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救いの御手(3)【最終話】

『救いの御手』最終話です。



今日もこの家に泊まる予定だ。夜も更けて来ると、徐々に大人の時間になって来た。ドタドタ走り回る子供達を尻目に豪太と強かに飲み交わし、仕事の話に興じていた。

それから暫くして双子達にぶら下がられていた麗華が洗い物をしたいと言うので、豪太が双子を引き剥がして寝かしつける為子供部屋へ連れて行く事になった。相変わらず軽々と、両手それぞれに陸と海を抱え上げ―――大層双子達に喜ばれている。




手持無沙汰になった俺は、ベランダに出て空を見上げた。

今日は天気が良いからか―――住宅街からも少しだけ星が見える。

冷蔵庫から勝手に拝借してきた新しいビールの缶のプルタブをプシッと開けた。ベランダで柵に肘をあずけて晩酌を続けていると、既にパジャマに着替えた空が、俺の横にチョコンと並び立った。


俺は隣の小さな形の良い頭にポン、と手を置き微笑みかける。

するとニカッと空も笑顔を返して来た。


陸も海も可愛いが―――俺には実は空が一番可愛い。

本当に自分の子のように思ってしまうくらい、最初に空が俺の指をギュッと掴んだその日から……俺は空の事が大好きになってしまったのだ。


「コータおじちゃん、オレね」

「ん?」


ビールから口を離し、空を見下ろした。


「何だ?」

「もし、コータおじちゃんがケッコンできなかったら―――オレがおじちゃんのメンドウみるからね?」

「……は?」


思わず目を丸くしてしまう。

何を言われているのか理解するのに、ちょっと時間が掛かった。


「面倒って……空はパパやママの面倒があるだろ?」


養子云々の話は、不安にさせていけないので子供達の前では一切口に出した事は無い。だからどうしてこんな事を空が言い出したのか、分からなかった。


「ママが言ってたの。『もしコータおじちゃんがケッコンできなかったら、そらがメンドウみてあげてね』って。『パパとママは、りくとうみにメンドウみてもらうから』って」

「な……そ、そっか……」


な、なんちゅー事を子供に言い聞かせているんだ、あの女は……!

まあ事ある毎に『空が欲しい、空を養子にする』って口に出している俺が文句を言える立場じゃないんだが……。


「だからもし『であい』がなくて、コータおじちゃんが『おひとりさま』になってもだいじょうぶだからね……!」


ぐっと拳を固め、真剣な表情で俺を慰める空。




そうか……。


ベランダで独りビールを飲んで星なんか眺めている俺を―――空は心配してくれたのだ。如何にも背中が寂しそうに煤けて見えたのだろうか。普段仲の良い夫婦を見慣れているから、ギャップでそう見えたのか?いつまで経ってもアイツ等、新婚夫婦みたいにイチャイチャしているからなぁ……。




何だか酷く情けない気持ちになったが―――空の本気が伝わって来て、じんわりと胸が熱くなる。目頭が俄かに熱を持つ。だけど、五歳児の前でビール片手に泣き出す三十二歳の独身男の図が頭にパッと浮かんで……崖っぷちでググッとそれを堪えた。


「ありがとな」


そう言ってビールを床に置き、俺は空を抱き上げた。

すると空はくすぐったそうに、キャハキャハ笑い出す。嬉しそうで何よりだ。


最近すっかりお兄ちゃんになった空だけど、双子にパパとママの両手を塞がれている時。何だか寂しそうな目をしているように見える事がある。

それが昔の俺に重なって……そんな時、俺の胸は僅かにざわめくのだ。




優しい腕を独占していた豪太が憎かった。

財産も地位も、俺にとって何の魅力も持ちはし無いものばかり押し付けられて、欲しい物を根こそぎ奪われた事が悔しかった。親父は俺を気の毒に思ったのか望めば大抵、欲しい物を与えてくれたけど―――その中に本当に俺が心から欲しった物は存在しなかった。




だから豪太が大事にしている物を、苛立ち紛れに奪い、乱雑に扱って壊して回った。

親の目の届かない所で狡猾に。いや、おそらく……親達は、特に母親は気が付いていたのではないだろうか?大人になった今、それが嫌になるほどよく分かる。なのに俺は上手く立ち回っていると勘違いしていたんだ。


そして豪太が見つけた大事な物―――麗華も取り上げてやろうと考えた。

乱暴に扱って、豪太に思い知らせてやろうと思ったのだ。




―――それは俺にとっても、本当は大事な物だったのに。




音楽室から聞こえてくるピアノの音に、ずっと前から気が付いていた。

聞くと心がスッとしたんだ。

なのに、いつの間にか……そんな俺の密かな楽しみさえ、豪太は何でもないような顔をして手に入れてしまっていた。それに気が付いた時―――俺の中で何かがパリンと割れたのだ……。




俺は、間違ったんだ。

……壊したかったんじゃない。

そうじゃない―――そうじゃなくて。俺の為にピアノを弾いて欲しかった。

俺に笑い掛けて、隣に座る権利を与えて欲しかった。


これは俺だけの秘密の楽しみだと思いこんでいた。そうして箱の中しまっておいたのに。

後から来た豪太にその箱を無造作に開けられて、先に一口ガブリと味見されてしまったような気がしたんだ。それならいっそ―――全部グチャグチャにして壊して、捨ててしまえ!……そんな凶暴な衝動が湧き上がって来て抑えられなかったんだ。


今までヤツから奪って来たオモチャや食べ物なんかと、おんなじように。




自分のそんな複雑な感情をちゃんと認識したのは―――麗華が転校してしまったずっと後の事だ。体にポカリと穴の開いてしまったような気分がいつまでも抜けず―――漸くその事に気が付いた。自分のバカさ加減に。……やっとその時、初めて気が付いたんだ。







小さな手がペタペタと俺の頬に触れる。


「コータおじちゃん、なかないで?」


俺の頬に伝う涙を、空のちいさな紅葉の手がペタペタと拭う。下手くそなその仕草に思わず噴き出してしまった。全然拭えてない。ただ頬に水分を塗り広げているだけだ。


「泣いて無いよ―――眠くて欠伸がでちまった。空もそろそろ寝ようぜ」


そう言って俺は空を抱えたまま、居間に戻った。

僅かに零れた涙は外気ですっかり乾いていた。


麗華がソファ前のテーブルの上の空き缶を片付けていて、俺に気が付いてスクッと背を伸ばした。


「空が眠そうだから、上に寝かせて来る」

「ありがとう―――空はすっかり、おじちゃんっ子に育っちゃったねぇ……」


麗華が愛しそうに目を細める。彼女の視線を浴びる体に圧し掛かる小さな塊は―――既に眠そうにウトウトして熱い体をどっさりと俺に預けかけている。


「―――養子には出さないよ?」

「ああ」


親から引き離された子供は―――いつまでも心に空いた穴を埋められないまま生きて行くしかない。それを嫌って言うほど分かっているから、やっぱりそれは諦めた方がいい。―――何よりも、大事な空のためにも。


「分かってる。―――そろそろ婚活でも始めるよ」


俺が笑うと、麗華は目を丸くした。

散々『結婚しろ』って言っておいて、何だその顔は。


「なに?―――俺が惜しくなったか?人の物になると思うと勿体無くなったとか」

「ううん、全然」


お道化て茶化す俺に、真顔で首を振る麗華。相変わらず、コイツは俺に容赦ない。


「でも―――」


しかしふと視線を落とし。麗華は真面目な顔で、ポツリと呟いた。


「気が進まなかったら、無理しなくてもいいかなって。養子には出せないけど……ウチは三人もいるから―――誰かきっと梶原君の老後もみてくれるよ、ついでにさ」




俺程度の小さな不幸、世の中にはゴロゴロしていて。

もっとずっと孤独に暮らして来た人間も一杯いる。

親を失った人も。親から拒絶されて、尚且つ命を危うくされたり、大きくならない内に痛い思いだけ散々味わって―――死んでしまう子供だっている。




そんな事は十分、分っているのに。


あの頃自分の身に降りかかった不幸に振り回されて、俺は錯覚してしまったんだ。俺が一番不幸なんだって。




そんな自分の視野の狭さに―――この女性ひとは、気付かせてくれた。




だけどそろそろ。もう一歩、更に広い場所に踏み出す時が来たのかもしれない。


「ま、ナンだ……五歳児に心配される三十二歳てのも、情けないよな」


麗華がキョトンと俺を見上げている。

気弱な物言いをする俺がそんなに珍しいのか。


「婚活して―――駄目だったら、お願いするわ。『おひとりさま』のままだったら空が面倒みてくれるって言ってくれたし」


パチクリと麗華が瞬きを繰り返し―――ニコリと笑った。

それはまるで―――息子達や娘に向けるものと同じ、柔らかい笑顔で。




パチン!




ねぼけた空の掌が、母親の笑顔に見惚れる邪な男の顔を叩いた。


「ってえ……」


痛さに顔を顰める俺を見上げて、麗華はクスクス笑い出した。

俺は小さな掌を左手で掴む。

するとその手は、ギュッと俺の親指の握り返して来た。


あの時。生まれた翌日、お前は俺の手をギュッと掴んだんだ。


そして今。


俺の方が逆に―――溺れそうになって、お前の手に捕まっている気分だ。




空の小さな温かい手が。

道に迷ってウロウロ歩いている俺の手を掴んで―――今正しい方向に導こうとしている。


そんな気がした。




「じゃあコイツ―――寝かしつけて来るわ」

「ありがとう。……一緒に寝ちゃっても良いからね」


揶揄うように言うから、俺は唇を尖らせた。


「寝るかよ、子どもじゃあるまいし!」


そう強がったものの―――温かい温もりに寄り添って寝そべった数秒後に。

俺の意識はしっかり、柔らかで幸せな夢の世界へと遠のいてしまったのだった。







【救いの御手・完】

『救いの御手』最終話でした。そして『ピアノ・レッスン』後日談エピソードもこちらで全て終了となります。(もう鼻血も出ない……筈です)


本作でツギクルブックス創刊記念大賞AI特別賞をいただきました。

これも続けてお読みいただいた皆様に後押しされ、最後まで書き切れたお陰だと思います。分析レポートをいただけると言う事なので、いただいた評価を参考に引き続き文章鍛錬に改めて精進していきたいと思っております。 


ブックマーク等チェックしていただいた方、感想コメントをしていただいた方々、またフラリと立ち寄って頂いた方々―――長い間、麗華と豪太、浩太兄弟にお付き合いいただき、感謝感謝です。

ここまでお読みいただき、誠に有難うございました!

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