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怪奇Drip  作者: 因島あおい
21/21

#20『ダンゴムシ』

 










  キーン


 「はぁ〜」


 梅雨明けの七月初旬。ねっとりとした生暖かい大気が私の背中にどっしりと伸し掛かる。


 朝から深いため息。


 しかし、別にこの湿度の高い、または重たい空気に気を滅入らせているわけではない。


  キーン


 日常とは過ごせば慣れるもの。


 私は電車を待っている。


 朝といっても通勤ラッシュの時間は過ぎており、いまここにいるのは、私と、スマホをつついている大学生と、音楽を熱心に聴いている学ラン姿の男の子と、あと俯いたまま動かないサラリーマン。


 つまり、あまりいないということ。


  キーン


 この駅はなるべく使いたくないのだ。


 少し前、怖い目にあったから。


 それから何度もこの駅を使わざるを得ない事はあったけれど、その度私は避け続けていた。


 しかし、どうにもこうにもこの最寄り駅が使えないのは不便で、なにより、なんで私が遠慮しなきゃいけないんだ、という気持ちもあり、今日、ほぼ1ヶ月ぶりにこの駅を使う。


 如月(きさらぎ)


  キーン


 ある人から言わせるとあまり良くないから使わない方が良い、とのことだった。


 かといって利便性を犠牲にはできない。


 使い勝手が悪い駅など、それはもはや駅ではない。


 そうだ。


  キーン


 日常とは過ごせば慣れるもの。


 そう言い聞かせていた。


 そう言い聞かせるしかなかった。


  プルルルルルル


 電車が来ることを知らせるアラーム。


 白線の内側へ、という決まり文句が機械的な音声でホームに響く。


 「君、知っているんだろ?」


  キーン


 耳元で声がした気がしたけれど、耳鳴りが酷くよく聞こえない。


 私には何も聞こえない。


 何も、聞こえない。


 「悪かったね」


  キーン


 私の横から何かが飛び出た。


 ホームにはまだ電車は来ていない。


 ホームを飛ぶサラリーマン。


 宙を舞うその男の顔は


 眉を下げながらゆっくり苦笑いしていた。


  ガガガガガガガガガガ


 電車が(くう)を切る。


 そのまま電車は何事も無く、定位置に停車する。


 それが当たり前かのように。


 それが課せられた責任かのように。


 私は目を瞑る。


 せめてもの冥福を祈りながら。


 そうだ。


 私には見えてはいけないものが見える。


 私には見たくないものが見える。


 私の日常は音を立てて少しずつ崩れていっていた。


 私は辛辣に、それでも精一杯、哀悼を込めて呟く。


「さっさと成仏して」

















 「紗季(さき)ちゃん、どうしたの?」


 彼は私を見るや否や挨拶も無く、第一声でそう言った。


 私は待ち合わせ人と合流するとすぐに近くの店に案内された。私の顔色が相当酷かったのだろう。


 心配する彼に一言。


 「朝から嫌なもの見て」


 そう言った。


 嫌なもの。


 そんな言葉でしか表現できないのが辛い。


 でも、あまりこういうことを言ってはいけないと忠告されているんだ。ゴメンね。


 「いろいろ大変だね、何か悩みがあるなら相談のるから」


 そんな優しい言葉にどこか心が緩みそうになる。彼がメニューを開き、何がどうだと説明してくれているが、どうにも耳に入ってこない。


 折角の喫茶店なので店オリジナルの珈琲を飲みたかったけれど、あまり飲む気がしない。


 おなかがキリキリする。


 私は店員にオレンジジュースを注文した。


 「僕はホット珈琲を」


 そう言ってとりとめの無い会話が続く。


 古谷(ふるや)(かなた)


 それが目の前に座る彼の名前。


 大学の同級生で、学部は違うのだがバイト先が同じで知り合いになった。


 ブラック居酒屋。いや、冗談です。


 実は今日はそのバイトの新メニューをつくるというもので、昨日3人で集まって決めようって話になったのだ。


 そう、3人。


 「ところで(かなえ)は?」


 そう、本当ならもう一人いたはずなのだ。


 なんならその人が言い出しっぺなんだけど……


 古谷叶。


 バイト仲間であり、彼の双子の妹だ。


 性格以外は彼とウリ二つの彼女が、何故か来ていない。


 「あいつはなんか用事ができたって朝からいないんだよ」


 「一番ノリノリだったのに、そうなんだ」


 昨日、彼女とシフトが同じだったときに話をして「奏も連れてく〜」とか言ってたくせに……


 「さてさて、どうする? メニュー」


 笑顔な奏は楽しそうに言う。


 「そうだねぇー」


 それに対し、私はどちらかと言えば少しめんどくさい。


 一番ノリノリだった叶がいないのなら、どうでも良かった。


 きっと彼女がいた方が早く済むし、まだ提出まで時間がある。今日は適当にジャンルを何にするかとか、ざっくばらんなことだけ話して、詳しいのはまた後日決めよう。


 とりあえず、私は早くオレンジジュースが飲みたかった。


 安堵からか無性に喉が渇いた。


 それでも胸の奥に残る吐き気に似た不快感に、珈琲を飲む気には全くなれなかった。

















 「そんなところで何してるの?」


 私は路上に倒れる友だちを見つけ、ため息まじりにそう呟いた。


 昨日は会議(?)で一応の案を決め、すぐ家へ帰った。


 奏はランチしようと言ってきたけど、何かを食べる気にもなれずスッパリお断りした。


 何故か残念そうだった、何故?


 はてさて、そして今日。身体の気怠さをごまかしながら、いやいや学校へ来たところだった。


 私が通う弥生ヶ丘(やよいがおか)大学には校内の中央に芝生広場がある。学生たちが遊んだり、昼食を取ったり、時にはサークルで集まったりとみんな使う理由は様々だ。


 そんな中、私の友だちである(くつぎ)(ともえ)はその芝生広場の隅にいた。


 倒れている、というよりうつ伏せになっている。


 もちろん一人だ。


 ちなみに私と同じ女子だ、変人だけど。


 いろんな意味で関わりたくない、でもここを素通りすればきっとあとから10倍になって返ってくるだろう(何がかは分からないけど)


 私が暫く見ていると、巴はごそごそと動いている。


 どうやら何かを見ているようだ。


 「巴?」


 「あ! 紗季ちゃん! こんなところで何しているの?」


 うん、それはこっちのセリフなんだけど、敢えて言わない。


 「見て見て! かわいいんだよ!」


 そう言って巴は無邪気に指す方には、一つの黒い粒。


 「だ、だんごむし?」


 きっと巴が触ったのだろう。


 怯えた様子で丸くなったダンゴムシが影に2〜3匹転がっていた。


 かわいい…… とは?


 「だってだって、コロコロだよ? かわいいじゃん!」


 「あはは…… そうだね」


 もちろんそんなこと思ってもいない。


 「そうそう! 紗季ちゃん知ってる? ダンゴムシって賢いんだよ!」


 私の頭は混乱していた。


 いや、巴の発言がおかしいのはよくあることなのだが、唐突に、なによりダンゴムシについて熱弁されるなんて想定していなかった。


 ダンゴムシが、賢い?


 いったい何を言っているんだろう?


 表情を固めていると、巴は得意げに話しはじめる。


 「右行って行き止まったら、次は左に行って、次行き止まったら今度は右へ行って、そうやってどんどん遠くに行こうとするんだよ」


 「ふ〜ん、そうなんだ」


 なんだそんなことか。


 そんな反応をしてみたけど、私もその習性は知っている。


 交替性転換反応だっけ? 昔本で読んだことがある。


 ダンゴムシは壁にぶつかると、右に行き、次に壁にぶつかると左に行く。そうすれば右左右左でより効率よく遠方へ行けるって、そんな話。


 でも、実は賢いわけではなくて、しばらく進むと自分がさっきどっちに曲がったか分からなくなってしまうってオチだったと思う。


 記憶はないけど、本能的にそれが正しいと勘違いして行動しているだけ。


 でも、なんでそうすることが正しいかなんて、どれだけ歳を取った、経験を積んだダンゴムシでも知る事ができない。


 それって、人間も同じなのかな?


 なんでか分からないけど、正しいから行動する。


 なんでか分からないけど、嫌悪感を抱く。


 当たり前のように。


 まるで呪いのように。


 「う? 紗季ちゃん大丈夫?」


 気づけば巴は立ち上がっており、私を心配そうに見つめている。


 私は耳鳴りに顔をしかめる。


 耳の奥を裁縫針で刺されているような、そんな透き通った痛みと音。


 「巴に言われたくないよ」


 私は精一杯の笑顔でそう言った。

















 「へ〜、スイカのパフェか〜。それって美味しいの?」


 叶は不満そうな表情でねっとりと言う。


 正直なところ、美味しいかどうかと言われたら分からないし、なにより今更スイカのメニューというのも時期的に遅すぎる気がする。


 そもそも今から夏の新メニューとか言い出しているのがおかしい。なにもかもあのおっとりしている店長が悪い。


 そんな苛立ちが私の心を卑屈にする。


 奏と会ってから数日経ち、再度集まろうということになった。


 それでこの前と同じ喫茶店で集まることになった。今日は先日の集まりをすっぽかした叶がいた。でも、逆に奏がいない。


 「あんたたち、実は仲悪いの?」


 素朴な疑問。


 いろいろ思い返すと、私はどういうわけかこの双子が揃ったところを見たことが無かったからだ。


 それに対して、叶はメニューを興味無さそうに眺めながら言う。


 「いや? 普通だよ〜普通。逆に言えば、漫画とか小説とかで描かれている双子の方が異常だよ。あんなにべったり、仲が良いなんてあるわけないじゃん。あ、叶はホット珈琲にするよ。紗季は?」


 「じゃあ私もブレンド」


 「オッケー。すみませーん」


 叶は慣れたように店員さんに声を掛ける。


 女性の店員さんがメモ書きをし、カウンターの奥へ引っ込む。


 「ねぇねぇ紗季、この前の話し合いどうだったの?」


 「どうだったって?」


 「いや、スイカパフェ決めただけ?」


 「そうだよ。叶いないからすぐは決まんなかったけど…… ま、決めたらすぐ帰ったけど」


 「へ〜 そうなんだ」


 「うん。気分も悪かったし」


 「そうなんだ〜そうですか〜」


 さすがにスイカパフェ一本勝負じゃダメだったか。だって本当に気分悪かったし、奏もなかなかメニューの案出さないし、世間話ばっかりで。


 今日のメニュー決めは長くなりそうだ。


 「お待たせしました。ブレンドです」


 いつの間にか店員さんが横に立っていて、私たちの前に静かに珈琲を置く。


 「ごゆっくり」


 ニッコリと去っていく店員。


 残された黒い液体。


 「暑い日でもやっぱり珈琲はホットが良いよね」


 そう言って、叶は珈琲フレッシュをバッと入れる。


 私はそのまま口元に珈琲を運ぶ。


 この前飲めなかった分、じっくり香りを楽しみ、口へ運ぶ。


 うん。苦くて美味しい。


 「さて、少しまったりしたところで」


 叶の真剣そうに、そして意地悪そうに言う。


 「今日はちゃんと決めるまで帰れないから」


 そのニヤリとする笑顔は、先日の奏の笑顔と瓜二つだった。











 「出る前にトイレ」


 「へ〜い。いってらっしゃい」


 空になった珈琲カップ。


 結局スイカのパフェはコストがかかりそうってことで即却下となった。飲み終わってからもいろんな案を出し合ったが、最終的には叶が発案した『わらび餅に夏らしいものをトッピングする』いう具体的なような、抽象的なような、そんなものに決定した。


 何を混ぜるかは店長に決めてもらおう。


 というわけで、やっとこの会議から解放されることになった。


 席を立った私。実は別にトイレに行きたいわけではない。


 ちょっとした趣味、というか興味があるものがあるのだ。


 私はトイレに行くふりをして、カウンターの中をこっそり覗く。


 「へぇ〜 プレスでやるんだ」


 私は小声でそう呟く。


 最近いろいろあり、珈琲の勉強をしている。


 珈琲を淹れる機材には数種類あって、ドリッパーやサイフォンは有名だけど、最近はこのプレスというのも手入れが簡単で、一人分とか少人数の量も簡単に作れるから人気みたい。


 味もじっくり抽出されるから、その珈琲本来の油分もしっかり出て美味しいらしい。


 今度はプレスのことをマスターに教えてもらおう。


 そう思い、私は一通りの観察を終えて、そのままトイレに向かおうとした。


 一瞬。


 カウンターの裏が見えた。


 視界に違和感があった。


 脳裏に一瞬、赤い警告灯が光る。


 ん?


 私は立ち止まる。


 幸い、店員さんは店の奥に行っている。


 幸い、叶はスマホゲームに夢中だ。


 私は目を細めそれをじっくり見る。


 それは煎った珈琲豆を入れておく瓶。


 瓶の中には黒い粒。


 私はソレに見覚えがあった。


 まさか……


 私はおそるおそる、それでもしっかりソレを見る。


 ぎっしり詰まったそれはよく知っている珈琲豆…… ではなかった。


 それは先日見たものだ。


 その黒い粒は


 昨日、巴が丸めて遊んでいたアレだった。

















 夕日は落ちかけ、店内に伸びる窓の影が長くなる。


 テーブルにはパーカー姿の女性が座って、珈琲が運ばれてくるのを憂鬱そうに見守っている。


 「はぁ……」


 そのため息は今に始まったことではなく、来店時から吐き続けているもので、今この店内はその女性のため息が溢れていることだろう。


 その女性の顔は酷く疲れている。


 「紗季さん、災難続きのところ申し訳ないですが、そろそろ止めないと酸欠になりますよ」


 無表情な(よすが)あおいは淡々と言う。


 紗季と呼ばれたその女性は咄嗟に口を手で覆う。が、しばらくするとその手が外れ、そこから空気が漏れていく。


 「はぁ……」


 「安心してください。私の珈琲は違います、幸いなことに」


 具体的にはグアテマラとブラジルです。


 そんな風に訂正をいれる縁はケトルからお湯を落としている。


  コポコポコポコポ


 サーバーには黒い珈琲がゆっくり溜まる。


 「でも、マスター。私は」


 「ダメですよ。誰にも言ってはいけません」


 縁は紗季を(いさ)める。


 「私はその珈琲を飲んだ事はありません。だからこそ、飲む前から非難は致しません」


 縁は紗季の今日の出来事を聞いていた。


 しかし、それについて兎や角言うつもりはないようだ。


 いつも通りの作業に集中しながらも、紗季の相手をする縁。その表情は無表情と言えど、どこか楽しそうに見えた。


 「それに、イチゴミルクや抹茶アイスだって美味しいでしょ?」


 その言葉に紗季はあからさまな嫌悪感を露わにする。


 紗季の前に置かれた水が入っていただろうグラスはとうに空になっていた。


 「害が無いなら良いじゃありませんか。それに美味しかったのでしょう?」


 「いや、でもそんな問題じゃ……」


 紗季は文字通り苦虫を噛んだような表情を浮べている。


 しかし、縁の対応に冷静さを取り戻したのか、暫く考え、そして言った。


 「知れば叶も奏も、来店していた他の人たちも、みんな嫌な気分になります…… よね」


 「はい」


 少なくとも、私は気にはしませんが。


 そう小さく加え話す縁。


 縁はドリップをやめ、手際よくカップに黒い液体を注ぐ。


 「知ってることが多ければ多い程、良い事も悪い事も増えるものです」


 その言葉に紗季は目を瞑る。


 良い事。


 悪い事。


 最近の出来事を反芻(はんすう)するように、目をきつく閉め、考えを巡らせているようだ。


 「さぁ、どうぞ」


 縁はカウンターから出ていた。


 紗季の前に珈琲を置く。


 その黒い黒い珈琲の水面に写る紗季の表情。


 酷く、疲れている。


 それは紗季自らオーダーしたものだ。


 それでも、紗季はなかなか手をつけようとしない。


 縁は少し微笑み、ミルクと角砂糖の小瓶を置く。


 「どうぞ、ごゆっくり」


 そう言ってカウンターの奥へ引っ込んでいった。


 しばらく珈琲とにらめっこをする紗季。


 そして


 珈琲を口元へ運ぶ。


 ゆっくり、ゆっくりカップの端から口へ流れ込む珈琲。


 「……美味しい」


 口から漏れるあたたかい言葉。


 しかし、どうにも複雑な表情の紗季。


 「ありがとうございます」


 カウンターの奥から聞こえる縁の声。


 その声に紗季は安心したのか、笑みが零れた。


 「マスター、今日も教えてください。珈琲のこと」


 紗季が言葉を選びながら、明るく振る舞う。


 暫くすると、縁は奥からお盆に何か乗せて持ってきた。


 見ると、そこにはドリップ、サイフォン、そしてプレス。


 「どれにします?」


 紗季は縁を見る。


 縁はいつもの微笑。


 あはは、と渇いた笑みを浮べながら、紗季は頬を引き攣らせ言った。


 「できれば今日はプレス以外でお願いします」






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