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翻る日常 8

あっという間に放課後がやってきた。


帰宅する人。


部活へ向かう人。


塾やバイトへ向かう人。


生徒たちは、それぞれの目的地へ散っていく。


――めっちゃスッキリしたな。


兎翔は午後の授業をほとんど睡眠に費やしたおかげで、すっかり体力を取り戻していた。


「まあ……帰るか」


部活を辞めてから、放課後はそのまま帰ることが習慣になっている。


今日も、それが一番選びやすい選択肢だった。


教室のドアを開ける。


そのとき、廊下から教室の窓へと一陣の風が吹き抜けた。


くしゃり。


壁に貼られた紙が大きく膨らみ、音を立てる。


『美術部 新入部員募集』


昼間、川本(かわもと) 雪(ゆき)が貼っていったものだった。


――ちょっとだけ、覗いてみるか。


手のひらが、うっすらと汗ばむ。


兎翔はその感触を押し潰すように、ぎゅっと拳を握った。


そして張り紙に書かれた場所を頼りに、美術部の部室へと向かった。


コンコン。


兎翔は美術室のドアをノックした。


「…………」


返事がない。


「今日は活動してないのか?」


試しにドアをスライドさせる。


そこには――。


西日に照らされ、ブロンドに輝く長い髪を下ろし、誰も入り込む余地がないほど深く創作へ没頭する、一人の少女が。


……ということはなく。


「……すぴー」


美術室の椅子をいくつも連結させ、即席のベッドを作って熟睡している川本雪かわもと ゆきがいた。


――絵、描いてないのかよ。


兎翔は心の中で突っ込む。


それ以前に、他の部員らしき姿もない。


寝ている雪を起こさないよう、慎重に美術室へ入る。


「あの……ごめんください」


「……すぅぴー」


返ってきたのは、小さな寝息だけだった。


――起きないな。どうしようか。


もう少し近づいて声をかけようとした、そのとき。


「んっ……」


雪が寝返りを打った。


身体が横向きになり、兎翔に背中を向ける。


はらり。


その動きに合わせてスカートの裾が折れ、太腿が露わになった。


ピタッ。


兎翔の足が止まる。


「…」


ほんのわずかな間を置いて、兎翔は何も言わず、雪の背後へ近づいていった。

その時だった。


「ばあ!」


「うわぁっ!」


雪が勢いよく身を翻し、兎翔の正面へ飛び起きる。


兎翔は驚いて後ろへ倒れ、そのまま尻もちをついた。


「あはは!」


雪が無邪気に笑う。


「驚かそうと思ってたんでしょ。そうはさせないよ」


「はぁ……はぁ……」


兎翔は両手を床につき、乱れた呼吸を整えた。


「あはは、ごめん。そんなに驚くとは思ってなくて」


「……全然大丈夫だから、気にしないで」


強がってはみたものの、心臓はまだ酷く脈打っている。


「まさか……ね」


雪は小さく呟くと、椅子から立ち上がった。


そして、兎翔の前で立ち止まる。


「立てるかな」


そう言って、手を伸ばす。


差し込んだ夕陽が、彼女の輪郭を淡く照らしていた。


長い髪が光を透かし、柔らかな小麦色に染まっている。


「…………」


兎翔は少しだけ見惚れてから、その手を取った。


「ありがとう」


握った手は、細くてしなやかだった。


――折れちゃいそうだ。


そんなことを思いながら、引かれる力に合わせて立ち上がる。


手が離れる。


ほんの一瞬だったはずなのに、その感触が妙に名残惜しかった。


兎翔はズボンについた埃を払い、眼前の少女と目を合わせる。


「見学してもいいですか」


雪は一度瞬きをして――。


ははっと笑った。


「もちろん! ようこそ、美術室へ」

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