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怪奇Drip  作者: 因島あおい
19/21

#18『亡霊』

 










 「ねぇ、サッちゃんはなんで動かないの?」


 僕はママに聞いた。


 僕は目の前にはサッちゃんが静かに眠っている。


 どれだけよしよししても、持ち上げようとしても、まるでぬいぐるみのように動かないんだ。


 それになんだか持ち上げた時、身体が重い気がする。


 ママは悲しい顔をしながら僕の頭を撫でた。


 そして言った。


 「健斗、サッちゃんはね、お星様になったの。もう会えないの」


 「嘘だ!」


 僕は大声で叫ぶ。


 ママはそれでも、僕の身体をギュッとする。


 「ごめんね。ママたちがもっと早く気づいてたら……」


 ママはなんでそんなこと言うの?


 だって昨日までは一緒に遊んでたのに、どうして?


 なんで? そんなのおかしいよ!


 ママはぬいぐるみとサッちゃんを取り替えっこしたんだ!


 きっとそうだ!


 ママは僕とサッちゃんが楽しく遊んでいるのが嫌なんだ!


 ママなんて、ママなんて……


 「ママなんて大っ嫌いだ!!」


 僕はサッちゃんを抱えて自分の部屋へ向かう。


 サッちゃんは僕が救い出すんだ!


 絶対に、絶対に助けるんだ!

















 「はぁ…… やっぱり健斗には分かってもらえないわ……」


 「健斗はまだ8歳だから現実を受け止めるにはまだ早かったってだけだよ。まぁ、しばらくしたら落ち着くって」


 「ならいいけど…… でもまさかサツキが腎不全だなんて、犬でもそんな病気になるのね、知らなかったわ」


 「あぁ、まぁそれなりにまだそんなに歳でもないのにな〜本当に急だよ。俺もちょっとショックだ…… これだけ一緒にいるのに、そんな異変全く気づかなかったよ」


 「悔やんでも仕方ない、か…… でもやっぱり気が重いわ。健斗がこのまま口を聞いてくれないんじゃないかって」


 「考えすぎだよ。今度の休みでも、みんなでホームセンターに行こう。気晴らしになるかもしれない」


 「そうかしら…… 逆効果な気がするわ。それにどうしましょう。サツキの火葬」


 「健斗が持って行っちゃったんだろ? 仕方ないよ。健斗には生き物を飼うということを少し勉強させよう」


 「そうね、うん。はぁ、本当、何もなければいいのだけれど」

















 「ねぇねぇあやちゃん、なにか良い方法ないかな?」


 僕は同級生のあやちゃんに電話していた。


 あやちゃんは物知りなんだ。


 花の育て方とか、算数のやり方とか、漢字の読み方とか、なんでも聞いたら教えてくれる。


 あやちゃんはなんでも知ってる。


 だから聞いたんだ、サッちゃんを助ける方法はないかって……


 何も言わないあやちゃんに僕は必死にお願いした。


 本も貸す。ゲームも貸す。いつでも遊びに行く。どんなことでもするって。


 そうしたら、あやちゃんはしぶしぶ答えをくれた。


 「お姉ちゃんが言ってたんだけど……」


 僕はあやちゃんの言ったことを一言一句迷わないようにメモした。


 手順、場所、方法、気をつけること等々。


 そして、あやちゃんは最後に付け加えた。


 「これはきっと良い方法じゃない」


 良い方法じゃない?


 僕にはその意味がよくわからなかった。


 そんな僕の考えを余所に


 あやちゃんは電話をこう締めくくった。


 「たぶん、一番悪い方法なんだ」

















 深夜1時。


 こんな夜遅くまで起きていたことなんてないし、こんな時間に外に出かけたことなんてない。


 パパとママにバレないよう、僕は裏の勝手口から外に出る。


 背負っているリュックが重い。


 中にはサッちゃんを入れている。


 ずっと一緒にいたい。


 そんな気が僕の気持ちを焦らせていた。


 えっと、なんだったっけ?


 僕はリュックから大きい紙を取り出す。この前の参観日の発表で作った『僕の住む町』って地図が役に立つ。


 えっと、ここがゆーくん家で、ここがあやちゃんの神社で……


 「えっと、あやちゃんが言ってたのって『しろがねこうえん』だっけ?」


 ここからまっすぐ行って右!


 僕は地図を丁寧にリュックにしまう。


 そして


 「サッちゃん、絶対助けるからね!」


 僕は走った。


 夏の夜の外がこんなに涼しいなんて。


 僕は思いもしなかった。










 「ハァ、ハァ、着いた」


 入り口の壁には白鐘(しろがね)公園の文字。


 中を見ると、光っている街灯が一つしかない。


 すべり台やジャングルジム、砂場がある普通の公園。


 でも印象は真っ白な、そんな公園。


 地図を作るときに、ゆーくんとあやちゃんと来た時は人もたくさんいて、あったかかったのに今は違う。


 なんだろう、なんとなくだけど。


 この世じゃないみたい。


 広がる風景が少し怖いと思いながら、僕は公園を見渡す。


 すると、一際(ひときわ)大きな木があった。


 これだ。あやちゃんが言ってた木は。


 僕は木の方に顔を向け、少し前屈みになった。


 さっきとは違い、見えるのは木の幹の黒色だけ。


 やっぱり怖い。


 でも……


 僕は決心した。


 サッちゃんのため。


 深呼吸、そして。


 僕は言った。


 あやちゃんから教えてもらった、魔法の呪文。


 「だーるまさんがーこーろんだー」


 振り向く。


 そこには変わらず白い公園が白いままでいた。


 しかし、どこか怖い。


 夜家抜け出していること。


 バレたらきっと叱られること。


 知らない人に見つかること。


 なにか良くないことが起こること。


 いろんな不安が僕の心をぐちゃぐちゃにする。


 さっきまで涼しかったはずなのに、僕の服は汗でぐちゃぐちゃになっていた。


 どうしよう。


 でも、ダメ。


 サッちゃんの為だもん。


 「だーるまさんがーこーろんだー」


 また振り返る。


 何も変わらない。


 2回続けると、少し怖くなくなった。


 そう、あやちゃんも言ってた。


 成功するかはわからない。


 でも僕は居ても立ってもいられないんだ。


 意を決し。


 僕は三回目を行う。


 「だーるまさんがーこーろんだー」


 僕はおそるおそる……


 うしろを振り返った。


 「あそぼう」


 「うわぁっ!」


 そこには真っ白な女の子がいた。


 白いワンピース姿に白い肌で、同じくらいの学年。


 前髪が長く、その隙間から真っ黒な目が見え隠れしている。


 砂場の真ん中にポツンと立っている。


 さっきまで絶対いなかったし、なにより僕は直感で感じた。


 「か、かみさまですか?」


 そう。


 僕はあやちゃんに聞いたのだ。


 サッちゃんを生き返らせる、神様を呼ぶ方法を。


 「わたしはちがうの。神様は……」


 そう言って、その白い女の子は砂場に自分の腕を突っ込む。


 そのままズズズと何か赤色の何かを持ち上げた。


 赤色というよりもっと赤い、錆びたような色だった。


 それは、熊のぬいぐるみだった。


 「神様はこの子なの」


 そう言って、その白い女の子は大事そうにそのクマのぬいぐるみを抱きかかえる。


 「ぬいぐるみ?」


 「この子は足りないものを入れてくれるの」


 足りないもの。


 サッちゃんの命。


 僕はリュックからサッちゃんを出してあげる。ただ眠っているような姿だけど、固くなったその身体には温もりは無い。


 冷たい。


 「心臓が止まったのですか?」


 白い女の子が聞く。


 「ママは他にも色々悪いって……」


 僕は涙を我慢して言う。


 「そうなの」


 白い少女は悲しそうに言う。


 悲しそうと言っても、女の子の顔は真っ白でまるでマネキンのようで、表情は乏しい。なにより、目がまるで夜のように黒かった。


 怖い、でも、悪い人じゃなさそう。


 僕は目の前のクマのぬいぐるみを見る。


 すると


 「!」


 クマの顔がゆっくり……


 こちらを向いた。


 白い女の子の腕の中で手足をバタバタさせている。


 本当に、このクマが…… 神様?


 でも、このままじゃサッちゃんが。


 僕は、白い女の子と同じように冷たくなったサッちゃんを抱えてる。但し、サッちゃんは動かない。


 「お願い神様! なんとか! サッちゃんを助けて」


 僕はその赤色のクマにサッちゃんを差し出す。


 神様にお供えをするように。


 すると、赤色のクマは静かに首を横に降る。


 「なんで! 神様なんでしょ! なんとかしてよ、僕はサッちゃんともっと遊びたいんだよ!」


 「緋熊(ひぐま)さんはね、足りないものを入れるだけで。与えてはくれないの」


 「てことは?」


 サッちゃんを見る。


 冷たく、固く、動かないサッちゃん。


 サッちゃんの足りない命を……


 命を動かすもの。


 僕は……


 僕は……

















 僕は次の日、学校をサボった。


 学校に行って、体調不良を理由に1限目から早退した。


 そしてそのまま町を歩いた


 学校。


 路地の裏。


 公園。


 町の隅。


 商店街。


 神社。


 僕はサッちゃんの内臓となる犬を探していた。


 でも鎖に繋がれた飼い犬なんて、盗めるわけがなかった。


 ましてや野良犬なんて、怖くて近づけなかった。


 僕は焦った。


 背中のリュックにはサッちゃんがいる。


 僕は涙を堪える。


 だって、このままじゃ手遅れになる。


 折角見つけた助かる方法。


 このままじゃ……


 このままじゃ……

















 「けんちゃん! 来たよ!」


 深夜1時。


 僕はゆーくんと白鐘公園にいた。


 僕はゆーくんを白鐘公園に電話で呼び出していた。


 おもしろいものが見れるよ


 この公園に。


 この時間に。


 それは友だち言った嘘。


 理由は一つ。


  ズズズ


 砂場が微かに動く。


 ゆーくんとは小学校に入った時から仲良しだ。


 だからこんなことはしたくない。


 でも……


 それでも……


 僕にとってサッちゃんの方が大事な友だちなんだ。


 「この砂場変なんだよ! この時間になると勝手に動くんだよ!」


 「本当!?」


 僕が言った通りにゆーくんは持って来ていたスコップで興味津々で砂場を掘っていた。


 ザクザクザク


 「なにかいるのかな!? もぐらかな? 幽霊かな? けんちゃんも早く!」


 「うん!」


 僕もゆーくんと一緒に砂場を掘る。


 ザクザクザク


 「なにもいないねー」


 「もっと掘ればなにか出てくるって!」


 ゆーくんもノリノリだ。


 「ゆーくん今日はどうやって出てきたの?」


 「えー? ママが寝た後に布団にぬいぐるみ突っ込んで来たからバレないと思う!」


 「へー! そうなんだ!」


 僕は唾を呑み込む。


 だって、今からやることはやってはいけないこと。


 それでも、僕は……


 決心する。


 僕はスコップを強く握りしめる。


 そして。


 ゆーくんのうしろに立つ。


  ザクザクザク


 ゆーくんは一心不乱に地面を掘っている。


 僕は。


 スコップを振り上げ。


 そのまま振り下ろした。


  ぐちゃっ


 ゆーくんは前のめりに砂場に倒れ込む。


 頭から血が流れ、砂場にはゆーくんの赤い血が広がっていく。


 「……うっ、ぅ」


 呻き声。


 ゆーくんの身体はビクンッと震えている。


 僕も震えが止まらない。


 でも、やらなきゃ……


 やらなきゃ!


 「もういいの」


 刹那。


 目の前に白い女の子が立っていた。


 僕は安堵からか恐怖からか、わからないけど急に足に力が入らなくなってそのまま砂場に座り込む。


 「あとは、わたしがやるの」


 ズズズ


 砂場が(うごめ)く。


 砂がゆーくんを動かし、仰向(あおむ)けにさせる。ゆーくんは何か抵抗しているようだけど、砂にされるがままだ。


 砂がゆーくんを締め上げる。


 「ぁ、が……」


 僕はその様子を見守ることしかできない。


 砂が、ゆーくんの胸を開く。


 「ぶぶっ、ぁば」


 胸から血が(あふ)れ出す。


 ごぼごぼと流れ出る血が街灯の光に照らされ、赤一色の水が光る。


 綺麗……


 それに見蕩(みと)れていると、ゆーくんの胸から見た事がない赤い、赤い塊が取り出される。


 あれが…… 心臓。


 「う、う」


 なんでだろう。


 急に、喉の奥が酸っぱくなった。


 気持ち悪い……


 「吐いていいの」


 白い女の子は僕に言う。


 「この赤色に慣れてはダメなの」


 その忠告を受け入れたわけではないけど、僕は砂場の外に吐いた。


 僕の吐いたものが地面に落ちる。


 おぇ〜、ぉぇ……


 黄色い、汚いもの。


 ゆーくんから出た赤色とは違う。


 「健斗、あなたの望みを」


 白い女の子が言う。


 僕は服で口を吹きながら、リュックからサッちゃんを取り出す。


 冷たい。


 固い。


 重たい。


 また涙が溢れそうになる。


 でも、これで。


 僕はサッちゃんを捧げる。


 すると。


  ズズズ


 砂から赤いクマさんが出てきた。


 クマさんがどこか笑ってる、そんな気がした。


 僕はサッちゃんを砂場に置く。


 すると……


  ズズズ


 砂が動き、ゆーくんから取り出した赤い塊がサッちゃんの近くにいく。


 クマさんはその赤い塊を持つ。


 それをサッちゃんに押しつける。


 ズ、ズズ


 「!」


 サッちゃんの身体をすり抜けるように赤い塊が消えて行く。


 クマさんの手が抜ける。


 そこにはさっきの赤い塊ではなく、どす黒い小さい塊が握られていた。


 たぶんアレが、サッちゃんの心臓。


 動かなくなってしまった、心臓。


 全身の震えが止まらない。


 そんな僕のこと誰も見ておらず、儀式は進む。


 どんどん、臓器がとりかえられる。


 悪いものを良いものに。


 ゆーくんのものを、サッちゃんのものに。


 「かなしいの?」


 白い女の子が僕に問う。


 僕はいつの間にか涙を(こぼ)していた。


 悲しい? 嬉しい?


 止まらない、止まらない。


 なんでかわからないけど。


 涙が止まらない。


 すると


 クマさんの手が止まった。


 どうやら終わったらしい。


 「健斗、あなたの友だちはわたしがもらうの」


 白い女の子が言う。


  ズズズ


 赤いクマさんが登場したとは逆に


 ゆーくんの身体が砂場に沈む。


 赤い血も一緒に、灰色の砂の中に消えていった。


 「また、あそぼう」


 気がつくと、ゆーくんも、白い女の子も、赤いクマさんもいなくなっていた。


 残っていたのは砂場に横たわっているサッちゃんだけ。


 おそるおそる近づく。


 触ってみると、サッちゃんの身体は固い。


 嘘でしょ?


 僕は何度も呼びかけた。


 僕は何度も身体を揺らす。


 僕は何度も涙を流す。


 気がつけば朝日が登っていた。


 気がつけばおまわりさんが僕を見つけていた。


 気がつけばおまわりさんと交番にいた。


 それでも僕は。


 僕はサッちゃんをギュッと離さなかった。

















 「わんっ!」


 僕は交番のベッドで眠っていたら、そんな声が聞こえた。


 目を開けると、目を赤く腫らしたママと。


 元気に舌を出すサッちゃんがいた。


 僕は思わず飛び上がる。


 「サッちゃん!」


 僕はサッちゃんを抱きしめた。


 サッちゃんはくぅ、と苦しそうに呻く。


 「ぁ、ゴメンゴメン!」


 「ハッ、ハッ、ハッ」


 元気に息をするサッちゃん。


 僕は嬉しくてたまらない。


 ママはすごく怒っていたけど、構うもんか。


 だってサッちゃんが元気なんだから。


 僕はそのまま交番でお昼を食べた。


 その時にママが教えてくれた。


 朝。


 僕とゆーくんの二人が家から消えていることが分かり、家族や学校の先生たち、地域のみんなで探してくれていたこと。


 そのときに交番から学校に連絡があり、僕の無事が確認されたこと。


 ゆーくんがまだ見つかっていないこと。


 「健斗は何か知らない?」


 そのママの質問に


 僕は首を横に振ることしかできなかった。

















 夜の涼しい空気が身体を撫ぜる。


 僕はサツキを散歩させていた。


 あれからサツキは夜…… 日が落ちないと散歩に出掛けなくなった。


 そういえばあの時もこんな、夏なのに涼しい、そんな夜だったっけ?


 あれから9年近く経つけど、サツキはどこも悪くなく健康そのものだった。人間で言えば、もう80歳と相当なおばあちゃんだ。


 獣医さんから言わせれば奇跡、らしい。


 僕はその話を笑いながら聞く。


 本当のことなんて、誰にも言えないし、きっと誰も信じてくれない。


 「ハッ、ハッ、ハッ」


 サツキは息を切らして、それでも僕の前を元気に歩く。


 本当に幸せだ。


 僕はいつもの公園に着いた。


  [白鐘公園]


 あれから遊具が危ないだの、大きい木は倒れる危険があるだので、ほとんどの遊具がなくなり、今は砂場のみになっている。


 僕はそれで全然構わない。


 僕はサツキのリードを外し


 「ほら、遊びにきたよ」


  ズズズ


 砂場が渦を巻き、そこから。


 真っ白な少女が現れた。


 あの時と同じ。


 白いワンピース姿に白い肌。


 長い前髪。


 その隙間から見える真っ黒な目。


 あの時と同じ小学年低学年くらいの背丈。


 「やぁ、久しぶり」


 白い少女はニッコリ笑う。


 サツキはしっぽを振って少女に寄り添う。


 「あそぼう」


 「遊ぼう!」


 僕とサツキと白い少女は、あれから夜の公園で遊ぶようになった。


 緋熊様には会ってないけど、別にいいよ。約束したのはこの子とだし。


 だって…… あの時。


 また、あそぼう


 そんな約束を交わしたんだから。

















 「人は亡霊を生み出す」


 ここはいつもの喫茶店。


 外から入る光は明るい。


 しかし、店内の電気は消えており、店の光は窓からの間接照明だけになっている。


 いや。それ以上に


 (よすが)あおいの表情は暗い。


  ゴリゴリゴリ


 ミルを()く動作もいつもより遅い、というか重い。


 縁は最近あちこちへ足を運んでいる。理由はどうであれ避けていた非日常が日常化している。


 つまり、つかれているのだ。


 今にもミルを挽く手が止まりそうだ。


  「死んだ本人の未練や執念で生まれるものが幽霊」


 縁は譫言(うわごと)のように言葉を吐く。


 開店前の店内にはもちろんお客はおらず、縁の世迷言(よまいごと)を聞く人は誰もいない。


 「それとは違い、他人の後悔や欲望で生まれるもの」


  ゴリゴリゴリ


 弱々しい力でミルを挽く。


 それが縁と日常をつなぎ止めているかのような、義務というか、日課というか当たり前のようにハンドルを回す手を止めない。


 「それが亡霊」


 縁の手が止まる。


 挽かれた粉をミルから取り出し、ドリッパーへ入れる。


 どうやらお客用というわけではなく、ただ自分のために淹れているようだ。


 そう、自分のために。


 「幽霊は幽霊自身に未練や執念を解決させればそれでいい」


 縁の世迷言は続く。


 すすすとゆっくり動き、あたためていたケトルの柄に手を掛けるがどうやら熱かったようだ。


 手にフーフーと息を吹きかけ、しばらくしてまたケトルの柄に手を掛ける。


 「でも、亡霊は違う」


 それを傾け、ゆっくり黒い粉の海へ湯を注ぐ。


  コポコポコポコポッ


 呼吸する珈琲を、縁はうっとりと眺めている。


 まるで生を実感しているような、現実にいることを確認しているような、そんな優しい眼だった。


 「亡霊を生み出した他人は、亡霊を生み出した自覚がない」


 黒い液体がドリッパーの下にある透明なポットへ溜まっていく。


 一滴、一滴。


 それが大きいとか小さいとか関係なく、少しずつそれでも確実に増え続けるそれは透明なガラスを静かに曇らせる。


 「だから亡霊は存在意義が曖昧。存在意義が不明瞭」


 曇っては出来上がった珈琲の揺らめきにより消えるガラスの曇り。


 消えては曇り、曇っては消える。


 儚いけど、それがいい。


 儚いけど、仕方がない。


 どちらともとれるその自然の摂理。


 縁は言葉を吐き続ける。


 「亡霊自身がその場にいる意味を知らないから」


 手に握っていたケトルをテーブルに置く。


 しばらく、珈琲の海が呼吸をし、静かに息を引き取った。


 まるで天寿を真っ当するかのように。


 まるで使命を果たしたかのように。


 静かに。


 気泡がみるみる消えていく。


 「亡霊は不幸」


 ドリッパーを手際よく外す。


 残されたポットにある、珈琲豆の残骸。


 それは珈琲の生きた証。


 「また亡霊を生んでしまった人も不幸」


 縁は再びケトルを持ち上げ、小さめの珈琲カップにお湯を注ぐ。


 湯気を立て、カップが命を吹き込まれるかのように息を吐く。


 無色のそれが、お湯を注ぐことで彩りが蘇るような。そんな秋の風景のような感じである。


 「亡霊は生んではいけない。それでも」


 生き返ったカップから、お湯が捨てられる。


 体温を取り戻したカップは、自分の出番を今か今かと待っている。


 縁は珈琲の入ったポットを持つ。


 「亡霊でも良いから会いたいって、そんなときはあるもの」


  トポトポトポトポッ


 いつもより少し高い位置から黒い珈琲がカップへ落ちる。


 芳ばしい香りが店内に広がる。


 縁は目を細め注がれているその黒い流線を、見失わないようにしっかりと見つめる。


 珈琲が零れないように。


 世界が崩れないように。


 まっすぐな、悲しそうな目で。


 「ふぅ、最近ダメダメですね」


 カップに入った珈琲を見て縁がつぶやく。


 それが、珈琲の出来のことを言っているのか。


 それとも、日常の自分のことを言っているのか。


 今は、定かではない。


  ズズズズズ


 縁が珈琲を啜る。


 「あぁ…… 美味しい」


 ほっと漏れたその言葉。


 今まで吐いた世迷言を消し去るようなそんな一言。


 「私は、生きている」


 その瞬間。


 店内の雰囲気が明るくなった気がした。


 原因は分からない、でも、なんとなく。


 そう、なんとなく、明るくなった。


 言葉じゃそうとしか表せない些細な違い。


 そんな些細な差が世界を生まれ変わらせる。


 「がんばろう」


 果たしてその言葉が誰に向けた言葉だったのか。


 誰もいない、そんなこの店の中では誰にも、きっと縁にも分からない。






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