど、連絡はよこしなさい。まったく、今だって帰りが遅いから警察に電話かけようと」
「いっ、そこまでの大ごとっ?!」
「冗談よ、でもそれだけ心配したってこと」
小学生じゃあるまいし少し帰路に就くのが遅いからって警察を呼ばれたんじゃたまったもんじゃない。
名前も言えるし家への帰り方だって把握してる。って、つい歌詞を連想してしまったけど俺は迷子の子猫じゃないんだ。背は小さいけれども。
でも母さんの気持ちは分かる、友達が周囲にいればまだ安心も出来るが俺は基本一人で行動してる、それを分かってるから余計に心配してしまうんだよな。
不安にさせない為にも連絡はこまめにしないと、行く所なんて知れてるけれども。
「分かった、これからはなるべく気をつけるようにするよ」
「なるべく?」
「ううん、絶対気をつける」
母さんなら本当に警察を呼びかねないし次からは絶対連絡入れよう。
それにしたってあれだけ歩いたら流石に腹が減ったな、喉もカラカラだ。
長時間の外出で疲れた身体もほぐしたい、とくればお咎めも済んだってことで。
「母さん、今日のご飯は?」
「冷蔵庫の残りものでいい? 材料がないのよ、そろそろ買い出しに行かないと」
「うん、それでいい」
腰に当てていた手を離した母さんは俺の返事に立っていた足でそのまま調理場にいく。残り物の材料で簡単にこしらえたのか調理してる音が聞こえたのも数分、料理は早々にテーブルに並べられた。
***
ご飯を平らげた後はしばらくテレビを見ながら時間を調整し、沸かしていた風呂に入ることにした。
今は自動で風呂を沸かせるんだからほんと便利だ、缶で湯量を図る小技もいまとなってはもう古い。洗面所で服を脱ぎ、風呂の戸を開けシャワーを浴び浴槽に身体を沈めると早速暖かい感覚に包まれた。
「ふぅ......」
二日ぶりの風呂は気持ちいい。
ここ最近は入ってなかったこともあって不潔に思われてたら最悪だ......
一日やそこら入らなくても問題ないけど、やっぱり気にはなる。そう思われたくない相手がいるからなおさらに。
芽森さん...... 今頃はもう帰宅しているのかな。
俺が家に着いた頃は十時辺りだからもう帰ってるか、あんな場所で長居はしないだろう。
無事仲直り出来たのかとか、何を話したとか俺が気にしたって仕方ないけど湯船に浸かってるせいか頭がぼーっとし、一度思想してしまうとそのことばかり浮かんできてしまう。
チャンスをわざわざ棒に振ったなんて思ってないけど、二人の仲を戻すということは一つの可能性がなくなるということでもある。
秘密や事情を知っているということは裏を返せば互いの共通点になり得るもので、場合によっては悩み事を聞いたり相談に乗っていく中で芽生える感情もなくはない。それが出来なくても弱みに付け込み徐々に近づいていける。俺の中ではそうやって長い時間をかければいつしかは好意的に見られるようになるんじゃないかという一種の期待があった。
せめて他人からは脱却したいと、だけど母さんのお人よしの性格が祟ったせいかそれも今日でなくなった。これで本当に役割は終わり、問題が解決したからにはもう首を突っ込むこともなくなるんだ......
もわもわと泡のように沸きでてくる失念を払おうと浴槽から出た俺はシャンプーを多めに手に取りいつもより強めに頭を洗い流す。気分的に長風呂をする気も起きない。すぐ浴槽から上がり髪を乾かし用意していたパジャマに着替え、火照った身体のまま部屋に行き布団に潜り込んだ...... が、寝付けない。
布団に入ったはいいものの眠ることに集中できない。
それは日常茶飯事だけど、一睡したいと思ってる時に眠れないというのは余計にモヤモヤする。風呂に入ったことで逆に頭が冴えてしまった感じか。
一度起き上がろうとベッドから下りてチャンネルガイドを確認すると夜更かしするほどのラインナップでもなかった。テレビはだめか、ならゲームか文庫本でも読もう――勘というには直観だろう、眠気が来るまでどう時間を潰そうと思案していた俺の頭に何かが、かすめた。
“もしや“と思いパソコンを起動させる。
なんとなくあるような気がした。
画面が立ち上がるのを待ち、小説サイトを開くと早速、スマホで見せて貰ったことを思い出しペンネームを打った。
そしてマウスを下にスライドさせていくと...... あった。新着に更新されていた。小説のタイトルは【私が恋した王子さま】そのまんまだ。
間違いなく芽森さんが執筆していた小説。
非公開じゃなく投稿されてるってことは...... そう安心すると共に小説の内容を拝読してみる。物語冒頭の『いつかまた会いにいく、その時までこの約束のブローチを』というあらすじは変わってはいないようだ。
第一話、〈いまから〉
「お嬢様、あれから十年余り経ちましたが。本当にお会いなされるつもりですか?」
歳相応には見えない低い声、背丈は小さく、顔立ちはどこか幼いわりにかしこまった言葉遣いをする一人の青年は黒を強調とした正装とネクタイを締め大人っぽく振る舞おうとしてはいるも様にはなってない。
そのことは本人も気にしているらしく伸ばした髪からも見て取れる、その為か崩れた前髪を直す動作を目にすることが多い。
「そのセリフはもう賞味期限切れよ、耳にタコが出来るまで聞いたわよ。会いに行くって何度も言ってるでしょ」
「ああ、いけませんお嬢様、お言葉遣いをお直しくださいと何度申し上げたら」
「別にいいじゃない今は二人っきりなんだし。クロ、あんたも態度を崩しなさいよ。あんな固っ苦しい言葉を使っていたらロボットになってしまうわよ」
「そ、そんなメアリーお嬢様に対して恐れ多いことわたくしにはとても......」
はぁ、皮肉も通用しないんだから困っちゃうわ。
クロと呼ぶこの男は私の側近で幼い頃から同じように育ち執事としても私の世話を任されてる。
いわば兄弟みたいなもので当然私が姉。お互いの素性は知っているからあえてかしこまる必要はない、けど彼はそうじゃなく私に対しては常に丁寧な言葉を心がけてるようで、対等に会話してくれる時は困ったときや驚く場合に限る。そんな彼には私がある人に想いを寄せていることは長年隠していたけどもう諦めた。別に隠していても意味ないもの。
私は何が何でもこのブローチの持ち主に会いにいく。あっちが来なければこちらから会いにいくだけ。待っているだけなんて私の性に合わないわ。
だけど胸に掛けてあるブローチを手に取ると今も変わらずさび付いてる。まるで私の心を表してるみたに......
「もしかして、今現在においてもまだ未練が残っておられるのですか。わたしがお嬢様から昔にお会いなされたという殿方のお話を聞かされた時は心底驚かれました。素性の知れない殿方を思い続けられるなんて実にお嬢様らしいことです、わたしがお嬢様の立場なら諦めていますでしょうね。だからこそ申し上げさせて頂きますがこのままではいずれ錆びてしまいますよ、その古びたブローチのようにです」
「勝手にさび付いちゃって結構よ、どうせもう彼だって」
なによ人の気も知らないで。
でもクロの言うことはもっともだ、強がっては見ても心の中の不安は消せない。
ならいっそのこと......
「ですから、お会いに行かなくてもいいと仰っているではありませんか。わたしは心配しているのですよ、これでもお嬢様と同じように育ち、小さい頃から専属の執事としてお遣いさせていただいて、それはもうおしめを変えられてるような時から」
「いや、それあんたも同じだから。そんな小さい頃のこと記憶にないでしょ! でもそんなこと言ってもしょうがないじゃない、私は王族である前に一人の女の子なのよ、そりゃ書物にある怪盗みたいにヒョイヒョイ各国を飛び回れるような立場じゃないけど......」
「ご自分の立場を自覚なされているのでしたらなおのことお会いすべきことではない筈です」
――お嬢様、いや。メリーも歳相応の女の子なんだ、恋をしたいという気持ちは出来れば尊重したい。
でも君は王族、女性でありながら王位継承者に選ばれる為に育てられてきた。
会いたいといくら連呼しても王族の身であるため望みが叶うことはないだろうし、名も知れぬものにメリーを渡す訳にはいかない。
約束を交わしたであろう殿方だって誓いのことなど忘れてるに決まっている。
一説では世界中に男は32億人余り存在するとも言われてるんだ、何も一人の男に執着する必要はない。
焦らずともその内メリーがお気をめすような人なんて現れる。せめて散り往く初恋は胸にしまいこみ精進して——
「クロ、今夜このお城を、立つわよ」
「な、え、いまなんと申し上げられました?! し、城を立つって...... そ、そんなこと出来る訳ないじゃないか。何を言ってるんだメリー!」
「いいえ、出来るわよ。それにハッキリ言っちゃうけど、王位継承者の変わりはいくらでもいるの、ましてや私は女。いなくなろうが誰も困らないわよ。でも、お父様とお母様はきっと心配するわよね。うーん。どうしよっか、まぁ何とかなるわよね」
言葉が出なくなった。
優しい微笑みで何てものの言いぐさをするんだ。恐ろしいお方だ。
「どうするのクロ、多分これが最後のチャンスよ。私にはもう時間がないの、本来ならこんなこと簡単に済まされるものじゃないことは分かってる、でも私はもう限界なの、今すぐにでもあの人に会いたいって狂奏曲が頭の中でガンガン鳴ってるのよ!」
さっきまでのあっけらかんとした表情はどこえやら、茶化す様子もなく真剣な瞳で僕を見つめてる。
いい加減でルールや規則を守らないメリーがこんなことを言うなんて、言葉の重みがまるで軽い......
「クロ、私はあなたを信頼しているの。専属の執事として付いて来てほしい、私が言えることはもうこれ以上ないわ、一緒についていくかどうか選んで、あなたがついて来てくれれば心強いわ」
だけどメリーが手を差し出してくれてる様子を見て実感する。
彼女の決心は本物なのだろう手が震えてる、それをみて思わず息を飲み込んだ。空気が重い。軽はずみな冗談じゃないんだ。さっきまで罵りあっていたのが嘘のよう。
メリーはそれ以上何も言わず、ただ黙って僕が選ぶ選択を待っている。
僕は、ボクは、ぼくは......
「分かったよ、選べば良いんでしょ。僕は......」
――――小説を読み終えた、しかしまだ画面から顔を離さすことが出来ない。
彼女の小説は夢を詰め込んだり想像を膨らまして作られる物語ではなく、いわゆる私小説というもので主人公を自分自身に投影したり体験や感性を元にして書いてる。
前に見せて貰った時は城から出られなかった姫様であるメアリーが執事に背中を押されて王子様に会いに行く決心をするという内容だった。それがどうだ、改変後のメアリーは自分から会いにいくと言い出して逆に執事を諭してる。
普通に考えたらなんてことない文章の改変だけど、少しばかり変化した内容は俺にとっては大きいものに思えた。サブタイトルが変わってることも今の彼女の心境と同じだとしたら......
それにこのクロという執事も性格や身なりが変更されてるせいか、女性が主人公なのに途中から男性の方に感情移入してしまった。なにより彼の特徴があまりにも誰かさんにそっくりで......
もし自分がこの執事の立場として、彼の視点でタイトルに題をつけるとするなら【僕の憧れのお姫様は】と付けるだろう。誰よりも近くにいるのに思いを隠しながら姫様を見守り続ける執事、否、男として。




